Talk about MR2
Talk about MR2

あなたとあなたのMR2は、何処でどのようにめぐり逢ったのですか?
MR2についての思い出などありましたらお寄せください。
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No.014 タバコとB’zとMR2
1999.10.15
私は38歳のごく平凡なオッサンです。が、しかしクルマは年に似合わずSW20(7年式GT−Tバー)に乗っています。もともとビッグセダンが好きで、免許を取って以来何台かビッグセダンを乗り継ぎましたが24歳の頃少し私生活においてノイローゼ気味になることがあり、気分転換のつもりでクルマの嗜好を180度転換し、AW11(60年式G−LTD)を購入したのがきっかけでした。
試乗時にはさほど感じなかったのですが、購入後峠やちょっとした街中走行でも「なんじゃこりゃ!」というほどの回頭性の良さにどんどんAWにハマって行ってしまいました。
しかし楽しいことはそう長くは続かないもので、購入後わずか4ヶ月で100km/hでスピンアウトし地球に激突。奇跡的に体は無事でしたがAWは全損。しかも100万円以上のローンを残して。
仕方なくその後4年間ポンコツ車を乗り継いでから、事故車を承知で格安(当時90万円)の60年式G(スポーツパッケージ)を購入。今度は同じ目に遭うことのないように早め早めにハイグリップタイヤを交換し、無事4年半乗りつづけました。とっくに30を超えていた私は「もうそろそろやめとこか」と考えて、グロリアに乗り換えましたが、半年も乗らないうちに「何で俺は一人で運転していることが多いのにいつもあと4人分もシートを運んでるんだろう」なんて変な疑問にとり憑かれ、その後2年間は暇を見ては程度の良いAW捜しを続けましたが、いくら捜しても納得できるタマが無く、ちょっとした気の迷いで程度極上のSWを衝動買いしてしまったのです。今になって思えばこれはこれで正解だったなあというところです。AWのような緊迫した操縦性、官能的なエンジン音はないけれど、なんと言っても圧倒的なパワー、安定志向ながらとことん攻め込んでもとっちらかることの無い足回り、AWとは別物といわれながらもコクピットに収まればいやでも感じるMR2のアイデンティティはまだまだ5人乗りのいんちきスポーツカーや見ただけで暑苦しいRVなどを興味の彼,J}$XDI$$$d$C$F$/$l$^$9!#(B
基本的にはルーフの無い車は嫌いなので、恐らくMR−Sに興味を持つことは無く、いまのSWが私にとっては最後のMR2になることと思いますが、このまま無事故、無板金のままで40歳代に突入して行くつもりです。
No.013 yuuka
1999.8.17
MR2との出逢いは5年前です。とても自由に生きている人がいました。自分のしたいことを実現している人。その人の生き方を象徴したようなSW20。こんな華麗な車が世の中にあったとは。
5年後、自分が購入するとは思ってもみませんでした。自分の気持ちに正直になって、したいことをする、MR2は私にとってそういう生き方の証明です。
No.013 8.32がほしかった
1999.6.19
はじめまして、MR2とはほぼ縁遠いランチアテーマ乗り24歳、男です。
ランチアの前にはSWの2型、93年型に乗っていました。
当時新車で購入しましたが、今考えればなんとも無謀なことだったなぁと思います。
若葉つけて走ってましたから。
MR2はトヨタ車の中にあって唯一といっていい、タイアの接地感をダイレクトに
感じ取れる車でした。ステアリングの剛性感もさることながら、
通常ややリアよりの荷重がスロットルやブレーキの操作で微妙に変動する、その感覚を味
わえるのが楽しみでした。
ただし丁寧に運転しないととっちらかってしまうことはわかっていたんで、
常に車の接地状態を感じ取ろうとしながら、
荷重移動のしかた、ブレーキの踏み方やステアリングの切り方など、
正しい乗り方を勉強することができました。
今に生きるたいへん貴重な経験でした。
今思うと、それこそがスポーツドライビングの原点のような気がします。
FFやFRでは味わうことのできない研ぎ澄まされたドライビングの世界。
いまでこそFF車乗りですが、一番最初にこんなにすばらしいものを持った
車に出会うことができて、本当に幸せだったと思います。
オートマでもいいからもういちど乗りたい。
未練がましいかなぁ。
No.012 スクルドねこ
1999.5.4
みなさん、はじめまして。スクルドねこ と申します。
私がMR2に興味を持ったのは高校生のとき、、、いまから約10年前のことです。
当時、車に興味を持ち始めていた私は、自転車通学の退屈を紛らわせるために
横を通りぬける車の名前を列挙し、記憶していったのでした。
そのようなことを続けていくうちに、なにか妙に気なる車をしばしば見かけるように
なりました。
赤のAW11。
リアウイングがついていないのは、ちょっと格好がよくないかな、とは思いつつも、
その車は確実に私の意識の中に入り込んできたのでした。
「いつかはこのMR2にのりたいなあ、、、」
量産車ベースの稀有な駆動方式だとか、運動性能云々といったことは良くわかっていません
でしたが、今から考えると、とにかく「なにか特別なものvいます。
ときは流れ、大学2年の夏。親からコロナを譲り受けました。初めてのマイカーです。
こすったりドアミラーを割ったりと、いろいろ「勉強年間
を経て、ついに思い焦がれていたAW11を購入することになりました。
できるだけ程度のよいタマをゲットしたかったので、予算は結構取っておいたのですが、
とある店で私はみつけてしまったのです、、、格安のSW20を。
確かに格好いいし、あこがれの車ではあったのですが、もともとの価格が高く、発売されて
それほど年数が経過していないこともあって、「買えるわけがないvっていたのでした。
ところが、その白のSWは私の予算に少し「色」をつけたくらいの価格を掲げていました。
わたしの心は多いに揺れました。確かにAWは高校時代からの憧れでしたが、手が届くはずの
ないSWがゲットできるかもしれない、、、SW、、、SW、、、
ただし、お買い得なのにはワケがあり、、、オートマだったわけでして、、、
マニュアルミッションで購入することを前提に考えていたのですが。
迷いに迷いましたが、結局はお買い得SWの前に「マニュアル盾B
「どうせ峠に行って攻めたりするわけではないし、、、」
車齢2年のSWはとても美しく、洗車もまめに行って、とても大切にしてやりました。
とにかく、「踏めば速い」車でした。
しかしながら、しだいに物足りなさを感じるようになってきたのでした。
例えば、トルコンスリップによるピックアップのダルさ。例えば、私にはいささかもてあます
ボディサイズ(まあ、5ナンバー枠に収まるわけですから、決して大きな車だと
いうわけではないのですが、、、)。そして、やはりシフトを完全に自分の管理下に
置けないというもどかしさ。
SWに乗って1年。車齢3年目の車検がやってきました。心の中では、ほぼ「買い換え
モード」に入っていました。もし、いいタマが見つからなければそのままSWに
乗りつづける。そして、「これは」と思うAWがあれば、買い換えよう、、、
そのガンメタのAWはトヨタのディーラー系の中古車屋でひっそりと雨に打たれていました。
価格は相場と照らし合わせると、かなり高めでしたが、試乗してみて特におかしなところは
なく、素人の目にはとてもきれいな外観、ディーラー系だから仕方ないかな、ということで
翌日にはハンコを持って再びそのお店を訪ねたのでした。
こうして、長年の憧れであったAWを所有し、かれこれ5年半が経過しました。
買った直後に故障や異変が続発し、「はずれをつかまされた!?」と、かなりブルーが
はいっていましたが、それらのほとんどを無料のクレーム修理で直し、また後から出てきた
トラブルもお金をかけながら直してきました。その甲斐があって、ここ2年間はほぼ
ノートラブルです。
いまは、ミッションを操りながら、大阪近辺の峠道を軽く流しています。
軽快なフットワークを見せてれるAWは最高のお気に入りです。
先日、11年目の車検を受けました。この先もこのAWの車検が受けられるよう、大切に
楽しく乗りつづけたいと思います。
私のお話にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
OFF会等で皆様にお会いできるのを楽しみにしています。
とくに関西圏の方々、よろしくお願いいたします。
PS いまもSWは好きな車です。たった1年間でしたが、SWにも乗ることが
できたのは、MR2フリークとしてしあわせです。
No.011 九十九
1999.2.1
あれは今から10年前、知り合いの助手席に乗りドライブしていたとき、後ろからものすごい爆音と光線が瞬く間に通りすぎていった車、それがMR2でした。
それから取り付かれたようにMR2に興味をもち現在に至る。
No.010 SYA-
1998.12.24
クラブの皆様はじめまして、SYA- と申します。
私とMR2(AW)の出会いは、19歳の時アルバイトでダートトライアルのコース員をやっていた際、1回だけでしたが私と同じ様にアルバイトに来た方が発売間も無いMR2に乗っておられました。
競技前日から準備のため現地入りしていたものですから買い出しが必要となり、初参加のMR2の方が行く事になりました。その買い出しに幸運にも私が同行する事になり助手席に乗せていただきました。店がある所までのワインディングロードの右コーナでそれまで受けた事の無い強烈な横Gのためピラーに頭をぶつけてしまった事や、競技終了後の撤収の際機材運搬用の軽トラで必死に後を追いかけ後ろ姿を眺めていた事を今でも強烈に覚えています。思えばこの時私の脳みそにMR2(AW)が刻み込まれたのだと思います。
しかし、貧乏学生だった私にはあまりに高嶺の花でした。何度かトヨタのディーラに行ってはカタログだけ貰っては帰りました。今でもそのカタログは私の宝物です。
家から学校が80Kmあったため、どうしても車が欲しかった私は、先輩からRA28(セリカLB)を譲ってもらい、それ以後MR2への思いは胸の奥底にしまいこんでしまったのです。
月日は流れ次のMR2(AW)との出会いは、彼女(今は妻)のエントリーカーを探していた際、知人から格安で譲って頂いた時です。CR-XとMR2を比べて彼女はMR2を選択したのです。
それからは彼女以上に私がMR2にのめり込みました。それまで胸の奥にしまい込んでいた思いが一気に吹き出したのだと思います。彼女から借出しては、ステアリングホイールを交換、サスペンションを交換、マフラーを交換、ゥゥと手を加えていきました。車に本格的に手を入れたのは始めてでしたがなるべく自分で作業をしました。最高に楽しい時期でした。
その後結婚し、子供が出来た時乗車定員の関係上およびマンション住いと言う2重苦で手放す決心をしましたが、なるべく知人にと思って探した所、実弟に引き取って貰える事になりました。
弟はそれまでもAW乗りでしたが、調子を崩していた自分のAWと私の妻のAWでいい所取りをした(ベースは妻のAWで、ジムカーナ用のパーツを移植した)様です。
その後家族は4人になり、私は家を建て3台分のガレージを作りました。そしてこの98年12月の初めに弟から車を乗り換えるとの連絡を受けAWを引き取れる事になりました。今度は私の名義です。もう手放さないと心に誓っている次第です。
このホームページは弟にAWを引き取って貰った後に見つけました。参加したくてうずうずしていましたが、AWを降りてしまった後だったので皆さんの楽しそうなAW談議を羨ましく眺めていましたが、この度復帰の事と相成りましたのでお邪魔させていただきます。どうぞよろしくお願いします。
No.009 ラピュタ
1998.12.10
私がMR-2と初めて出会ったのは、去年の9月。以前付き合っていた人が、ダサい事故でそれ
まで乗っていた車を廃車にし、新たに買った車がAWだったのです。
第1印象は後ろを思いっきり殴ったような形をしてるなぁ、でした。車なんでどれでも同じ、が
以前の考えでしたから(と言うより違いが分からなかった)MR−2についてよく言われる「狭
い」「うるさい」「荷物が積めない」と言うような事も全く気になりませんでした。ただそのA
Wは今思い出してもとてもきれいで、とても10年近く前の車とは思えなかったのを覚えています。
助手席に乗る事が多かったのですが、たまに運転したりAWの良さについて延々と聞かされたり
しているうちにだんだんと洗脳されていったようです。その内に道を歩いていてAWが通ると
振り返るまでになりました。
その後その人ともお別れし、MR-2との縁も薄くなっていきました。
しかし、今年6月にとあるジムカーナのチームに入って1ヶ月ほどの事でした。練習走行会で試
走をなさっている方々の横に乗せてもらったのですが、その中の1台がMR-2(SW)だったの
です。外見がかなり違っていたので最初は分からなかったのですが、殴ったような後姿、上の方
に付いたシフトと確かにAWの面影が偲ばれます。そして他のインプレッサ・ランエ(へ)ボ・C
R-Xと比べ(るモノではない?)乗り心地が各段に良くシャープでした。次は絶対にMR-2を
買おうと心に決めました。
そして、その頃運良く?それまでの車が廃車となり今はSW(H5式)にめでたく乗っておりま
す。形はAWの方が好きなのですが、AWは重ステがほとんどでジムカーナに使うには私にはつ
らかったのと、なかなか程度の良いものがなかったので、SWにしました。納車から数ヶ月がた
ちましたが、今だに乗るたびにニヤーっとしてしまいます。そしてAW・SWを街中で見かける
と心の中で手を振っています。
車の性能ばかりが良く、人間の技術が追いついていないのが悲しいですが気楽に地道に乗ってい
こうと思ってます。とりあえずジムカーナ場での回転寿司状態をなんとかし、めざせ20万キロ!!
No.008 しろいぬ わん1998.12.7
クラブの皆さんはじめまして、「しろいぬ わん」と申します。
最近になりパソコンを購入しこのページを見つけました。私のAW歴はかれこれ7年になります。
AWは私が高校生の時に発売され、ずっと購入を夢見ていました。ようやく念願叶ってハンドルを
手にしたのが結婚式の一ヶ月前でした。カミさんに「一生のお願い」と言って購入を許可してもらったのです。それが地獄への入り口だったのです。
一年後の夏に偶然見かけた事故車のAWを見て「かわいそう」と思ってのが運の尽き、修理見積もり90万円のその車を7万円で購入し、直したのが2台目のAWでした。以後順調に増え続け現在は十数台が私の元で暮らしています。
カミさんや親からは「そんなゴミ早く片づけろ」と言われ続け、頭の上がらない毎日です。しかし潰れていようと書類がなかろうと私には「可愛い車達」なのです。
いつかは使うであろう部品、いつかはこの車の良さをわかってくれる誰かが直して乗ってくれるだろうと思い、なんとか維持をしています。
私はどこのクラブにも所属していない全くのフリーの人間ですが、このページを通じて多くの皆さんと交流がもてればいいなと思っています。
S、G、Gリミ、NA、S/C、ノーマルルーフ、ムーンルーフ、Tバー、左ハンドルなどと一通りは全て乗ってみました。どれもこれもみんなAWです。やっぱり楽しい車です。これからもみんなで末永くこの車を楽しんでいきましょう。
いろいろな皆さんといろいろな情報を交換したいと思います。よろしくお願いします。
最近私の住む(関東地方)近くでは売っているAWも走っているAWもめっきり見かけなくなりました。寂しいかぎりです。
No.007 杉崎 裕一1998.8.16
自分がMR2に出会ったのは、忘れもしない'83モータショーでした。当時高校生だった私は、あのトヨタがミッドシップ2シーターを
発表した!!と言うことだけでまず驚きました。そして実際に観てもう一度驚きました。かっこいい・・・ただそれだけでした。
展示されているSV-3の前でぼーぜんとしていました。そのころから免許をとったら乗るのはこれしかない!!と思い始め
念願のMR2(AW11)を手にしたのは5年も後の事でした。SW20が発表される!AW11が無くなるこの焦りにもにた気持ちだけで
購入を決意してしまいました。
こんな思いで手に入れたAW11は決して手放せませんね。
No.006 SSM1998.7.18
MR2との出会い・・・・・・忘れました。(笑)
たしか、僕が中学生のときだったでしょうか。NSX
というクルマが世に出てきました。
「かっこいい!」
それが僕とスポーツカーとの出会い、もう10年近く前ですね。
「これ、欲しい!」
当時の僕は800万もするとは知らず、お金
を貯めはじめました。高校にはいってからもバイトにあけくれ
てましたねえ。2かい進級会議、1回卒業会議にかけられたのも
(よーするに毎年)いい思い出です。卒業のころには、NSXは買えない
事ももちろん分かってましたし、(しかも1000万になってた)MR2の
存在も知ってました。
その頃にはクルマにもだいぶ詳しくなってましたが、何故MR2を選ん
だかというと、カッコ良くってしかも潔い2シーター、そして大きすぎず
トヨタが作ってるというところだったと思います。(勿論性能も)
ほかにはFDRXー7も候補で、少し悩んでました。
そして、お店にいき、試乗。一発で惚れた。中古でしたが前の
オーナーがしっかりした方で、足廻りが完璧に決まってる。トラクション
の強烈さも印象に残りました。FDも試乗させてもらいましたが、こちらも
やはり捨て難いものがありました。その日はとりあえず帰りました。
次の日、アムラックス東京にいくと、B1FにMR2のデモカーが展示
されてました。それを見た瞬間、昨日の店に
「あれ、かいます!」
と電話しました。やっぱりMR2かっこいい!
7年式、GTーS、ホワイト。やはりMR2にして良かったとしみじみ
思います。だって、速くてかっこいいから。 壊れるまで乗り続けます。
MRーS、なんだあれは。あれをMR2の後継車と呼ばないで、トヨタ
さん。MR2、作り続けて。あのNSXですらまだあるんだから。
No.005 NAGA1998.7.10
前の車はCITY−Rでした。
クーラー無しでがんばってきましたがエンジンがガサガサにな
ってきたり赤の塗装が白っぽく脱色してきたりエンジンオイル
がカムカバーから滲んできたりでもうそろそろかなと考えてい
ました。
今のAW11に出会ったのはそんなころです。 友人と喫茶店
へ行く途中で見かけました。 カラーリングがふつーのAW1
1と違っていて渋さと斬新な感じがしました。
買うならRX−7かAW11かと思っていましたからその中古
車屋のオヤジに早速みせてもらいました。
3年落ちで走行2万9千キロで139万円でした。 ふつーの
同程度のAW11は当時100万ぐらいでしたから4割りぐら
いのプレミアでした。
5MT NAのG−Limitedです。
即決定して買いました。
5MT NAは長く乗りたいために選びました。
それから会社から帰った後、毎日峠がよいをつづけていました
。その時はよくわからなかったのでコーナー手前でブレーキを踏
むかアクセルを踏むか迷っていました。
そのころスリックカートがあるのを思い出し通い始めました。
スピンするのが恐かったので。
スリックカートとは100cc程度のエンジンでゴーカートの
ような車で楕円のコースを周回するものです。コースは病院の床みたいにつるつるした状態のものでその上に
WAXをかけさらに白いパウダーを振りまくとコースのミュー
が低下してグリップが落ちていくのです。
スリックカートとカートとの構造の違いはステアリングのギア
があるかどうかです。カートは簡潔な構造でステアリングとい
うのはワイヤーが張ってあるだけです。
スリックカートはフルカウンターを切る関係上ギアがないとや
っていけない。
そのスリックカートは1回500円程度で10人ぐらい参加し
てグリーンランプ点灯でスタートして競争するのです。
時間は3分弱ですか。 混走なのでぶつかったりもありです。
意図的にぶつけるのはダメですがぶつかってしまうのはしょう
がない。 カウリングは強化プラスティックでショックを吸収
するので安全です。
スリックの後輪はカートと同じで一本軸で(デフギアがない)
コーナリングはトリッキーです。 常時ノンスリップスリップ
デフが効いているようなもので基本的にはどアンダーです。
混走ですから他の人とのスピード差はよくわかります。
その中で前の車を出し抜くラインどりとか、仲良く4輪ドリフ
トでクリップを掠めるとか、立ち上げ優先で一旦譲ったかに見
せかけて立ち上がりでインから出し抜くとかいろいろな走法が
できます。
コースは白い粉で滑りますが走り込むと粉が飛んでいってグリ
ップするようになってきます。つまり路面状態は変化していく
ので状況に応じた走りが要求されます。
参加者は身長130cm以上あれば老若男女免許の有無を問い
ません。
ベテランになると確実に速くてスタートからピョーンと飛びだ
して2〜3周後には周回遅れをかきわけています。コーナーは広めにとってあって走法を選べます。
車は同じはずですが実際には差があってバワーのあるものハン
ドリングがちょっとくせのあるもの等まちまちです。ベテラ
ンはその性能差も理解して走り方を変えてきます。
私がみてた分には素人さんがよくスピンするのが速い車です。
スピンの感覚とは誰でもマスターできると思いますがそれなり
に修練しないと鍛えられない。 日常の生活ではその感覚を得
る機会がないし危険を冒してまでやる事ではない。スリックではその辺が安全にできるのです。!!
しかもレースではありながら車を所有する訳ではなく気に入っ
た時に参加料を払ってベテラン・ど素人混在で走るのです。
初心者はアクセルをめいっぱい踏めば速く走れると思いがちで
すが却って後輪が空転して前に進まない。 ぺテランはグリッ
プするのがうまくて直進はほとんどグリップ走行です、しかも
その車のトルクバンドを使いこなしてフルパワーを引き出しま
す。
そういったスリックカート生活を3年ばかり続けてAW11を
見ると実に素直な性格に見える。 買った当時は高速道路を走
ってハンドリングがシビアだなと思っていたのにです。
AW11のパッケージングがいい。 SW20は大きくてライ
ンが制限される気がします。 かといってピートやAZ1はな
んでミッドシップにする必要があるのかよくわからない。
軽自動車というだけで充分Z軸の慣性モーメントは小さいと思
います。 さらにNSXは買えない者のひがみですが大きすぎ
る。
今、試せるならPORCHE914−6を乗ってみたい。
ロータスヨーロッパもですが。
10万キロを既に超えてこの車を乗り続けることが使命のよう
に感じています。 (メーターが一回りするのには100万キロ
走らなくてはならない。)
スリックカートへ入った時ちょうどポルシェとフェラーリとカ
ウンタックが帰るところでした。 整理の人が何か話し掛けて
きたので聞いてみると、出口の段差で腹をこすりそうなので斜
めに抜けるラインを空けてくれとのことでした。
それで駐車場の真ん中でそのスーパーカーの通り過ぎるのを待
ってました。 スーパーカーは可哀相ですね。 走れるとこがな
くて。
なんで峠道でMR2を走らせないのかほとんど見かけることが
ない。 寂しいですねー。
気持ちがいいのは田舎道をクルージングしている時です。 適
当な中高速コーナーを流していくのがいいですね。
No.004 エムエム1998.5.19
MR2と出会ったのは、つい3ヶ月ばかり前のこと。きっかけはグランツーリスモでした。すぐにくるくる回る、扱いにくい車、それが第一印象でした。
偶然、知人がSWに乗っていたので、試乗させてもらうチャンスがありました。目の前で見たSW・・・・
かっこいい!!
の一言とため息。外観はもちろん、コクピットの感じも、「いい!」
それからディーラーへ行って、新型のではありましたが、カタログをもらいました。
“Would you like midship sports?”
それはまるで彼らの言葉のよう。ああ、トヨタの戦略にはまっていく・・・・
しかしこれは買うしかないだろう、と衝動買いでした。I型NA、黒。愛称エムエム。
まだ私の元に来て間もないエムエム。彼のオーナーは私で5人目。
きっと、ずっと可愛がられてきたのでしょうね。そしてこれからも・・・・
すべてのMR2がずっと愛され続けることを、祈っています。
No.003 沖本 貢1998.6.9
私のAW11も皆さんから「渋い」とか「いい味出してる」って
誉めていただいていたのですが、とうとう調子が悪くなってしまい、
(これは買い替えをする時の言い訳になってしまいますが・・・)
買い替えをすることになってしまいました。
「次はSW20を」とも考えていたのですが、
荷物や人を乗せることが多くなってしまったため、
「5人乗り」の車を選んでしまいました。
TOYOTA MR2 CLUB JAPANでも、Rough Toneさんに次ぐ2番目の
オーナーとして登録していただいてましたが、
MR2のオーナーでなくなってしまった今、
登録を抹消されても異存はありません。買い替えに関してはかなり悩みましたし、買い替えが決まった後も
なんだかさびしくなってしまいました。この車とは5年の付き合いだったのですが、
「今まで本当にありがとう」と心から感謝することができました。納車された日から今日までの思い出が走馬灯のように
よみがえってきました。
鈴鹿の走行会(なんて無茶な)やジムカーナ(競技ではなく練習会ですが)
にも行ったときのことや、
突然ブラインドから車が飛び出してきた時に、急ブレーキをかけても止まれず、
「もうだめだ」と思った後も、最後の一瞬で左にハンドルを切り、
ぎりぎりで難を逃れた時のことも。
よく、スポーツカーは戦闘機にたとえられますが、
まさしくAW11は戦闘機の雰囲気を持っている、
数少ない車だと思います。
これは私が初めてAW11を目にした時からの印象です。
他車が「旅客機」に見えたのは私だけではないはず。
重い車体に大パワーのエンジンを搭載し、
高速道路で一瞬の間に他車を抜き去っていく、
スープラやフェアレディなどが
一撃離脱戦法を得意とする重戦闘機なら、
低出力のエンジンを軽量化でカバーし、
コーナーで他車と競り合う、
AW11のようなコンパクトスポーツは、
格闘戦を得意とするゼロ戦などの軽量戦闘機といったところですね。
なんといってもMR2は日本が世界に誇る、
数少ないスポーツカーであることは言うまでもありません。
スポーツカーの時代は終わったといわれて久しいですが、
MR2は絶対無くしてほしくない!
それこそ、われわれが老人になってしまっても、
「あの車の初代に乗っていた。」
と言えるなんて、カッコイイと思います。
もうその頃は「電気で走るミッドシップ」なんでしょうけど。
長々と書き連ねてしまいましたね。
まだまだ、ミッドシップについて書きたいですけど、
これくらいにしたいと思います。
いままで本当にありがとうございました。
※更新担当者より・・・メンバー登録は残して置かせてください。
また、コメントの変更がありましたらご連絡ください。
No.002 MOY1997.8.3
出会い
私のMR2の出会いは漫画でした。小学生の時にスーパーカーブ−ムを経験した私のお気に入りの車は、ロータス・ヨーロッ
パでした。1600ccと小排気量である事、せいぜい200km/h程度の最高速などのスペックは大した事が無い車でしたが、あのス
タイリングに魅了されました。サーキットの狼という漫画にヨーロッパが出ている事を知り、読んだのもこの頃の事です(ち
なみに私はヨーロッパが出なくなった後、読まなくなったのでその後のサーキットの狼の展開はずーと後になるまで知らなか
ったりします。(^^;)。そして、いつしかスーパーカーブームは終わり、私は車への興味を失っていました。ロータス・ヨー
ロッパという車を心の中に残して。
そして、月日は流れ、高校生になった時に私はある漫画に出会いました。それは、少年ジャンプに連載されていた「よろし
くメカドック」です。多分、御存じ方も多いと思います。メカニック兼ドライバーの主人公がチューニングカーを作って、レ
ース(公道レースも含む)に出場し、ライバルと優勝を争うというものです。この中で、ライバルの車としてMR2(AW11)は
登場したのです。私はこの時初めて日本にもミッドシップスポーツがある事を知りました。そしてその車は少なくとも作中で
はヨーロッパに似ていました。同じ排気量で、パワーはやはりないものの、優れたハンドリングで、ライバルを追い回す。ま
さに、ヨーロッパと同じです。私はMR2はすぐに気に入りました。しかし、当時の私には自分で車に乗る事なぞ、これっぽち
も考えてはいませんでした。免許も自分には無理だと考えていました。これは大きな一つの誤解が原因だったのですが。実は
、私はシンクロという物の存在を当時知らず、シフトチェンジするには完全に回転数を合わせないといけないと思い込んでい
たのです(爆)。器用とは言えず、運動音痴の私にそれは不可能な事に思えました。(^^;そのためもあり、漫画の連載が終わ
ると私は再び車への興味をいつしか失っていました。
大学二年の夏に、親の許しを得て(というか、車の免許位取っておけと言われて)自動車の免許を取る事になりました。そ
こで私はシンクロという物の存在を初めて知り、私でもシフトチェンジが出来る事に気が付きました。(^^;しかし、免許は取
ったものの、車は買えません。いや、買うだけなら、安い車はありましたが、維持する事が出来なかったのです。結局、希に
レンタカーを借りて乗ったり、友人の車を運転させてもらったりして大学時代を過ごしました。
大学四年になった頃、就職したら車を買う事にしました。そして色々な雑誌を買って、研究(大げさ)を始めました。その時
点で私が考えた候補は今の私を考えると信じられないようなものばかりでした。最初は本質的に「けち」なので、いわゆるお
買得車を色々考えました。「お、これはあれもこれもついてこの値段とは安い。」とか。次に私の目に止まったのは、ミラー
ジュです。ミラージュ・サイボーグ、1600ccながら、ターボチャージャーを装備し、145馬力は今日からすると大した事はあ
りませんが、21.0kg-mの大トルクは魅力的にうつりました(現在の高回転型NA主義からは自分でも信じられない)。そうこう
しているうちに、私はMR2に再会したのです。ドライバー誌、1988年 9/5号、そのスポーツカー特集の中にAW11もあったので
す(ちなみに残りはFC3SとZ31でした)。しかし、それは私が知っていたAW11とは少し違いました。そう、それはスーパーチ
ャージャーだったのです(ちなみに四型)。AW11で箱根を走ったインプレッションを書いていました。その中のAWはコーナー
を楽々クリアしていました(フロントに荷重をかける事が重要とされていたけど)。「そうだMR2があったんだ。」、私はそ
の日からMR2を買う事も考え始めました。
就職した途端に私はディーラー周りを始めました。その時点での候補は、
MR2(AW11)、レビン・トレノ(AE92)、シルビア(S13)、
CR-X(EF7)、プレリュード(BA4)、X1/9
などでした。ホンダは高いので脱落。X1/9はミッドシップで良いと思ったのですが、これも高価(SWのGTと同じ位しました)
な上にいきなりイタ車はさすがにと思い断念。結局、FFにはなんとなく恐かった(駆動輪と操舵輪が同じというのが)ので、
AE92も落ちて、最後はAW11とS13の一騎打ちとなりました。結局、決め手になったのは、SWの情報でした。その時点で夏か秋
にはMR2がフルモデルチェンジされ、2000ccになり大きくなるという情報は雑誌に出ていました。私は小さい方が好きである
事、ロータス・ヨーロッパの影響か1600ccという排気量が何故か気に入っていた事もあり、MR2を買うならAW11に限ると思っ
たのです。そして、最終的に私はMR2を選んだのです。
私が購入したのは、AW11の最終型のG-LTD、ノーマルルーフのNA、ボディカラーは白でした。本当はブルーマイカが欲しか
ったのですが、残念ながら、それはスーパーチャージャーの専用色で、選べませんでした。同様に、ADパッケージも欲しかっ
たのですが、これもNAは駄目と言われ、泣く泣く諦めました。
なお、スーパーチャージャーにしなかったのは、NAよりも高価である事と、その時点で既に今と同じく加給器が嫌いになって
いたせいです。これは「よろしくメカドック」の作中でターボラグの問題が何度も取り上げられていたからかもしれません。
もっとも、スーパーチャージャーだから、ターボラグは無いのですけど。(^^;とにかく、ちょっと前にミラージュ・サイボ−
グを良いなと思った事などすっかり忘れたかのように加給器嫌いになっていました。加給器嫌いは今でも同じです。
こうして私は、初任給をもらったばかりで、総額200万円を軽く越える新車をほぼ全額ローンで購入する事になったので
す。苦難の半年が待ち受けている事なぞはその時の私には知る由もありませんでした。その話はまた今度。(^^)
No.001 Rough Tone (Hideyuki Tanaka) 1997.6.21
池沢さとし氏の漫画「サーキットの狼」。たかだか1600ccのロータスヨーロッパで、並み居るスーパーカーを打ち破る風吹裕矢に、誰もが判官贔屓にも似たカタルシスを感じました。クルマの免許も持たないくせに「クルマはパワーじゃなくてコーナーリングだ」などといってはばからない生意気な子どもを量産することになったのです。もちろん、私がその一人だったことは言うまでもありませんが。
「サーキットの狼」は、また、多くのミドシップ信仰を生みました。
84年に誕生した初代MR2は、70年代のイタリアのベルトーネX1/9、ランチア・ベータ・モンテカルロとともに、量産ライトウェイト・ミドシップとして、安価にフォーミュラライクなスポーツドライビングを味わわせてくれる貴重な存在だと思います。
90年代の日本には、ホンダ・ビートやオートザムAZ-1のような、小さな宝石のようなミドシップカーが誕生したし、現在も英国ではミドシップのオープンスポーツ、MGFが生産されていますが、私が自分たちの時代だと思っていた80年代には、このMR2しかありませんでした。まさに私にとっての「ロータスヨーロッパ」だったのです。
でも、じつは、手に入れたころの私は、フェラーリに憧れ、この赤い小さなミドシップを自分だけのプチ・フェラーリだと思っていたので、ステアリングにも308やディノに似た古風なものをつけ、ホーンボタンには跳ね馬をあしらっていました・・・。でも長年つき合っているうちに、初代MR2は、やはりMR2であって、何物にもかえられないものだということを理解しました。私は、このクルマでドライビングの楽しさを覚えたのです。フェラーリではなく、このMR2で・・・。
私のMR2は走行距離も20万kmを越え、かなりくたびれてきましたが、いまだに「今度の休日はコイツで何処に出かけようか」ってな楽しみを感じさせてくれます。
夜通し走り回って疲れ果て、助手席に移り、シートを目いっぱい下げ、たいしてリクライニングしないシートで窮屈に眠っても、コイツと一緒なら夢を見ることができました。
私は現行MR2(SW20)やNSX、そしてもちろんフェラーリも好きですが、やはり自分にはAWのこのサイズとパワーが合っているように思います。だからロータスエリーゼなどは、私にとっては理想に近いクルマともいえます。でも、日常の足としてのクルマならともかく、ドライビングを楽しむためのクルマとしては、こいつが息絶えて走らなくなるまで、他のクルマには浮気しないでいようと思っています。
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