平和祈念資料館問題
更新日:1999年11月10日
県が削除した文言の復活 これまで、新平和祈念資料館の展示内容のことで、かなり大荒れした県議会だが、11月4日の監修委員会の全体会議が同資料館で行われた。
そこで、県が独自に削除した「天皇メッセージ」の復活が了承された。
これまで、空席が続いていた会長職に現会長代理の宮城悦二郎氏(元琉球大学教授)を選任する事が全会一致で決まった。
監修委員会では、来年3月までの開館まで作業時間が限られているため、各部会の下に監修委員と外部の専門家数人からなる作業部会(ワーキンググループ)を新たに設置し、作業を急ぐことを申し合わせた。
<沖縄タイムス11月5日(金)>
資料館問題の経緯 3月17日 監修員会の全体会議が開かれ展示基本案を了承
3月23日 展示概要を知事・三役に説明
4月26日 県が展示業者へ修正案を渡す。パネルの表題は「強制退去」
5月07日 「避難状況」に変更した案などを、文化国際局が石川秀雄副知事に説明
5月10日 平和推進課が変更内容を沖縄本島の監修委員二人に説明
5月13日 変更内容を八重山在の監修委員五人に説明
5月28日 八重山平和祈念館オープン式典
7月15日 展示作業の状況を監修委員に現場説明。銃を持たない日本兵に委員が
疑問を持つ
7月31日 文化国際局が知事・三役に新資料館の展示内容の変更(見え消し)を
報告
8月11日 「ガマ」の日本兵の銃が抜き取られ展示が進んでいることが報道される
8月16日 定例記者懇で稲嶺知事「変更は指示してない」と説明
8月26日 監修委員会・沖縄部会拡大部会で、県は日本兵の銃を元に戻すと説明
8月28日 稲福知事ら三役が初めて、展示作業が進む平和祈念資料館を視察
9月02日 石川副知事が会見。三役の指示を否定し、「資料館の調整は時間をかけ
てやっていない。あまり記憶にない」と説明
9月09日 「戦後沖縄」部会、10日「沖縄戦への道・沖縄戦」部会、14日「平和の
発信・学習」部会開く
9月20日 稲嶺知事が比嘉良彦政策参与に事実関係の調査を指示
9月20日 監修委員会全体会議開く。監修委員が県に内部資料の公開を要求
9月27日 比嘉政策参与の報告を基に、知事は「批判や懸念は、必ずしも事実を
反映していない」と表明
参照:沖縄タイムス(10月3日付け朝刊)
嘘の答弁!?
とても信じられないことだ。政治家のやる事は・・・。
嘘で重大な問題を逃れようとしているのだろうか。
新平和祈念資料館の展示内容の見直し問題で内部文書が公表され、各党(社民・護憲・社大・共産・
結の会・公明)は、代表者会議、野党側の全員協議会を相次いで開き、対応を協議した。
その結果、代表・一般質問での県当局の答弁は基本的な部分で虚偽があることが明らかになった。
参照:沖縄タイムス(10月4日付け夕刊)
反日的になっていけない
知事、変更を指示!発言要旨の文書で判明したという。やはりそうかという感じである。
次ぎに三役説明のやりとりをまとめた文書をそのままの文字で載せます。
三役説明(平成11年3月23日)で出された質問事項に対する回答
<主な質問事項>
(稲嶺知事) 事実ではあるが余りに反日的になってはいけない。
(回答) 学問的に検証された歴史的事実に基づき、文部省検定の教科書の
記述などを基本に展示を行う。
(比嘉出納長) 沖縄以外の戦後(南洋諸島、中国、台湾など・・)もあったので
はないか。
(回答) 戦後の展示の部分は展示内容が多岐ににわたり展示スペースとの
関で取り上げられていないが、企画展示などで取り上げていく。
(稲嶺知事) 沖縄も日本の一県に過ぎないので、日本全体の展示(記述)につ
いては考えなければならない。
(回答) 日本全体の中で沖縄を位置づけて理解できるように展示するとい
うことであり、他県の類似の資料館もそのような展示となってい
る。
参照:沖縄タイムス(10月6日付け朝刊)
ところが、残念な事に政治家の中には、残酷な言葉や露骨な模型は大勢の観光客が訪れる事を考えれば、柔らかい言葉への変更は仕方がないといった考えである。
確かに沖縄の海にあこがれて、レジャーにやってくる観光客は多い。しかし、中にはそれに嘆いて沖縄の歴史を知らず、楽しみだけを求めて行く観光客と一緒にしないでほしい。と、現在の観光の在り方を批判とも言える意見を最近耳にする。
だから、危険である。過去の過ちを忘れさせようとしているその意図が危険である。
ホントに沖縄は楽しい。去った大戦の出来事をありのままに伝えることなく、戦争というものが人間をこうも狂わしてしまうということを、決して忘れてはならない。だからこそ、事実をそのまま伝えることが大事だと考える。屁理屈で事実を曲げられては、亡くなられた方々が可哀想である。
勿論、旧日本兵すべての軍人がそうであったかというと、そうではなかったことも我々は知っている。ところが、人間の心をまだ失ってなかった旧日本兵は数少なかった。だから反日でもなく、憎いのは戦争である。その事を我々は忘れてはならない。それをおさえての事実をありのままに残して欲しいと願うものである。
抗議文を県に手渡す
自治労県本部の大城治樹委員長らは6日午前、県文化国際局の金城勝子局長に対し、抗議決議文を手渡すとともに、同問題に関する情報の公開を求めた。
金城局長は「検討は勉強段階のもので、監修委員に伝える前に報道された」という従来の回答を繰り返した。
抗議文の内容は@戦争行為に対する知事の姿勢A二つの平和祈念資料館の展示内容変更の経過B資料館の運営姿勢
参照:琉球新報(10月6日付け夕刊)
ガマの模型に知事が難色を示したということで、県の資料館に関して不満をもっていた事が分かった。前にハードは出来たがソフトが問題であると知事は言っていた。その事だったのかと、今になってその真意が分かったような気がする。
小さい子供達に悲惨な図柄や写真を見せたくない。その事は分からない事はないが、今はその配慮ではなく、全くの事実を隠そうとしている、そのもの自体が同じ沖縄で生まれ育った者として、やるせない気持ちになる。事実はそのまま後世に伝えたい。それが平和を愛する心をよりいっそう強くするものです。銃を向ける日本兵の図案は事実を元にしている。何故あえてそれを修正して日本兵を削除したり銃を除いたりするのか、あの時の住民の恐怖をもう感じきれないでいるのだろうか。決して忘れてはならないことだからこそ、二度と戦争を起してはならないという意志を強くするものです。
沖縄の独特な文化と歴史を書き換えないで欲しいものだ。
![]()
今回、琉球新報社の調べで「見え消し」の全容が明らかになった。
41ページに及ぶもので細かい訂正がなされている。これらの文章は削除が多い。特に日本軍の沖縄人観が全面削除される他、朝鮮で日本軍がやった事も削除するなど、罪を覆い隠す形をとっている。
現執行部は去った大戦に関して、反省は全くないのだろうか、先人達が築き上げた朝鮮との信頼関係も全く心に留めてないのか、こんな形ではアジアは元より何処の国からも相手にされない沖縄になりかねない。国を思うのであれば国がやれない事をなぜ沖縄でやろうとしないのか、それだけの意欲を出して欲しいものだ。あまりにも、消極的過ぎる。
世界平和を願うのであれば、日本軍がやったことを隠さずに書きとめるべきだ。その反省を元に平和を唱えてこそ真に迫るのであって、隠して世界平和を願うのは仮面をかぶっているのと同じだ。
見え消しを認める
知事の発言で職員は指示と解釈し変更した。この見え消し文書に関して展示業者に渡ったかどうかについては「電話で確認した限りではなかった」と否定。また、資料館問題が発覚後、県が業者に渡した詳細な「見え消し」文書を破棄するため返却するよう求めた、という報道に対して金城局長は「二枚を職員が回収した」と答え事実を認めた。理由については「8月11日の報道の後、監修委員会からの批判があった。このままではスムーズな作業が進められないと判断した」と答えた。
参照:琉球新報(10月8日付け朝刊)
「平和行政後退」と批判
新資料館問題の記者座談会において三役の行政の不透明さが浮き彫りになった。与党側からも批判があり行政手続きの問題も指摘されている。また、監修委員しか知り得ない事を、野党議員にファックスを送ったとして、秘密保持に反するということで、監修委員会に対しても中立性を主張した。大田前県知事の時も、三役が監修委員会に関与した事実を議事録から調べて持っていたようだ。
県側は、今後の作業は監修委員会の意見を尊重しながら、内容を決めていくことにしているが、何処まで信用できるか疑わしい。今回の問題で逃げの一手だったことは、とても残念でならない。また、国側の立場をとった知事の姿勢も理解できない。県民は、国側の立場で物事をやって欲しいと願って、現知事を選出したのだろうか。決してそうではないはずである。自分の住んでいる土地、島より国の意見を優先するのであれば、推薦に値しない。いったい何処の県知事なのか疑わしい限りである。
もっと、県民の立場で物事を考え行政を運営して欲しいものだ。
参照:琉球新報(10月12日付け朝刊)
三役関与は遺憾
監修委員全体会議が12日県庁で開かれた。その会議では、来年3月開館までの作業日程を確認、県側から県が単独で提示内容の変更を進めていた一連の資料の提供を受けると共に、監修委の三年間にわたる協議事項を記した口述記録の公表を了解した。
監修委員会に語らずに、県独自で進めていた変更作業に知事ら三役がかかわっていたことに触れ、石原部会長は「専務方は上(三役)の命令に従って、大胆な変更作業をしていた。知事は部下に対する命令を解除しないと、専務方も今後の仕事がやりにくいのではないか」と話した。
どうしても、上に立つもの言葉はたとえ冗談でも部下は真面目に捉えるものだ。知事の言葉は何であれ、そのまま命令として受け取るのが部下です。だから、知事の言葉は大事であるだけに、意見は慎重に言って欲しいものだ。今後は監修委員会に一任してうわべばかりの平和を唱えるのではなく、事実を元にした平和を創造してほしいと願うものです。
参照:沖縄タイムス(10月13日付け朝刊)
県「変更前に戻す」
12日、県庁で監修委員会が持たれ、県から監修委員会の承諾なしに進めてきた展示変更作業を記した見え消しなど内部文書群の提出を受け、監修委員会は3年にわたるすべての会議録を一般公開する事を決めた。また会議では県側が監修委員会に承諾なしに展示工事業者に製作を発注していたことも明らかになり、3月時点の監修承諾案に戻す事を確認した。
また、製作した展示物を「打ち合わせて活用することも有り得る」とした。事実上、変更指示による作製物の存在を認めた。
真相を正しく伝える展示に
八重山平和祈念館の展示内容が監修委員会に無断で変更されていた問題で、13日副知事を訪ね展示内容を元にもどすことなどを要請した。
要請書で一連の変更について「戦争マラリア犠牲者の遺族、関係者の激しい怒りをかい、歴史の改ざん、事実を隠ぺいするもんだと鋭い指摘もなされている」と県の対応を批判した上で@戦争マラリアの犠牲、沖縄戦の実相を正しく伝える展示方法に戻すA監修委員、専門委員、遺族会などの意見を尊重するB戦争マラリアの歴史年表を製作し、展示するC県庁内部の検討作業の情報を公開することを求めた。
県は壕の出来事で銃を持たない日本兵の画を何に使おうとしているのだろうか。また、同じ問題を引き起こそうとしているのだろうか。疑問でならない。事実と反するその画作をどうして処分できないのか。理解できない。おそらく機会を見て再び展示しようと考えているのだろう。処分できないということに残念でならない。
八重山平和祈念館の問題に、県はまたしても責任を逃れようとしている。なぜ、真正面に話し合いができないのか、みんなを待たせて逃げるように去って行ったという話しを聞いたがどっちがホント?説明だけやって八重山の監修委員の意見など聞かなかったのだろうか。大事な事なので、事実を曲げずにありのままに伝えて欲しいものだ。
参照:琉球新報(10月14日付け朝刊)
三役の変更指示を否定
責任を明確にせず行政上の不備を謝罪するという形をとった知事。「前知事とは平和観や行政についての基本的な姿勢に違いがある」と前置きしながらの説明が始まった。「7月31日の説明の場では監修委員会と展示業者によく諮って進めて欲しいと話した」と述べた。また「私自身は監修委員会がすべて決めると思っており、それまでの作業段階の事柄がここまで問題になるとは思わなかった」と述べる。
前知事とは平和観が違う事を強調し、立派な資料館を造ることを述べる。また、石垣市議会などから展示を元にもどすよう要望の出ている八重山平和祈念館についても、石川副知事は「協議の場を設ける」と述べただけにとどまり具体的な事には触れなかった。
やはりという感じをうけた記者会見であった。執行部の責任を認めてしまっては、行政として今後の運営に支障をきたすし、どうしても認められないことは予想できた。それぞれの党の戦いの関係から、そう言わざるを得ないだろう。私個人としてはそんな事はどうでもいい。大切な事は事実を変えることなく、これまで通り展示することだ。
事実を覆い隠すような今回の展示方法が偏った展示方法であるということを、何故、気づかないのかそれが問題だ。何故、被害に遭った県民の立場に立って物事を考える事が出来ないのか、視点はそこに置くべきであり戦争を起した国の立場で平和を唱えるなんてとても信じられない捉え方だ。八重山の石垣市の議会からの要望にも答えきれないのはいったいどういうことか、今後の平和祈念資料館に関してもとても疑わしい限りである。もう、信じられないといった感じだ。
参照:琉球新報(10月14日付け夕刊)