■2003/11/15(土)
石との対話更新。今、いちばんしんどいインナーチャイルドワークをやっている。あまりに深いかなしみは、とても癒せそうにない・・・という気分、今は。

わたしたちの国。平和でうつくしい妖精の国。やつらがやってきて、めちゃくちゃになってしまった。やつらは心をもたぬどろの仮面。あどけなく可憐な花のこどもたちを蹴散らし、八つ裂きにして、むさぼる。わたしたちは暴力に対抗するすべをもたず、ただ散らされ、殺されていった。なぜ?なぜわたしたちは、こんな目に遭わねばならないの?ねえ、なぜ?わたしたちがなにをしたというの?

立原えりか著『月と星の首飾り』 どろの仮面の侵略によって滅亡寸前の妖精王国を「愛の力」で救う少女の名前も「さら」だったな。妖精王国は高天原、どろの仮面はまさに曲津神、科学技術・機械文明の象徴のように思います。イカダカヅラ夫人の、「わたしは心の底から憎むということを知ってしまった」というセリフが今でも忘れられない。児童文学の範疇を越えたすばらしい物語でほかにもいいセリフはたくさんあるのですが、なぜかわたしはここが心に残ってるんだな。

■2003/11/11(火)
今度はぐれないように、もういちど愛情をもって赤ちゃんからそだてなおすってことなのかなぁ。たしかにわたしは自分のからだをそのために提供しているようです。どういうメカニズムになっているのかはしりません。でも子宮に熱く凝縮したエネルギーの存在を感じると、わたしはなんともいいようのない至福感につつまれます。またそれはエロティックなイマジネーションをかきたてるものでもあります。過去生の記憶では、わたしはGod(お父さん)とよんでいた存在にしいたげられいけにえとして食べられていた。それは暗黒のような恐怖の記憶だった。しかし今は、微細なエネルギーがわたしのからだじゅうをかけめぐり、かつてとおなじようにわたしのからだを味わっているけど、ほんとうにとても微細であり陶酔効果もあるので、もうかつてのように、わたしの身に害をおよぼすものではなくなっているのです。それどころか愛と歓喜をもたらすものとして、わたしのもとへ帰ってきてくれたのです。

彼は赤ちゃんなの?お父さんなの?恋人なの?そしてわたし自身も処女なの?母なの?淫婦なの?すべてが渾然一体となって融合している。おなかのすいている子はいらっしゃい、好きなだけ食べていいのよとわたしのなかの月の女神さまはおっしゃいます。しかしわたしにとってはそれはとてもおそろしすぎる提案です。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物であると――渇く者には値なくして生命の水の泉より飲むことを許さん――

Lunaticモードで書いていると暴走します。ナチュラルでラリっているような感じになってしまいます。彼に書かされている感じ。でもこの状態はあくまでも従、イレギュラーです。なにごともまず天照大神さまにおうかがいをたててから・・ですよ!

■2003/11/11(火)
月の女神さまってなんなんだろうってずっと考えていたのですが、これはグノーシスで言うアカモートのことじゃないかなぁ。ソフィアがみずからの創造のミスによって、切り裂かれ転落したさいに生まれた彼女の分身。流産した胎盤のような存在。自己喪失し、淫婦と化したソフィア。自分の血を流しながら、ただただ一方的にあたえつづけるだけの存在。

なるほどね。処女霊である本来のソフィアはアマテラスのような性格をもっているのだろうと思う。しかし胎児やその手下どもは、彼女のからだだけがほしい。目をさまされてはこまる、というわけですか。「ザ・コア」という映画がちょっとまえにやってたと思うのですが、地球のコアを爆破するとか。彼らにとっては真理こそが悪なのでしょうね。

月にかんしてはまだあまり把握しきれないのです。生命のない人工の星。しかし、月のエネルギーを秘めた真珠やムーンストーンが、心の傷にたいしてすばらしい癒しの効果をもたらすのは事実。ダイアナ妃は王室の孵卵器として利用され用済みになったら殺されたらしい。女神にたいしてそういう精神しかもちあわせていないから、彼らは。

■2003/11/09(日)
あっ、そうそう!今まで地球に欠けていたものって、父性なんですよ。本物の男性。母性や女性エネルギーが欠けているとよく言われてますがまったく逆です。女性エネルギーしかなかったために、侵略者にわがもの顔に支配されてしまったのです。ここも多くの方が誤解されますが、支配や暴力や搾取は男性性ではありません。それは獣性とか幼児性です。今までの地球には、女性と獣(と寄生虫)しかいなかったのです。人々の霊性の顕現をおさえ、ますます支配を強めたいために、彼らは女性性、女性性と要求するわけです。翻訳すると「おとなしくやらせろゴルァ!」ですね。いったいどこまでしぼりとれば気がすむのか、彼らの思うままにさせておけば破滅は目に見えてます。獣にはたづなが必要です。そのたづなとは、すべての人間にあたえられている神聖なる選択権【自由意志】です。

アマテラスは本物の父の分霊なので、神話では女神として描かれますが、むしろ男性的な性格をもっているのではないかと思います。ひとことでいえば「かくあれかし」、あるべきものをあるべき場所へ。真実を愛し、静寂と神聖な秩序を愛好する。たとえば古神道は本来の意味で男性的、父親的であると思いますね。古代文明のレムリアとか。日月神示にあった水晶の世、草木もよろこぶ政治というのに心からあこがれる。そんな世の中を子供のころからずっと夢みてきたような気がします。

■2003/11/09(日)
アマテラスとは地球のコア【◎のなかのゝ】のことではないかと思った。ルシファーとは、反転したアマテラス【ひきこもり中のアマテラス】のような気がしてならない。地底に埋め込まれた放射能。反転した太陽はブラックホールだ。貪欲に【知識】を吸収する。やがて光【神の叡智】へ変換するために。グノーシスではソフィアという。ソフィアも処女と淫婦の二面性を持つ。聖母マリアとバビロンの大淫婦は実は同格。

地球のコアが目ざめ、地表がわれてまばゆい光が放射されるイメージがあたまからはなれない。地球は太陽のように輝く星にうまれかわる。そこではすべての虚像はちりと化し、真なるものだけが存在する。

■2003/11/09(日)
彼らの特長。人間をきっちり管理しないと気がすまない。感情、感性によって気ままに行動する人間は把握できないので苦手。なので自分たちの提示する型にはめようとする。なかなかラベリングのできない手ごわい相手にはよってたかって陰湿ないじめ作戦にでる。しかし一見してそれとはわからないようにカモフラージュする。卑劣である。

やたらとひとの模倣をするが、劣化コピーのようにどこかがおかしい。表面的な猿まねだけで随を理解できないから。こちらの飛び石からあちらの飛び石へ感性のおもむくままに自由に飛び移れない。その間に理屈というはしごを必要とする。しかし彼らの理屈はやっぱりどこかがへんである。都合よく歪曲する。いわば暴力的な理屈。強引な河川工事ににている。しかしその手法は真綿で首をしめるような表面的なソフトさにカモフラージュする。

彼らは書かれていないことはわからない。言われないとわからない。直感力・想像力がないためであろう。なにをするにもマニュアルが必要だ。ようするに彼らは霊性がないので、肉体機能のことしか理解できない。いわば睡眠薬で眠らせた女をレイプするようなものかな。これが彼らのすべてを象徴する。満員電車で女子高生のスカートにこっそりネバネバの液体をぶっかける変態にもにてるかな。ぶっかけるのはネバネバのヘドロみたいなまっくろのオーラです。ゾンビ化されたくなくばきをつけよう。

■2003/11/08(土)
「マトリックス・リローデッド」みた。エージェント・スミスがジョッカーみたいに際限なくふえるのにわらった。ほんとうにあんなかんじでどんどんふえるんですよね。いちいち相手してたらきりがない。にげるが勝ち。映画だと外見もスミスにかわるからわかりやすいけど、実際にはなかみだけかわって肉体は生前の記憶ともどもそのままだからたちがわるい。ヘドロみたいなまっくろのオーラもそっくりだ。ほんとうにあいつらにはむしずがはしる。

■2003/11/05(水)
あなたのいたみもくるしみも、すべてあなたの最愛の神にささげたの。けっしておかされたわけでも、ふみにじられたわけでもなく。もうだいじょうぶだから、あなたを闇にしばりつけるものを、神のお足元におかえししましょう。そうすればほら、すべてがきらきらと光をとりもどしていくでしょう。あなたががんばってくれたから、つながっていく。循環していく。いのちがうけつがれてゆく。

2つ下に「被害者意識にあまえて」と書きましたが、彼女のいかりはたしかに正当なものなのです。彼女には罪がないのだから。月の女神さまはほんとうに「女神さま」という感じ、やさしく母性にみちあふれているのですが、彼女はまだかたいつぼみ、少女のようにみえます。アマテラスは少女なのか?わたしにはよくわからないけど、そうみえるのは、彼女の純粋性のあらわれなのかもしれません。

■2003/11/04(火)
彼女はもしかしたら、ひきこもり中のアマテラスかもしれません。万能の剣をふるう資格のあるのはこの子だけだと以前聞きました。理由はいちばん繊細でやさしい子だから。やさしいといっても人間好みの情念ではありません。自然霊や精霊や動物たち、しいたげられてきたものたちの味方です。人間のいう「やさしい」は、彼女にとっては強引で暴力的ですらあります。それぐらい繊細な子です。

花を好きだという人間は花をむしってむりやり花瓶につっこみ、小鳥を好きだという人間は小鳥をとらえてかごに閉じこめる。人間のいう「好き」「愛している」「大切」はけっして相手のことを考えてのことばではない。ただの利己心。人間は好きだという対象をけっしてそっとしておくことがない。いじくりまわしておもちゃにするだけ。最近は幼女をとらえて閉じこめておもちゃにするのもはやってますね。

■2003/11/04(火)
わたしのなかにも、どうにもいやしようのない、にかわのように強硬なインナーチャイルドがまだいるような気がします。「ひどいめにあったの」ってずっと泣いてるんです。どんなことばもとどかない、深いかなしみの底に彼女はいる。しかも被害者意識に甘えて、怨霊化しているようなところもあります。かといって叱咤も逆効果なんです。この子はどうしようもありません。たとえこの世のすべてをあげようと言われても、彼女にとってそれは無価値だ。けんもほろろにポイっと投げ捨てられるだろう。そしてまたつっぷして泣きだす。彼女ののぞみはただひとつだけ、「・・・戻りたい・・・あのころに戻りたい」

■2003/11/02(日)
狂気の源泉。それは恋。

晴れた朝の ニワトリは
元気がないの ゴメンナサイ
トサカ サカサカ さか立ちしても
かなわぬお方に 恋をした
ココ コココ ココ ココ
コココ 恋は恋は恋

屋根の上に 呼びかける
私はここよ ここ ここよ
だけどあの人 こっちを見ても
すぐに向きをかえる くるくると
ココ コココ ココ ココ
コココ 恋は恋は恋

あの人りっぱな 風見鶏
私はちいさい ニワトリよ
貝がら食べても 鉄にはなれず
貝がら はじける 胸の中
ココ コココ ココ ココ
コココ 恋は恋は恋

旅に出るのは ツバメたち
お化粧するのは ジュウシマツ
庭にはニワトリ 思いをこめて
ひとりでタマゴを うみました
ココ コココ ココ ココ
コココ 恋は恋は恋

【恋するニワトリ/谷山浩子】

たまごは生んで終わりじゃない。そのたまごは怪獣のたまごだった。想いのたけをこめたぶんだけ凶暴な。ひとりで生んだからいびつな。にわとりのいだいた憧れは、怪獣のなかでは嫉妬と支配欲へとすがたをかえ、にわとりへとせまった。でもにわとりは怪獣の母であるゆえ、つらくともそだててゆかねばならない。たがいにそだちあってゆかねばならない。そうしていつかは父の元へたどりつけるのかな。ニワトリの視点からはくるくる向きをかえる把握しがたき風見鶏にしかみえぬ父の元へ。

■2003/11/02(日)
乳化作用というのがポイントのようです。異分子をそっとくるみこんで、まったりととかしてゆく。心の傷も、霊的な乳化作用によっていやされたような気がします。乳化作用は月の【Lunatic】作用。月のしずく。痛みすらよろこびへとかえてしまう、魔法のくすり。ミルキーな質感にどこかやさしさを感じるのは、純粋クリアーなものでは受けいれがたい異質なものを、そっととかしてくれているからなのでしょう。嘘と狂気はつかいよう。ほんの少しの狂気は人を酔わせる。欲望という甘美な毒薬。夢のなかなら、わたしはどなたののぞむすがたにでも、なってあげられることでしょう。ほら甘露の雨がふるよ。

太陽の浄化作用+月の乳化作用で、きっと完璧なのですね。そういえば月って巨大な人工衛星らしいですね。なんかがっかりしませんか。月=風流というイメージが・・・ 地球人のコントロールのためにつくられたのだそうです。

■2003/11/01(土)
価値観が反転してしまっている邪神たちを まがつかみ(曲津神・禍津神)といい、「まが」はまがたま(曲玉・勾玉)の「まが」でもある。まがたまは胎児のかたちをあらわしているといわれる。「まが」は「ま」に「むか(向か)」うの意。「まみむめも」の音は、生命とか繁栄とかゆたかさとかうるおいとか、なんかそういう母性に象徴される意味合いがあるように思います。ようするに曲津神とはマザコンの神なのね。

マザコン神たちはしかし、母性そのものでもある地球の自然や、本来の地球に属するものたちを根こぎにして、すべてを人工物へおきかえようとしているようにすらみえる。彼らは実は、母が死ぬほどこわいのだ。本来の母は完璧な聖霊であり、この宇宙をまるごと内包しているぐらいの大きさなのだから。だから彼らは母を自分以下の存在、自分がてごろにあつかえ、好きかってに搾取できる奴隷や家畜やペットへとおとしめようとする。自分がこの地の覇者だと信じていたいから。まさしくマザー・コンプレックス。