☆ 中国残留婦人交流の会 ☆

  1. 会の趣旨
    第二次世界大戦中、日本は政府の施策として、開拓団・軍事要員等として中国東北部(旧満州)へ日本国民を大量に送り込みました。 この人達は、敗戦の混乱のなかで逃げ場を失い命を落とした人、やっと生き延びた人とさまざまでした。こうした中で生きるため現地の人と結婚し、また幼い子どもたちは現地の人に救われ、育てられて現在に至っています。 しかし、日本人としての苦悩の生活から解放されることはなく、厳しい現実の中で「唯々故郷の日本に帰りたい、せめて一度でもいい日本の土を踏みたい」と言う思いで、既に半世紀以上を過ごしている「残留婦人・残留孤児」そしてその子どもたちがいます。 私たち「残留婦人交流の会」はこの残留邦人の切なる思いに何とかお役に立ちたいと言う趣旨で、1987年6月にこの会を発足させました。以来、今日までのいろんな活動を続けてきました。

  2. 残留婦人・孤児を取り巻く現状
    「福岡県残留婦人交流の会」は、今年で12年目を迎えました。この間毎年のように中国東北部(旧満州)を訪問し、現地で残留婦人や孤児の皆さんとの懇談を行い現地の実態を把握するとともに、文通を通して交流を深めてきました。その中から一時帰国をはじめ、戸籍の確認など多くの問題を依頼されその解決のために努力してまいりました。 また、県内居住の「永久帰国者との懇談会」を開催することによって、帰国後の多くの諸問題が表面化してきました。そのため、県援護課(援護係)や厚生省等に足を運び、問題解決に向けて陳情や要請行動を行い、現在では次のような点で前進を見ることができました。

    1. 1972年の日中国交回復後10年に1度の一時帰国が、1993年にやっと5年に一度の一時帰国が可能となり、また、70歳以上の人は3年に一度と期間が短縮されました。1995年からはさらに短縮され一年に一度の一時帰国が可能となり、毎年里帰りが出来るようになりました。 また、国費による同伴帰国の子世帯について、1994年に65歳以上の帰国者本人を扶養するために同伴する青年の子一世帯が認められ、1995年には60歳以上に、1997年には55歳以上に改善させました。

    2. 永住帰国者も1993年頃から急増していますが、帰国後の住宅や生活保護等安定するまでの手だても前進をみています。 生活保護は帰国直後は婦人86.5%、孤児91.5%の方々が受給され年数を経るにしたがって減少し全体で65.1%となっています。 公営住宅へは婦人87.4%、孤児92.3%、全体で98.6%が入居。2000年12月4日に出された「中国帰国者支援に関する検討会報告」に基づき、厚生労働省社会・援護局は2001年1月に「中国帰国者支援・交流センター設置について」を決定しました。10月を目途に首都圏及び近畿圏に設置される予定です。
      主な事業内容は@就労に結びつくような日本語の習得支援A生活相談や帰国者相互、地域住民との交流支援B各地のボランティアの活動情報の収集と提供C中国残留邦人問題の普及啓発事業です。

    3. 戸籍不明者は、一時帰国・永住帰国が大変困難でしたが、1995年末頃から、かなり緩和された措置が取られるようになりました。

    4. 帰国者の年金問題についても具体的検討が進み、まだまだ不十分ながらも1996年4月」より「帰国者年金特例措置」が発足し、若干の年金が支給されています。現在(1998年調査)52%の方が受給されています。

    5. 「帰国者の墓」も多くの皆様のお力添えで、福岡市西部霊園に建立する事が出来ました。帰国者にとってこの福岡の地が真の安住の地となることを祈っています。現在納骨されている方々は26名となっています。

    6. 残留婦人や孤児の皆さんが帰国されたとき、言葉の不自由を少しでも解消できるよう、また、現地の方々も一緒に学べる「日本学校」の開設のため、1995年より取り組みを始め、1998年9月1日に内モンゴル地区海拉繭市に開設する事が出来ました。

  3. 会の主な活動
    1. 会の趣旨に賛同してくださる方々への呼びかけを行い、会員の拡大に努める。

    2. 一時帰国者の受け入れと滞在中の世話活動、及び永住帰国者の世話や日常的相談活動を行う。

    3. 活動を推進するため資金集めの活動を行う、(会員の会費・有志からの寄付・募金活動など)

    4. 毎月第一日曜日に(原則として)定例会を開催する。

    5. 年一回の永住帰国者懇談会を開催する。

    6. 年に一回定期総会を開催し、一年間の活動について総括し、次年度の活動方針を決める。

    7. 必要に応じて行政機関との折衝を行う。

    8. その他


ホームページに戻る