| ■2003/11/30(日) |
| 犬の飼い主は、犬を使って狩りでもしているつもりなのだろう。狩猟を楽しむような人にまともな人はいない。ぜったいどこかが狂っている。狂った欲望をみたすために人をおとしめ、人を苦しめてよろこぶ。しかもうわべは善人をきどりながら。狂人に責任能力はないといってもあまりに狡猾ではないか?こういうケースは裁判でも有罪になると思う。閻魔の裁判だからごまかしはきかない。 |
| ■2003/11/30(日) |
| 判断を人にまかせてはいけないということだ。人はまともな判断力などもっていないのだから。あてにならないものをあてにすると痛いめにあうのは自分。そしてだれも責任をとってはくれない。犬にかみつかれたといって泣こうが怒ろうがそれは犬の責任ではない。犬に責任能力はないのだから。しかも犬の飼い主も狂人ときたら、泣き寝入りするしかない。あてになるのは自分だけ。信頼していいのは自分だけ。 |
| ■2003/11/28(金) |
| 『ああ無情』で、コゼットの母が身を粉にしてはたらいたお金を、娘の養育費として里親におくりますが、里親はそのお金を着服してコゼットのためにはつかいません。しかも「コゼットが熱をだして・・・」などとうその手紙を書いて、さらに母からしぼりとろうとします。コゼットはぼろを着せられ、しいたげられ、奴隷のようにこきつかわれます。 コゼットは今までの地球人です。泥人形をほんとうの親だと思っていると、この泥沼からぬけだせません。泥人形に一厘もゆずる必要などないですね。5対5でも6対4でも7対3でも8対2でも9対1でもなく、10対0です。ちりはちりへ帰るべし。そしてほんものの地球の霊たちよ、娘たちよ、ゆたかに受けるべし。遠慮はいらない。このゆたかさはすべてあなたたちのもの。 |
| ■2003/11/27(木) |
| ウ・オ・ア・エ・イが1〜5次元とすると、「現代文明が3次元、レムリアが4次元、マヤは5次元」というのはあっているだろう。アトランティスはたぶん2.5次元ぐらい。かんたんにいうと欲望、知識、愛、叡智、光。 よぶんな知識や借りものの知識をいくらつめこんでもごみになるだけ。ものにするには実践が必要。叡智のカプセルは必要なときに必要なだけはじけて視界を照らす。そのように自力で手に入れたものだけが本物。自然な感情やゆたかな感性、愛を感じる能力が意識体の大きさにかかわり、またそれが物事の実相を理解する能力につながる。知識は愛の実践なくして叡智へとなりえない。 ハートチャクラとクンダリーニを活性化するとよい。霊的に支配もされにくくなる。あの大聖歓喜天ですらしのぐという軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)はクンダリーニのことですね。これが究極の、そして本物の女性原理。どかーん。反転劣化コピーの泥人形たちが死ぬほどおそれているのはこれだよ、これ。千人万人いっせいにどかーんってやってかんちがいもはなはだしいあの泥人形たちを殲滅してやりたいね♪ |
| ■2003/11/26(水) |
| やまとよりもレムリアよりも、最高峰はマヤ文明のような気がする。現代文明が3次元、レムリアが4次元だとしたらマヤは5次元って感じ(数字はたとえです)。文明そのものが、珠玉のような芸術作品であるように思うのです。いけにえ→残酷→野蛮ってことで歴史から埋没してしまっているけど、きっと現代人では理解不可能(もちろん再現も不可能)ななにかがあるのだろう。 この文明は、ただ【生きる】ということをしている。全身全霊で生きている。生を味わっている。星と星との魂の交歓。一瞬一瞬がエクスタシー。人は星である。ひとりひとりの人間は、星の細胞のようなもの。自分が星であることをわすれた人が、きっと宇宙の孤児となって、宇宙の癌細胞のような文明を築いてしまうのだろう。 未来は過去の照り返し。おなじことの繰り返しのようにみえて実は少しずつちがっていて、そのようにスパイラルアップしながらすこしずつ進化していくのだろう。現代文明からレムリア(シャンバラ)へ、そしてマヤへと。マヤの次は、非物質領域へ移行する。マヤ文明がこつぜんとすがたをけしたのはそのせい。マヤの科学はそこまで進化していた。ちなみに現代文明はアトランティスの焼き直しです。今度は失敗しないようにやりなおしているのでしょう。 |
| ■2003/11/23(日) |
| しかし結局は自分の罪、自分の責任ということなのか。あまりにも重い罪のために、がんじがらめに封印され、永劫とも思える長いあいだ地にしばりつけられてきた。その罪の重さを、まざまざと見せつけられてきたような半生であったと思う。この魂、この重い十字架は、ほんとうはだれのものなのか?今のわたしにはわからないけど、それでもわたしは今ここにこうして生きている。 ――この器を完成させるためにおかしてきたもろもろの罪をゆるしてください。この肉体はあなたへの献上物です。どうか受け取ってください。そして楽しんでください。わたしはなによりも、あなたに楽しんでほしいのです。そのためにがんばりました。どうか受け入れてください。 そういうこと?子の責任は親の責任というのも宇宙の法則。ほんとうのわたしはだれなのか?わかっていても知らない。知りたくもない。――でもありがとう。 |
| ■2003/11/23(日) |
| 自己の犠牲の上に、より美しくすぐれたものが築かれるなら、わたしはよろこんで奉仕をしたいと思う。しかし自己の犠牲の上にゴミくずを築かれるなら、どんな協力もしたくない。キリストもうかばれない。彼はこんなゴミくずみたいな文明のために犠牲になったのだろうか?とてもいたたまれなくかなしく思う。自分の命とひきかえに自分の血で染めた赤いばらをうち捨てられふみにじられたナイチンゲールのように。一番あわれなのは、ナイチンゲールなのだろうか、それともあの幼稚で身勝手で無神経な青年なのだろうか? 人間という盲目の怪物をわたしはまだほんとうの意味で愛することはできていないのだろうと思う。人本来の霊がそれはそれは崇高でうつくしいものであることは知っています。それは地球の霊そのものです。その本来の霊が入っていなければ、ほんとうの意味での人(ひと・霊止・霊統)の子とはいえないのではないかと思う。人間だと人+間ですね。人+魔でもあるのだろう。人間はただのうつわだからゴミくずのいれものになることもできる。野獣はえものにむらがりおそいかかりひきちぎることしかできない。価値あるものはその価値のわかる人にしかあたえてはならない。豚に真珠を投げてはならない。これを座右の銘にしよう。 今まで封印していた感情なのでしょうか、かなしみはいつまでもつきることがない。ナイチンゲールも、血を流しつづけることに、とどかぬうたをうたいつづけることに、もういいかげんつかれているのではと思う。解放されないのは、なにかのろいでもかかっているのだろうか。だったらそれをといてあげなくてはならないと思う。 |
| ■2003/11/21(金) |
| 【瑞霊救世主】として背後で活動しているのは、グレート・ホワイト・ブラザーフッド【大聖白色同胞団】のことだと思います。大聖歓喜天、あるいは【おしらさま】と同一ではないかと。こわれたハートや霊体の治療など医療のスペシャリストであり、また臨機応変に、その人の意識の状態に合わせてひそかにサポートをしてくださっています。しかしあくまでも裏舞台に徹していて、頼ったりすがったりはできません。なぜなら、人間には神聖なる選択権【自由意志】があたえられているからです。彼らはなによりも、人類の【自立】をのぞまれているように思います。 イルミナティなど結社関係は、なにか大きなかんちがいをしているように思えます。多くの宗教とおなじく、タマ抜けになってしまいすっかり邪霊のすみかになっているといったところでしょうか。ご本尊(?)はスーパーコンピューターか?瑞霊救世主は、本来の人間の霊を救うのであって、人間の霊を食い物にしてきた邪霊を救うのではありませんよね。ほんとうにみぶるいがするほど悪質なんですよ。おばあさんをたべたおおかみが、おばあさんのふりをして赤ずきんちゃんがくるのを舌なめずりして待っているような。まがいものにはよくよく注意しないといけないなぁと身にしみて思います。 |
| ■2003/11/21(金) |
| 主神の須佐之男の大神は、木花佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)でもあるらしい。コノハナはきっと沙羅双樹、純白の花なのです。みそぎによって身魂が完全に霊化され、半霊半物質になった状態のことをいうのでしょう。霊と体、火と水、左と右、日と月の結婚です。こころに花を咲かせよう♪ 言霊学的には、梅の花であるかもしれない。仏教なら蓮華だろうし。以前絵にも描いたように薔薇のイメージもある。でも薔薇はなぜかせつないのだ。『ナイチンゲールとばら』のあの小鳥のように。真珠とあいつうずるものがある。自己犠牲、キリストのイメージだ、やっぱり。あ、考えるだけでまたかなしくなってくるのでやめた。 |
| ■2003/11/20(木) |
| イミテーション。まがいもの。曲津。なるほど。建て替えに向けて、邪霊界のうごきも活発になっているが、この現象のことを、【偶像たちの反乱】と名づけたいと思う。偶像とはなにも神々をかたどった像のことだけをいうのではない。むしろそういったわかりやすい偶像はなんら害をおよぼすものではないとわたしは思う。人類はもしや、本物の神々を模した劣化コピーのようないびつな偶像たちに、逆に支配されてしまっているのではないかと、そう思うわけです。 つづき書こうと思ったけどめんどうくさいのでまた今度。 |
| ■2003/11/18(火) |
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古事記では須佐之男命(顔の中心・鼻)の左に座す(左の御目)のが天照大神、右に座す(右の御目)のが月読命。聖書では主の左に座すのがサタン、右に座すのがキリスト。この違いはなんなんだろう。これは、古事記が高天原中心、聖書が黄泉国(現世)中心にかかれた書だから。聖書の中にも、『ヨハネによる福音書』のように、高天原よりのものもありますが。見る側によってちがってくるリアリティー、ですね。 対応させると、主=須佐之男命・エホバ、左=天照大神・サタン、右=月読命・キリスト。月読命がキリストなのは、世(夜)を照らす一条の光だからかな。月の光はやさしい。ときにはそのやさしいうそ(方便という)で、痛みをやわらげてくれたりもする。黄泉国からみれば、太陽=真実は、地獄の業火のように、痛みをともなうものであるかもしれない。地獄の閻魔大王は、黄泉国にとらわれた人々の魂を高天原へひきあげるために、みそぎをしてくださっているとも考えられる。 また、太陽が真実なら、月は芸術であると思う。芸術。二次的なもの。真実はひとつ、しかしそのバリエーションは無数。太陽は霊、月は【にくづき】ともいうように、肉体、器をあらわす。ちなみに、今空の上で輝いている太陽は、イミテーションのようなものだと思います。天照大神様がひきこもっている間の。本物の太陽を、人々はまだ知らない。 |
| ■2003/11/17(月) |
| 天照大神は女神、須佐之男命は男神として描かれますが、天照大神は父・伊耶那岐命に属するもの、須佐之男命は母・伊耶那美命に属するもの。父(男)は霊、母(女)は体で、霊主体従ということです。男性格・女性格は反転・反転をくりかえします。なのでこの場合天照大神が主、須佐之男命が従です。でも根源の主神は須佐之男の大神様らしい。奥が深い。混沌に法則をあたえて維持させるものが天照大神ということなのかもしれません。だから重要視される。 |
| ■2003/11/16(日) |
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YOSHIKIの音楽は美しく哀しくも優しい。この人はほんとうに繊細で優しい人。それが音楽からにじみ出ている。「けっこうな悪役」を演じられている小泉純一郎さんがYOSHIKIのファンってわかる気がする。魂の深いレベルで癒されているんでしょうね。ほんとうにすぐれた芸術は、その立場いかんにかかわらず、人の心にうるおいと癒しをもたらすものだ。魂の傷を癒して、そして魂をゆさぶり、目ざめさせる。一時期あんなにXが熱狂的ブームになったのは、多くの若者たちが、魂のレベルでの癒しを必要としていたということでしょう。 現代だからロックだけど、世が世なら、YOSHIKIは宮廷おかかえの音楽家になるところ。でも霊の世界【真実の世界】からみれば、支配者のほうが赤ちゃんで、YOSHIKIはその親のようなものだろう。親が子に、かたちにならない、ほんとうのたべもの、ほんとうの乳をあたえている。わたし自身も、たくさんの芸術家の方々ほんとうにたくさんの人たちに、みえないお乳をもらいながら、そだててもらったなぁと今ふりかえって思います。そしてわたしも、多くの魂をそだてるものでありたいと思う、これからもずっと。 しかしわたしは芸術という二次的なものでなく、どうやら肉体労働のようですよ(笑)。 |
| ■2003/11/16(日) |
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以前のわたしはイルカ【人魚姫】だった。環になったイルカ。イルカは種全体で宇宙の記憶を共有する。たくさんのわたし。海原。きらめく青い惑星。サファイア。そしてそれをかてとする支配者・・・彼は、宇宙を現象側から探索・操作するためにヒューマノイドをつくった。うたでおさめる従来の法則では掌握しきれないなにかがあると感じたのだった。この地をおさめる以上はすべてをモノにしたいと。
はじめての選択肢。進化の夢。人魚姫は蛇にばけた魔女ととりひきし、足【あし】を手に入れた。明日【あす】へむかい、やがて朝【あさ】をむかえるために。その代償としてうたをかなでる声をうしない足はあるくたびにナイフで刺されるように痛んだ。自己喪失つまり霊性をとざされ、直線的な時間軸つまり物質界にとじこめられたということ。人魚姫のながす涙はくしくも物質界を維持するかてとなった。ここはかなしみの上になりたつ宇宙。 物質界。それは一部を切り取って静止した絵【夜の芸術】のなかにはいりこんでいる状態。よみ(黄泉・夜見・読み)の国。火の夜芸速男(ほのやぎはやお)の神、またの名をほのかがやひこの神。伊耶那美命はこの神を生んで陰(ほと・陰部)をやかれて死んでしまった。火の夜芸速男は凍てついた炎。なぜ凍っているかというと、時間が止まっているから。時間にとじこめられている。火は霊(ひ)。霊はことたま。まだ眠っていることたま。息をふきかえすには、生命をやどらせる必要がある。そうすれば別名の「かがやき」の名の通り、きらきらとかがやきをとりもどす。 生命をやどらせるには。天と地をつなぐいなづま。電光石火の蛇。まずは一条の光から。やがてその光は波紋をひろげ、宇宙は大歓喜のうずにまきこまれる。もう宇宙を維持するために涙はいらない。あたらしい宇宙は愛と歓喜でなりたっていくから。 時間からの解放。凍てついた炎は解凍され、まばゆい光を放射する。地をはう蛇は翼を得、宇宙をあまねく照らす太陽となる。その光はダイヤモンドのように神聖不可侵。宝石は神々の生命のかて。未来のたべもの。ひとつの星もひとつの宝石。今度は自分が統治する宇宙を内包するたったひとりのわたしを、彼は所有するのだろう。母なる宇宙をこの手に。彼の野望はここで実現する。そしてわたしは、わすれたうたをおもいだす―― そういえばわたしもお父さんのクリスタルを所有しています。しかし人間と水晶では波長(時間の進み方?)がちがいすぎて解読できません。水晶の一瞬は人間の一生ぐらいにちがうでしょう。時間・歴史をものすごく高濃度にぎゅっと圧縮固化したものがクリスタルだといえる。だから今の人間ではそう簡単に解読できない。もちろん印象や心の奥底にわき上がってくる思いはあります。このクリスタルが時間をかけてわたしにもたらした変化こそが、このクリスタルの伝えているメッセージだということでしょう。時間からの解放がおこなわれれば、もちろんこのクリスタルもどのクリスタルも物質化解除されることでしょう。それは未来の人類をうるおすほんとうの食べ物です。 |