14,芦溝橋
5月1日(金)雨のち曇り
昨日、万里の長城行きの列車は9時34分にもあると教えられていたので、それに間に合わせて、急いでチェックアウトし北京北駅まで行く。が、またしても間違っていた。すでに8時台で万里の長城行きは終了していたのだ。
仕方ないので、今日は芦溝橋に行くことにする。「地球の歩き方」にある通り、長椿路駅の近くより309路バスに乗り込んだが、車掌さんにメモを見せても首を横に振っていた。
しかしそれでも1元のチケットをくれたので、そのまま乗る。半分くらい行ったところで車掌さんは私に降りるように言い、一緒に降りる中学生と小学生くらいの二人連れ(兄弟か)に私のことをお願いしてくれたようだ。中国人はとてもぶっきらぼうだが実は優しいんだと思う。少年達は私と同じ芦溝橋方面のバスに乗り換えるようで、一緒に次のバスに乗り込む。芦溝橋付近に近づいた時、その少年兄弟が教えてくれて、降りる。
北京市内からほぼ1時間以上はかかっている。バス料金が1.8元。もしタクシーで来れば100〜150元はかかる。だから市内バスは格安である。
芦溝橋の隣にある「中国人民抗日戦争記念館」を見学する。日中戦争を年代を追って解説してあったり、テーマごとの展示館がある。韓国のこのような記念館には日本語の解説、説明はほとんどと言っていいほどない。韓国語と英語の解説だけである。しかし、ここは中国語と正確な日本語の解説がある。(英文はなし。)韓国と中国の考え方の違いがあると思った。どちらが正しいとは言えない。こういう戦争の問題になるとそれぞれの国によって考え方、見方の違いは当然あると思う。でも、「日軍暴行館」という展示館では、私は顔を上げることができなかった。他の見物客は私が日本人であることを知っているのではないかと思ったりして、とても申し訳なくて顔を見合わせる気にはならない。
かなり、沈んだ気持ちで、記念館を出るとき、受付で本(日本語)をいくつか売っていたので、荷物が重くなるけどと、思いながらハードカバーの本を買ってしまった。
中国ではいろんなところで観光客によく「ぼる」ことがあると、「地球の歩き方」には書いてあるけど、日本人なら多少ぼられったて愛嬌ですませてもいいのではないかと、その時は思った。
芦溝橋は記念館のすぐ近くにある。記念館には見物人は少なかったが、芦溝橋にはたくさん地元の観光客がいた。帰るとき、橋の上で中国人の青年「温太浩(ウエン タイホ)」君に声をかけられ、歩きながら話す。彼は、北京の中央民族大学朝鮮系学科の2年生だそうだ。朝鮮系中国人である。韓国語英語で話せるので、いつものちゃんぽんで話す。北京で食事をすることを約束して別れる。彼は1時間半以上かけて北京から自転車でここに観光に来たと言っていた。
帰りもバスを乗り継いで北京駅に行くが、後半はすごい超満員で体が浮くほどだった。途中下車は絶対できないなと思う。窓から降りるおじさんもいたくらい。
旅行社に来るように言われていた時間まで、だいぶあるので、風呂だけでも入っておこうと思って、近くの長富宮飯店(ホテルニューオオタニ系)に行ってみる。5つ星ホテルで、これまで私が経験したホテルとは全然違う。日本語が完全に通じる。ロビーでは民族音楽を女性が演奏していた。フロントで宿泊者ではないけど風呂に入れるかと聞くと、OKだと言って場所を案内されるが、なんと宿泊外者は120元必要だった。あっさりとあきらめる。ついでに、そのホテルでオプショナルツアーのパンフレットをもらって見てみると、自分で行くのと比べると、どれも10倍以上の値段がついていた。例えば「万里の長城」に列車で自分で行けば1000円以下と思うが、ニューオオタニのオプショナルツアーなら12000円になっていた。
ちょうど夜8時に北京駅構内の「中国国際旅行社」のオフィスに行く。社員のスン エンピンさんが待ってくれていた。(女性) まだ時間があるので、しばらく話す。彼女は内蒙古の出身で教育大学を出ているという。日本語を勉強したいので、この冬から故郷に帰って日本語を勉強するらしい。彼女の説明によれば、明日からのツアーのグループは日本人が私一人で、他はイギリス人だから、私には日本語ガイドがつくと言っていた。しかも、そのガイドは彼女が知っている女性で、現地で日本語の先生をしているとのこと。私は思わず期待してしまったが、これは後で全く違うことが判明する。
スンさんは私を列車のベッドまで案内してくれた。
寝台車の私のベッドは「硬臥」で、3段ベッドの一番下。硬臥というからよっぽど硬いかと思ったら、日本の普通寝台とほとんど同じで薄いクッションはついている。尚、値段の高いベッドは「軟臥」と言う。9時18分に発車。
15,内モンゴル
5月2日(土)晴れ
翌朝、起きてくつろいでいると、ガイドの「リャン」さん(男性、英語のガイド)がやって来て、相談を持ちかけて来る。私の参加しようとしているグループは、他のメンバーは中国の日本企業社員3人(日本人)だそうで、彼らは自分たちでだけで行きたいので、他人の私が一緒に参加することを拒否しているとのこと。それで、私はどこのグループと一緒でもいいかと聞かれた。私は何でもOKと答えておいた。昨日は他のメンバーはイングランドだと言われていたのに、これも違う。
列車は朝9時に内モンゴルの呼和浩特(フフホト)市に到着。旅行社の事務所で他のメンバーと顔を合わせる。私以外にはアメリカ人のクラークさんとその妻イーバンさん(中国人)、広東州からきた外資系会社ノキアのOL2人連れのシャンさんとホさん。(ホさんが上司)
5人のゲストとガイドのリャンさん、運転手の計7人が小さいダイハツのバンタクシーに乗り込み、草原の中のパオホテルを目指す。車中で自己紹介をしながら行く。みんな英語も堪能である。会話はほとんど中国語になるので私にはさっぱり。でも私に話しかけるときは、ゆっくり英語で話してくれるのでなんとかわかる。ガイドのリャンさんは好青年で私に気を使っていろいろ説明してくれる。
約3時間かかって、草原の中のパオのホテルに到着。真ん中に一番大きいパオがあって、それがレストランになっていて、その周囲に宿泊用のパオが点在している。はるか向こうに煉瓦作りのトイレがある。もちろん風呂はない。
昼食は羊肉がメインディッシュのモンゴル料理?。
昼食後は馬に乗るらしい。馬に乗るとき、ホさんとシャンさんが何かさかんに馬の職員と話している。クラークさんに何が問題になっているのかと聞くと(彼は2年間も中国に住んでいるので中国語もわかる。)3時間の乗馬が120元だそうだが、あまりに高いので交渉しているらしい。結局100元で決着して乗ることになった。ただし、私は乗馬と聞いても、職員の方が手綱を引っ張ってくれて行くものとばっかり思っていたが、なんと自分だけで乗る方式なのでビックリした。他の人たちもほとんど初めてではあったようだが、それでもいろいろ操縦の仕方を聞きながら乗っていたようで、特に問題なかったが、私は全く運転の仕方を聞かずに、いきなり車を運転しているようなものだ。だから私の馬は勝手にとんでもない方に行こうとする。(もともと私は運動神経がとても鈍いので大部分は私の問題であるが)。馬に乗りながらホさんににどうするのかと、しつこく聞く。ただ操縦方法は実に簡単で、左に曲がりたいときは左の手綱を引き、右に行きたいときは右、停まりたいときは両方を一緒に引く。再び進みたいときは両方の腹を脚でたたく。それだけ。(それさえ知らずに乗っていた。)
少し慣れてきたところで、馬の職員(先生?)が何か声をかけると、いっせいに小走りを始める。これも最初ビックリする。馬の上は予想以上に不安定でころげ落ちそうな感じがする。歩くのと小走りを繰り返して、2時間くらい草原を行き、「スワンレイク」の折り返し地点まで行く。見渡す限りの草原と青い空で、景色は最高に良かったが、馬の乗り方に精神が集中してしまって、今いち景色を堪能していなかったなあ。
帰りは馬は疲れていたのか、足取りが重い。特に私の馬は体力がないのか遅れがちになるので、馬の先生が自分の馬と替えると言う。馬を替えるとぐんぐん先頭付近を歩くので、調子がいいなあと思っていると、しばらくして突然、馬の前脚の両膝がつんのめったようになり、前方が急傾斜したために私もびっくりして、バランスをくずして落馬してしまった。幸いに草原の上だし、低い位置からずり落ちた感じだったので、無傷だったが岩場を歩くことも多かったので、岩場だったら怪我していたかもしれない。この馬は私を嫌ったのかもしれないなあ。それで先生はまた前の馬に戻してくれた。でも並の運動神経を持っている人なら落馬しなかったと思う。帰りの後半は馬をどんなにむち打っても(先生がです。)、ほとんど駆けることはなかった。
結局パオに帰ってきたのは夕方の6時半頃で、何と5時間に及ぶ乗馬ツーリングだった。
夕食の時はパオのレストランで民族衣装を着た職員が、歌を歌いながらみんなに振るまい酒をつぐのから始まった。
夕食後は民族歌謡?を聞かせてくれた。その後はお客さんが指名されて、それぞれの国の歌を歌うように要求される。その内私に歌うように指名してきたので、日本を代表して「花」を歌ったが、伴奏無しだし、自分が下手だとは思っていたが、歌いながらあんまり下手なので我ながらあきれてしまった。それで、まったく受けなかったが、後半は何の歌かわかった中国人も何人かいて、一緒に歌ってくれたのでほっとした。
昨日まではとても天気が悪かったらしいが、今夜は満天の星。しかし、とても寒くて長く外にはいられなかった。パオで私は運転手とガイドのリャンさんと一緒に寝る。暖房はなく、けっこう寒かった。
5月3日(日)晴れ
午前フフホト市に戻り、寺院などを見学する。やはり遺跡の見学はあまり面白くない。
フフホトに戻る時、あまりに車の乗り心地が悪くて、ホさんが酔って吐いてしまったりしたので、午後彼女は旅行社に車を替えるように交渉した。そしたら、小さいダイハツのバンに替わって、立派なトヨタの大型のバン(ハイエースか?)が来た。彼女たちの行為に感心する。
午後からはガイドもリャンさんから、女性のチェンさんに替わって砂漠ホテルを目指す。約4時間以上かかってホテルに到着。夕食はみんなで食べる本格的な豪華な中華料理。中国に来て初めてこんなに豪華な多種類の食事を食べた。
5月4日(月)
朝、ラフ道路を走って砂漠に行く。観光地化されているが、本格的な砂漠だ。まず1時間ラクダに乗って砂漠の見学。どこまでも砂丘の山。でも中国の比較的東方にこんな砂漠があるとは思わなかった。
ラクダが終わると今度は、パラセーリングをすると言う。砂丘の上から下の駐車場まで落下するのだ。冗談かと思ったがホントのようである。ただ、操縦方法を細かく聞けるのなら私もやっていいとは思ったが、私は「言葉がわからないし、細かく聞けないので危険だから止める」と、最初は断っていたが、クラークさんが最初に飛んで、きちんとわかりやすく私に飛び方を説明してくれたので、私も飛ぶ気になった。操縦方法は簡単ではある。飛ぶ瞬間に親指を開けてパラシュートを全開にする。飛んだら基本的には両手を上に挙げておく。左に行きたいときは左上肢を素早く1回曲げる。右は右。地上数メートルに近づいたら、両上肢を一緒に下に降ろす。そうするとスピードが減少して着地できる仕組みである。飛んでみたら以外と簡単であった。ガイドのチェンさんにこれで事故はないのかと聞くと、彼女の知っている範囲では2年前に骨折した例があるだけだという。ほんとかなあ。
昼食は砂漠ホテルに戻ってする。各テーブルを職員が回って歓迎の歌を歌ってくれた。
午後はまた4時間以上かけてフフホトに戻る。6時頃フフホト駅に到着する。他のメンバーは6時半の列車であるが、後からそのグループに追加された私だけは、何と夜の11時58分発である。それまでどんなことをして時間を過ごすのかは当然問題なので、旅行社の人が、もし私が良ければと、すぐ前の招待所で休むようにと紹介してくれた。そこでツアーのみんなとお別れして旅行社の人と招待所に行く。11時まで部屋で休んで、たったの5元だった。でもここは、どうも地元の人が泊まる旅館のようで、中国では外国人の泊まるホテルは指定されているというルールがあることが私の頭をちらっとかすめたが。
この予感は当たっていた。部屋で1時間ほど休んでいると、突然ドアを激しく叩くので、ドアを開けてみると男が3人ほどいて私に何か言う。しかしさっぱりわからない。手帳を私に見せたり、その内の1人は警察らしい制服を着ているので、どうも公安らしい。一緒に来いと言う。私は覚悟を決めて、荷物をまとめて廊下に出るとすでに、旅行社の人とガイドのチェンさんが来てくれて公安とやりあっている。パスポートを見せたり列車のチケットを見せたりするが公安は許してくれそうな雰囲気はない。チェンさんが別室で私に待っておくように言うので待っていると、しばらくして「もう大丈夫、ここにいてもいいことになった」と言う。私が、やはり外国人だから、外国人はここに居てはほんとはいけないからでしょう?と聞くと、そうだという。でも、あんなに怒っていた公安がまた、なんであっさりと引き上げたのかもさっぱりわからない。
でも、どうして私がここの招待所で休んでいることが公安に知られたのか?入り口付近にはたくさんの人がいたので、誰かが通報したのかもしれない。せっかくの楽しいツアーだったのに、後味の悪いものになったなあ。
5月5日(火)晴れ
夜行列車は今日の昼の1時過ぎに北京に到着する予定である。朝起きて、ベッドで読書をしていると、なんと私のベッドの上の2,3段目は日本人留学生であった。昨日列車に乗り込むとき、日本語らしきのが一瞬聞こえてきたので、あれっとは思ったがすぐに忘れていた。彼らは遅く起き出してきて、いきなり日本語でお互いしゃべったので私もビックリした。私もいきなり彼らに声をかけたので、彼らも驚いたようだ。彼らも私と同じコースの内モンゴルツアーに私よりも1日早く参加したようだ。1日多く現地に滞在したので、帰りは私と一緒の列車になったようである。彼らが草原で馬に乗ったときは天気が悪く、とても寒かったそうで、一人は風邪を引いていた。日本から出発以来、はじめて日本人と長く会話した。(京華飯店で話した日本人とはほんの2,3口のみ)彼らの留学生活の様子や、中国の印象などを聞く。彼らの話でも中国はそんなに危険ではないと言っていた。
NHKのメディアセンターホテルに戻ってくつろいだ後、夕方、大学生の温(ウエン)君が訪問してくれた。ホテルの日本食レストランでビール飲みながら話す。一人旅だと、朝、昼はともかく夕食の取り方は結構難しいので、誰か一緒に食事をしてくれる人がいると、とてもいい。。彼は東北地方の黒龍江省の出身で、北朝鮮系の中国人らしい。将来は朝鮮・中国の通訳になりたいと言っていた。とても人の良さそうな青年だった。
西のウルムチまで列車で行くと3泊4日もかかるので、列車は止めて飛行機で行こう。