自分の命は自分で守る!
医療への意識を高めることが事故に遭わない近道
メディオ副議長・広報担当
伊藤隼也
東海大学の出している月刊誌「望星」より取材を受け、メディオとして現在の考え方を示しました。
以下、「望星3月号」に掲載されるものの元原稿です。
■起きた事故からなにを学ぶか
――まず、メディオの活動主旨、目的について教えていただきたいんですが。
「目的は三つあります。“医療事故を監視することにより、医療の質の向上を図る”、“医療事故の被害者を支援する”、“医療情報の開示・公開を推進する”。
医療情報というのは公開・開示が進んでいないので、医療者がもっている情報と患者がもっている情報に差があるんですね。そうした情報の質も中身も、なるべく同じレベルに近づけていくというのが大きな目的です」
――具体的な活動としては?
「設立は九十七年十月。最初は四、五十名が集まって、現在は五百名まで増えました。独立した機関として、ある程度科学的に事故を分析したり、提言したり、被害の相談にのったりという活動を行っています。
医療事故のようなネガティブなデータというのは、検証すればするほど、いろいろなものが見えてくるんです。現代日本の医療の真実も見えてきます。たとえばインフォームド・コンセントの問題だったり、医師自体の技術不足だったり。
単に医療者を敵対視するのではなく、患者側がきちっと事故データを分析することで、医療側に対して環境改善、事故防止の提言をしていこうというのが活動の主旨です」
――活動が始まる背景になったものとは?
「医療にはミスや過誤、事故はないというのが日本には不文律としてあったわけですね。厚生省も病院も、医療事故というのはシステムではなく、個々の問題であると考えてきた。
それが現代になって、医療が大変な進歩をし、分野ごとに細分化されていきました。その結果、治療可能な範囲が広がった代わりに、患者が危険に遭うケースも非常に増えました。人間なのだから間違いも犯すし、事故も起こします。治療方法が専門化し、複雑化されれば、当然、事故が増えるわけです。とくに古いシステムのなかで、ある部分だけが新しくなっていくと、ひずみも出てくる。こうしたことによる事故が、水面下では実にたくさん出てきていたわけです。
ところが、医療事故の被害にあったということを相談する先が、残念ながら日本にはありません。公的な機関としてない。医療の世界というのは、密室性、専門性も高く、第三者が大変介在しにくい環境です。結局、被害にあっても泣き寝入りをするしかないのが現実でした。
また、航空機の事故などは、多くの乗客、そしてパイロットの命が一瞬で失われるので、きちんと事故の情報を集め、改善に役立てていますが、医療事故に関しては医者が間違いを犯しても医者は死にませんし、患者が一人死んだからといって、なかなか注目も集まりません。治療に関わった数人が口を閉ざせば、事故が起こったことさえ隠し通せる。だから、医師や病院側から改善につなげようという動きがなかなか起こらないんですね。もちろん、ネガティブな情報を病院が集めたがらないということもあるでしょうが。
システム全体を考えると、間違いのなかにはいくつか改善に向けてのキーワードがあるわけで、それを、もう少し科学的に分析し、起きた事故からなにを学べば被害は減少するのか、システムを改善できるのかを見出していかなければいけないし、起こった医療事故に対しては被害者や家族の救済をきちんと行っていかなければいけないのですが、国も病院も動かない。
それじゃあ、市民レベルで運動するしかないと、問題意識の高い人たちが集まってできたのがメディオです」
■透明性と説明責任が欠けている
――報道される医療事故というのは氷山の一角だと思いますが、実際にはどのくらい事故が起きていると考えられますか?
「データが取られていませんので、具体的な数字は出ませんが、事故はすごくたくさん起きていると考えていいでしょう。
たとえばアメリカのIOM(Institution
of Medicine:医学研究所)が、全米規模でかなり大きな調査を何回か実施しています。調査では四〜八万人ぐらいは医療事故で死んでいるのではないかといわれている。これを日本の人口比率にあてはめて類推すると、日本でも二〜四万人は医療事故で不慮の死を遂げているのではないかと考えられます。
もちろん、すべてが医者のミスということではなくて、システムの不備であったり、薬の不適合だとか副作用だとか、医療にかかわるトラブルやアクシデントで、おおよそそのくらいの数の人が亡くなっているのではないかということです」
――さきほど、データを分析することで、現代医療の真実が見えてくるとおっしゃいましたが……。
「一つ一つのデータが物語るのは一部の真実ですね。それを大きく俯瞰してみると、透明性と説明責任、つまり透明性を確保したうえで、きちんとした説明をする、この部分の希薄さが根本問題として見えてきます。
インフォームド・コンセントという言葉が知られてきましたが、ここが不完全な医療というのが非常に多い。その背景には、さきほどの“由らしむべし知らしむべからず”といった、知らなくていい、僕たちのいうことを聞いていれば大丈夫、という医療が長いこと日本で行われてきたことが大きいといえます。医療のパターナリズム(父権主義)というやつですね。まあ、医療に限らず、銀行をはじめ、いろいろな分野でそうされてきたわけですが」
――けれど、それではマズイということになってきた。患者側はどうすべきなんでしょう?
「自分の身体は自分で守ろうという発想が必要になってきています。
先ほど申し上げたように、インフォームド・コンセントに問題がある医療行為というのが非常に多いわけですが、メディオの会員の方から寄せられる相談カードを見ていて感じるのは、やはり患者側の自覚も足りないということ。インフォームド・コンセントをきちんとやってもらっていない。これは医者側、患者側、双方がインフォームド・コンセントに対するきちんとした概念を持っていないということでもあります。
こうした意識が北陵クリニックのような事件につながっているんです。あれは二、三人位、亡くなった時点で、不審な死だという点に病院側が気づかなければいけないはずなんです。ところが気づいていない。その点では病院側も共犯と言っていいと思います。さらに、気づかないですむという甘えた環境を医療の世界につくってしまったのは、国民がそういう環境をよしとしてきたことにも原因があるのだと思います。
一度、できあがってしまった環境というのは、なかなか正すのは大変です。でも、変えていかないと何も良くならない。良くなるのを待ってては遅すぎる。ならば、自分が変わって、相手を変えていくしかない。だからインフォームド・コンセントをこちらから、きちんと求めることが大切になってくる、ということですね」
――患者側も、徹底して説明を求めるという意識を高くもつことですね?
「ただ問題なのは、いくらインフォームド・コンセントを行っても、それが本当に正しいのかを判断するスケールがないということです。技術や評価といったものに関する物差しがない。
患者は、たとえば有名な大学病院の教授が行う心臓手術だから安心だろうとか、そんな程度の判断しか今の現状ではできません。でも、じつは有名な大学の教授が年間に数十例しか執刀していないというケースもあるわけです。かえって、そのほうが危険性が高かったりする。日本の場合は臨床が優秀だから教授になるという仕組みではないんですね。患者の安全性、医療の質とは関係のないところで医療界のシステムというのはできあがっている。だから、自分の命や健康は自分で守ろうという確固たる意志をもって、色々な情報を集めないと、事故に遭う可能性は飛躍的に高まるということです」
■我が身を自分で守るために
――では、具体的にどうすればいいのでしょうか?
「ひとつは、いろいろなことを求めていったとき、きちんと応える姿勢を見せてくれる医者は比較的信頼できる、ということはいえると思います。
それから手術のように成功・失敗という、結果が重要になるものについては、症例が多いところを選ぶ。これもひとつの基準になります。その施設で、一年間にどのくらい、その手術が行われているか、成功率はどのくらいなのかを聞くことです。
あと、日本の医療の一番いけないところは、みな好き勝手に治療をやっているところが多いという点です。五人でチームを組んで心臓手術をしているところもあれば、二人しかいないのにやっているところもある。治療方針もまちまちだったりする。ある程度、統一された診療のガイドラインに沿って、質の高い医療を提供することが医療側に求められます。
評価に値するというのは、こういうことをきちっとやって、それを世の中に情報発信しているということ。最近、一部の医療機関などでは、診療体制や手術成績、治療内容をインターネットなどで公表しているところもあります。こうした情報開示をきちんと行っているところは、ある程度の信頼がおけるといえるでしょう」
――ほかにはどうでしょう?
「全身麻酔をかけるような手術を行うのであれば、必ず麻酔科のあるところで受ける。日本の場合、麻酔科医の数というのは非常に足りない。多くの施設で外科医や産婦人科医が全身麻酔をかけている。こうした歪んだシステムを放置している厚生省にも責任はありますが、それを今日明日で直せというのは無理があります。であれば、そういうところでは手術を受けないというのが、我が身を守るときの近道といえる。
それから心臓カテーテル検査などの、少しでも危険性がともなう検査については、必ずセカンドオピニオンを受けるということです。相手の言ったことについて、第三者の意見を必ず聞く、ということですね。
また出産事故というものも非常に多いのですが、多くの場合、出産に関しての医療事故は一人しか産婦人科医師のいない施設で最も多く起きているんです。出産は救急医療であるというドクターもいるぐらい、なにかあると急変しやすい。ですから緊急事態に対応できる設備や体制をもっていない施設での出産は、メディオとしては勧められない。お子さんを亡くすとか、障害が残ってしまうとか、出産の事故というのは被害も大きいですからね」
■医療は危険がともなうものと意識を
――ただ、大きな病院だから安全ということもいえないと思うのですが。
「確かにそうですが、ある程度の規模の病院というのは、なにか起きたときにリカバリーしやすいという利点はあります。人もいるし、チーム医療の体制も整っていますから。
少なくとも五百床以上の病院は、いいとか悪いとかは別として、チーム医療の体制が整っているということでいえば安心とはいえます。
ただし大学病院のような医局講座制で、縦割りの組織がいくつもあるという病院ではなく、中核病院で五百床以上あって、横の連携がとれている病院のほうがいいのではないかと思います」
――大学病院など、ブランドだけを信じて病院を選ぶというのはやめるべきである……。
「大きくても横の連携がうまく取れていないところはダメということですね。逆に、小さな医院では、医師が勉強熱心かどうか、設備やスタッフは十分かで、その質の差が大きく変わります。実際のケースとして、どうしてこの手術を、こんな病院で受けたのか、と思うものもたくさんあるんです。たとえば年老いた院長と看護婦が一人しかいない病院で全身麻酔を子宮筋腫の手術を受けていたり……。で、事実、事故が起きているわけですね。
そういう病院で手術を受けなければ、またそれ以前にそういう病院に行かなければ事故には至らなかったのではないかと思えるケースが結構ある。患者側で防げたであろう医療事故ということですね。だからこそ、それを見極める目が大切なんです。
医療行為というのはすべからく危険なんです。薬ひとつにしても半分は毒を飲んでいるようなものです。そうしたことにセンシティブでなければ、医療事故はもっと増えるし、もっといろいろなところで過激に起こると思います」
――日本の医療の現場は問題含みですが、今後は変わっていくんでしょうか?
「大小問わず、質の向上に努力しない医療機関は今後、どんどんつぶれていくと思います。これから淘汰が始まる。また、そうなっていくように、我々のような組織が働きかけていきますから。三百件以上の医療事故を分析して、どんどん外に出していく。
そういう意味では、メディオの果たしてきた役割は大きいと思います。
一部の市民団体では、医療者と歩み寄り、お互いに努力することで医療を良くしていこうと言っているようですが、それでは時間がかかりすぎるし、馴れ合いも生まれる。意識の高い医療者も確かにいますが、多くは旧態依然としてミスがばれなければよいという姿勢なのですから、もうスクラップ・アンド・ビルド!ダメなものは壊してよいものを組み立てるというベーシックな考え方しかないんです。仲良しこよしでは医療事故は減りません。主張する患者となって医療を変える意識が必要なんです。
ダメな医療機関で、ダメな診察を受けない、ダメな手術はしない、ということを患者側がきっちり肝に銘じておく――そうしなければならないぐらい、末期的な状況であることを、しっかり認識していかないといけない、私たちはそう考えています」
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