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a)最判H11.2.25及びb)最判H11.3.23を中心として
相次いで出た最判の破棄判決は、ともに原審が否定した因果関係を認めたものです。
因果関係は、事実的因果関係と相当因果関係の二重構造で論じられますが、通常の不法行為ではあまり問題とならない事実的因果関係が、医療過誤訴訟では大きな争点となります。
二つの最判を過去の判例と比較してその意義を検討します。
1.不法行為における因果関係の立証についての基準
訴訟上の因果関係の立証は、 「自然科学的証明ではなく、経験則に照らして高度の蓋然性を証明することであり、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる。」
(最高裁昭和50年10月24日第2小法廷) とされています。 自然科学的証明との違いは、反論の余地があっても立証があったと言えることです。
高度に科学的かつ未解明の多い領域で、素人の被害者に科学的反証を許さない厳密な因果関係の立証を要求すれば、結局被害者の救済を拒否することになるからです。
医療過誤において、従来の判例が因果関係を認定する際、
- 診療行為と結果発生との時間的接着性
- 原因となりうる診療行為上の不手際
- 他原因が認められないこと
- 統計的因果関係が存在すること
が主たる判断要素となっています。
2. a)判決最判H11.2.25について
事案の概要は、肝硬変の診断を受けたAが、合計771回にわたり肝臓病の専門医であるY医師の診察を受けながら癌の定期検査を受けることなく、他の病院で癌が発見された時点ではすでに手の施しようがなく、肝細胞癌及び肝不全で死亡した、というものです。
因果関係について1,2審は、Y医師が適切に検査を行っていれば、当該時点で死亡することはなかった高度の蓋然性が認められる、と認定しました。
しかし、いつ、どんな癌を発見できたかという不確定要素から、延命期間が確認できないから、相当因果関係を認めることはできない、と判断しました。
しかし、適切な治療を受ける機会を奪われ、延命の可能性を奪われた精神的苦痛に対し、慰謝料合計300万円を認めました。
(本最高裁判決の判断)
本判決は、Aが死亡した時点に着目し、医師の注意義務違反たる不作為と患者の死亡との因果関係は、右診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点において生存していたであろうことの高度の蓋然性が証明されれば足り、延命期間を認定するのが困難であることをもって、直ちには否定されない旨のべ、原判決を破棄しました。
又、本判決は、不作為の場合の事実的因果関係存否の判断要素として、 「統計資料その他の医学的知見に関する証拠」 が重要であること、 「特に治療の有効性に関するもの」
が重要であることも示しました。
一般に、延命可能期間の立証より、ある時点での生存の有無の方が立証が容易ですから、因果関係が認められやすくなります。
又、結果に対する事実的因果関係が認められれば、慰謝料の額に影響があり得ます。 余命の不確定さは、逸失利益の算定において問題になると思われますが、損害額の立証に困難がある場合は、民訴法248条の適用も考えられます。
事案によっては、慰謝料のみの場合と比べ、賠償額が大きくなる可能性もあり、今後の実務上の意義は小さくないと思われます。
原判決は、治療の機会が失われたことを損害とし、慰謝料を認めていますが、本判決は、その判断の前提判断に違法があるとしたので、このような慰謝料の考え方についての適否は論じていません。
むしろ延命可能性がない場合、過失で適切な治療を受け得なかった場合に、純粋に期待権が登場するとも考えられます。 期待権については、今後の課題です。
3.従来の判決における期待権・延命利益について
期待権は、医師に義務違反が肯定されながら、患者が被った重い結果との間に法的因果関係を肯定できない場合、裁判官が従来の通説では解釈できない不合理に直面し、苦慮したあげく、判決で肯定するに至ったと言われています。
学説の中には、肯定説に対し、診療の過誤それ自体をもって慰謝料を肯定している、因果関係を否定しながら結果を考慮しており、無因果関係責任論に通ずる、と否定する説もあります。
肯定説は、 「最善の治療を受けた後に自分がどう対処するのかということをライフスタイルの問題あるいは生活の価値の問題としてとらえ、これを法的利益とする」
(新美育文)。 「水準的医療を受ける機会を重視し、これを喪失したことを債務不履行とは別の客観的信頼違反として慰謝料の賠償を認める説」 (石川寛俊)
があり、延命の有無とは関連づけていません。
4. b)最判H11.3.23について
事案の概要は、Aは、右側顔面けいれんに罹患し、Y病院で顔面神経ブロック法の治療を受けていたが、症状が悪化したため、根治するために神経減圧術を受けました。
手術翌日、血腫のため閉塞性水頭症になり、開頭術後脳幹障害で死亡しました。
相続人Xは、手術の過誤で小脳に出血を生じ、それが原因で死亡した、と主張し、Yは、出血原因は手術と関係なく、高血圧の素因が原因、と無過失を主張しました。
原審は、手術の過誤以外の予期せぬ脳内出血が起きたとする推測も不自然ではない、と因果関係を否定。
(本最高裁判決の判断)
本判決は、原判決には経験則違反、採証法則違反があるとして破棄し、再鑑定など審理を尽くす必要があるとして差戻しました。
Y主張のように、手術中に偶然動脈硬化等で血管破裂が生じた可能性について、Y側の具体的立証がないこと、Aの健康状態、本件手術の内容と操作部位、手術と病変の時間的近接性、神経減圧術から起こりうる術後合併症とAの症状、血腫の病変部位などの事実は、通常人をして、小脳内出血は、手術の過誤が原因の疑いを強く抱かせる、と述べました。
結局原審は、手術の過誤以外の原因を否定できない(反論の余地がある)ことをもって、手術が原因となるべく強い根拠を軽視し、Xに手術の過誤が原因であることの具体的立証までも必要であるかのように判示したもの、と原審を批判しました。
Xに対しては、その可能性は医学的に説明がつく、と述べ、科学的説明がつくことの要件を満たしていることも認めています。
鑑定結果に対しては、強い調子で否定していますが、本判断の当てはめ作業は、因果関係の立証についての基準となった前記最高裁(ルンバール事件)判決と非常に良く似ています。
右判決も、通常人の立場に立ち、4人の鑑定人の鑑定に反する判断をしているのです。 本判決は、昭和50年に最高裁が示した因果関係についての立証要件を、再度忠実に、具体的に詳細に示したと言えます。
以上
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