読谷高校通りを行くと、ゲート入り口前の近くの右手に赤犬子宮の入り口がある。琉球古典音楽絃声会では赤犬子が琉球の歌と三絃とを初めて合わせて歌った人だといわれ、野村流読谷支部がそれを受けて碑を建てた。おもろそうしでも赤犬子の事はよく出てくる話である。果たして実在した人物なのか、それとも神話の世界の人物なのか、それとも・・・。

歌と三絃の昔はじまりや犬子ねあがりの神のみさく

赤犬子宮
毎年旧の9月20日に赤犬子の祭りが催される。
伝説

読谷山間切で赤犬との間で生まれ為、人目を避けて津堅島に流されたという話が言い伝えられている。


湛水親方顕彰碑1965年4月12日建立
幸地賢忠は6歳年上の羽地朝秀に可愛いがられ16歳のときに使節団のお供として薩摩へ上った。その時に謡曲などの芸を習い帰国してからは兼城親雲上の弟子になり三絃を習い、各地を回り祭りや歌などを聞いて歩いた。しかし、最愛の妻を失った彼は役人の仕事にやる気を失い音楽の修行に専念するようになった。その為、朝秀を怒らせる原因となりすべての仕事を失うことになった。そこで、琉球音楽の創作に没頭し後の琉球古典音楽の基礎となった。

 

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ただいま各絃声会の資料を集めているところです。随時追加していきますので

楽しみにして下さい。