29,フエ

7月7日(火)

 昼前にハノイのラッキーホテルをチェックアウトして、ホテルに荷物を預けた後、近くのよく利用していた食堂で昼飯を摂った後、ホアンキエム湖畔のベンチで昼寝をした。ビアホイを2本も飲んでいたから、すぐに眠くなった。
 3時頃ホテルに戻る。列車は夜8時の出発だから、まだ かなり時間がある。ガイドブックを見て、美術博物館に行くことにした。が、・・・・あまり記憶に残っていない。ただ、父親が子供を抱き上げ、母親?が旗を振っている親子3人の彫刻だけが印象に残っている。(美術博物館は無料だった。)

 さらにラッキーホテルのロビーで、休んで、職員とおしゃべりしながら時間を潰し、6時半頃ハノイ駅にタクシーで行った。
 すでに改札も始まっているようなので、すぐに列車に乗り込んだ。座席の格が「ソフトシート」なのでエアコンが付いているかと思っていたけど、エアコンはなく扇風機だけだった。とても暑くて中では待っていられなかったので、外に出たりしたが、あまり変わりはなかった。
 ほぼ満員になって定刻通りに8時に出発。座席は2列ずつの横4列で、座席は固定されているので向かい合わせることはできない。シートは良いとはいえないが、リクライニングができるからいい。
 列車が動き出すと、窓が全部全開になっているから風が入ってきて涼しくなったけど、その代わり車輪の音がうるさくて大変だった。小さな声ではたぶん会話もできないほど。こんなに騒音の大きい列車に乗ったのは初めてではないかと思う。

7月8日(水)晴れ

 朝、昨日ハノイ駅で買ってきたパンを食べた後に、列車では朝食が出た。大きい肉まんとお菓子1個とミネラルウオーター。もったいないので、また食べた。
 8時半頃フエ駅に到着した。駅を出るとすぐに、ホテルを紹介するという女性やシクロの運転手など3,4人に取り囲まれるが、それを振り切ってタクシーに乗り込み、ホテルの多い地区まで行った。リストアップしていたミニホテルのアドン2に行き、20US$の部屋を見せてもらった。とても広くてきれいなので、すぐに決定。ベトナムのミニホテルでは部屋を見てからチェックインするのが常識になっているようだ。どこも最初に部屋を見るようにと言ってくれる。

 少し休んでから、フロントで明日のボートツアーを申し込み(中型ボートでフエの名所旧跡を1日で回る。昼食込みで4US$。)をして、自転車を借りた。(夕方まで約100円。)
 フエは昔のベトナムの王朝があったところで、首都になっていたことも多く、ベトナム1の古都だ。日本でいえば奈良、京都に相当するところだと思う。
 ホテルの前から借りた自転車で走り出すと、すぐにシクロが併走してきて日本語で話しかけてきた。仕方ないので止まってて少し話した。彼は手帳を見せて自分をアピールする。手帳には、日本語で「○○さんはとてもいいガイドです・・・」などと書かれた文章がたくさんあった。一緒に日本人と撮った写真も見せるので、女性だったから全部見た。中にはベトナム語で手紙まで出している人もいた。せっかく彼の貴重な資料を見せてもらったが、今日はすでに自転車を借りているし、明日はボートツアーを予約してすでにお金を払っているので、彼を利用することはできない。ということを説明しても次々といろんなことを言ってくるので、振り切るためにちょうど近くにあった食堂に入って昼食にした。
 確かにこのようなシクロやバイクタクシーなどを適当に利用して観光すれば、安くて、かつ外国人があまり行かないような所にも連れていってもらったり、友達になれたりしてけっこう面白いかもしれないが、どうも私は利用する気になれない。(特にしつこく客引きをする運転手は。私はほんとにシクロやオートバイを利用したいときは自分の方から声をかけて利用している) それにしても、どうして日本人は(英語を書く外国人も)請われるままに、あんな文章を書いたりするのだろうか? でも旅行するのはそれぞれの楽しみ方があるから、それでもいいかな。ただ、そういう文章を見せられると私はむしろ警戒してしまう。
 もし私がシクロの運転手だったら、歩いている日本人を見たときに「どこどこ付近まで1万ドン、どこどこまで5千ドン、どうですか?」などと大きな声をかけたら、きっと乗ってくれると思う。それならすぐに相場とも照らし合わせることができるし、乗ろうかなあという気になってくると思うが。

 昼食後、銀行に両替に行こうかと思っていたけど、ベトナムの銀行は11時半から午後1時半までは休みなので、フエ大教会に行ってみた。教会そのものに興味があるわけではないが、教会の塔の上からフエ市が一望できるとガイドブックにあるので行ってみた。
 教会に行ってみると、とても痩せた係員のフオングさんが「見学するのは無料だけど、もしよろしければ献金していってください。」と言って、教会の中に入れてくれた。
 広い教会をぐるっと見てみたけど、どこにも上に昇れそうなところはない。しばらくうろうろしてから、フオングさんを見つけて、上に行きたいと言うと、私は体が弱いからとか何とか言ってイヤがっている風だったが、それでも仕方がないといった感じで、あちこちカギ開けて上に案内してくれた。塔の上に行くにはまず鉄でできた下の見える細い階段をずっと登っていく。かなり恐い。フオングさんは体が弱そうなので、私一人行くからと言っても、何とか言って一緒についてくる。後でわかったが塔に昇る行程はちょっと複雑で係員が一緒に行かなければ、観光客だけでは行けないことがわかった。塔の一番上に行くには、さらに教会の上の方で今度は建物の外に出て、最後は5mくらいの垂直のはしごを登らなければならなかった。外の壁に付いているはしごなので、かなり恐かった。
 

フエ大教会の上でフオングさん

塔の上からは確かに360度フエの街が展望できる。フオングさんがいろいろ説明してくれた。「地球の歩き方」には、たった一言「塔の上からはフエの街が一望できる。」としか書いていないので、たぶんこれを読んだ日本人は誰も簡単に塔の上に登れると思ってたくさん来るのではないかと思う。ということは何回もこのように日本人が病弱そうなフオングさんに迷惑をかけているのかなあと心配になった。
 帰りに5千ドン(50円)献金してきた。

 教会の入り口でサトウキビジュースを初めて飲んでみた。サトウキビに小さなみかんみたいなものをはさんで機械で押し潰して絞り出す方法だ。蠅がたくさん飛んでいたので、ちょっと気になったが、とてもおいしかった。
 その後ベトコムバンクに行った。
 ベトナムに来て、アオザイ姿の女性をたくさん見ることができるかと思っていたが、そうではなかった。日本の着物と同じで普通には着けないものだと思う。ホテルのフロントの女性や銀行、郵便局の女性などが制服として着けているみたいである。ベトコムバンクに行ったのがちょうど昼休みが終わる頃で、ピンクのアオザイを着けた女性行員が次々とバイクで戻ってくるところだった。銀行の午前の終了時間は11時になっていたので、昼休みは2時間半あるかもしれない。
 アオザイを着けている人はみんなスリムで、しかも背がびしっと真っ直ぐでとても姿勢がよい。銀行の女性行員はまず例外なくとてもきれい。この社会主義国家の国営(と思う)のベトコムバンクも外見で選んでいるのだろうか。

 

王宮前のフラッグタワー

両替した後、フォン川を渡って、旧市街にある王宮を見に行った。王宮そのものは入場料が550円もするので、入らず、その前にあるフラッグタワーに行ってみた。ベトナムの国旗がひるがえるフラッグタワーの台座の城壁にはベトナム戦争時の多数の弾痕が残されていた。王宮の周りもフエ攻防戦の時は激しい市街戦になったところのようだ。

 その後近くのフエ省博物館に行って、フエ攻防戦の資料を見た。が、あまりよくはわからなかった。
夕方は近くにあるシンカフェというベトナムでは有名なツアーオフィスに行ってみた。
 ホテルでもいろんなツアーを申し込むことができるが、フエで有名なDMZツアーがホテルでは25US$と言っていたので、それは少し高いと思って、シンカフェを訪れてみた。しかし、シンカフェでも同じ料金だったが、シンカフェにいた職員としばらくお話していると、23US$にするから行かないかといわれたので、そこで10日のDMZツアーを申し込んだ。一緒に行くツアーメンバーには23US$だったとは言わないようにと釘をさされた。

7月9日(木)晴れ

 朝8時過ぎにボートツアーのための迎えのバイクがホテルに来て、後ろに座ってボートに行く。ボートといっても約20人くらい乗れる中型小舟。
 お客さんはほとんど欧米人で、東アジア系の顔をした人が4人。その内男女カップルは中国系マレーシア人で、もう一人は日系アメリカ人だった。日系アメリカ人の男性は友達のアメリカ人と二人でベトナム旅行に来ていて、二人とも以前札幌で英語教師を2年間したことがあると言っていた。そのアメリカ人はとても日本語が流暢だったが、日系アメリカ人の方はほとんど日本語を話せなかった。ベトナム旅行の後日本の岩国のおじいさんを訪問するので、とても楽しみだと言っていた。他の欧米人は半数以上が若い女性で、私から見ればほとんど水着のような格好ではちきれそうな格好をしていて、目のやり場に困る(困らない)ことが多かった。

 

ボートツアーで

ボートツアーは郊外の川沿いにある古い王宮や寺を巡るツアーである。ボートに乗って、ベトナム人が川で働いている姿を見るのは興味深かったが、名所旧跡巡りはあまり面白くなかった。このボートツアーは1日4US$でとても安いが、各名所の入場料がとても高かった。だいたい500円くらい。これは明らかに外国人料金で、たぶんベトナム人の10倍くらいだと思う。数カ所のすべてにこんな高い入場料を払っていたら、とても高くなるので、白人達も半分くらいの名所にしか入場していなかった。

 昼食は舟の中で用意してあってみんなで一緒にベトナム料理を食べた。白人達もみんなけっこう箸の使い方が上手である。隣に座ったアメリカ人(日本に2年間いた人)に、ベトナム料理は日本料理に似ているでしょう?と同意を求めたら、すぐに否定されてしまった。北海道の料理とはだいぶ違うという。私はこれまで日本の料理とよく似ていると思っていたのは、和食というより沖縄の料理に近いからそう思っていたのだろうとふと考えた。

 最後のパゴダを見てから、後は帰るだけというときに中国系マレーシア系の林(リン)さんと少し話をした。リンさんはクアラルンプールの富士通の職員だった。1週間の休みで彼女とベトナム旅行に来ているとのこと。私はこれからマレーシアを訪れるので、物価を聞いてみたら、ベトナムの2倍くらいだと言っていた。

 夜は近くの大型ホテル(トゥアンホアホテル)のナイトクラブに行ってみた。ベトナムのナイトクラブはバーとディスコとダンスホールが一緒になったような感じの所。入場料が300円だった。ほとんどずっと生バンドで歌手が歌を歌っているので、ビールを飲みながら(180円)それを見ているだけでもいいが、女性だけで来ている人はほとんどいなさそうなので誰かと踊るわけにはいかない。もし店に来ている女の子と踊りたければ1時間500円だという。1時間だけお願いしたら、チョーさんという女の子が来た。最初23才と言っていたが、後で25才と判明する。
 店に来ている女の子は無料で入場する変わりに、お客さんから指名があれば席につくらしいが、特にそこの職員というわけではないらしい。だから、お客さんから指名がない限り無給、収入はお客さんからのチップだけというシステムらしい。
 チョーさんはほとんど英語を話さないので、(挨拶と数の英語を少しと、挨拶程度の日本語だけ)会話はほとんど片言のベトナム語になる。お店には中年の男性グループがたくさんの女性を連れてきている1団がいたが、チョーさんによれば日系企業の職員達だそうだ。男性は日本人達。結局ダンスはせずに話をしてビールを飲んだだけ。女性へのチップはどれくらいすればいいのかナイトクラブの職員に聞いてみたら、5〜10US$と言うので、10US$をチョウさんに渡して店を出た。総額2800円くらい。ちょうど11時過ぎで閉店近くで、私が出るとチョーさんも一緒に出てきて彼女のバイクで私のホテルまで送るというので、喜んでバイクに乗せてもらった。ほんの3分間くらいでホテルに到着したが。

7月10日(金)晴れ

 今日はDMZツアーの日である。朝6時の出発で夜8時頃帰るというからかなりハードスケジュールである。DMZとはたぶんdemilitarised zone(非軍事地域)のことだと思う。「地球の歩き方」にもシンカフェツアーオフィスのパンフレットにも何の略かという説明はなかったが。旧南北ベトナムの国境をはさんでの非軍事地域のことである。国境ということは戦闘が最も激しかったところでもあるということで、このようなツアーができたのだと思う。

 ツアーは20人乗りくらいのマイクロバスだった。今回は私を除いて全て欧米人のお客さんだった。昨日のボートツアーに比べると少し年輩の人が多い。やはりベトナム戦争というとそれなりの年齢の人になってしまうのだろうか。
 ツアーはまず国道1号線を北上して元の国境の町ドンハに向かい、ドンハから今度は山側に進路をとり、途中で朝食を摂った。(朝食はツアー代金に含まれていた。ただし、私のホテルも朝食つきだったので得したというわけではないが。)。
 

ロックパイルでガイドさん

その後最初の訪問地ロックパイルという所でバスを降りて、ガイドさんの説明を聞く。英語なのであまりわかるわけではないが、米軍の基地が丘の上にあったらしい。本来この周辺は森林だったらしいが、あまり高い木はない。ガイドさんによれば米軍は多量の化学物質をこの辺で散布したらしい。ダイオキシンなどが多数残存して多数の被害者(特に子供)が出たと言っていた。そして米軍が多数の地雷を埋めていたため、ベトナム戦争後に約5千人のベトナム人がこの地雷で死亡したと言っていた。今のカンボジアと同じではないか。
 戦後ベトナムはこの地雷を撤去するため大変な努力をしたらしいが、あまりにも広範囲に渡るため今でも地雷は残っているようだ。ガイドさんは熱心に説明していて、最初からかなりショッキングな話だったので、乗客はみんな神妙な顔をして聞いていた。

 次に行ったのは山岳の少数民族の村。ラオス系の民族らしい。行ったというより、道路の側にあるので寄ったという感じ。高床式の家になっていて、涼しそうであった。が、この辺はマラリアもあるだろうし、蚊の対策はどうしているのかなあと少し、気になったが。
 

少数民族の村で

子供達がたくさんいて、群がってきた。みんなペンをくれと言ったりする。(ボートツアーの時、ある休憩所で1人の少年に請われるままペンをあげたら、それを見ていた2,3人の小さな少女が私にもくれと激しくせまってきたことがあったので、私は反省して、少なくとも複数以上子供がいる所ではペンをあげたりしないようにしようと決めていた。)
 次に訪れたのはホーチミンルートにつながるダクロン橋。戦争中北ベトナムからの補給路になった道で有名らしい。

 その次は米軍のケサン基地。北ベトナム兵だけでも数千人が死亡したという激しい戦闘地だったらしい。
 ケサン基地のあとはベトナム食堂で昼食。食堂の小学生くらいの男の子はとても英語が上手で彼が注文などお客との応対を取り仕切っていた。
 このDMZツアーも23US$だから決して高くはないが、ベトナムの物価からすればとても高いと思う。だからこんなツアーには外国人しかいない。なんだか殿様ツアーをしているような感じもしないことはなくあまりいい気分ではない。しかも欧米人はあまり英語の得意でない東洋人に興味をもったり話しかけてきたりはほとんどしない。食事の時など私が話しかけても、私の会話能力では簡単な会話で終わってしまうというのがもちろん1番問題だが。その点同じアジアの人や現地の人はかなり気安く話しかけてくれるのでほっとするが。今日のツアーはすべて欧米人だけなので、私はひたすら観光するだけに徹していた。

 このようにベトナムで多数の欧米人が観光しているのを見ていると、どういうふうに説明していいかわからないが、こんなんでいいのかなあと思ったりする。今後南下するときは、ほとんど観光客だけ(たぶん白人だけ)のエアコン付きのバスでなく、普通の路線バスで行ってみようかなあと考えたりした。(しかし、この路線バスも常識を越えるすごいものであることも後で判明するが。)

 午後は旧北ベトナムの国境のすぐ北側にあるヴインモックトンネルの見学。アメリカの攻撃に備えて掘ったトンネルらしいが、驚いたことにそのまま保存されていた。観光ツアーの場所にもなっているくらいだから、ライトの設備くらいはあるだろうと思っていたら、ツアー客1人1人に懐中電灯が渡され、中に入っていった。
 こんなに暑いベトナムでトンネルに籠もっていたなんて、どんなに暑かったことだろうかと思っていたら、意外にトンネルは涼しく、場所によっては風が吹き抜けているところがあって、気持ちが良かった。

 その後は南北ベトナムの国境のベンハイ川にかかる橋のたもとにある記念碑を見学してからフエに戻った。帰るのは夜の8時くらいになると言われていたが、フエに到着したのは6時半頃で、早めに帰れて良かった。2日連続のツアーでちょっと疲れた。

7月11日(土)晴れ

 午前中ホテルで休んでいると、日本語で電話がかかってきた。リエンさんという日本語塾の先生からだった。
 チョーさんがもう少し私と話がしたいから通訳してくれと頼まれたらしい。リエンさんの所に来ないかと誘われたので行くことにした。ホテルから歩いて数分の距離だったがチョーさんがバイクで迎えに来た。チョーさんの自宅もすぐこの近所で、彼女も以前この教室で日本語を習ったことがあるらしい。

 リエンさんの自宅兼日本語教室で3人でいろいろお話をした。リエンさんは小児麻痺で両下肢が完全に麻痺している身障者だった。後々わかったが、彼女はフエ大学の文学部(歴史が専門)を首席で卒業し、一人娘のホアイ・ジャンさんを出産直後離婚して、その後の生活が大変だったらしい。日本なら身体障害者第1級に相当するほどの障害だけどベトナムではそのような保護はないと言っていた。
 話の経過から推定して、リエンさんの推定年齢は36〜37才。小児の頃はベトナム戦争真っ最中の頃だからポリオのワクチンどころではなかったのだろう。
 夜に、海産物のおいしいところがあるというので、3人で食事しに行く約束をした。それから午後2時から日本語教室が始まるというので、それを見学することにした。

 

リエンさんの日本語教室

2時過ぎにリエンさんの教室を訪れてみると、生徒が4人集まっていた。本来なら7人いるそうだが今は暑いので体調が悪い人が多いとのこと。生徒は女子大生や勤労青年など。
 日本語で各自自己紹介をした後、私も最初のほんの少しだけベトナム語で自己紹介した。リエンさんは私がとてもベトナム人によく似ているという。だんだん色が黒くなってきているし、髪型も長めでベトナム風というのもあるかもしれないが、ベトナムに来て度々私はベトナム人によく似ていると言われている。自国人によく似ているというのは、誉め言葉だと自分では納得するようにしていて、そう言われたときはベトナム語で「私はベトナム人です。」と言って相手を喜ばすようにしている。

 授業はテキストを使って、先生の後から復唱したり、生徒同士で文の内容を変えて会話したりという方法だった。初級のコースらしいが文法の解説らしいのはほとんどしなかった。私もリエン先生の代わりに時々日本語の文章を先導して読むように言われたりした。
 途中で、息抜きということでみんなでドラエモンの歌を歌っていた。みんな最後まできちんと覚えていたが、私はほとんど覚えていなかった。たぶん私はテレビではドラエモンをそんなにたくさんは見ていない。ベトナムでは大人気だったようで、ドラエモン奨学金というのまであるようだ。(日本の作者による奨学金らしい。作者は誰だったかなあ。)

 この授業を見ていて感じたのは、日本語にも立派に声調があるということだった。単語の声調を正確に発音しないとやはり変な日本語になる。もちろん日本語にはベトナム語のように文字に声調の記号がふっていないから、生徒達は教科書の日本語にベトナム語で使う声調の記号をつけて読んでいた。
 リエンさんは5年前から独学で(時々日本人に教えてもらいながら)日本語を習得したそうで、もう普通に日本語会話ができるのでたいしたものだと思う。発音も日本人風である。ただ授業を聞いていてやはり外国語はそのネイティブの人が教えるのが1番いいなあとも思った。私も英語はネイティブの人から教えてもらったことは1度もないが。唯一ベトナム語だけはベトナム人から教えてもらったけど。

 授業の後、途中からやって来た日本人青年、向原さんとリエンさんと3人でお話をした。向原さんは元三重県の中学の美術の先生らしいが、退職してこの4月からベトナム語を習いにフエに来ているらしい。このリエンさんの教室はフエでは有名で、フエ在住の日本人がよく遊びに来たり、フエ大学を訪問する日本人教員が時々訪問してくるらしい。

 リエンさんの優秀な1人娘ホアイ・ジャンさん(13才)との母子の生活がベトナムの新聞に載ったことがあるそうで、その記事を向原さんが日本語に翻訳したのを見せてくれた。
 生徒の月謝は月5万ドン(500円)だそうだ。(ハノイで英語塾に通学している人の月謝は月千円だった。)

 

左からチョーさん、ジャンさん、リエンさん

夜7時頃リエンさんのお宅に行って、チョーさん、リエンさん、娘さんのジャンさん、と4人でタクシーで郊外の海産物のレストランに食事に行った。リエンさんは車椅子での移動だから、タクシーに乗るとき知人の若い人たちが2人くらいすでに来ていて助けていた。
 レストランではイカ、エビ、カニなどをたくさん食べた。ベトナム語の単語を時々教えてもらいながら。リエンさんは、私のベトナム語の発音がきれいだと言う。もちろんお世辞だとは思うが。ただ、正確に発音するにはベトナム人の口まねをするだけではダメで、スペリング(=発音記号)も同時に教えてもらわなければならない。

 このレストランの料金の支払いはどうするのかちょっと気になってはいたが、私が全額支払うのに誰も全く口をはさまなかった。といっても2500円程だったが。日本でこんな料理を4人で食べたら、少なくともこの数倍、または10倍以上の可能性があると思う。ベトナムでも市内の外国人相手のお店だったら、きっとここの2〜3倍はしたかもしれない。地元の人しか行かないようなレストランだからこの値段だと思う。
 日本とベトナムの物価差が10倍くらいはあるので(地元の人の価格で比較した場合のこと。いろんな所で設定されている外国人料金なら差はもっと少ないが。)、少なくとも日本人がベトナムにいる限りお金持ちであることは事実だから私が支払うのも、ベトナム人から見れば当然かなと思うことにした。

 チョーさんのお父さんがダナンで働いていて、チョーさんの新しいバイクをダナンで買ったから、それを取りにダナンに行くから一緒に行かないかと提案された。元々私はサイゴンまでのオープンバスチケットを買って、フエ→ホイアン→ニャチャン→サイゴンと行くつもりだったが、若い女性の提案なのですぐに予定を変更することにした。バスか列車で行くのかと思ったが、タクシーをチャーターして行こうと言う。どうせお金を払うのは私だし、利用されているなとは思ったけど、タクシーで行くことにした。ダナンまでタクシーで2時間くらいかかって約3000円くらいらしい。フエ、ダナン間にはハイヴァン峠やランコー村などの美しい所があるので、ちょうどいいかと納得することにした。
 またタクシーでリエンさんの自宅に戻って少し談笑し、ちょうどそのタクシーと明日のチャーターのことについて交渉した。

30,ダナン・クワンガイ

7月12日(日)晴れ

 朝7時頃、昨日と同じ会社のタクシーがホテルに迎えに来たので、それに乗り込みリエンさんの自宅の近くでチョーさんを乗せて、ダナンに向かった。ダナンまでたぶん100Kmくらいだと思う。
 ベトナムは細い国で、日本より少し小さいくらいの国だが人口が約8千万人くらいもいる。ベトナムを縦断してチュオンソン山脈というのが貫いているので、人口のほとんどは海岸側の平地に集中している。人口はアジアでは中国、インド、インドネシア、日本の次くらいに多くて、世界でも有数の人口の多い国だ。だからベトナムを縦断するこの国道1号線を走っていても、村や町がほとんど途切れることはなかった。

 旧南ベトナムに来て、すぐ感じるのはバイク屋の看板が違うこと。北では(ハノイでは)xe may(オートバイ)というベトナム語の看板だったが、フエ以南からは(私はハノイ、フエ間は夜行列車で移動したので、その間のことはわからない。)HONDAになっている。ベトナムでオートバイそのもののことをHONDAと呼ぶということは以前から有名なので知ってはいたが。
 だからここでは「スズキのHONDAに乗っている」というような言葉があるかもしれないなあ。

 ダナンに行く途中に白砂が美しいランコー村と、チュオンソン山脈が海側までせりだしてきて高くなってきている所にハイヴァン峠といってきれいなところがあるので、そこでしばらく停車した。
 車の外に出て景色を見ようとすると、女性子供の物売りがたくさんやってきて、車に乗り込むまでずっとついてきて話しかけてくるので、落ち着いて景色を堪能するということがなかなかできない。不愉快というわけではないが、何も考えずボーっと景色を見るということをさせてくれないのだ。
 チョーさんは車から降りることはせず、車に寄ってくる物売りの子供達からけっこういろいろ買ったりしていた。スイカやその他のくだものなど。あまりむげにせず少しずつは買ってあげるのが常識なのかなあと思ったりしたが。

 9時半頃にはダナンに到着して、運転手に駅の近くのミニホテルまで連れていってもらって(DONG DA ホテル)私はそこにチェックインした。少し古いホテルだが、エアコン、電話付きでUS8$(1200円くらい)だった。チョーさんはバイクを手に入れてくると言ってタクシーでそのまま父親の所に行った。

 このホテルは古いが、インターネットにはなんとかアクセスできる。3,4回接続ボタンを押してやっと接続できるという感じだが。フエでは電話との相性が悪く接続できなかった。ただどういうわけか、私のinfowebのメールを読み出すことができなくなっている。送信だけならできる。ホームページの更新もできるのに、どうしたのだろう。仕方ないので、しばらくはベトナムのプロバイダーのアドレスを使うことにして、その旨をホームページの表紙に乗せることなどをしていた。

 午後から街に出かけてみた。地球の歩き方に載っているダナンで1番人気があるというフォーのお店(63ドンダー)というのがすぐ近くにあったので、そこで昼食をした。特に変わったフォーというわけではないように思ったが。
 その後オートバイタクシーでチャム彫刻博物館という所に行ってみた。ヒンズー教の影響を受けているチャンパ芸術らしいが、あまりよくわからなかった。
 ダナンの郊外にチャンパ王国の聖地ミーソン遺跡というのがあって、ここはかなり有名な所らしく、たぶんダナンに観光客が来るのはこれが目的で来るというほどの所だと思う。
 チョーさんは最初、ダナンに一緒に行こうと言ったとき、自分のバイクであちこち連れて行ってあげると言っていたので、それを期待していたが、それはちょっと違っていた。バイクに乗せてくれるというのは要するにベトナム流に、ただバイクに乗って夕方か夜に町中をぐるぐる走るだけのようである。確かにバイクに夜乗っているととても涼しくて気持ちがいいのでベトナム人の気持ちがわからないではない。しかし、ベトナムの女性は太陽に当たるのをひどく嫌がっているようで、昼間自転車やバイクに乗っている女性は長ズボン、長袖(半袖の場合は上腕まで延びる長い薄い手袋を着けて)は当然で、つばのある帽子を深く被って、眼の下からは顔全体を布で覆面している。覆面女性を最初見たときはちょっと驚いたが。ハノイではまだ少なかったが、このフエ、ダナンではほとんどの女性が覆面をしている。

 私はミーソン遺跡にはあまり興味はなかったが、ダナンといえばたぶんそれくらいしか見るところはないので、せっかく来たので明日でもチョーさんがバイクに乗せて連れていってくれるなら行ってみようかと思っていたが、どうも彼女は昼間はバイクに乗る気はないようでそれは期待できなかった。(後でわかったが。)

 博物館を出た後ハン河沿いを散歩気分で歩こうと思ったら、次々とオートバイタクシーや自転車に乗った男性などが話しかけてきていろいろ勧誘してくる。南に下るに従って、いろんな客引きの攻勢が強くなってきているような感じがする。ゆっくり散歩もできない。
 次々と撃退しながら、ハン河に留めていた、くり舟のおばちゃんと交渉して、そのくり舟でハン河を1時間クルージングすることにした。最初3万ドン(300円)と言っていたが、2万ドンと私が言うとすぐにそうなった。たぶん相場は1万ドンくらいだと思う。
 夕方だったので、涼しくてとても気持ちが良かった。くり舟は2人の女性が漕いでいて、先頭を漕いでいたのは63才の女性だった。私はきっと70才以上の高齢者だろうと思っていたので、わざわざ年齢を訊いたのだが。その方は黒い咬みタバコを始終くちゃくちゃしていて歯が真っ黒になっていた。タバコか?と訊くとうなずいていたから、きっとそうだと思う。途中で飽きてきたので櫓を漕がしてもらったりした。

 その後ダナン駅まで行って、ニャチャン方面行きの列車の発車時刻をメモしてホテルに帰った。
 ホテルに帰ると、チョーさんが新しいバイクに乗ってやって来ていて、玄関先のベンチで私を待っていた。シャワーを浴びた後、チョーさんのバイクの後ろに乗って、夕食に行った。
 夕食後、ベトナム風のデートである夕涼み町中バイクツーリングに出かけた。といっても約30分くらい。ベトナムの交差点はほとんど信号がなく、4方向からいっせいにバイクが交差点に進入してくるのに、よくぶつからないものだなあとほんとに感心する。
 当初私はバイクはヘルメットもしていないし、オートバイタクシーに乗るのは危険だと思って、乗らないようにしていたが、最近ではよくオートバイタクシーを利用している。何故かというと、まずスピードがあまり出せないから(スピードを出すとまず間違いなく事故を起こすと思う。)あまり危険ではない。暑いベトナムで風に当たりながらバイクで走るのはとても気持ちがいい。料金が固定だから(最初に交渉)タクシーのようにメーターの数字を気にしなくてよい。外国人には多少高い金額を言っているかもしれないが、せいぜい50円の所を100円、100円の所を200円と言っているだけである。そのまま言い値で乗ってもたいしたことはないが。
 30分くらいチョーさんとバイクデートをした後、ホテルに戻った。明日の予定を訊かれたが、もし私が明日もダナンに滞在するなら、また明日夕方チョーさんが私のホテルに来てバイクに乗せてあげるという。私としては昼間にミーソン遺跡などに連れていってもらいたいと思っていたが、彼女はどうも昼間は行動する気はないらしく、私も夜のバイクデートだけのためにもう1日ダナンに滞在するという気分にはなれないので、私はクワンガイ移動することを伝えて、お別れすることにした。

7月13日(月)晴れ

 ダナンの次の南側の都市はホイアンといって、古い町並みが残されていてとてもきれいな街らしいが、ベトナムVISAの残り期間も少なくなっているので、パスしてその次のクワンガイに行くことにした。
 クワンガイそのものは「地球の歩き方」には載っていないので観光地として見るべきものは何もないのだろう。しかし、クワンガイの近くに「ソンミ村」があって、どうしても私はそこに行きたかったのだ。私はベトナム戦争時代のソンミ村事件について詳しくはしらないが、その名前だけは明確に記憶している。

 「地球の歩き方」の最後の部分にある、その国の歴史の所を見てみるとソンミ事件のことが書かれている。1968年3月16日、米軍が突然ソンミ村の村民504人を虐殺している。その内小児子供が229人。68年というと、1月30日にテト攻勢で解放軍が米軍に大攻勢をかけて、米軍は多数の死者を出している。ソンミ事件はその直後のことなので、米軍は仕返しのつもりだったのだろうか。

 ダナンからクワンガイへは当初列車で行くつもりだったが、あまりいい時間のがなかったので、バスで行くことにした。
 バスターミナルまでタクシーで行くと、到着したとたん、いろんな人が寄ってきて、どこに行くか、クワンガイならこのバスに乗れと言ってきた。 結果としてはこの人たちの勧めに従って、直接バスに乗り込んだ方が安かったかもしれないが、私はベトナムの長距離バスの事情を知らなかったし、寄ってくる人を警戒していたためチケットオフィスに行って正規にチケットを購入した。しかし、このような路線バスも外国人料金は別になっていて、ベトナム人料金15000ドンのところが、私は47500ドン(475円)だった。

 指定されたバスはオンボロの韓国製のマイクロバス(ミニバス)だった。ハングル文字がまだ車両に残っていたりした。
 バスには最初数人しか乗っていなかったので、これは気楽に行けるなと思っていたら、バスはなかなか出発せずバスターミナルの近くの道路を何回も往復して、バスに乗りそうな人を見つけたら乗務員が降りて走っていって引っ張ってきて、次々と乗せていく。バスは1時間くらいそんなことを繰り返して、あっという間に満員になった。満員どころか助手席を倒しても4列しかないミニバスの座席に5人も6人も乗せて、しかも乗降口の所にはたくさんの人が立っている。2,3人いる乗務員は中に入れないので、ほとんどバスからはみ出した状態で乗っている。しかも屋根には何台もの自転車を含めて大量の荷物を載せて。もう1人だってこれ以上は乗せられそうにもないのに、走りながら乗りそうな人を見つけたら、乗務員はすごい形相をして飛び降りてバスに引っ張っていく。23座席くらいしかないミニバスにたぶん50人以上乗っていた。
 私は一応席に座ってはいるが身動きが取れなくて膝が痛かった。バスは明らかに重量オーバーしていて、しかも右側の乗降口付近に人が固まっているからバスは右側に傾いている。揺れる度に右側の車体からギシーッとこすれる音がしてくる。それが何回も続くとこげくさい臭いまでしてきた。それでも構わずバスはけっこうなスピードで走っていた。こんなに身動きが取れないほどの超満員で、バスが倒れたり火事になったりしたら逃げられないなとちょっとは心配になったが。

 少し落ち着いたら、乗務員の一人が私に、チケットオフィスでいくら払ったか聞いてきた。私は最初にチケットの半券を渡しているはずだが、彼は料金を知らないのだ。私は47500ドン払った。とても高いと言ったら、彼はちょっとビックリしていて近くの乗客にそのことを話していた。高いチケットを買っても、待遇は他のベトナム人と一緒なので、その時初めて、真面目にチケットオフィスで外国人料金のチケットなんか買わずに、直接バスに乗れば良かったと後悔した。

 クワンガイに近づいた頃は少し空いてきて、バスはきしまなくなった。午後4時半頃クワンガイのバスターミナルに着いた(ダナンから4時間くらい)とたん、たくさんの男達が窓際に寄ってきて乗客を指さしている。荷物運びの車やオートバイタクシーの人達のようだが、それぞれが優先権を主張しているのだろう。ゆっくりホテルを捜すという雰囲気でもなかったので、私も素直にオートバイタクシーに乗って適当なホテルに連れていってもらった。
 バスでクワンガイの街に入るとき大きなホテルが見えていたが、オートバイタクシーはやはり私をそこに連れていった。

 とても大きいが、かなり古いホテルだった。外国人料金の一番安い部屋が15US$(2100円)で、同じ部屋がベトナム人料金では6万ドン(600円)だった。フロントの女性職員に6万ドンの部屋に泊まらせてくれと言うと、笑いながら外国人だからダメだと断られた。
 町でたぶん1番大きいホテルでこれくらいだから、他のミニホテルはかなり安いと思うが、さがすのも面倒なのでそのままそのホテルにチェックインした。

 ソンミ村までの行き方を訊くと、今行くのかと驚いていたが、クワンガイは1泊だけと決めていたので夕方だったが今日の間に行くことにした。オートバイなら20分くらいの所にあって、往復で6万ドン(600円)くらいらしい。ホテルの前に出ると、すぐに3台くらいオートバイが寄ってきたので、料金を訊くと5万ドンと言うので、交渉はせずにすぐ乗った。
 ソンミ村まではのどかな田園風景の所をいくので、夕方でもあったし気持ちが良かった。

ソンミ村にある像と、ある1軒の家の碑


 ソンミ村にはソンミ事件を伝える公園があった。虐殺された家毎の碑があちこちにあって、死亡者の名前が刻まれていた。多い家では8人くらい。ほとんどの家で1才とか2才の子供がいたのがとても印象に残った。公園の中央に大きな像があって、倒れたわが子を抱えて右手を天に高くかざしている母親の像が心を打つ。
 公園内に美術館らしいものがあったが、もう遅い時間だったので閉まっていた。管理事務所みたいなところがあって、女性が二人おしゃべりしていたので訊いてみたら美術館は3時半に閉まるとのこと。私のために開けてくれないかとお願いしようかとも思ったが、やめておいた。朝は7時から開いているらしいが、私は明日はクワンガイを去る予定で、せっかく来たのでちょっと残念に思いながらホテルに帰った。

 夕食はホテルのレストランで摂ったので、結局クワンガイの街には全く出かけなかった。
 明日はニャチャンに移動するつもりだが、何で移動しようかいろいろ考えた。列車は真夜中にニャチャンに到着するし、路線バスは身動きできないまま長時間移動するのも苦痛なので、ホイアンから出ているツアーバスにクワンガイで拾ってもらうことを考えた。フロントの女性職員に頼んでホイアンのツアーオフィスに電話をしてもらって、朝8〜9時頃ホテル前でニャチャン行きのバスに乗れるようにして頂いた。このバスに乗ると明日の夕方にはニャチャンに到着する。ニャチャンはベトナム一の海岸リゾート地だ。しばらくそこでゆっくりしようと思う。


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