31鞍目  上山競馬の形見 (15.11.11)

  8年前の春のこと。東北地方の私鉄乗り潰しの道中、私は山形市内のYHから福島競馬場に向かっていた。バスでかみのやま温泉駅に行く途中に競馬場の前でバスが止まったので、反射的に下車した。時間が合えば1Rだけでも見て行こうと思ったが、11時の開始時間まで待つと予定が狂うので、記念に出走表だけもらって帰った。遠くに蔵王連山が見え、こんな風光明媚な場所で、1日競馬を見ているのもいいかなと思っていた。しかし、関西から東北の地は遠く、その「いつか」が来ないまま、上山競馬は存廃の危機に立たされ、とうとう03年11月11日をもって開催を終了することが決定してしまった。

  もし、来年も開催されるなら、自分の冠レース(1万円相当の賞品を提供すれば、誰でも好きなレース名を付けられた)を作って大いに盛り上がろうと思っていたのに、残念でならない。これまでも、訪問を果たせずに消えた地方競馬場はあった。しかし、一度は訪れたことがあり、また、ネット上で知り合った人たちが語ってきた競馬場が消えるとあって、これまでにはない感情に包まれた。何とか行ってみたい。上山競馬が生きている姿を目に焼き付けたい。そう思ったときには、行けるとしたら本当に最後の11月11日しかない、という状況だった。よそ者の私が、地元の人たちに愛され続けた競馬場が消える瞬間に、ノコノコと参加していいのか?迷いはあったが、ひとつの競馬場が消える日がどう言うものなのか、それを現地で感じ、今後の競馬のあり方について自分なりに考えるきっかけにしようと、上山に駆けつけることにした。

  10日夜出発のバスに京都駅から乗り、翌朝、山形県南陽市の外れの赤湯温泉に到着。バスが大幅に遅れたため、朝風呂はできずに出発となった。市内に住む武ほーぷさん(当サイトリンク先の管理人)と事前に連絡を取り、バスから降りるとそのまま車に乗せてもらった。1時間ほどは局回りにお付き合いいただき、競馬場に着いたのは10時20分頃だった。国道から競馬場への向かう道の雰囲気は8年前と変わらないが、霧で煙って蔵王の山並みは見えなかった。

  入場の際、無料の招待券もいただいていたが、せっかくなので、千円の指定席を奮発した。コーヒー無料券が2枚付いていても、コーヒーが飲めない私には役に立たない(^_^;入るとすぐに記念品と名物「玉こん」をいただいた。また、なぜか使い捨てカイロの「ホカロン」もくれた。これは7Rのレース名が「ロッテホカロン記念」だと知って納得。場内の買い物の手始めに専門紙『かみのやまKEIBAニュース』を購入。550円なのだが、500円におまけしてくれた。資料を手に入れ、とりあえず荷物を指定席に置いてレースを見に行ったが、予想通りこの席には一度も座らず、荷物の指定席になっただけだ(^_^;

  普段の状態は知らないが、やはり別れを告げに来た客は多いようだ。後日教えてもらったら、この日の有料入場者数は3,744人。中央競馬と比べれば小さい数だが、施設も狭いので人でいっぱいだった。武ほーぷさんによれば、武豊が来たさくらんぼ記念や、最後の日曜日だった9日よりも多いだろうとのこと。地元の人から「普段これだけ来てくれたら廃止にならないのに」との声も漏れ聞こえた。これは、鉄道のローカル線の廃止でも聞いてきたが、こう言うのを聞くと、最後だからと乗り込んでいく自分が少し恥ずかしくなる。地元じゃないから普段行けないのは仕方がないのだが・・。

  小さなスタンドを挟んでパドックと本馬場があるので、パドック−馬券売り場−ゴール前の動きには大変便利だ。しかし、無情の雨がその動きを制限していた。傘をさしながらでは、どうしても動くのが億劫になる。10時50分、第1R出走。馬券は、しばらくパスしてレースだけを見ていた。1周1100mの小さなコースなので、どのレースも馬が2回はスタンドの前を走る。濡れて重くなった砂を蹴り上げて、一生懸命走る馬たち。競馬新聞で◎が並んだマイネマジョリカが勝った。レースを引き上げて表彰台に向かう騎手は泥だらけだ。そんな姿が間近に見られる競馬場は、中央にはない暖かさを感じた。場内をウロウロしていると、あちこちに武ほーぷさんの顔見知りがいて、私もあいさつさせていただいた。中には顔の他は名前も何も知らない人もいるそうだが、そういう人たちが集う場がなくなるのだと思うと、よそ者ながらも寂しい気分になる。

  3Rで20万馬券が飛び出して場内が大いに沸いたが、注目は冠レースの後に恒例となっているらしい、騎手による記念品撒き。武ほーぷさん曰く「バーゲンに群がる大阪のおばちゃんに匹敵する」そうだが、まったくその通りだ。私も参加してみたが、熱心なファンに弾かれるだけで、その後何度か挑戦しても何ももらえなかった(^_^;4Rで初めて馬券を買ってみた。馬連では固い決着が多そうなので、3連複で攻めることにした。が、そう簡単に当たるものではない。4Rが終ると正午も過ぎて昼食タイムだ。スタンド内の蔵王食堂でもつ煮込みの入ったうどんを食べた。なぜか、地方競馬場に行くともつ煮の類がメニューにあり、また、ついついそれを好んで食べてしまう。

  食事をしていると、6Rは馬券を買うヒマがなかった。△が並ぶオモイデと言う馬に目が行った。「上山競馬の思い出に、こいつが来たりして」とか言ってると、勝ちこそトウカイビクトリーに譲ったが、2着に突っ込んできて、◎だらけのジェニティリスが飛んだおかげで馬連でもそこそこ付いていた。買っときゃよかったな。7Rはスポンサーのロッテにちなみ、「ロッテ」の字が入った馬を買おうとしたら、この3文字のどれかが入る馬がメンバー中2頭しかいなかった。だから、この2頭を軸に3連複で勝負してみた。1頭は勝ったが、もう1頭は4着。そんなもんで当たるほど甘くなかった(^_^;

  7R終了後、騎手たちがスタンド前に勢ぞろいした。「残り4レース、全力で戦います」の言葉が切なかった。あいさつの後、騎手からスタンドに向けてゴーグルとかが投げ込まれた。中には勝負服を渡す(剥ぎ取られた?)騎手もいた。さながら、ウイナーズサークル同様の記念品争奪戦となっていた。嵐が去った後、うどんだけでは小腹がすくので、丹野食堂で焼き鳥を買おうとしたら、製造が追いつかないようで、待った上にハツ(心臓)だけしか手に入らなかった。先ほどから燗酒を探していたが、食堂内は暖かかったので、生ビールを1杯頼んだ。それが隣のテーブルにも呼び水になったようで、少しは売り上げに貢献できたか。外はどんどん冷え込み、入場時にもらったホカロンが役に立った。

  最終レースとなる山形記念樹氷賞の馬券を買ったが、後になって冠レースの最後となる10Rの馬券も買いたくなった。あと3分になってから急いでマークシートを塗って発行機の列に並んだので、買えるかどうかドキドキだった。何とか間に合って、すぐに外に出た。競馬の神様の計らいか、いつの間にか雨は上がっていていた。10Rの名前が「井上徳康来年もまた来ます杯」とは、あまりにも皮肉なことだ。馬券購入はやはりいい加減で、印の厚い馬に、適当に穴っぽいのを足して3連複5頭ボックスとし、うち1頭、ヤマノタリークは馬柱表の「河内洋」の名前に釣られて選んだ。小倉で走っていて、2年の休養後上山に移って来たようだ。すると、人気薄のこの馬が3着に突っ込み、3連複9,880円的中!あと少しついて万馬券だったらなお嬉しかったのだが、地方競馬でこんな高配当を当てたのは初めてだった。ここは軽くガッツポーズ。

  そして、本当の最後、第31回山形記念樹氷賞。本命は去年の覇者スパートクロスで、対抗は中央の障害でも活躍したエイシンコーバリスだった。むしろ、人気のない馬の中に、カガヤキローマンやゲイリーフラッシュ、オーソリティなど、中央でもよく耳にした名前があったのが嬉しかった。2300mの一戦は、スタンド前を3回通過する。レースの展開なんて、覚えていない。ただ、馬が前に進むに連れて、最後のときが近づいて来る。場内のアナウンサーは、これが最後のレースである無念さを実況の中に織り込み、悲しみをさらに掻き立てた。3回目に馬群がスタンド前に差し掛かったとき、場内は大きな歓声に包まれた。勝ったのは5番人気の伏兵・セイウンリンクスで、鞍上は上山のリーディングジョッキー・前野だった。2着にスパートクロス、3着がさくらんぼ記念での地元最先着馬・タワリングドリームだった。45年の幕を閉じるこのレースで、私の3連複馬券も的中した。しかし、心底喜ぶことはできなかった。もう、これで全てが終わりなのだ。

  感傷に浸る前に、とりあえず現実に戻って馬券を換金しないといけない。トータル6千円のタネ銭が2枚の的中馬券で14,160円になった。バス代片道の8割くらいは儲かったか。財布を少し潤わせて急いでスタンドに戻ると、表彰式と市長のあいさつが始まった。表彰式では大きな前野コールが起こり、続いて上山市長が現れると、一転罵声が飛んだ。ファンの怒りの声にかき消され、市長の声は聞き取りにくかった。廃止に至った詳しい経緯は私には分からないが、地元のファンには、市長が開催継続への十分な努力をせずに一方的に廃止を決定したように思われているようだ。あいさつが終わっても、拍手よりは野次の声の方が大きかった。財政状況を顧みず、何が何でも残すべきだとは思わないが、主催者を陣頭に、黒字にすべき最大限の努力をしていれば、こんなにも責められることはなかっただろう。想像はしていたが、後味の悪い幕切れだった。

  帰りのゲートでは握手会として騎手一同が並び、色々なグッズを配っていた。私には誰が誰なのか分からないが、とりあえず最初に立っていた騎手と握手してもらった。武ほーぷさんは多くの騎手と顔見知りのようで、ひとりひとりに声をかけていた。しかし、段々それが辛くなったようで、最後は足早に列を抜けた。長い間、何度も通えば、色々なスタッフとも知り合いになる。それだけに、こんな形での別れはなおさら辛いだろう。同じ思いのファンは多かったに違いない。私が感じているやるせなさの何倍もの悲しみを抱いているはずだ。そんなファンたちの、そして切り捨てられたスッタフや馬たちの恨みの涙か、黒い空から再び雨が落ち始めていた。

  覚悟はしていたが、やはり今回は、純粋に楽しかったとは言い切れない、苦々しい遠征であった。楽しみとともに、悲しい思い出も持って帰ることとなった。雨の中必死で戦った馬や騎手たちは、これからどうなるのか?食堂のおばちゃんは?レースを楽しみにしていたおっちゃんたちは、明日からどうするの・・。生の姿を見てしまっただけに、余計に行く末が気になってしまう。私の手元には、ひとつのゴーグルが残っている。握手会のときに、他の人がゼッケンとかをもらっているのを見て、私も何かお願いしてみて若い騎手からいただいたものだ。「服部」と名前が入っていた。これが私にとって、上山競馬の形見と言うことになる。この形見の品を見る度に、ひとつの競馬場が消えることの重みを思い起こすことになるだろう。

32鞍目  府中の芝に鳴り響く靴音 (15.11.30)

  また雨である。このHPを始めて以来、何度か関西以外の競馬場へ遠征してしているが、去年暮れの中山、今年の小倉、上山もそうだ。6月の中京にしても、当日は降られなかったが、前日の雨で芝生の広場で寝っ転がれる状態ではなかった。そして今回、東京競馬場への道中も雨の中だった。すっかり自分の雨男ぶりに嫌気がさしたが、こればかりは仕方がない。今回の上京は、私が20年以上おつき合いさせていただいているレイルウェイ・ライター(鉄道専門のフリー記者)・種村直樹氏の開業30周年パーティーに出席するのが目的であった。

  しかし、たまたまそれがジャパンカップの開催日だったのだ。さらに、渋谷で17時開始とは、「JC観てからおいで」と言わんばかりの設定だ(^_^;幸い、神戸から立川に向かう夜行バスが取れたので、朝から腰を落ち着けての府中参戦となった。6時10分頃立川駅前に到着し、朝食を取ってからJR南武線で府中本町駅に向かった。駅には現在発売中の「東京競馬場70周年記念」のオレンジカード3枚セットの写真が張り出されていた。うち1枚が99年の天皇賞の写真で、右端に熊ちゃんとステイの姿が!しかし、今回はカツカツの予算で来ていたので3千円の現金支出は痛く、泣く泣く購入をあきらめた。改札を出て東へ伸びる連絡通路で競馬場を目指す。床がタイルのため、雨が降ると滑りやすくて危険だ。

  競馬場の西門に到着したのは、7時頃だった。雨が降りしきる中、すでに指定席を求める行列ができていた。もっとも、上には連絡通路があるので、傘なしで並べるのだが。E指定席(500円)の列がまだ満席ではないようだったので、列に並び、整理券を手に入れた。これでとりあえず、座る場所は確保できた。一旦列は解散し、7時40分に再集合となったが、律儀にも整理券の番号の通りに列を再生していた。8時前には開門になったが、私が指定席を手に入れ、ずっと向こうのスタンドにある席にたどりついたのは8時半に近かった。ここで、KANKANさんと連絡を取ったところ、ゴールに近い場所に席を取ってくださったとのこと。西門の方に向かって引き返し、ようやくKANKANさんと合流できた。結局、そのまま指定席には二度と戻らず、上山のときと違って、荷物置き場にすらならなかった(^_^;

  KANKANさんは東京在住の方で、「WEEKEND DREAM」と言うサイトを管理されている。『週刊競馬ブック』でも紹介されたことがあるほどだから、弱小マイナーな当サイトとは訳が違う(^_^;「優駿エッセイ賞」で検索をかけるうちにKANKANさんのサイトを見つけ、無礼にも掲示板に「優駿エッセイ賞入賞への体験談」みたいなのを書いてしまったのをきっかけに、以後ずっと拝見させていただいている。私は大好きな熊沢騎手を中心に競馬を見て、お気楽にサイトの運営をしているのだが、KANKANさんは広く競馬界全体を見渡し、時には辛口に競馬を論じていらっしゃる。競馬への情熱が人並みではないことが、サイトの節々から感じられる。初対面ではあっても、普段サイトをのぞいていると、ある程度管理人のことは分かるので、まったくの初めてと言う気はしない。

  この日は11Rしか施行されず、午前中は4Rだけで、しかもなぜか、全部ダートのレースだった。KANKANさんは、きっちり見るものは見て予想されるので、必ずパドックに向かう。私もそれについてパドックへ足を運んだ。府中のパドックは、ほぼ周回で柵の間際で馬を見られる。私はカメラを持っていなかったが、そのつもりなら写真も撮りやすかっただろう。パドックでの写真の撮りにくさいついては、やはり阪神競馬場が最悪である。しかし、雨のときには傘なしでも近くまで行ける利点もあり、最寄り競馬場の良さと悪さを再認識した。

  幸い、2Rからは雨も小降りとなり、傘なしで場内を移動できるようになった。私の馬券は、とにかく完全に朝から「哀愁みっきぃ」モードだ。もう、いちいちレースごとに書くのは面倒なのでまとめて白状すると、9Rまでで買った5Rで総スカ(-_-;馬券を買わなかった2Rでは、3連復で94万馬券が炸裂!もちろん、現場で見る最高配当だ。前の週には熊ちゃんと上山からの移籍馬が絡み、京都で90万馬券が飛び出したが、まさか、こんな配当が2週続けて出るとは・・。

  3Rでは、やたらに長い審議があった。4Rのパドックを見終えてもまだ続いていた。これは何かある、と思っていたら、1着入線のデムーロが降着を食らってしまった。あらら。デムーロって、来週阪神競馬場で行われるワールドスーパージョッキーズシリーズに出るんじゃなかったっけ?騎乗停止にはしたくなかった騎手が、そうせざるを得ない状況を作ってしまい、対応に苦悩したJRA。そんな図式が頭に浮かんだ、長時間の審議であった。(ちなみに、藤田騎手が代役で出場するとか)4R終了後、すぐにフードコーナーで弁当を購入。並ばず買えて拍子抜けだった。席に戻って食べていると、陸上自衛隊のブラスバンドが現れて演奏を始めた。なかなかGTをナマで見る機会は少ないのだが、昼休みに大々的にコースで演奏すると言うのは初めて見た。チアガール隊も登場し、華やかなお祭りのムードだ。

  7Rからは特別戦に入り、場内の移動も窮屈な状態になってきた。スカ地獄のためジャパンカップを除いた資金も乏しくなり、7、8Rは見送りで、パドックにも行かなくなった。基本的に私は人ごみが嫌いなので、場内が込みかけると動きが鈍くなる。そんな状態でもちゃんとパドックを見に行くKANKANさんはマメだなぁと思った。まあ、まともに予想するなら、それくらいはしないといけないのだろうが(^__^;その分、私はジャパンカップの予想に専念した。馬場は芝が重にまで回復したものの、悪いことには違いない。適度な荒れ方は波乱の要素だが、度を超えて悪いと、やはり実力通りになる。結論は、「シンボリクリスエスから点数を絞って勝負」だった。そして、道悪得意のネオユニヴァースの巻き返しと、騎乗停止になるデムーロの「最後の賞金稼ぎ」に期待し、資金の半分を5−8の馬連に注ぎ込んだ。その分、多少気になりながらも、馬券的妙味が薄いタップダンスシチーやザッツザプレンティは切ってしまった。最初は、日本の有力馬のボックスも考えたのだが、府中の現場で得た色々な要素が、結果的に裏目に出てしまうことになる。

  9Rは、マイルCSからの連闘に意欲を感じ、外国馬トゥスールから3連複流しを敢行したが、5着が精一杯。相手を関西馬に絞り、終わってみれば、1着は関東のシベリアンホークだったが、2着エイシンツルギザン、3着はブービー人気のギャンブルローズで3連複3万馬券。2・3着は買ってたから、もうひとひねりで取れてたのに・・・。気を取り直して、いよいよジャパンカップだ。肩に「JC」と書かれていた誘導馬たちは、今度は出場馬の所属する国の国旗を背負ってコースに入った。そして、出場馬は次々とキャンターに入った。前の週に見たマイルCSも一応は国際レースなのだが、やはり、国際GTのジャパンカップの華やかさには叶わない。世界の強豪たちが集うレースをナマで見られるのは、やはり幸せなことだ。

  7年ぶりにナマで聞く関東GTのファンファーレの後、スタンドの歓声に包まれた中でゲートが開いた。出遅れはなく、きれいなスタートだった。これと言った逃げ馬がいないメンバーで、やはり押し出されるような形でタップダンスシチーが馬群を従える形が出来上がった。あまり速くないペース。徐々に開く後続との差。これはひょっとして・・・。KANKANさんも同じ意見だった。逃げ馬には長く苦しい府中の直線。しかし、今日のタップダンスシチーには勝利を固める場でしかなかった。後続馬の追い上げを危機にも思わせない9馬身差の圧勝で、タップダンスシチーと佐藤哲三のコンビが国際的舞台を制した。タップダンスは固い床の上で踊るものだが、重い府中の芝の上で靴音が高らかに鳴り響いたのだ。大きく遅れて2着がザッツザプレンティ。切って捨てた2頭でワン・ツーか・・。自分の勝負馬は3着、4着だった。馬券的には何とも哀愁たっぷりの結果に終ってしまった。

  この後の予定があるので、私の競馬観戦はここまで。KANKANさんに別れを告げ、京王線の府中競馬場正門前駅に向かった。混雑で動きにくいのを覚悟したが、ビックリするほどスムーズに正門まで出られたので、モニターでしばらくインタビューを見ていた。佐藤哲騎手と言えば、どちらかと言えば地味な騎手だ。また、「シチー」の馬主である友駿HCも、有名ではあっても、馬の活躍度で見ればやはり地味なクラブだ。そんなコンビが国際レースで優勝する。私としては、良血の有力馬に乗る武豊や安勝、外国騎手に勝たれるよりは、喜ばしい結果だ。佐藤哲騎手は、毎年関西リーディングでは熊ちゃんと同じような位置にいるので、私は勝手に「熊ちゃんのライバル」と位置づけていた。勝ち星の数こそ熊ちゃんが上回ることが多いのだが、近年の佐藤騎手は、重賞戦線で活躍しており、うらやましく思っている。佐藤哲騎手の喜びの表情を見ながら、GTの舞台でインタビューに答える熊ちゃんの姿を重ねてみた。このまま「GT2勝」で終ってほしくない。その思いをさらに強くした、今回のジャパンカップ観戦であった。
   
最新の鞍へ
トップページにもどる