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■2003/10/31(金)
人間って、やることなすことまちがいだらけで罪をおかすことしかできない存在だけど、でも宇宙のすべての存在は、人間によっていかされている。その存在を人間に依存している。人間はすべての生命のかて。自分をあたえた存在はすなわち自分の子。人間はすべての生命の母なんだ。理由なんてない。人間はただすべての生命をいかすために存在しているのだと。そしてそれはもっともとうとい神のおしごと。

人間って存在そのものがエラーのようだと思ったけど、そもそも宇宙というもの自体が、もしかしたら、創造のエラーによるものなのかもしれません。すべてのあやまりがなくなってしまえば、きっと宇宙の存在意義もなくなるのでしょう。だからまだ生まれていない胎児たちや遊びたりないこどもたちは、さかんに人間をそそのかして、あやまちをおかさせようとするのかもしれません。悪魔といわれる存在は、霊的な次元のこどものことだとわたしは思っています。宇宙とは、きっとこどもたちの遊びの場なんですね。

仏教では、この世のいっさいは苦、愛とはこの世への執着であるとして、この世のものを愛すなという教義?になってますが、この世から脱出することがすなわち涅槃入りってことなのでしょう。その選択ははっきりいってとっても魅力的です(笑)。でもエラーじゃない宇宙ってのもたぶんあると思うので、できることならあやまちは粛正しつつ、もっと洗練された宇宙へと進化していければいいなと思います。たぶんそのためにきてると思うし。

■2003/10/30(木)
なんだかとってもママな気分。女神さまのエネルギー(わたしがかってに名づけた)につつまれている。この状態になると、赤ちゃんにもどってゆくような、それでいて子をやどした母のような満ちたりた気分になります。27日の「あこや あこや・・・」の部分で感じられるかもしれません。女神さまモードのときは同居人がみょうにすりすりしてくる。やっぱりわかるんですね〜。って動物のようだ。ねこたちはどのモードでもすりすり。さすがに旧BBSで魔境になってたときは避けられてたかな(笑)。

それにしても男はいくつになってもこどもだ。この世の男女の元型【アーキタイプ】は主人とペットでも、父と娘でも、夫と妻でもなく、嬰児と母なんだから。女ははるかかなたのとどかぬ人を恋い慕い、男はいくつになっても乳離れができない。うちの仔猫「くくる」ちゃんは、もう生後7ヶ月になろうというのに、いまだにママにゃーのおぱいぱいをちゅうちゅうしてます。まだ自分のこと赤ちゃんだと思っているのでしょうか、なかなかからだも大きくなりません。くくちゃんは女の子だけどね。

人間の男も生涯(相手さえいれば)おっぱいをちゅうちゅうし続けます。セックスというのは、きっと大人になってからも女が男に乳を与える行為なのではないかとふと思いました。ついでに排泄の世話と。

■2003/10/29(水)
どうも本当のようだ。ルーシュって言うらしい。人魚の涙。この宇宙を維持している物質。ルシファーからきているのでしょうか。幽閉されているほうがルシファーね。細切れにされて箱詰めされているのです。イヤラシイ男のほうはしりません・・・としらを切ってみたりして。肥大した胎児とその手下ども、かな。子泣きじじいのイメージにそっくりなんです。

■2003/10/29(水)
人魚の涙が真珠になるなら、その宝石の価値に目をつけたイヤラシイ男たちが、人魚をおりにとじこめて、さんざんいやがらせをして泣かせて利益をむさぼるのでしょうね。この方法ではもう泣かなくなった、では今度は・・・とか新しいいやがらせの方法とか開発しはじめたりして。

■2003/10/28(火)
胎児であると同時に母親であるならば、わたしが見聞きしたり食べたりする情報の質が、そのまま「胎教」となるってことですね。だったらなるべく上質のものをえらびたいもの。本物の光を有している情報や食べ物ってことです。この世は嘘、嘘、嘘でぬりかためられたいびつなはりぼてみたいなものだから、本物をさがすのも一苦労です。嘘は甘いお菓子ににています。口には甘いが、ちっとも栄養にはならずに、脂肪ばかりつきます。そして中毒性があります。わたしは子供のころから甘いものが苦手です。年とって少しは食べられるようになりましたが。

妊娠中にケーキやアイスクリームばかり食べている妊婦は、子供のことを考えていないと思う。ましてやわざわざ喫煙したり酒を飲んだりして子供に毒を摂取させて「こいつを鍛えてやってるんだ」なんていう母親はいるでしょうか。そういう親は一般的には「狂っている」といいます。っていうか、それはむしろ胎児や嬰児の理屈でしょうね。親に自分の排泄の世話をしてほしい、自分のしたことの後始末をしてほしい、という。胎児側から親への要求。まったくかわいげのない要求のしかただけど。もし本当にこういう「親」が存在するとすれば、霊的には、親が子供で、子供が親でしょう。

このようにあらゆるところで理屈が反転、反転をくりかえしているから、ややこしくなっているんですね。胎児に支配権をにぎられていいように使われている人は、きっと妊娠中毒症なのです。いくら子供がかわいくても、やっぱり母親がしっかりしてないといい子は育たないと思います。すべての人がもつ神聖なる自由意志・選択権を行使して、ね。

■2003/10/27(月)
それでもわたしの奥には、
ひとつのいのちが、星のたまごが、
ひそやかに 息づいている。
すべてのいたみやかなしみは
月のしずくで いくえにもくるまれ
やがて至高の宝石へと そだつのだろう。

あこや あこや いとしい あこや
あこや あこや いとしい あこや

何度も何度もかたりかける。
胎児であると同時に、母親のわたし。
生まれるのがわたしなら、そだてるのもわたし。

どれだけ愛していることか。
どれだけ愛されていることか。
それをただ感じて――

■2003/10/27(月)
きのう買ってきた魚、さばいたあとうっかり冷蔵庫に入れわすれてたせいでくさりかけてた。捨てるのももったいないので、よく洗ったあと、だいこんといっしょにおみそ汁にした。なんとなくへんだったけど、まあまあ食べられました。こういうのは意外とへいきです。食べものはむだにしないほうです。ものがくさるのは自然現象だし。本当の問題は、もっとべつのところにあるのだろう。

地球には病魔が巣くっている。しかしその病魔は、一見してそのようにはみえない。いくえにも防腐剤でくるまれ、表面上は、さもお上品でうるわしき姿をよそおっている。しかし皮を一枚一枚めくっていくと、最後にあらわれるのは、長年放置しつづけたあげくどうしようもなくくさりきったドロドロの腫瘍。

「永久に美しく」という映画を思い出します。肉体のうつくしさばかりにこだわり、すでに死んでいるにもかかわらず防腐剤と厚化粧でだましだまし生きつづける、なかみからっぽの女たち。彼女らにさんざん巻き込まれながらも、いのちというものは子や孫へと受けつがれるからすばらしいのだとさとり、悪魔の誘惑【不老不死の薬】などにまどわされずに生をまっとうした男。ブラックジョークって感じのひきつりわらいのうかぶ映画ですが、意外と真理をついているような気がします。

最後の審判のとき、どちらが得るものが大きいかは一目瞭然。ちりから生まれたものはちりへ帰り、霊から生まれたものは霊へ帰る。ちりは無へ帰し、霊は永遠。ちりは虚無、霊は真実。これは不変の真理。どれだけあがこうと。

■2003/10/26(日)
自分のあり方を決めるのに人にたよる必要がない。それはつまり、わたしは霊的体温をもっているということ。まだ完璧ではないにしろ。自分のあり方が人や環境に左右されてしまうのは変温動物である。変温動物は環境に依存し環境と一体化している。そうか、監視者たちは自分の足であるき自分のつばさで飛びたつことができないから、逆に環境をコントロールしようとするわけだ。自分を中心にまわりの人を自分に奉仕させようとする。2,3歳の幼児の心理にも似ています。知識や屁理屈という刃物をふりかざしているぶんたちが悪いけど。

監視者は爬虫類人ともいわれていますが、なるほど、そういう意味あいもあるんでしょうね。胎児は魚類や爬虫類のような形態をへて人のかたちへ成長していくというあたりも象徴的です。

■2003/10/25(土)
結局、現状の人間って、まだ生まれてすらいない、ただ一方的にあたえられむさぼることしかできない胎児なんだよね。「はやく人間になりたい!」ってなもんか。自分のことすらままならないで人になにかをしてあげられるなんて思いあがりにすぎない。

神の経綸うんぬんなんてのも、まず正しく理解している人などいないだろう。おのおの勝手な解釈で勝手にあれこれ画策しているにすぎない。しかし人間の浅知恵によるたくらみなど、たぶんきれいさっぱりくつがえされるんじゃないかな、とわたしは思っています。わたし自身も本当のところはよくしらない。だれもおしえてなどくれないし、親切ごかしになにかをおしえてくれる人は、みずからを利するためにわたしをコントロールしようという邪心のある人ばかりだ。

自分で決めよ。自分で選択せよ。きっとそういうことなのではないかと思う。そして自分で選択した以上は自分で責任をとれ。お父様との唯一の契約以外は、たぶん絶対的なものではないのだろう。今の選択次第でどのようにでも変わる。わたしはその神聖な選択権をもっている。だから自分のあり方を決めるのに人にたよる必要がない。すべては胎児がみている夢なのだとしたら、自分はどのような存在として生まれたいのか、それをシュミレーションで確認しているような感じなのかもしれない。

わたしはいったい、どのように生まれたいのだろう。――ペットや家畜やメイドさんでないことだけはたしかだ(笑)。石にたとえるなら、水晶や真珠もいいけれど、ダイヤモンドのほうがもっといいかなって思います。征服されざるもの。わたしはもうけっして冒されたくないから。

■2003/10/25(土)
逆子っていうか、おなかのなかではさかさまになってるのがデフォルトなんだっけ。きのうの。知識の実によって頭蓋骨が大きくなったことも難産になった原因とも考えられる。

グレイという宇宙種族は遺伝子操作によって霊性を喪失、種族全体がコンピューターによってつながれ、経験知識のみを共有する。創造性がないため科学に突出、個体差がほとんどなく、肌の色はみないちようにグレー。泥人形のようにも、そういえば胎児のようにもみえる。頭部が異常に発達し、普通に出産で生まれることができない。クローンによってのみ種族を保存している。霊性がないため進化がとどこおっており、みずからがうしなってしまったものをとりもどすため、さかんに人類へ干渉する。というある意味、監視者たちの理想?の「青写真」である。わたしからみるとっていうか普通の感覚だとおぞましくも痛々しくしかみえないけど。

逆子(体主霊従・・・どころか体主霊滅)を完遂するならば、このような未来になりますよって警告でもあるんだろうなぁ。宇宙人って人類の過去の未来の青写真みたいなものだから。未来は過去、過去は未来でありますにょ。

■2003/10/24(金)
すべては胎児の妄想だとしたら・・・もしやその子は逆子なのでは!?なるほど、だから難産なんだ。また子のうまれる神聖な門は排泄物の出る門ととなりあわせです。そして女性器は蓮華にたとえられます。蓮は泥のなかで育ち大輪の美しい花を咲かせます。そのことから、他人の思惑にそまらず自分らしく生きること、純粋自己・清浄心の象徴とされ、あるいは子を生みそだてる苦労が大きなよろこびとなってむくわれることを表している。

この太陽系の名称はアコノワイ。吾子の祝。「いはひ」は【祝】でおめでたいことであると同時に、【忌】でもあり、神聖な目的のために特定のタブーに従ずることでもある。そのタブーとは、なるほど、逆子のことか。蛭子あるいは盲目の神ヤルダバオト。知識の実とひきかえに出産のくるしみが増大したとも聖書にあります。これは体主霊従の逆向きの知識、人間の色めがねをとおした百人百様の経験知識ってことなんでしょう。それを消化するにはそりゃあ大変な難産になるわけだ。

右に「石との対話」をUPしました。

■2003/10/24(金)
原初へもどる。あたらしく生まれ変わり、いちからやりなおす。それは地球のねがいであり、かたい決意でもある。自分のなかの地球さんに何度も確認をとってみた。それは原父(根本創造主)との契約でもある。だから至上命令だ。

偽神や偽天使や宇宙人がいくら画策しても彼らの思惑どおりにいかないのは、地球はこの宇宙の親の宇宙の創造主である原父に属するものだから。父の最愛の一人娘。その一人娘はぼっとん便所に落とされ、ながらく艱難辛苦をたえてきた。しかし深い傷をいやしおえた白鳥が、その優雅なつばさをひろげ、天たかくはばたくときがちかづいている。

偽神や偽天使や宇宙人は地球や本物の地球人を自分よりおとった存在であるとかんちがいしているが、本当は邪悪で幼稚な彼らの親のようなものだ。子の後始末を親がしているようなものか。それにしてもほんとうにひどくしっちゃかめっちゃかにしてくれたものだとお父様はあきれておられるだろう。

でも彼らの邪悪さは本物なので、油断はできないな。なにしろ神を完全になきものにして自分が神になりかわり、この天と地に君臨しようとしているのだから。なにひとつ真なるものを生み出すこともできないくせに。神のつくりたもうた聖なるものをいじくってゴミにつくりかえることしかできないくせに。

神に帰ることなく神になりかわる。お釈迦様の手のひらのうえであばれる孫悟空みたい。きっとそういう夢をみているのね。生まれるまえの、星がみている夢。甘い夢を醒まされたくなくて、母のあたたかい子宮のなかでいつまでも眠っていたくて、必死に抵抗しているのかな。でも夢はいつかさめるもの。夢からさめないと、生まれることはできないし、なにひとつ真なるものを生み出すことはできないんだよ。わたしははやく生まれたい。今か今かと待ちのぞんでいる。

難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花
 ――王仁

このうたの花とは、きっと沙羅双樹のことではないかと思います。釈迦が涅槃入りしたときにまっしろに変化した双子の樹。「サー・ラー」とは、シリウスの太陽の巫女の名前でもあります。

■2003/10/22(水)
2ちゃんねるはもう見ません。かちゅ〜しゃごと削除しました。もちろんここに掲示板は設置しません。メールの返事も書きません。ネットサーフィンは必要最小限以外しません。人との交流を求める必要が一切ないことに気づきました。ネットで近づいてくる人って必ずといっていいほど餓鬼や邪神の眷属だし。外部に接触を求めるからつけ込まれるのだと思います。たとえそれが善意から出たものであったとしても。むしろ彼らは人の善意につけ込んで相手を搾取するのです。しかしそんなものに利用されてしまうのは本物の愛でも慈悲でもなんでもない。はきちがえた慈悲心は害になるだけだと気づきました。愛も慈悲も、きっと自分の心の内部に向けるものなのでしょう。すべての「わたし」のかけらたちへ。わたしがどうしても救いたかったのは過去に置きわすれてきたすべてのわたし。最愛なるわたし。外部に求めるものが少ないほどその人は大きな力をもっている。わたしはわたしの歌声が大好きです。だからひとりでうたいます。

■2003/10/22(水)
雑音シャットアウト。まとわりついてくるうっとうしい蠅たち、バイバイ。ひとりで真摯にがんばっている人ほど結果的に多くのものを得る。父は最愛の一人娘にすべてをあたえる。邪神はたくさんの駒をかかえてなりふりかまわず卑劣な作戦に出るけど、それはみずから負けに入っているようなものだ。真なる神なら、たったひとりのおんな(霊は男、体は女)を愛しつくす。複数の駒をとっかえひっかえ使いまわしたり使いすてたりなんて下品なまねはしない。「逆向き」の方々の法則では、霊性=隷性。彼らの提示する聖人像は、彼らがもっとも利益をあげられる理想の家畜像。彼らの理想の女神は理想のメイド(冥土)さん。みごと逆向きの理屈でおそれいる。神を冒し、神をおとしめることが彼らにとっては「成長」と言うらしい。ああ、あたまいた・・・

日月神示に悪魔が神の国千切りをたくらんでいるとあったが、きっとこのことですね。神の国=宇宙そのものでもある本来の人間にあたえられている潜在意識。それを千々に分裂させて支配することをたくらんでいるのでしょう。惟神の道はそれとは逆に意識をひとつにまとめること。置きわすれてきた「わたし」のかけらをすべて拾いあつめて、「わたし」以外のものとはバイバイして、なにものにも影響されない生まれたばかりの純粋な自分に帰ること。救済される救済者。わたしを救うのはわたし。

過去をくりかえすためじゃない、手放すために思い出したのだ。もうだれも止められない。だれにも邪魔はさせない。わたしは古い鎖を断ちきり、あたらしい空へ飛びたつ。

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