亡父との思い出
最終更新日 平成16年3月21日
| 最大の贈り物 三井田 孝欧 *2003年統一地方選挙の開票日から一週間後の5月6日に父が他界しました。 そんな父との思い出の文章です。2003議会だより9月号に掲載されたものです。 |
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「名は体を現す」と申しますが、自分自身がその通りなのかを考えますと、 少し悩んでしまいます。 私の名前である「孝欧」は、この春に他界した父(享年:58)の命名による もので、父の名である「国孝」から親孝行の「孝」の一字を継いだかたち です。 父は、小林治助市長から今井哲夫市長、飯塚正市長、西川正純市長まで、 十数年にわたって市長車の専属運転手を務め、原子力発電所誘致をはじめ、 激動の柏崎市政をその目で見てきました。 その経験からでしょうか、いつか息子を政治家にし、自分がその運転手 となって柏崎市内を走り回る、という夢をもっておりました。気晴らしの パチンコで勝ったのか負けたのか、どっちにしても帰りがけに飲んで家に帰り、 ホロ酔い加減で懸命にその夢を語る父。 それに対し、当時二十代だった私は、市政への興味はまったくなく、 「そんがん事言ったって、無理だこってぇー」 と冷たい態度。いま思えば、親不孝者でございます。そんな私も三十路を迎え、 本気で柏崎のこれからを考えるようになり、自分が思う政治の道に行くことが、 父の夢を叶えることにもなり、親孝行になるのではないかと考えはじめました。 それには、父の病状と余命を知ることとなったことも大きく関係しています。 お陰様で一年生議員となった今は、本人が他界したので、完全に夢を叶えて あげることはできなかったものの、ほぼ半分?は親孝行できたのではないだろ うかと思っております。 また、「孝欧」の「欧」はヨーロッパの欧州から来ています。まだ一ドル360円 の固定制の時代、父はポーランドをはじめ、欧州各地に行き、その先進性と 合理性、そして大きさに驚いたそうです。 自分の息子には欧州のような大きい存在になってほしい、という願いが「欧」 という字になりました。 普通、「孝欧」と書けば、「たかおう」と読みます。そのままであれば、幼稚園 や小学校で名前を呼ばれたとき、周りに笑われたりすることがあったかも知れ ません。この「欧」を「おう」と読ませず、一般的な「たかお」と読ませたところ に父の心遣いがくみ取れます。 この「孝欧」という名前は父からの最大の贈り物であり、私が生涯追うべき道 だと思っております。
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