■2004/01/29(木)
じかんが ちょくせんてきなのも いしきが かずのげんりに しはいされているためです。さいのかわらで こいしをひとつひとつ つみあげるように。さらやしきで おさらをいちまいいちまい かぞえるように。かなしみにしはいされたこころには それしかみえないのです。

■2004/01/29(木)
ふたつのほしって しりうすと べてるぎうすじゃないかな。おりおんざのべてるぎうす。あのいようなあかさが きになって しらべたら へいけぼしとも いうそうです。そらのすそのほうに ちょうどならぶようなかくどで かがやいていた あかとしろ ふたつのほし。べてるぎうすはちち。しりうすははは。

■2004/01/27(火)
わたしは いきるために しぬ。わたしは あいするために あいさない。わたしは えるために すてる。わたしは――

■2004/01/27(火)
かこのじょうほうによって はんだんしようとするから たましいは たいかする。にくたいも しんだものをたべるから じょじょにしんでいく。いきようとおもったら かこのじょうほうは すてる。しんだものは たべない。(どうぶつは ころさないと たべられない。しょくぶつは はんごろしぐらいで たべられる。こうぶつは まだ たべられない)れいてきな いきたしょくもつを たべるようにする。それは ほんものの ひかり。

■2004/01/25(日)
【ことたま】とは よはねでんで「はじめに ことばありき」とある【ことば】のこと。これは【ろごす】ともいう。ことたま=ろごすは しんのたいようであり しんのあまてらすである。それは じょせいてきちょっかん すなわち そふぃあのえいちによってのみ もたらされる。

■2004/01/25(日)
おおたりゅうさんは しょあくのこんげんは かちくせいどに あるといっているが わたしも どうかん。かちくとは たのそんざいを じぶんのつごうのいいように かいならし こんとろーるし かいぞうすること。しぜんかいのおうじゃであるとらの つめをきり きばをおり ぎゃくたいしてぷらいどをたたきつぶして さーかすで げいをさせるようなもの。しぜんかいのどうぶつは かりはするけど かちくはつくらない。どうぶつが にんげんのように けがれないのは そのためだとおもう。

でもって かちくせいどの こんげんは いったい なんなのだろうと かんがえてみたところ それは かずのげんりだと おもいついた。こうじょうのように いちみりのくるいもなく てっていてきに かずによって かんりされるしゃかい。そこには にんげんらしい かんじょうや せいみょうで ゆうきてきな かんせいなど はいりこむよちはない。

そして かずのげんりとは いったい なんなのだろうと かんがえてみたところ それは ことたまの かげなのだ。かずのげんりによって このよのしはいを たくらんでいる かんししゃたちは れいてきなもうもくなので はこのなかみが みえない。なかみがみえないから はこのかずをかぞえる。それが かずのげんり。はこだけりっぱで なかみはからっぽ。あるいは へどろがぎっしり。これがかれらの しょうたい。

わたしは こどものころから すうじあれるぎーだったのだけど そのりゆうが わかるようなきがします。

■2004/01/24(土)
ヒースクリフのあいては キャシー(キャサリン・アーンショー)しかできない。ゆめみる どうじんしょうじょのような イザベル・リントンは ヒースクリフのことを 「こころに くらいかげがあるけど ほんとうは きっと いいひとなのよ・・・」 などという あさはかなゆめを みたばかりに いたいめにあった。

あらしがおかのなかで わたしがすきな とうじょうじんぶつは ヘアトン・アーンショーと キャサリン・リントン。いちばんきらいなのが ヒースクリフのむすこ リントン・ヒースクリフ。

ヒースクリフは アーンショーけへのうらみから もともとは けんぜんで よいそしつをもった ヘアトンを わざと のらしごとしか させないで むちむがくの そやなわかものにそだてあげ、ねじけた もやしっこのような じぶんのちをひく むすこを ますます ばかとのさまみたいに そだてあげた。

それでも こんぽんの たましいの けんぜんさを すべてうしなってしまったわけではないヘアトンと、アーンショーけとリントンけ そうほうの よいところだけを うけついだようなキャサリンが さいごのほうで ちょっといいかんじなのが このものがたりの すくい。

■2004/01/23(金)
どくたーすらんぷの すっぱまんは じぶんが せいぎひーろーになるためなら たにんのいえに ばくだんをほうりこむ。あほだけならともかく じさくじえんだから たちがわるい。

■2004/01/22(木)
おうさまは はだかだ!と しょうじきに してきした むくな しょうねんこそが ほんとうの しゅやくで あるべきです。きょえいしんという みにくいしぼうで ふとりきった ぶたみたいな おうさまなんて しょうねんの むくなうつくしさの ひきたてやくにしか ならない。

■2004/01/22(木)
ぜったいにゆるされないようなことを されたひとが かがいしゃを ゆるしたとしますね。そのかがいしゃが ほんのすこしでも まともな にんげんのこころを もっているならば ゆるしてもらったことにかんして ただただ ありがとう ごめんなさい とひざまづいて なみだをながすことしか できないはずなんです。 しかし くさりきったひとであったばあいは ここでどうするか。「へっ、こいつはちょろいな」と ますますひがいしゃをあまくみて ずにのって さらなるしいたげを かさねようとする。

じゃんばるじゃんが きょうかいの ぎんのしょくだいを ぬすんで つかまったとき きょうかいのしんぷさまは 「それは このかたに さしあげたのです」といった。さらに ぎんのしょっきのせっとまで つけてくれた。

もし じゃんばるじゃんが げれつなやつだったら かんしゃどころか こうおもうのだろう。「けっ、このしんぷ、ぬすまれたことにも きづいてない おめでたいやつだ。うまくやれば もっとせしめることが できるかもしれないな」

しかし しゅじんこうが げれつなやつだと すとーりーも おもしろくならないので げれつなしゅじんこうって めったいにいない。

■2004/01/20(火)
ほんとうは みとめてほしかった だけなのかもしれないね。つみきの おうちをたてて すごいでしょうって。あれもこれもぜんぶ。かみのつくりたもうたものを ぜんぶ こぴーして。おもちゃにつくりかえて。おもちゃのせかいの おうさまになる ゆめをみた。

しかし いまはもう すっかりこじれて そんなたんじゅんなはなしでは なくなっている。もうてのほどこしようのないほど おちてしまうことだってあるんだな。さっこんの はらぐろい けがらわしい せいじかにだって かわいらしいこどもじだいは あったのだろうけど だからといって いまげんざいのかれらが かわいらしいこども というわけじゃない。

■2004/01/16(金)
【ふつう】というしゅうきょう。【へいきん】というしゅうきょう。それはにごったぞうきんいろ。おぞましいやみなべ。かこのぼうれいは ひかりをにくむ。うまれることのできなかった たいじの ねたみ ひがみのごんげ。ひかりのこどもたちをとらえて やみなべにほうりこもうと よだれをたらして まちかまえてる。くるったよくぼうにかられた やみのこたちは ひかりのこどもたちを ひとり またひとりと ころしてゆく。したいで おにんぎょうあそびを はじめる。どんどんかずをふやして それが【ふつう】ということにしてしまった。そしてひかりをはなつものを しゅうだんでたたきつぶす。かずのげんりとは もうもくてきで ぼうりょくてきな やみのげんり。