
親父が今日、入院した。
仕事から帰宅すると母親から親父の状態を聞いた。
末期ガンの状態で、あと3〜6ヶ月だとのことである。
母は泣いていた。
明日は医師からムンテラを受けることになる。
「健康の大切さ」は健康を失ってから、初めて気づく。
大切なものは何でもそうなんでしょうね。
4/18(水)
病院で医師から親父の病状についての説明を受けた。
昨日、母から聞いていた内容だった。
医師は淡々と説明し、僕達はただ聞いているだけだった。
「告知についてどうしますか?」と、聞かれた。
「しないでください」と、答えた。
親父の心理状態や今の精神状態では、とても告知に耐えることは出来ない。
親父には上手くごまかして、説明してもらうことになった。
親父を呼び、僕達も同席して、医師の説明を受けた。
説明の間、僕も母も涙を止めることが出来なかった。
いけないと分かっていても、出来ないことがあるのだと思った。
親父も変に思ったことだろう。
昨日からとてつもない悪夢の中にいる。
あと数カ月したら、親父がいなくなる。
こんな現実をどう受けとめたら良いのだろうか?
5月
親父が退院してきた。
前回の手術の時にくらべると楽そうで、とても末期ガンとは思えない。
親父は5年前に大腸ガンで手術をしている。
その後、腸閉塞、胃ガンの手術もしていた。
親父は最初の手術の際、後遺症でウェルニッケ脳症となっていた。
この病気は記憶障害を起こす。
昔の事は覚えているが、新しいことは覚えることが出来ない。
車の運転は可能だが、どこに行けば良いのかを覚えていられない。
当時、携帯電話を購入して持ってもらったが、使い方を覚えることが出来ずに結局、解約した。
母は連日、親父にメモを取るように促していた。
母の方が僕よりもこの仕事に向いているのではないかと感心したのを覚えている。
仕事人間だった親父だが、仕事を続けることは難しくなった。
親父は一度、退職扱いとなったが、会社は日雇いと言うかたちで再雇用してくれた。
親父には仕事以外に趣味がなく、仕事を続けさせることができたことについて
親父の会社にはとても感謝している。
でも、親父はそれまでの仕事が出来なくなったことで、大変な思いをしていたようだ。
何度か悔し涙をする姿は見ていても辛かった。
会社は昨年の12月で辞めていた。親父とっては辛い5年間だったと思う。
親父は最初の手術の後、体重は20Kgも落ち、性格にも変化があった。
ウェルニッケ脳症のせいもあると思うが、
怒りっぽくなり、イライラすることが多くなった。
それまでは陽気で、客を招いて騒ぐのが好きな親父だった。
それが、外に出ることを嫌い、人が来ても余り喋らなくなった。
周りとの関係も急に疎遠になったようだった。
夫婦喧嘩や僕との喧嘩も少なくなかった。
僕は医療人だから、「病気のせいなんだ」と頭では分かっている。
でも、肉身だとどうしてもつい感情が先に出てしまう。
ダメだなといつも思う。
5月に入り、入浴後や夜間に痛みが強くなっているようだ。
日中は家の仕事をしたりして、何も変わらないように過ごしているのに。
確実に病魔は親父を弱らせているようだ。
いつも一緒にいる母親は不安そうだ。
僕は少しでも長く家にいようと思い、今年はテニスをしないでいる。
でも、結局、家に居ても親父と話をする訳でもない。
只、時間だけが過ぎていくだけでしかない。
5/28(火)
昨日・一昨日と妹夫婦とうちの家族で新潟県の村上市の温泉に泊まりに行った。
少しでも元気なうちに遊びに連れていきたいと言う妹の提案だった。
体力的にちょっと辛い面もあったようだけど、
孫も一緒だったので親父も楽しめたようだった。
白根のイチゴ刈りや新津の植物園、安田の遊園地。
ちょっと欲張りすぎたかな?
6/18(月)
昨日の夜、親父の腹痛が強くなり、救急で入院となった。
十二指腸が閉塞しており、口からの摂食が難しいとのことだ。
今後は点滴でしか栄養がとれない。
そして、外泊や外出も出来ないと説明されたと母は話していた。
口から何も食べられない上に、病院の外にも行けないなんて、
そんなひどいことがあるだろうか?
土曜日に日帰りでディズニーランドに妹夫婦と遊びに行ってきたばかりだと言うのに。
妹が夜のパレードを親父に見せてあげたいと言う理由だった。
あれが最後の外出になってしまうのだろうか。
7/1(日)
6月24日(日)の午後、親父が亡くなった。本当に突然だった。
土曜日に見舞いに行った時は調子も良さそうで、早く退院したいと話していたのに。
日曜日の朝から痛みが急に強くなったそうだ。
僕たちが病院に行ったときには、かなりの痛みで苦しんでいた。
病室を大部屋から個室に移るときに、
何気なく僕と妹に声を掛けた「ありがとうね。」と言う言葉が、
最後の会話になってしまった。
個室に移ってからは文字通り、のたうつように痛みに親父は耐えていた。
鎮痛剤の量を増やしていくことで、段々と楽になっていった。
そして、意識も遠のいていった。
親戚がかけつけて声を掛けたとき、
親父はもう目を開けることはなかったが、呼びかけに頷くことは出来た。
あれが精一杯の親父の頑張りだったと思う。
最後は眠るように逝ってしまった。
親父の顔は家に帰ってからも、本当に眠っているような顔だった。
59歳。ついこの前、還暦のお祝いの式に出たばかりだった。
まだ、これから頑張ってもらわなければいけなかったのにね。
親父にとって、僕は余り良い息子ではなかったと思う。
妹ばかり溺愛する親父に嫌悪した時期もあるし、
晩酌に付き合うこともほとんどなかった。
親孝行は孫の顔を見せることが出来たことぐらいだろう。
親父が亡くなって1週間。
お通夜や葬儀などの慌ただしさが、感傷に浸る余裕を与えなかった。
今は子どもの存在が空虚感を埋めてくれている。
上の子は、「じいちゃん子」で親父のことが大好きだったが、
「死」のことはよく分からないらしい。
涙を流すこともなく、眠っているかどこかに行っていると思っているようだ。
明日から新しい生活が始まる。
もっと頑張らなければいけないと思う。