戦慄2

 

 

 

大下が山下埠頭に着くと、既にそこには夥しい数のパトカーがいた。

赤いパトランプが辺り一帯を照らしている。

時刻は午前1時。深夜だというのに、人だかりもできていた。

 

このいつもの光景に、大下は急に仕事の感覚のスイッチが入った。

 

大下はゆっくりとパトカーを降りた。

これから拝む死体はさぞ痛々しいだろう。

水死体は、本当に残酷だ。

大下は、今でこそ平気になったが、昔は拝む度に嘔吐した。

独特の風貌と、死臭が、胸を酸くのだった。

 

「おせーよ。」

 

大下が手袋をはめながら現場に足を踏み入れた瞬間、

聞き覚えのありすぎる声を聞いた。

鷹山だった。

 

「あ!?タカ?お前非番じゃねぇのかよ。」

 

大下が言った。

いるはずのない、人間がいたことにびっくりする大下。

金曜日を満喫しているハズの鷹山が何故ここに?

 

「水死体があがったとなると、さすがにな。」

 

鷹山が大下に目を合わせないで言った。

その瞬間に大下は全てを悟った。

 

「フラれたのか。珍しいね。」

 

大下の一言に、鷹山は現場に来たことを後悔した。

こうやってコケにされるのが嫌だったのだ。

大下は実に楽しそうである。

 

「ま、仕事でそいつをチャラにすることだな。」

「俺はそんなに単純じゃねぇんだよ。」

 

遺体に近づくにつれて、あの独特の死臭がした。

この臭いは本当にきつい。

鼻を何かで覆わなければ、遺体を真正面から見ることもできない。

 

鷹山と大下は、ハンカチで鼻を覆いながら遺体にかけられた

ビニールシートをはがした。

 

「うわ、こりゃひでぇな。」

 

大下が眉間に皺を寄せた。

 

そこには、パンパンに膨れ上がった、男の水死体があった。

心臓の辺りはひどい出血の跡がある。

これまでに見てきたどの水死体より悲惨だった。

嬲り殺されたのだろう。

 

「うっ!」

 

若い制服の警官が吐き気を催した。

町田がその警官の元へと駆け寄って背中をさすっている。

その光景を見ながら、吉井は自分の手帳を開いて水死体の説明をし始めた。

 

「死亡推定時刻は今日の午前2時。心臓他、

数箇所をメッタ刺しにされて海に投げ込まれたみたいだな。」

 

犯人はまともな精神の持ち主ではないらしい。

普通、人を殺すときは躊躇して最初の何傷かは浅いのが普通だが、

どの傷も深いようだった。おまけにメッタ刺しである。

 

「怨恨か。」

 

鷹山が言った。

それ以外考えられなかった。

よほどの強い恨みでもない限り、ここまで残酷な殺し方はできないだろう。

 

「今、身元を谷村と春さんが当たってる。」

 

刑事たちは死臭に気分を鬱屈させた。

 

 

刑事たちが実況見分をしているところを囲む野次馬。

その中に一人の男がいた。

長身痩躯。髪が少し茶髪で、右耳にピアスを1つしている。

名前は深山キラトと言った。

 

キラトの実家は製紙業を営んでいて、妹と父親と3人で暮らしていた。

母親は早くに病死した。

生活は楽ではなかったが、3人でいつも笑いあって、本当に楽しい日々だった。

 

5年前までは。

 

キラトは、じっと殺害現場を見ていた。

 

「・・・・。大下。」

 

キラトの顔から血の気が引いた。

大勢の警官がいる中から一人の男を見つけた。

5年前から、ずっとずっと、1日も忘れることのなかった男。

1日も、恨まない日はなかった男。

 

キラトは、その男から目を離さなかった。

その男が現場を立ち去るまで。

 

 

吉田と谷村が戻ってくるまでの港署は

最悪の雰囲気だった。

あの水死体は本当に酷かった。誰もが無言で、近藤もそれを察して何も言わなかった。

 

「遺体の身元割れました。香田零一、29歳。」

 

刑事たちが近藤のデスクの前に群がって吉田の報告を聞いている。

 

「深山製紙という小さな製紙会社の元会計役です。」

「・・・深山製紙?」

 

一瞬押し黙ってから、近藤が聞く。

 

「はい。でも5年前に倒産しています。」

「倒産?何でまた?」

 

町田が吉田に聞いた。

それについては谷村が今度は答えるはずだった。

 

「会計の香田が金を持ち逃げしたんだ。そのせいで資金難になってそのまま倒産。」

 

何故か答えたのは大下だった。

全員が予期せぬ出来事にびっくりして大下の方を向く。

大下の表情は硬かった。

 

しかし、そんな大下を見て、ただ一人、近藤だけは動じなかった。

 

「知ってるのか、ユウジ。」

 

鷹山が怪訝そうに大下に訊いた。

こんな時の大下は、大抵大きな何かを抱えているのだ。

きっとこの事件にも大下は何かで関わっている。

近藤が動じていないことにも、鷹山は気づいていた。

 

「ああ。」

 

小さく一言だけ答えて、大下はうつむいた。

 

「続けてくれ。」

 

大下の行動で、一瞬止まった刑事たちの空気が、近藤の一言で溶けた。

谷村が大下の方をチラっと見て、話し出す。

 

「犯人は、香田に強い恨みを持つ人物でしょうね。刺し傷は全身にありましたから。」

 

大下はみんなに解らないように溜め息をついた。

強い恨みを持つ人物?・・・それは限られている。

 

近藤はそんな大下の仕草を見逃さなかった。

 

「まずは目撃者探しだな。」

 

近藤が指示を出した。全員がうなずく。

 

「行ってきます。」

「大下!」

 

近藤が大下だけを呼び止めた。

他の刑事たちはそれを気に留めず、上着を手に出口へと向かう。

ただ鷹山だけは2人をじっと見た。

何かがおかしい。

吉田と谷村が報告を始めたときから、大下と近藤の様子がおかしいのだ。

 

「お前は被害者の身辺を洗え。」

「・・・・・。はい。」

 

近藤は大下にだけこう言った。

大下は近藤の言いたいことを理解しているように小さく返事をする。

鷹山はそんな2人に見入っていた。そんな鷹山の肩を町田が叩いた。

 

「どうしたんですかね、大下先輩。なんか顔色が悪くないですか?」

 

町田も鷹山と同じことを感じたらしい。

2人が出口付近でそんな話をしていると、

大下が追いついてきた。

 

「何やってんだよ。早く行けよ。」

 

いつものように振舞う大下にさっきの動揺の表情はなかった。

大下は演技が上手い。

よほど余裕がない時以外、感情を完璧に隠すことができる。

周りはその完璧な演技に騙されてしまうのだ。

鷹山を除いて。

 

「はい。」

 

町田は大下に促されて港署を出た。

町田は『今』の大下の表情が大下そのものだと思い、安心したのだった。

 

「トオル、お前先行ってろ。」

「え?」

 

鷹山の予期せぬ発言に町田は狼狽した。

 

「相棒のお手伝い。」

 

大下の様子がおかしいのは気のせいのハズだ。

それなのにどうして鷹山は大下を気にかけるのだろうか。

町田にはわからなかった。

大下にはわかっていた。自分の演技では、鷹山を騙すことはできない。

大下は黙って覆面車の方へと向かった。

 

「そゆことだから、よろしくな。」

 

鷹山は大下の後について歩き出す。

 

「は、はぁ。」

 

町田はその姿を見送るしかなかった。

 

 

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