天文せんとや生まれけむ

1。むかしむかしあるところに

 「大きくなったら天文学者になりたい」と思う少年がいました。七夕の短冊に「天 文学者になりたい」と書いたり、作文にも「天文学者になりたい」と書いたり。しか し、その前途には、多くの苦難が待ちかまえていたのです。この少年のたどった道を まとめてみると…。 (お暇な方はどうぞ)  

2。天文学を専攻するまで 「2浪、進振り失敗、院試不合格」

 はたから見てると、苦労続きに見えます。でも、まあ、これくらいの経験をしてい る研究者は実はいくらでもいます。中学時代に、受験雑誌で天文学のできる大学とい うのを調べて見ると、いわゆる天文学科のような形で存在していたのは、東大・京大 ・東北大の3つだけ。結果的に、このすべての大学を受ける羽目になりました。現役 受験時は東北大を受験しましたが、見事不合格。そして、一浪時には、東大を受験、 やはり失敗。二浪時には、国公立大学を二つ受けられたので、東大と京大を受験しま した。京大は落ちましたが、東大にはなんとか合格し、晴れて東大入学とあいなりま した。
 問題は、東大特有の進学制度、「進振り」です。東大入学後1年半の教養の成績次 第で、進学先が決まるというもの。わたしは、もちろん「天文学科」が、第一志望で したが、私の成績では、天文学科に通らず、「進振り失敗」となりました。しかし、 幸いなことに、第二志望で書いていた、「教養学部基礎科学科第二」という学科に進 学することができました。この学科は、別名「システム科学科」と呼ばれ、地球環境 ・資源・エネルギーといった問題に取り組むために、物理・化学・生物・地球科学・ 数学・情報科学などを幅広く学びました。一見、天文学とは関係なさそうですが、構 成教官に、杉本大一郎氏(現・放送大学)や江里口良治氏もおり、卒業研究で天文に 関係したテーマを選ぶことができました。
 卒論では、なぜか「てんま」というX線天文衛星のデータを使った画像処理のプロ グラムを作りました。当時、東大駒場の研究室は、戎崎俊一氏(現・理化学研究所) 、奥村幸子氏(現・国立天文台野辺山)、牧野順一郎氏など若い助手のパワーにあふ れており、われわれ学生もいろいろな意味で大きな影響を受けました。卒論を進めて いるとき、奥村さんから、
「この研究を、今やってるのは世界で君だけなんだよ」
と言われたことが今でも印象に残っています。
 大学院進学時は、天文学教室に進もうと考えて、院試に臨みましたが、2次試験に まで残りながら、残念ながら、不合格。保険で受けて、別に合格していた教養の大学 院に進学しました。もっとも、学部の頃から天文学科の講義は、積極的に取っていた ので、そういう面では不便を感じませんでした。コロキウムにも、ときどき、出席し ていたので、私を天文学科の学生だと勘違いしていた院生もいたようです(単にずう ずうしいだけ、という話もある)。M1の途中までは、卒論の続きをやっていて、さ て、修論では何をやろうかと模索していたとき、転機がやってきました。
「矢治君、ようこうの観測データに触れてみないか」
 ちょうど、そのころ、太陽観測衛星「ようこう」が打ち上がったばかりで、すばら しい太陽のX線観測データが地上に送られていました。まだまだ解析をする学生が少 ないということもあって、「駒場に太陽の好きな学生がいる」ということから、私に 白羽の矢がたったのでしょう。太陽は本来取り組みたいテーマでしたが、天文学科の 院試に落ち、今いる研究室は理論系ということもあって、太陽の研究はできないもの と思ってました。もちろん、話が来た段階で、即OKの返事をしました。そして、「 ようこう」のデータを使って、宇宙研や国立天文台で太陽フレアの研究をすることに なりました。ちなみに、このときから、私がお世話になる小杉健郎氏、実は、天文学 科の院試で、私を落とした張本人だという話を人づてに聞いていますが、真偽のほど は定かではありません。ほんとだとしたら、まさに人生異なモノといった感じです。  博士課程は、総合研究大学院大学(以下、総研大)に進学して、国立天文台の大学 院生になりました。このとき、なぜか?日本学術振興会の特別研究員にも採用され、 経済的にも恵まれた環境となりました。総研大のセミナーにも積極的に参加し、いろ いろとはっきりした物言いをした結果、他の研究機関の院生から、「国立天文台にと んでもないやつがいる」と言われるようになってしまいました。これは別に私に限っ たことではなく、天文の世界の学生は、積極的な発言をするよう、日頃から指導され ていることからくることにあるのですが。
 D2からD3にかけては、天文天体物理若手の会の事務局長を、ひょんなことから 引き受けることになりました。「おいおい、他に適任者はいないのかよ」と思いまし たが、後輩の院生たちが「矢治さんしかいません」と言ってくれたので、引き受ける ことになりました。幸い、後輩の院生のサポートもあり、無事に1年の任期を終える ことができました。

3。太陽という天体の魅力

「太陽がやりたい」  わたしは、高校・大学時代のクラブ活動やサークル活動で、太陽黒点の観測をずっ と続けていました。ですから、天文学を専攻できたら、ぜひ、太陽の研究をしたいと 願っていました。もっとも、当時、太陽をやりたいという学生は非常に少なかったよ うです。学部時代に、「太陽をやりたい」というと、ある天文の先生から「非常に珍 しいね」と言われたりもしました。
 前の章でも触れましたが、太陽観測衛星「ようこう」に関わることになり、太陽フ レアの研究をすることになりました。「ようこう」は、わたしに研究の現場というも のをいろいろな形で教えてくれました。データ解析はもとより、衛星運用や研究交流 という点で刺激に満ちた研究生活を大学院生時代に送ることができました。科学衛星 のデザイン、たとえば、観測の時間分解能、空間分解能、エネルギー分解能といった ことは、意味もなく設定されたわけではなく、やりたいサイエンス(例えば、コロナ 加熱のメカニズム、フレア発生のメカニズムなどなど)があるために達成されてきた ことを知りました。また、宇宙科学研究所では多くの外国人研究者と議論をする機会 にも恵まれました。ほぼ毎日英語を話さないといけない環境にあり、英語に苦手な自 分は、非常に鍛えられました。
 太陽という天体の魅力は、私には、2つあげることができます。一つは、日々時々 刻々、変化が激しいところ。これは、黒点観測時代からの魅力でもありましたが、太 陽フレアのダイナミックな変化は、一層拍車をかけました。そして、もう一つの魅力 は、波長ごとに違った姿を見せてくれるところにあります。ようこうの観測データだ けでも、硬X線像と軟X線像では、異なった様相を見せます。さらに、電波観測でも 全く異なった姿となります。この波長ごとの太陽の姿の違いは私をわくわくさせるも のでした。博士課程に進んでからは、野辺山太陽電波観測所に頻繁に行くようになり、 このX線と電波観測による太陽フレアの比較が研究の中心となりました。
 余談ですが、「ようこう」搭載の硬X線望遠鏡は、「すだれコリメータ」の原理を 使っています。高校時代、NHK教育で、小田稔さんがX線天文学についてお話する 番組を見る機会がありました。そのとき「すだれコリメータ」というのが、なんども 登場して、日本が開発した独創的な観測装置だということを知り、興奮して見た記憶 があります。その「すだれコリメータ」を使った観測装置に関われて、非常に感動し ました。
 

4。公開天文台というところ

 私は、大学院の3年間の博士課程を終えたあと、かわべ天文公園という公開天文台 に就職しました。研究者の道を進まなかったのか、という話はあります。もちろん、 考えていました。しかし、これまでいろいろ太陽フレアの研究に携わってきましたが、 「今後、研究者として身をたてるのは非常に難しいだろう」という判断を指導教官か ら下されました。このあたりの経緯は、1996年の天文天体物理若手の会夏の学校での 「天文学と社会」分科会で、 「公共天文台への就職を考える」という講演で述べてい るので、集録の方を参照していただきたいと思います。 そうはいっても、天文学に関わってきた、自分の能力・経 験を活かしたかったし、あとで述べる天文教育普及の能力は、指導教官を含めて、い ろいろなところから評価されていました(と思う)。そこで、公開天文台や科学館といった天文 施設への就職を検討していたところ、和歌山に新しくできる公開天文台での公募が天 文月報に載りました。実家(大阪)に近いこともあり、応募し、採用されることにな りました。この辺の経緯も上の集録とホームページに載ってますので、参照されたし。  公開天文台の業務は、毎日が一般公開のようなものだと思ってくれて構いません。 かわべ天文公園の場合、毎日のプラネタリウム投影、週に4回の観望会、毎月の天文 教室。広報誌の発行。地元の教職員対象に研修を行ったりと、いろいろな仕事があり ます。(公開天文台の素敵なお仕事 参照)
 大変なのが行政側との折衝です。天文施設を作っておきながら、周辺の光害対策に 無頓着だったり、天文台そのものをライトアップしようなんて言い出す。文化教育施 設をうたっておきながら、教育側との連携には消極的で、金勘定ばかり気にする行政 側。これで、よく町民に受けいられる天文台にしろ、なんて言えるものです。このあ たりは、本当に悩みの種です。
 そうはいっても、大切なのは、地元とのつきあいです。地元の小学校や中学校にま めに顔を出して、先生たちといろいろの話をし、公民館活動にも図書購入の助言をし たり。また、地元の新聞社に記事を流したりして、天文への関心をひく努力もしてい ます。地元の情報誌紙にも、無償で毎週200字、天文関係の記事を書いています。  私は「教育」とは、個人個人の可能性を広げることだと思っています。人によって は、天文に関心を全く持たない人もいるでしょう。しかし、天文に接する機会を与え なければ、関心さえも持ちません。すぐに、成果が現れないかもしれません。私がよ く引き合いに出すのですが、「5年後、10年後に今のこどもたちが何を思うか」そ れを目指して、地道に天文普及を行って行くのが、公開天文台の務めだと思っていま す。

5。なんとかなるもの、研究活動

 とまあ、公開天文台の仕事は多忙を極めます。そのなかで、研究活動を続けていく のは、なかなか大変です。研究はもうやめて教育普及に専念したら、と思う人もいる でしょう。しかし、わたしはいまだに研究活動にこだわっています。一つには、いま だにあがっていない学位論文を仕上げるため、というのがありますが、なんと言って も、研究から得る知識が、天文教育普及の上の迫力を持つ、という持論があります。
 幸い、かわべ天文公園は、インターネット環境が充実しているので、最新論文は、 インターネットでチェックできます。おもしろそうな論文は、和歌山大で講師をして いる友人に頼んで、コピーして送ってもらっています。また、昨年末から、定常的に 太陽望遠鏡のデータを取り始めました。フレアなどのおもしろい現象が起きたら、研 究会などの機会に他の研究者に見せていたら、京大の黒河氏から、「もし時間があれ ば、うちのゼミに顔を出さないか」と言われました。幸い、ゼミのある月曜日は、天 文公園は休園日なので、出席することができます。とはいえ、京大まで、往復するだ けで5時間、電車賃も4千円以上かかります。ですから、月に一度程度顔を出すこと にしています。この時間的金銭的負担は大きいといえば大きいですが、日頃他の研究 者と接する機会の少ない自分にとって、払うに値するものだと思っています。また、 時間の許す限り、研究会・学会には積極的に参加して、他の研究者との研究交流をは かっています。このように、十分とは言えませんが、いろいろと工夫することで、公 開天文台でも研究に関わることは可能です。自分の意識次第と言えるでしょう。
 あとは…、論文を書くことですね。

6。自分の武器を研け「あなたの武器はなんですか?」

 人によっては、観測装置の開発かもしれません。もしかしたら、計算能力かもしれ ません。論文を早く書けるのも一つの武器でしょう。
 私の場合、"Publication & Education"、すなわち、「天文教育普及」の能力でした。  大学の学部時代から、天文教育普及研究会に参加して、天文教育関係者といろいろ 話をする機会が多かったし、大学院の修士時代には、私立高校の非常勤講師を務めま した。若手の会の夏の学校では、「天文学と社会」分科会の座長をやったり、毎年何 らかの発表をしました。その他にも
 「星の手帖の編集やらない?」
 「天文月報に興味ない?」
 「宇宙研の一般公開やけど」
 「広報普及室手伝わない?」
 こういう能力は割と評価されていたようです。
 それから。「人脈」。自分でいうのもなんですが、私はいろいろな方面で顔が広い 。別に有名人というわけではないのですが、他人に顔を覚えられやすいらしいし、私 も一度会った人は忘れないようにしています。また、いろいろなところに顔を出して いた関係もあります。天文教育関係はもちろんのこと、駒場にいた研究室の関係で、 理論方面の知り合いも多い。卒論の関係でX線天文学方面。野辺山がらみで電波天文 学関係。もちろん、東大の天文学教室にも顔を出していたから、いろいろな分野を研 究をしているスタッフや院生にも顔が広がります。最近の若い学生を見ると、専門分 野が異なると、もう誰だかわからないような感じを見受けられます。顔が広い、とい うのは、ある意味で、自分の世界が広がることだと思っています。それだけに、ひょ んなことからおもしろい情報が入ったりして、いろいろと役に立つことが多いです。 「国立天文台で君を知らない人はいないよ」先日、うちの師匠に言われたせりふ。ほ んとかどうか知りませんが。
 あと、「太陽」を専攻してきたのも、私の武器と言えるでしょう。私は、大学院時 代、「ようこう」や野辺山電波ヘリオグラフを使って、太陽フレアの研究をしてきた ことはすでに書いた通りです。わたしのように、太陽の研究の最先端に触れて、今、 天文教育普及の現場にいるというのは、珍しいことではあるし、その意義は大きいと 思っています。例えば、地元の学校の先生に太陽の最先端の知識を伝えたり。太陽と いう天体は理科の教科書に必ず扱われているので、学校の先生にも非常に関心が高く、 質問も非常に熱心です。また、近年、公開天文台や科学館などの天文施設に太陽望遠 鏡の設置が増えているのに踏まえて、太陽望遠鏡メーリングリストというのを立ち上 げました。このメーリングリストは、太陽研究者も多く参加しているので、教育側と 研究側のよいパイプ役を果たしています。同業者から、太陽に関するアドバイスを頼 まれることも多く、太陽のエバンジェリストを果たしていると言えます。

7。まとめにかえて

 「自分にしかできないことをやっている」という自負はあります。特に、前の章で 紹介した、太陽望遠鏡メーリングリストは、私がいたからうまくいったという自信は あります。
 公開天文台での仕事は、それはそれで大切な仕事です。しかし、わたしは、人生は 5年ごとが節目だと思っています。ですから、今の職場にこのままいるつもりはあり ません。それが、大学や研究機関という場なのか、あるいは、他の天文教育施設とい う場なのか、まだまだわかりません。まだ30年以上の人生があります。これからも 、自分をenhanceしつつ、公開天文台での経験を活かして、さらなる自分の可能性を 模索していきたいと思います。

 かわべ天文公園に来て、一年ほどたったとき、とある大学の先生から一本の電話が 来ました。「私大の専任教官に興味ないか?君でなきゃいけない」
涙が出るほどうれしかった。こんなわたしの能力を評価してくれる人がいたことが本 当にうれしかったんです。このときは、諸事情で、その話は断りました。でも、自信 にはなりました。まだまだ私も捨てたもんじゃない。チャンスはあるものです。
http://www.cosmo.kawabe.or.jp/people/yaji/
E-mail:yaji@yggdrasill.cosmo.kawabe.or.jp

質疑応答
Q「教育現場にあって、研究活動を続けることをどのように考えているのか」
A「自分のわがままともいえる知的欲求心を満たすため。また、自分を高めるという 向上心。そして、研究を通して得た知識が教育普及の上で迫力を持つという持論のため」
Q「一般企業に勤めても天文普及活動は可能か」
A「十分に可能。とくに、雑談。他人との雑談の中で天文の話をするのも、立派な天文普及活動」
Q「こうまでして、普及活動を行ってきた原動力はなんなのか?」
A「自分のできることをやってきた、ただそれだけ」
Q「他者から圧力のようなものを受けることはなかったか?」
A「全くないわけではないが、評価してくれる人の方が多かった。でも、やること( 研究)やってないと批判はされます。でも、さすがにD3のときに野辺山の一般公開 を手伝おうとしたら、自重するように言われた」