「素浪人のさすらい日記」

2012年 1月11日更新
<2012年>

2012年1月 今年より日記を再開することにした。これは結構疲れる作業で数年間やめていたのだが、遺書のつもりで時折書くことにした。えへん。ま、えばることでもないか。
ここにはゴルフのことも書くつもりなのでゴルフブログは終了する。

そのゴルフだが「久保田カップ」というのを毎年末になっていて、昨年の26日か去年の打ち止めになった。久保田というのは元ゴルフダイジェストの記者で、このコンペには結構いろいろんプロがくる。数年前までは江連がきていたが、カネが儲かるというので六甲にいってレッスンプロになったので、もうこなくなった。面白い奴で飛ばし屋で理論派でもあった。元何とかバレー団のおばさんといい仲になって、宴会に連れてきたこともあった。由美かおるではないよ。彼は人に教えるのはうまいが、自分がコースに立つと急にボケてしまうくせがあった。教え子は多いが拙者が一緒にプレーしたのは小池りさという美人プロであったな。結婚したがもう離婚したときいた。

ま、んなことはどうでもいいが、26日は小山タケが家まで迎えにきてくれた。毎週土曜日にFMでDJ、をやっていて、ゴルフネットワークでも名解説者であるが、屋根裏のプロゴルファーではなくシニアになったらトーナメントに出る予定でいるようだ。こいつも頭が良すぎる。プロは少し馬鹿で不器用なほうが活躍できる。

この日の拙者のスコアーは92.ほぼふた月振りのゴルフだったのでまあいい方だろう。武蔵野は簡単だし、こんなものだろう。それにしても糖尿病で筋肉が落ちて全然とばなくなった。170ヤードくらいだろう。少しずつ力を戻していくしかないな。

この日は娘の事故のことが気になってゴルフに集中できなかった。
1月1日 娘が左腕を吊った痛々しい姿でレオ君と家に戻ってきた。
家をかうことになったというのに昨年の暮れに「瑞江」で自転車事故にあった。娘は意識不明で救急車で運ばれたのだが、だれが事故を連絡してくれたのかいまだに不明だ。深夜の1時であった。
くも膜下出血で重症、肩の骨も折れた。まだ予断はゆるさない。発見者の名前を警察に問い合わせたのだが、個人情報うんぬんで教えられないと言う。そんな都合のいい個人情報があるか。事故を起こした犯人かもしれないじゃないか。私はまだ目撃者を捜している。
娘は大手術をしなくてはならないかもしれない。

娘夫婦は2日の夜に帰っていった。まだ家の契約が残っている。
1月2日 八王子カントリーで新年杯。
前夜、すっかり飲み過ぎ、朝もクラブハウスで飲んでいた。娘の顔をみて一安心したのだ。
よれよれになって小林淑一、森崎直義ご隠居と回る。拙者はやっと100切りの99.小林淑一は92だった。

家にもどると姪甥のがきどもが6人もきてさわいでいた。おせちだけでは足りず、寿司を15人前とったのだが、あっという間になくなったそうだ。

姉の旦那がいじきたなくひとりで飲んでいた。ただ酒だと飲むやつなのだ。一度もおごってもらったことがないな。ゴルフ代も拙者が払っていた。

うるさいのやらけちなのやらが帰って娘夫婦とゆっくりしていた。
娘はのめない。それに仕事のことをしきりに心配していた。福島に新しい事務所をつくらなくてはならず、人事のリーダーをしている娘は福島で技術者を30人捜しているのだが、初日に事故にあったのだ。

夜、「猫はときどき旅に出る」第3章「野良猫のニューヨーク」を読み返す。
1月3・4日 ひとりで家にいて燗酒を飲みながら、「右京之介助太刀始末」のプロットを考える。
なんとか5月までに350枚書かなくては。双葉社の湯口さんに悪い。

元旦に読めなかった年賀状をよむ。300枚以上あるので時間がかかった。しかし、嬉しいものだ。虚礼というが、拙者から虚礼を排除したら何が残るのか。

人は自分勝手な尊厳と虚栄だけが頼りで生きているものだ。対人とのつきあいで演技することに疲れるから孤独になりたがる。

居酒屋にいくのも人疲れをなぐさめて馬鹿な自分に戻りたいがためだ。

しかし、拙者は対人に対して演技することがなかったから、
人はあきれて去っていったのではないだろうか。
1月5日 拙者の64歳の誕生日。

娘が赤いセーターをもってやってきた。妻はナイキのランニングシューズを買ってくれた。娘はお金なんか全然ないのに、毎年なにかしらプレゼントしてくれる。女の子はやさしいよな。
3人で焼き肉屋にいく。割引があって1万円が8千円ですんだ。そんなことを考えるのも貧しさのせいだろうか。
金杯は−千円。毎月1万円の投資だが、それで楽しめれば最高じゃないか。
ゴルフは当分素振りだけにしよう。月イチゴルファーに逆戻りだな。
文芸思潮の「私小説のような日々」を3枚書く。手直しが必要なようだ。

今年は「猫はときどき旅に出る」集英社と「お江戸は風流」双葉社、のふたつを8月までんの出版目標としたい。

3月までに「猫」を書き終えて、ダライ・ラマーのふるさとにいくぞー。



<2011年>

5月27日 ダービー観戦。12時に行くと招待席の食事はあらかたなくなっていた。
娘がきても何もない。元農林省のOBばかりで、餓鬼みたいに卑しい奴らだ。
素浪人のトースポ競馬予想は1ウインバリアシオン。ここから5オルフェーブルへマルチ、さらにワイド。財布がふくらみ娘に小遣いをあげる。
6月1日 ダービーで勝ったカネはあらかた使い果たし、今月は居酒屋でのむのも苦労するだろう。しかし、体にはいい。神様がそういっている。

百楽で連載していた「三千綱の風流恋愛塾」が終わり、これは「こんな女と暮らしてみたい」にいれることになっている。

ことしはめんどくさい「龍馬をめぐる人々」の連載もおわり、余裕のできた時間を「お江戸は女の香り」若様助太刀シリーズの執筆にあてるつもりでいたが、やはり寿司屋やラーメンやで呑むことが多い。貯金も底をついた。やはり、徳俵に踵をかけて仕事をするしかない。まずは禁酒。足のむくみを心配して村上医院から電話があったのは3週間前。薬もきれたなあ。
6月3日 東京ドームに巨人戦をみにいく。なんだかだらだらとつまらないゲームだった。
結局働いているのは外人選手だけ。外人が出てくるとピッチャーの腕が縮む。

見終わってロングセラーの歌田と銀座の「満久万」へ。
拙者は食べなかったが歌田と秘書が食べたので3万円払った。
しかし、ここでは打ち合わせに成らず、八丁堀のホテル歌田と泊まることにした。
近くの居酒屋でまたいっぱい。
翌朝ローヤルホストで「こんな女と暮らしてみたい・最終版」のうち合わせ。
結局ビールをのんでいる内に分からなくなった。
6月10日
肝硬変が悪くなっているのが分かる。胸が苦しい。

本日より1週間禁酒。なんだたった1週間かと思う人もいるだろうが、本人にとっては死ぬほど苦しいことなのである。修業であるな。
ともかくできない目標はたてず、できるところからやる。
6月17日
1週間の禁酒を守った。それでも足のむくみはおさまらない。歩きにくいし、靴に足がはいらない程むくんでいる。オヤジが透析を受ける前にすごく足がむくんでいたのを思い出した。

蕎麦屋にいき1合だけ蕎麦茶とともに時間をかけて呑む。でるときくらくらとした。

「こんな女と暮らしてみたい・最終版」の校正が終わったので、郵便局より小包で郵送する。本来なら編集者を前に細かい点を説明する予定だったのだが、連絡ミスでこういうことになってしまった。郵送料は普通便で580円。速達で出しても明日は土曜日なので普通にした。作家がみずから郵送する。これは情けないことだ。

6月18日
明日は父の日なので、娘が万年筆を買ってプレゼントしてくれた。
神保町の金ペン堂のものだ。ここでは高いものでは150万円のものもあるが、それを使うにふさわしい人間なんているのだろうか。ペン習字で喰っている人がこけおどしで見せびらかすのだろう。拙者は高価だからといってほしいとは思わない。使い勝手がよければいいのだ。
これで「猫はときどき旅にでる・南極本島編」を書いてやろうと思う。
6月19日
八王子カントリークラブ。水無月杯。
詳細については「御家人三千綱のゴルフ日誌」に書いた。
6月20日
三原勇氏の娘婿、孝君がたまプラーザに蕎麦屋を出した。その試食会にいく。
およそ12人。奥さんのテニス仲間もきていたから、これからは利用してくれるだろう。
23日か開店だが、こっそり覗いてみようかとも思っている。

味はよかった。ただ、拙者はカモが苦手で、そのため盛り蕎麦のつゆに油が浮いていたのが気になった。蕎麦は盛り蕎麦に醤油味がいい。そばがきもつくらなくてはいけない。
ぬる燗をたのんだら、助手が冷蔵庫に入っている酒をもってきてそれを温めるという。
そんなことをしたら味が台無しになる。そう指摘すると、では冷酒でのんでくれという。客はぬる燗を頼んでいるのだ。そういうトンチンカンなやつを雇ってはだめだ。
客がぬる燗といったらできなければできない、あるいは今からぬる燗用の酒を買ってくるといえばいいのだ。店の向かいには酒屋があったのだ。
サービス業は従業員教育でもある。まだ足りない。
ちなみに店は商店街にあり、スポーツジムのならびにある「魯庵」という。
6月21日 「野良猫のニューヨーク」を一部書き直し、補足。
 トースポの連載が150回になった。文庫化を望んでいるが、まだ出版社が決まらない。エッセイを選別するにも時間がかかるだろう。
6月22日 双葉社のY嬢より連絡あり。
「お江戸は爽快」「お江戸の若様」がそれそれ増刷になった。
18刷と14刷り。早く新作を書かなくては。とりあえず、19日までに70枚。
6月23日 「魯庵」開店。5時にいくが本日開店の札もなし。店内が暗いのでまだやってないのかと思って外でまっていたら、立ち食いの「ふじそば」チェーンのオーナー夫妻がはいっていったので拙者も入る。カウンターに坐ってビール、ついで日本酒を少々。6時になると三原氏がきた。
帰りは潤子夫人に送ってもらう。夫人は洲本カントリーと東広野の女性クラチャンである。
「お金をつかうだけの妻」と三原氏はぼやいているが夫人の気遣いは金銭とは比較できない。三原氏は7月7日にヨーロッパ10カ国サイクリング3000キロの旅にでる。もう二度と会えないかもしれないので、さりげなく別れの乾杯をする。
7月25日 銀座「万久満」のゴルフコンペ。大江戸カントリークラブ。
遠い。思い切り遠い。電車で高尾駅から出発。お茶の水、秋葉原といってつくばエキスプレスで守谷まで、そこからクラブバスで30分、全部で2時間40分の旅であった。帰りは村本豊彦氏のハイヤーで銀座まで。ゴルフの内容についてはゴルフブ
ログに書く。



<2010年>

3月27日 「くわはら難民の会」の花見である。
一昨年までこの花見の会は建築士だったムーミンと一緒に場所取りをしたものだった。花見は土曜日だが、前日の金曜日に府中の公園でベンチに座って缶ビールを飲んでいるとムーミンが自転車に乗ってやってきた姿を思い出す。いいやつだったなあ。死んでしまったなんてどうしても信じられない。
今年は上山さんと福田氏が頑張って場所取りをしてくれた。しかも上山氏は男の手料理で、随分な料理をつくってもってきてくれた。
桜は朝は二分咲きだったが、昼過ぎには四分咲きになった。河野さんと久し振りにあった。服部さんも気合いが入っていたな。
遅れていったのだが、すぐに盛り上がりにとけこんだ。こんな会は珍しい。み
んなただの飲み屋の仲間だったのだがな。ただ、大学教授が増えすぎたのが気になる。

吉村氏と蕎麦屋で会ってしまいそれからからおけ「潤」。ゆきちゃんと合流してなぜか寿司屋にいった。泥酔。
やはり、今年の日記もこんな感じで始まるのだろうか。不安である。
3月28日 タケ小山と新横浜で待ち合わせ。一時間早くいったので駅ビルの寿司屋で熱燗をのむ。
やがてタケから電話があり、寿司屋まで迎えにくる。エレベーターの中でどっかのおばさんがタケをみて、あ、屋根裏のプロでしょういっていた。タケは憮然としていたな。タレント扱いされるのがいやなのだろう。

グリーン車はすいていた。日曜日のせいだろう。向かい合わせに座って、ビールをのむ。タケは飲まなかった。京都から丹羽まで。よくわからない民宿みたいなホテルに泊まる。主人もいない。酒もない。それで勝手に台所にいって酒を盗む。これは犯罪だな。
明日はグランベール京都ゴルフクラブでコンペがある。すし石垣が深夜になって到着。タケと石垣のトークショー。拙者はゴルフはやる気がないので、まあ、雪見酒かな。なんせ、予報は雪だからな。コンペには100人くらいくるらしい。

パソコンにいれておいた「お江戸は雲に鳥」を読み直しつつ、「素浪人心得」が売れることを祈る。