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 最終更新日
 2007.04.10

  銘木の話  
うちの店で最も多く扱っている杉のお話をしてみたいと思います。

杉は学名で、「Cryptomeria japonica」というそうで、横文字にめっぽう弱い私でも「ジャポニカ」のところくらいは読めます。(前半分は…?) 確か、朱鷺(トキ)の学名が「ニッポニアニッポン」とか言っていた気がするので、それぞれ、日本を代表する樹木であり、鳥であると言えるのではないでしょうか(言えないかなぁ…)まぁ、それはともかく、杉と日本人とは、ずいぶん古くから付き合いのある木のようです。

日本書紀(720年撰集)の一節に、素戔鳴尊(スサノオノミコト)が、「杉と楠(クス)は舟に、檜(ヒノキ)は宮殿に、槙(マキ)は棺桶に用うべし」と言ったとあります。神話ではありますが、当時の人たちが杉をはじめ、さまざまな樹木の特性をすでにつかんでいたことがうかがえます。杉の木の舟板は当店でも扱っています。

さらにさかのぼると、樫(カシ)で作られた石斧の柄や、栃(トチ)で出来たお盆やお椀などが、縄文時代の鳥浜貝塚(福井県)から見つかっています。これは、緻密で粘りのある樫や、柔らかく刳りやすい(加工しやすい)栃の性質を知った上で、用途に応じて木を選んでいた証拠です。

また、杉の板が同じく鳥浜貝塚から発見されています。当時はまだ、鋸(ノコギリ)も鉋(カンナ)もなかったので、目が通っていて割りやすい杉は、板に加工しやすかったのです。

鋸も鉋もない時代に、木を倒し、加工し、自分たちの生活に活かしていたことは本当に驚きですよね。木と道具と建築との関係については、また、工房徒然にでも書きたいと思います。


時は流れて江戸時代へと参ります。
吉野で植林が始まったのは、江戸時代の頃と言われていますが、正確なところはよく解りません。享保年間(1716〜1735)に吉野地方で樽丸(酒樽)生産が始まっていたので、その頃には、すでに、成熟した人工林が存在したと考えられます。

樽丸には、節がなく、柾目が通直でよく通っている長幹材が必要で、そのためには、坪当たり3〜4本という超密植が不可欠だったのです。ピンと来ない方は、カイワレ大根を思い浮かべてください。植物は密植すると、お天道様に向かってまっすぐ伸びていきますよね。吉野の杉もこんな風にして育てられたのです。狭いところに押し込まれて、ちょっとかわいそうな気もしますが…

ところで皆さん、杉って安い木の代表みたいに思っていませんか?実は、値段の幅が非常に広くて、杉の建具なんかは檜のそれよりいい値段するんですよ。意外でしょう?

杉は檜と違って、夏目と冬目がはっきりしています。つまり、杢がはっきり出るんですね。吉野杉の中杢、春日杉の笹杢、屋久杉の、あの果てしなく細かく緻密な杢。檜では決して味わうことの出来ない、気品ある美しさです。檜が実用品であるのに対して、杉はさしずめ美術品ってところでしょうか。

残念ながら強度では、檜や松に遅れを取りますが、その美しさ故に、古くから天井板や床柱、長押(ナゲシ)などの造作材として重宝されてきました。西洋建築では彫刻や絵画に頼った装飾が多く見られますが、日本では、「木」そのものの美しさを建築の装飾としたのです。すばらしいと思いませんか。日本人ってなんてかっこいいんだろ。100年以上も前から作られているサグラダファミリア(まだ完成していませんが…)もすごいですが、300年以上も生きてきた杉の木でわびさびを感じる和風生活っていうのはいかがでしょうか?

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第3回 杉     2002/04/28



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