わたしはなぜかわべ天文公園をやめたのか
以下の内容は、2004年4月1日に天体観測施設の会のメーリングリストで流したものです。
今後、天文教育施設の中で類似したことが生じたときに備えて、掲載いたします。
天体観測施設の会の皆さま

矢治@元かわべ天文公園です。

3月31日付けをもって、8年間勤務いたしましたかわべ天文公園を
退職いたしました。

この機会にこの場を借りて、これまでの経緯を報告いたします。
長文になってしまいますが、おつきあいいただければ幸いです。

この8年間、かわべ天文公園での天文教育普及活動に尽力してきましたが、
昨年1月に、川辺町の町長が交代し、かわべ天文公園の赤字問題を指摘し、
新町長は、予算削減・人員削減に取り組んできました。その結果、私は、
昨年6月に肩書きが台長から天文技術職主任に代わり、研究員も主事に
代わり、私も含め、事務職兼任という形で、経理やフロント・宿泊関係
の業務に携わることとなりました。

さらには、この町長が理事長に就任当初から、

「あなたがた4人は川辺町にとって必要のない人間だ」
「わたしは天文に興味がない」
「技術職はゼロでもいい」
「星空なんて、何千年も変わらないのだから、プラネタリウム番組なんて
 いくつも作る必要なんてない」
「天文よりもがん研究など大切なことはたくさんある」
「もう学術的なものはいらない」

と、われわれの活動が無意味であるのように断言されました。
正直なところ、これが一つの町の首長の発言かと思うほど、
「文化も教育の見識のかけらもない」と言わざるを得ません。

昨年の火星大接近の際にも、火星関係の研究会にスタッフを
出張してもらおうとしたところ。
「そんな出張なんて、あなたたちの自己満足だ」
「7千万の赤字をかかえているのに、天文の説明の必要はない」
「そんな天文の知識なんて小学生の子どもに必要あるのか」
「よそからの質問はよその京都大学とか国立天文台に聞けばいい」
結果、昨年の火星フィーバーは皆さんのご存じの通りですが、
結局、この町長は一度も火星観望には来ませんでした。
もちろん、私は、何度も見に来るように勧めておりました。

そして、昨夏の頃から
「天文スタッフ4人は多すぎるので、2人を役場に出向させる」
と言い始めて、
「私の方針が気にいらないなら、やめてもらって構わない」
とまで、言っております。

実際、この4月から天文公園の天文技術スタッフは2人となっています。

今の町長には、かわべ天文公園のこれまでの学校教育への貢献、
地域ての天文教育普及の貢献について、主張してきました。
また、人が減ることで、こういった学校教育・生涯学習に貢献
してきた、天文公園の魅力が削減されることを訴え続けてきましたが、
曰く、「財政の前には、教育普及は二の次だ」
「川辺町はそこまで余裕のある町ではない」と同じ主張を繰り返しました。

また、私自身、日本天文学会、報道関係、地元町議員、教育関係、労組関係、
さらには知り合いの国会議員などに働きかけてきましたが、事態はいっこうに
変わらず。さらには公園長や理事からも
「赤字改善にはきれいごとは言ってられない。
 ライトアップやビアガーデンなどで集客に務めなければ」
という発言が飛び出す始末。さらには天文スタッフ削減が決定的になり、
「これ以上、ここではやってられない」
と、やめることを決断しました。

なお、私の退職届は、理事長(町長)に即日で受領されました。
その日のうちに、ワープロ打ちの受領書を受け取ったときは、
さすがの私も思わず、あぜんとしました。

もちろん、それでも残る者もいるわけですから、私の選択が必ずしも正しい
とは思っていません。しかし、正直、この1年、町長や行政とのやりとりに
精神的にほとほと疲れ果てていました。
物騒な話しですが、この町長を何度ぶん殴ってやりたいと思ったことか。

もちろん、私自身にも反省しなければいけないところはいろいろあります。
赴任当初から、学校教育との連携との強化には力を入れてきましたが、
その反面、川辺町内から受け入れられる施設にという点では弱かったかと。
また、対外的な活動も積極的に引き受けていたため、その分、天文公園
内部の仕事がおろそかになっていたことも否めません。私の欲張りな性格が
災いしてしまいました。

それでも、私のようなもの若輩者が、町の教育長とさしで話すことができたり、
町の校長会に出席させてもらえたことは感謝しております。学校教員の研修会や
会合にも出席したり、講演する機会も多くありました。
先日、仕事で周辺市町村の学校を回ったところ、
「矢治さんが辞めることになって、非常に残念だ」
と暖かいことばをかけていただきました。

先日、地元の高校の先生があいさつに来られて、
「今年、天文を勉強したいと、うちの生徒が京都の大学に合格しました」
と言っていました。また、今、かわべ天文公園には、熱心にやってくる
中学2年の男の子がいます。かわべ天文公園ができたときには、この子が
小学1年だったかと思うと、感慨深いものがあります。

その意味では、私がかわべ天文公園で行ってきた天文教育普及の活動は
決してむだであったと思っていません。
私の太陽関係の活動については、ご存じのとおりです。地元の情報紙では
足かけ7年、「星の散歩道」と題して、345回の連載を務めました。
「種はまいた」と思っています。
この種が5年後、10年後に芽を出すことを期待しています。

今後の私宛のメールは
kentaro.yaji緑nifty.com
まで、お願いいたします。

皆さま、これまで本当にお世話になりました、
この場を借りてお礼申し上げます。

<<追記>>

・川辺町は、2005年5月に中津村・美山村と合併し、日高川町となっています。
・上記に記した当時の阪本信夫川辺町町長は、日高川町合併時の町長選挙で落選し、現在の日高川町の町長は別の方です。
・残った専門職員3人のうち、かわべ天文公園勤務は現在2名で、1名は日高川町役場に出向したままです。
・かわべ天文公園は、2006年4月1日より、「財団法人笑の里」から「財団法人 日高川町ふるさと振興公社」が管理を受託し、 運営しています。また、専門職員の肩書きは技術吏員となっています。
(2007.2.18)

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