雑感             ホームページ表紙に戻る

 

主人のお陰で私のホームページがUPいたしました。おかげさまです。(2004224

この章には私の感じている事を思いつくままに記して参ります。

 初めに2010年T月16日の講演で56年関わりのあったお茶の総まとめをさせて頂きました。

その原稿からこの章を始めます。(2010.5.19) 長い章ですがリンク無しです。(2011.6.1)

 

第1部                                2部 

                                         

日本のお茶のこれからについて(2010年T月16日)    以下の事柄の小意見

  平成22年鎌倉淡青会新年会第17回講演の原稿      (2004年―2009年)     

   (20分のスピーチ)                                        

T 茶事;日本のお茶、 客をもてなす文化         <15歳のお茶との出会いから

2 利休のお茶                         <懐紙とにじり口について

3 茶の古典 私の先生方                  <一期一会、利休箸

4 疎開の思い出                       <利休の待庵と天心の茶の本

5 お茶教室の風景                      <エジプト古代美術展と茶道

6 茶事の風景                         <鎌倉と東京のお茶空間

7 終わりに                           <茶事で一番気に入っている事

 

1)     茶事;日本のお茶「客をもてなす」文化

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懐石(お食事)の後、濃い茶、薄茶を差し上げる「もてなし」を茶事と言います。

「初座・懐石―後座・お茶」を4時間弱で、その人の全知識、経験、知恵を傾けて客を

接待する形式が決まったのは利休のころからです。

利休は「茶事百辺朧月」と言って茶事を100回行ってもお茶は朧月のように、

ぼんやりとしか理解できないと言いながら、利休道歌で「茶の湯とはただ湯を沸かし茶を

点てて飲むばかりなることとしるべし」ともいっています。しかし、お茶は茶事に始まり

茶事に終わると言われています。

 

日本の茶事は、客を「もてなす」だけです。更に、茶事では伺う旨の挨拶;前礼から

茶事後の後礼まで全行程が形式として決まっています。決めごとを決めごと通り行う

だけなのです。しかし、この決めごと、様式は行き着いた姿、形式であり、無理のない

非常に合理的、論理的な心の働きの形です、何世代もの人の目、心、頭によって選び

ぬかれた智恵の結晶、良き伝統です。自由に省略しつくす表現は現代の生活にも大変

生かせる文化です。

決めごとの中にいかに心を入れるかを習うのが、茶道なのかもしれません。

全てが、スケジュウルされ、終わりの時間も決まっている、この中にこそ自由と安心が

あります。身体性を伴った作法とスタイル、いわゆる点前を行う、決まった挨拶、所作を行う

と心が落ち着きます。

茶道など習わなくても、天性、人や物と和む事ができる、いわゆるお茶がある方もいます。

 

2)利休のお茶

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利休のお茶が生まれたのは、下剋上の時代、戦国時代です。わびのお茶、心のお茶を

必要としたのでしょう。この時代に入ってきた、キリスト教の賢い宣教師たちも、生きて

いく上での智恵を求めて戦国武将達が群れをなして学んでいる利休のお茶の周辺に

入りこんで、お茶を深く理解しながら布教して多くの信者を獲得して行きました。

利休の弟子の中からも、高山右近、古田織部、細川ガラシャ、息子の道安など茶道と

キリスト教に即した生活を送った人たちがたくさんいました。利休自身もキリスト教に深く

影響を受けたと思います。どちらがどちらに影響したのかは知りませんがカソリックのミサの

際の器を清める所作と茶道の袱紗さばきは非常に似ています。

利休が天下一の武将である信長、秀吉の茶頭として活躍した時代がお茶の黄金時代

であり、またこの時代がキリスト教布教の黄金時代であったと思います。

心の救いを、生きたお茶を求めた時代でした。戦国時代の人々がお茶に求めた心と

今現代の人々が真のお茶に求めている心が重なります。あれだけ真剣に命を賭けて

生きていた戦国の武将達が求めたお茶、彼らの求めに応じる事が出来たお茶、

だれの心をも、生き生きとしたこころ、清々しいこころで迎えられるお茶がこれから

望まれる日本のお茶なのでしょう。

 

3)茶の古典, 私の先生方

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お茶は利休(1522−1591)の時代からでも,500年近い歴史があり、数知れない

人々が愛した文化です。多くの人がお茶についての心得や書物を書き残しています。

その中から数点挙げてみます。

みなさんがお茶と耳にして心に思い描くのは、このようなお茶なのではと思います。

 

* 利休(1522−1591)の四規七則

(和敬清寂、茶は美味しく、炭は湯の沸くように、冬は暖かく、夏は涼しく、花は野に

あるように、時は早めに,降らずとも雨具の用意、相客に心せよ)

利休百首(茶の湯とは梅寒菊に黄ばみ落ち青竹枯れ木暁の霜 等)

  新渡戸稲造(1862−1933)は、武士道(1900年に英文でアメリカで出版)

の中で次のように述べています。

<序文>で私自身の中の善悪や正不正の観念を私自身のなかに吹き込んだ物は

、実に武士道であった。

<第6章 礼儀> において茶の湯の第一義は心の平静と感情の明澄(めいちょう、

曇りなく澄み渡ること)立ち居振る舞いの静穏(せいおん、しずかでおだやかなこと)

であって、それは正しい思索と感情を生み出す第一の要件である。茶の湯の道は

礼法以上のもので、芸術であり、律動的な動作をリズムとする詩である。

  岡倉天心(T862−1913)は茶の本(1906年に英文でアメリカで出版)の中で次のように

述べています。

茶道は日常生活の中に存在する美しいものを崇拝するに基づく一種の儀式であって、

純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序の浪漫主義を諄々と教えるものである。

  久松真一(T889−1980)は茶の精神(1948年アテネ文庫1)で茶道文化の性格として

7つを挙げています。T)不均斉 2)枯高 3)自然 4)簡素 5)幽玄 6)脱俗 7)静寂。

この7つを統一した本質的に一なるものは「無」であり、「無」こそが日本茶道文化を作り

上げた創造的根源であるといっています。

どの本も古典として愛され続けています。私もこれらの本を茶道の指針としてきました。

 

「15歳になったばかりの春 何の先入観もお茶の経験も持たずに、用意万端整った茶室で

お茶を習うべく先生を待っていました。部屋の端正な美しいたたずまいに息を飲み、部屋の

中で背筋を伸ばして正坐をして、床の間の雰囲気、釜のなり、点前道具の配置、大きさを

静かにに眺めていました」これが私の最初の茶道との出会いでした。かなり的確に茶道の

なにかを感じました。それから、1,2年後16,7歳のころ濃茶点前で、さあ、これからと

呼吸を整えたとき、先生はつぶやくように「お茶は遊びではありません、命がけです」

恐らくご自分におっしゃったと思うのですが、其のお言葉に思わず目を上げ先生の目を

見つめました。「お茶とはそういう心なのか」と先生のお茶のこころを受け止めました。

 

35,6歳のころ、息子が剣道を習っている時、湘南地区剣道大会で逗子の剣道の先生が

茶道と剣道について、 「茶道の静がわからなければ、剣道の動もわかりません。

学問がなければ、日本の歴史もわかりません、歴史の裏付けのない剣道、茶道は唯の

棒振り、茶筅振りにすぎません。剣道の間合いとお茶のこころの間合い。しかしお茶は

遊びだと思う遊びを忘れたら嘘だと思う」と言われたお言葉。この先生に、稲村ケ崎の

日本一の剣道の先生を紹介していただき息子、娘と一緒に10年間、大先生が亡くなら

れるまで剣道を習いました。先生の「随所に主となれ、自分が主となる、相手を飲んで

しまうこの精神です。体を動かすこと、これが主となる自分の発見になります」のお言葉は、

お茶にそのままあてはまります。掃除をやる、やりつくす、点前をしつくす、心をつくしきる。

「常に死ぬ気でやる。真剣勝負を念頭におく」お茶の一期一会の心です。剣道と茶道、

動と静、剣道は相手を殺し、お茶は相手を生かし切ります。

「人格陶冶、人間形成を本領とし由緒ある日本民族の伝統文化に根差した(真の日本人)

たる修道を」のお言葉と剣道三段を頂きました。茶道にも当てはめて参りました。

 

35歳から60歳まで指導した幼稚園のお茶でお世話になった先生の美しい巻紙の手紙に、

「学ぶとは心に誠実を刻むこと、教えるとは共に希望を語ること」

「貴方のすばらしい知識に光をあてて智恵に変えて下さい」のお導き。数々の贈り物。

これらの先生方のお心を核に茶道を学び続けてまいりました。

 

4)疎開の思い出

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私が小学1年生の時終戦でした。5歳の夏から9歳の夏までの丸4年間を雪国の新潟の

父の実家に疎開しました。ガス、水道のあった都会での生活から、かまどで薪を焚いて

食事の支度をし、水を10m程はなれた井戸から汲んでくる生活になりました。

 

30数年間都会で暮らした母にとっては大変だったと思います.かまどに薪をくべながら

出てくる煙にかこつけて、涙を流し手でその涙をぬぐっている姿を何度も目にしました。

美味しい野イチゴを4,5粒ですが採ってきて、お皿に載せてそっと渡したことも憶えて

います。何も言わずに黙って口に入れていました。後年、姉と「思い出探しをしましょう」

と言って疎開した家の周りを旅した時、母を誘いましたが行きたがりませんでした。

しかし、この4年間の田舎での生活の中に私のお茶の原点があると思っています。

 

疎開した日、よそいきの洋服を着せられて乗った上野から新潟までの汽車の中の様子、

夜汽車の寝にくかったこと、出迎えのリヤカーに乗って、親戚の家までのなだらかに曲がっ

ている田舎道を通りながら見た真夏の太陽、青い空、白い雲、木々の葉、木漏れ日が美し

かったこと、プレゼントされた酸漿が、思わず頬ずりをしたほど素敵だったことなど良く

憶えています

田舎の家の造りを眺め、梁のすごさ、板の間の黒光り、畳はお座敷だけで、残りの部屋は

板の間、敷居が5センチ程高いので躓いてばかりいました。

食事は一人ひとり足の付いた御膳で食べていました。食後はお茶で器を洗いお箸もめいめ

いがぬぐい、それらを御膳に置いて自分の御膳の場所に返していました。

その時はアラ、変わった事をすると思ったのですが、今思えばお寺の食事の方法でした。

後日、茶事の際、懐石の折敷を見たとき、疎開した折に田舎の人々が使用していた御膳を

思い出しました。最後の扱いもそっくりでした。

 

落ち着いて4年間暮した家は,味噌作り小屋を改造した家で、台所には大豆を煮た直径1m

以上の大きな釜があり、味噌玉を並べて置いたという天井裏は人が立って歩ける程の高さ

でした。味噌小屋での生活が懐かしいのか、20年程前からお味噌を毎年作っています。

1年12ケ月、日本の気候の中で、麹のおかげで大変美味しいお味噌が出来上がります。

冬の寒さ,梅雨時の注意、真夏の切り返し、10、11月に素晴らしい味になります。

お茶では、10月は名残りの月、11月は開炉の月です。子供も大人も落ち着いて物事に

ジックリ取り組めて、成果があがる秋です。12月の贈り物用にたくさん作るフルーツ

ケーキの元になるミンスミートも10月初めに漬け込み毎日かき混ぜて美味しいく醗酵さ

せます。幼年期を過ごした田舎の本当に美しい、秋の山々、畑、野原の景色が、数々の

仕事やお茶の行事と重なります。

田舎で住んでいた家の南側には田んぼが広がっていました。雪でかまくらを作って遊んだ

冬の田、田植え、その後の田の表情、「青田風」という銘の茶杓を使用する度に思い出す

のは、疎開先の家から眺めた風に波打つ青い美しい田んぼの景色です。

稲刈り、冬支度、ある日の雪空を見て、おばさんがしみじみと「これは根雪になるね」と

言っていた姿は忘れられません。雪雪雪にスッポリ覆われる4ケ月間程の雪降りの始まり

でした。

裸足で野山を駆け回り、田んぼのあぜ道を、畑の中を歩きながら、稲や、色々な野菜の育

つ姿、様子を体中で感じていました。春まだ浅いころ家の前の山の南斜面に咲いていた山

桜の美しさに思わず匂いをきき、その美しさを見つめていました。「敷島の大和心を人問わ

ば朝日に匂う山桜花」の歌を目にするたびに眼に浮かぶ桜はこの時の山桜です。

農薬のまだない、誘蛾灯が美しくともる田んぼ、ホタルの飛び交う小川や水路がある美し

い日本の田舎の景色、お茶そのものの自然の中で5、6、7,8歳、心が出来上がる時期

を過ごしました。

今狭い庭ですが、茶花に使えるように花を植え、懐石料理の青味にと畑を作って、小松菜、

ホウレンソウ、春菊,菜花を育てています。現在、かま、鍬が使え、畑をそれなりの形に

出来るのも、田舎の生活の経験があったればこそと思っています。

薪も、炭も、火鉢も、囲炉裏も日常の生活の中にありました。犬も、猫も、鶏も、ウサギ

も飼っていました。したがってそれらに付随している仕事、たきぎ拾い、薪割り、炭切り、

火鉢、囲炉裏の掃除も「上手」と誉められながら手伝っていました。

今、お茶の炭を準備するとき、風炉、炉の灰の始末をする時には、この田舎時代、戦後の

数年間、東京に戻って来てからも、石油ストーブ、ガスストーブが出まわるまで、炭を切

り、灰の始末等を日常の仕事として行っていたことを思い出します。

動物も食べる為に飼っていました。鶏もうさぎもチャンと餌を採ってきて、鶏には刻んで

糠を混ぜ、ウサギにはウサギの好きな草を採ってきて、水分をぬぐい食べやすくして

与えていました。なぜか大部分私の仕事になっていました。飼っていた鶏も、うさぎも母

が、見よう見まねで殺して肉は食べ、皮は座布団がわりに長いこと使用していました。

幼かったので「猫の手よりはまし」程度の手伝いでしょうが、精一杯手伝っていました。

農作業を4年間身近に見れたこと、春の雪解けとともに始まる一連の農作業、種まき、

田植え、草取り、稲刈り、冬支度、等を遠くから、近くから眺めていました。

 

春、山山の木々が芽吹く前「やまいさん」と言ってその山を境にしている両側の村の小学

校高学年の子供達がワーワー喧嘩をしながら駆けずり回る行事がありました。

「あー 山が目を覚ますのだわ」と思いました。

 

冬、藁小屋では、おじいさんが、藁に囲まれ暖かそうに、木槌で藁をうち、縄をない、

草履を作っていました。そばに行ってやりたそうな顔をしていたのでしょう、草履の作方を

教えてくれました。私たちのために小さい藁靴を作ってもくれました。翌朝、2歳下の弟

と二人で出来たての暖かい、軽い藁靴をはいて、嬉しくて雪の上を跳びはね、走り廻った

たことも懐かしい思い出です。

このおじいさんは朝夕の6時に、仏間(私たちの家のすぐ前にありました)で60分間

お経(観音経)を上げていました。あたたかい午後には小さな焚火をして、ニンニクを焼

き美味しそうにホクホクと食べていました。「食べるか?」と言われ、首を横に振ったこと

も思い出します。

祖父は疎開した2年目に亡くなり、翌年の新盆の盆提灯が非常に美しかった事が目に焼き

付いています。

秋、おばさんが、小豆畑で、ひとつのさやに入っている小豆の粒を数えて「今年は良くで

きた」と言って嬉しそうにしている姿を見たり、稲の実るころ一本の稲のもみの数を数え、

一喜一憂しているのを眺めていました。サツマイモ畑では小さいサツマイモを抜いて手

で擦って食べさせてくれました。なす畑ではもぎ立てを沢山「食べてごらん」と言って、

口の周りが紫色になるまで食べさせてもくれました。

 

小学2年生の夏に生まれた妹の子守も、学校から帰ったらランドセルの代わりに赤ちゃん

である妹が背中にのるほど良くいたしました。子守をしながら見た夏の草取りの大変そう

な姿、其の田んぼにいたカエル、こう骨の黄色い可愛い花、なつかしいです。

私は5人兄弟の上から2人目、2歳半上の姉、私、2歳下の弟,5歳下の弟、そして7歳下

の妹です。下の弟は疎開した時はまだお誕生前で、5歳の私にでも「おつむてんてんして

ごらん」というと本当にしてくれ、なんて素直で可愛いいんだろうと思いました。

 赤ちゃんや小さい子は、嫌なら嫌、泣きたいときはギャーギャー泣いて正直です。

下の弟は男の子なのに赤い靴下が大好きで取り替えるのが大変でした。

珠光は「正直で、つつましく、おごらぬさまをわびいう」と言っています。

こどもは、「わび」そのものです。弟、妹の世話、子守をしながら、赤ちゃんの可愛さ、

こどもの心と気持が、私の中にしっかり入りました。

 田舎の生活、厳しいが暖かい自然と人の心、日本の自然の中で物を育てながら生活する。

春、夏、秋、冬、季節に従って仕事を順序良くこなしていくお茶そのものの生活した。

 

5)お茶教室の風景

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お茶は、子供から大人、老人まであらゆる年代の人が楽しめる、生活していくうえで必要な、

飲む、食べる、挨拶をする文化、合理的に身の回りを整理整頓し、飾る文化です。

 

2009年11月の親子お茶教室の感想

 

*毎回題名にあわせていろいろと飾りが置いてあるのですごいと思った。

 銅鑼の合図で入ってくるのが面白かった。

 お茶にはいろいろな道具があってすごいと思った。(小3男子)

*毎回のお花がきれい。 この部屋(小間)は、静かでいろんな音が聞こえる。

 飾ってある物が可愛い。(小4女子)

*毎月とても楽しみにしています。 最初の話も知らないことが多く勉強になります。

 先生の話も楽しく、1時間半がアッと言う間に感じます。

 お茶の一つ一つの動作がとても好きです。また お部屋の飾りも楽しみにしています。

*日々忙しくしている中で、月1回のお茶の時間は、私にとって非日常の空間の中での

大切な時間です。 先生の興味深い話と季節の移り変わり、手作りのおいしい和菓子、

そしてお茶の作法、どれも心が穏やかに静かになり、この時間が終わるとまた明日から

がんばろうと清々しい気持ちになります。 娘と一緒に過ごす時間を大切にしたいです。

 

幼稚園のお茶の指導25年(T974−1999年、35―60歳)、自宅での親子茶道教室11年目

(T999−2010年、60―70歳)、平塚、鎌倉の公民館でのチビッ子お茶教室・

サタデープランお茶教室(1994−2003年の10年間で35回)で子供とお茶で関わってきました。

子供の心は、いわゆる「お茶がある」と思っています。子供は一生懸命生きています。

準備万端用意されたお茶の空間で暖かく迎えてこころを遊ばせてあげたいです。

 

「人生に必要な事は全て幼稚園の砂場で学ぶ」というような詩がありますが、

子供のお茶もその通りです。それぞれの記録ならびに思いは下記の本等に述べました。  

1)“美しい日本の心・幼き日のお茶12月”(1983) 

2)“花葉書・ある一つのお茶の記録”(2001)

3)ホームページの“子供と茶道・雑誌ぺるそーなの連載”(2007−2009

 

普通の稽古の感想

*月1回の稽古ですが、この時間の静寂と心を素直にして習うことが喜びです。

*お茶で、心の悩みや葛藤に向き合うために必要な清々しい気持ちになれます。

*「お先に」「どうぞ」「いただきます」「ごちそうさまでした」という言葉、箸の扱い方、

左手を添える動作は美しい所作です。幼児期に身に付けたものは成人後も忘れないで

自然な姿として表れて来ます。幼児教育の中でこれらを伝えたいです。

*久しぶりに炭手前をさせていただきました。ちょうど利休七則を作品にしていたところで、

中に炭は湯の沸くようにとあり、なんと当たり前のことが書いてあるのだろうと思って

いましたが, 今日の炭がおこらなかった事を思い、大切な一点なのだと思いました。

*気ぜわしい中の一時、立ち昇るやわらかな湯気を美しいと思いました。花,香、炭とお茶

いつも通り和やかに進みました。炉の火と釣り釜の湯気、正しいお茶の稽古でした。

*稽古中の先生のお言葉、「自分を空にする、無になるから全ての事柄が入ってくる」は

私のテーマの一つです。今日の軸「美しいと思う心が美しい」も大切にします。

*葉蓋を始末した時の葉の香り、お茶ならではの世界です。

*今年最後(2009年12月11日)の稽古,仙遊の式も素晴らしい世界でした。

志野袋の扱い、なんと美しく、合理的なのでしょう、絹糸の確かさ、美しさ、身辺に多くの

物は必要ないのです。美しい確かな道具を大事に長く使用したいです。

季節に応じた道具、点前の工夫、先人たちの知恵がすごいと思いました。日本の知恵、

文化を残して行くにはどうすればよいのかを考えさせられます。何もかもが便利になって

しまった生活なのでちょっと前の日本の生活をしてみようと思っています。

 

真剣に生きている、人のために毎日を送っている方にこそお茶が必要、お茶を一服差し

上げたいと思います。そのような方こそ、お茶のこころを本当に理解できると思っています。

 

6)茶事の風景

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最高の茶事である口切の茶事は、茶壺に詰められたその年採れたお茶を茶壺の封を

切って初めて使用して行う茶事です。利休でさえ初めて口切の茶事の正客に招待された

際、時間をもらって得度して臨んだ程の茶事です。

縁があって2005年の11月に、ある口切りの茶事に招かれ、正客をさせて頂きました。

翌年2006年の11月に、次のような文面で招待状を出して実施しました。

 

 “昨年(2005年)口切の茶事に招かれました。私のお茶を楽しんで下さっている方々にも

経験して頂き、それぞれが主人公になり、生き生きした一会ができればと思い次の通り

口切の茶事を行います。その人らしいおもてなしができればよいと思い続けて40年あまり、

数えきれない程の茶事を行って参りました。

「こんな素敵な口切の茶事があったのだわ」と思えるような一期一会を、皆様と学び

合えますことをいのっています。”

2006年、7年、8年、9年の4年間 2日づつ行いました。2日間実施して亭主と正客は

1日目と2日目入れ替わります。他の客は都合のよい方に出席していただきました。

 

口切の茶事(2009年11月7日、8日)の礼状から

 

*幼年期をアメリカで過ごし、7,8歳のころからお茶を習われ、現在25歳の女性

「――無事亭主と正客を勤める事ができました。初日、亭主の自分がお客様にいかに、

支えられているかを思いました。イメージしているようには体が動かず、言葉も拙くなり、

沈黙の雰囲気に焦る一方でしたが、初炭の後空気が明るくなるのを感じました。

お客様が私を和ませて下さり、最後はただ楽しくお茶を点ててさしあげることができました。

2日目の正客役では、前日の亭主の体験で余裕もあり、ぬれたお釜やお花が乾いていく

姿に、「焦らなくても時間はながれるよ、自然にゆったりと過ごしなさい。どんな姿でも

あなたはあなたよ」と励まされている気がしました。人だけでなく物までが語りかけて

くれました。2日間にわたり2役を務めて、茶事では皆が主人公であり、それぞれが

それぞれを気遣い、美しい空間をつくりあげていることが分かりました。

皆で一つの茶碗でお茶を飲むという日本の文化に改めて感動いたしました。――」

 

*お茶を習い始めて5年程の、31,2歳の方

 「――薄暗さの広間から,明るい小間まで、程良い緊張感と、ゆるりとした開放感が同時に

存在していました。点前や流れはほぼ決まっているにもかかわらず、これほどまでに、

個性が表れる場であることに改めて驚き、感銘を受けました。数年前に若者の間で

「自分探し」が流行りましたが、わざわざ探すまでも無く、今、ここに、存在するそのものが

個性なのだと思いました。――日ごろ使っている言葉の真の意味が理解できたのは、

お茶を通して日々の生活の大切さを実感するようになってからと思います。

精神の栄養です。

また、2年前に亭主,正客をさせていただいた時のことを思い出し、まさに茶杓の銘の

「一二三」と思いました。立ち返る場所がある事はすばらしいです。」

 

*お茶を習い始めて、半年ほどの30歳前後の方

「―――初めて茶事に参加して興味深かったのが,さまざまな音でした。亭主の畳の

上をすり足で歩く音、お湯の沸く音、柄杓からお湯、水を茶碗、釜に注ぐ音、茶杓を

打つ音など静かな中で、心地よい音があふれていました。――懐石を頂く部屋は暗めに、

お茶をのむ小間は明るく、等の心遣いに暖かな気持ちになりました。お茶は道具だけ

でなく、音や光、布巾で拭いた後の水跡が釜の表面で一瞬に乾いていく様子を楽しむ

など、その場にいないと経験出来ないことが多く奥深く繊細な芸術であると実感しました。」 

「また、昔通りの道具を使ってお茶を行うという行為自体が伝えられていることに意味が

あると思い、自分が過去の人と同じ行為を行い感じる中で何か一つの物を追求しようとした

昔の人々の心が感じとれればいいなと思っています。」

 

*学生のころよりお茶を習い、30年近くお茶に通っておられる50代半ばの方

「昨今日本人の生き方が変わり、経済中心、お金中心、評価中心になりました。

社会情勢が変化し、生活が欧米化され、日本家屋は消え、同時に家族や家制度が

変化し、一人世帯が当たり前になりました。日本人がつい数十年前まで持っていた

美徳、謙虚さ、良い意味での自律心までも失ったと思います。

それで「武士道」がクローズアップされたり、武道を学校に取り入れたりするのでしょうか、

――今の我々は何を軸にして生きていくのか、全くわからない日本人になりました。

価値観も多様化し、軸を自分で見つける必要があり迷いが多く孤独になっています。

昔の人が毎朝経を読む、毎日決った大変な仕事を行う生活を送る、それが軸でした。

現代でいえば、音楽家が毎日指や声を訓練したり,スポーツマンが毎日辛い基本動作を

繰り返すのは、怠けると自分の軸がずれてしまうことを防止する為です。

私たち普通の人が、今、自分の軸を見つけるのは容易なことではありません。

特に現代の社会で評価される価値観と逆の領域で培わなければなりません。」

 

*ヨガ歴40年近く独自の指導方法で指導しておられ、お茶にいらして4,5年になる方。

「平川茶道に出会い学んでいること」 

一、座る文化と身体構造  

二、箸を持つ文化と食と心 

三、嗜み、嗜むことにより窘める人間性の復活 

と思わず、今の私には不釣り合いの項目が心に浮かびました。

 

7)終わりに

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15歳のときにお茶に出会い、56年間、ここに日本文化の全てがあると感じ、楽しみ、

学び続け、行い続けてまいりました。

今、家元制度下のお茶だけが見立ちますが、個人が目覚めた主体性を持ち、自由を

もとめて、独立した行動がとれる人が大勢お茶を愛し生活の中に取り入れて楽しめば、

風通しのよい清々しいお茶が光輝くでしょう。しっかり生き、一人一人、その内面と生活が

確立していれば、老若男女を問わず「お茶」を自分の中に取り入れて、生活を豊かに美しく、

より良く楽しめると確信しています。

西山松之助が、家元制度の研究の中で指摘しているように、「権威、肩書に弱い日本人の

体質が世界に類のない家元制度を支えている要素でもある」このような面もあります。

家元のお茶も、何にもとらわれない自由なお茶もあってよい、あるからこそなお良いので

しょう。お茶の正直で美しい、優しい素直な心をだれもが求めています。

この心がある限り、人は生かされ生き続ける事ができます。

 

「世界の中の日本人」、を育成する為に以前、臨教審が日本の歴史、伝統、文化を

大切にし、日本を愛する心をはぐくむ教育を提案していました。当時よりさらに社会や

家庭から日本らしさが失われて行く現在、日本文化の粋である茶道の心を子供達、

生徒たち、学生たちに相応しく生かして、周りの人達に快い感じをあたえるような、

世界中の人達からも、人間として尊敬される人間に成長してほしいと願っています。

月一回でも、年に1,2回でもキチンと全校生徒が茶道を学校に通っている間に

必須科目として習い、生きていくために必要な心遣いを身に付けてほしいと思います。

若い時に身に付けた習慣は一生の素晴らしい躾、宝物です。

ある女子高校の卒業の記念に立派なホテルでフランス料理のフルコースをいただきながら

テーブルマナーを学ぶという行事がありました。フランス料理も素敵です。これに加えて

「茶事」のフルコースの学習もあったら、もっと素晴らしいのにと思った事がありました。

優しさと温かさのある動作を伴った的確で美しい言葉、挨拶。 

日本の正しい箸の上げ下ろし、お椀の扱い方、ぬりもの(japan)のあつかい方も、

若い内に身につけておいてほしい作法です。

 

私の信じるお茶を、自らの独立した文化創造を、お茶活動(素敵なお茶教室)を多くの

人々の理解と応援を得て、実践して参りました。

これからも、この世に生きている限りお茶を通して役に立つ人間でありたい、

愛され可愛がられる人間でありたいと願っています。皆さまと一緒にほほ笑みながら、

優しい暖かいこころを共有しながら過ごしたいと思っています。 

皆さまよろしくお願いいたします。 

ご清聴有難うございました。

 

 第2部

雑感(2004年から2009年までの小さな意見)

 

 15歳のお茶との出会いから

私は15歳になったばかりの春お茶に出会いました。この中に日本文化の全てがあると

直感しました。それからそう時間をおかずに岡倉天心の「茶の本」を読みました。

「茶の本」で始まった私のお茶も50年たち、素敵な小間、平成の「待庵」を授かりました。

平成の「待庵」で素晴しい出会いを積み重ねて、私のお茶人生を最後まで豊かに、楽しく、

美しく、優しく、この「風と樹と光の庵」のように素敵に「お茶」「お客様のもてなし」をして

参りたいと思っています。どうぞ皆様宜しくお付き合いくださいませ。(20043.16)

 

70歳になった今、小間「風と樹と光の庵」物語の項を読み返して、本当に幸せな5年間

でした。2009630日、71日の茶会「Yale 大学」の項で述べましたように来庵者

の数も1000人になりました。これからはご縁のある方々の成長を願い、役にたつ人間で

ありたいと思っています。(2009820)

 

懐紙について

お茶の稽古に必ず持参する主にお菓子をいただく時に使用する14cm x 17cmを二つ折りして

30枚一帖の丈夫な和紙です。懐紙を10枚ほど常時持参していれば大変役に立ちます。

何かをいただかなければならない時のお皿の役目、包む、物を書く、しおりなどに。

使用後は惜しげなく捨てられます。お茶の時だけでなくもっとみんなに活用してほしい

日本の文化の一つです。(2004318)

 

にじり口について

朝鮮民家起源説でも船の入り口説でもなく、利休がある時ある所でお茶を行っていたとき

御簾か何かで、出入り口が90センチ平方くらいになった時、その空間からの、外、内への

眺めがドキッとするほど素晴しいと感じたのではと思っています。

90センチ平方が6070センチ平方になるのは簡単です。実際にじり口からの入るとき、

出る時の眺め、動作、空気の流れの変化はスゴイです。

茶事最後の客が外で、亭主がにじり口の傍での両者の目線のしっかり合う黙礼は、

こんな素敵なお辞儀の場面の設定は世界中どこを探してもないでしょう。

利休の、日本の、お茶の何もかものバランス感覚は素晴らしいい文化です。(2004316)

 

「利休 茶室の謎」 瀬地山澪子 創元社  を著者の友人から頂き読みました。

しっかり調べられ一心に書かれた思いに頭が下がりました。これも事実でしょう、

と思いました。起源がどのようであれ、にじり口の茶事の中でのこの効用、感覚, 意味、

.は凄いです。黒澤明 監督の映画「椿三十朗」の中で、にじり口と小間の趣向が

大変効果的に使われていました。

にじり口は誰でも色々な意味で興味を引く出入り口なのです。(2006825)

 

茶席箸(利休箸)

20代後半、茶事で初めて杉の柾目の美しい利休箸を使用しました。この美しさ、使いよさ、

この箸のデザイン、創意工夫だけでも、目の確かさ、感覚の非凡さ、人に対する優しさ、

利休は天才です。(2004316)

 

利休の「待庵」、天心の「茶の本」

この二つの珠玉の作品は、種々な意味で全てに恵まれたものを持っていた(才能、体力、気力、

感性、経済力、文化的蓄積のある環境、時代の大きな変わり目に生きた、最先端の文物を享受

出来る身分であった)、利休と天心の心の奥底にあった稀なる天才、光り輝く魂が天の機、

時の利を得、期が熟した時に、それぞれ異質の素晴しい人物、利休は秀吉に、天心は

ガードナー夫人に運命的な出会いをして生まれました。

利休は茶のわかる秀吉のために侘茶が完璧に出来る空間である珠玉の作品「待庵」を、

天心は愛するガードナー夫人に自国日本の素晴しい文化、日本文化のエッセンスである茶の

こころを異国の地でそれも異国の言葉「英語」で「茶の本」を著しました。

全ての人の心を打つ、人をひきつけてやまない作品は愛のめぐみを得て初めて生まれると

私は信じているのですが、この「待庵」と「茶の本」も素晴しい愛、こころの出会い、

融合、結晶として生まれたと思っています。(2004316)

 

一期一会 68歳の今(2007928) そしてその後(2009820)

[風と樹と光の庵]でお茶を飲んでくださった方々の数が、700人を超えました。 

茶事でのお客様が1000人になるまで楽しんでみようと主人の母を最初のお客様で始めました。

小間を使い始めてまる4年、茶事でのお客様は400人近くになりました。

多くの方に座っていただき、楽しい素敵な時間をともに味わって参りました。

母の死(2007719)と月刊誌「ぺるそな」への「子供と茶道」の連載(20076から)

これからは私のお茶の総纏めをしてまいります。 これからも宜しくお願いします。

 

「子供と茶道」:「ぺるそな」への連載(2007620094)、「木版花葉書」:第30回国際扇面展

への招待 (200932644)、「英語茶道」のトップ頁のかきつばた、赤目柳、えのころ草,

つゆ草の扇参照。トーストマスターズの英語スピーチ大会での基調演説(2009412)

「子供と茶道」序の日本文、「英語茶道」の英語文参照。Yale大学、東京大学の卒業生を迎えて

の茶会(200963071)、「Yale 大学」を参照。いろいろ総纏めをする機会に恵まれました。

これからは、「子供と茶道」の英語訳と60テーマの絵本作りに努めます。(2009820)

 

エジプト古代美術展と茶道(tea ceremony

エジプトの美術展(ドイツ・ヒルデスハイム博物館蔵、フランス・ルーブル美術館蔵)の2つの

エジプト展をみました。20年近く前に見たイギリスの大英博物館でのロゼッタ・ストーンを

はじめとする多くのエジプト芸術品を思い出しました。14年前には、エジプトに観光旅行に行き、

アブシンベル神殿のもの凄さに驚き,その量、質、時間、哲学、神学、諸々の文化に

カルチュアー・ショックを感じました。5000年という長い時間の間、耐えることなく芸術の心を

注ぎ込んで美しい緊張感を持ちつつ豊かな内容を注ぎ込んでミイラをはじめその他全ての分野に

馥郁とした芸術品を作り続けました。美しく完璧に形式化された作品の数々。ヒエログリフの文字に

してしかり、ピラミッド、カルツーシュしかり、一目でエジプト芸術と分ります。

この美しい形式、決め事に茶道の450年以上続いた諸々の決め事,茶事〔tea ceremony〕を思い合

わせました。美しい完璧な様式の美しさです。(2005・8・12)

 

鎌倉のお茶空間

茶事を行うために建てた家です。

玄関      「随意」の額とともに(待合(居間の時も)香煎で一期一会の茶事の始まり)

東の庭    11年間柴犬が遊び戯れた庭、レンガのヴェランダにはミロのビーナスの像と

頭部の像が花に囲まれて35年間この庭を見続けています。

広間8畳茶室  一間の床の間のついた35年間お茶の稽古、茶事で多くの人とともに楽しい

時を過ごしたお茶の部屋です。初座・懐石を頂く部屋として使用しています。

水屋・広縁  5畳の南庭に面したこの広縁は私の仕事場です。一番長く時を過ごしている

場所です。茶事の時は水屋として大活躍です。

西の庭    玄関を出て左に進みますと9坪強の和風の庭、蹲、2畳の石畳、陶器の

テーブルとスツール4個、後入りを待つ間の中立ち用の庭です。

小間2畳台目茶室  茶道に出会って50年目に天よりの贈り物の素敵な茶室です。

にじり口から正面に見る床、私の手元にある数々の道具がこの小間に

ぴたりと似合って収まります。お茶を飲み終えてにじり口を介しての

主客の黙礼、世界一美しい送り礼で茶事は終わります。玄関に戻り

帰路に着きます。門を出て曲がり角まで見送り、私の鎌倉の家での

一会のおわりです。

茶事で一番気にいっている事

私が茶事で一番気に入っている事は最大4時間の中に主客が全てを出し合い人間として

の真の向上と安らぎ:和敬清寂を得ようとする場である事です。全てがスケジュールされ

終わりの時間が決っている点です。その中にこそ自由と安心があります。このおもてなし

茶事にこそ、お茶の本質があると思っている人間です。

お茶の服装について和服が一番無難でしょうが、その場にふさわしい礼を失しない装いで

あればパンタロン・スーツでもワンピースでもスーツでも良いと思っています。(2006・8・24)

しかし様式、決め事と心の落ち着きは大きなテーマです。

 

門仲のお茶空間

玄関     普通のマンションの玄関です。左の部屋(待合に使用することも)

洗面所    荷物置き場、コート置き場にして入室の準備をします。

お茶空間  廊下突き当たりの台所、7.5畳と6畳でお茶をしています。

水屋     台所をカーテンで仕切り2畳の立ち水屋として便利に使用しています。

立礼の部屋 黒テーブルの上に風呂釜、工夫したイタリア製の皆具(水指し、ひしゃく

立て、建水蓋置き)をセットして。壁の前に黒テーブルを置き、立礼用の

床の間、壁に軸を飾り、黒テーブルの上に花を、釜敷きの上に香合を載せ、

テーマに合った道具を飾ります。

点前の座   ヴェランダに面した6畳には畳1畳を置いて風呂釜、炉の季節には置炉

         で座って点前をします。客は座っても、カウチに腰掛けてもよいです。         

ヴェランダ  小さめの蹲が置かれ、鋳物製のテーブルと椅子2脚が置かれています。

 

畳を敷き詰めた部屋がなくても、足の不自由な方でも工夫次第で楽しくお茶が楽しめます。

送り礼は門の所で心を込めて行い、茶事の時はエレベーターのところまではお見送り

します。場合によってはマンションの玄関まで、駅までと臨機応変に行っています。

 

門仲の茶道空間の一つの感想

     七事随身、門仲にポット暖かい一隅あり。心づくしのお茶室にてのお稽古を有難う

ございました。心に残る4文字と共に懐に収めて温かく軽やかにな帰り道でした。

 

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