| 61鞍目 1万回目の大仕事(2005.2.12) | |
騎手を評価するのに、一番分かりやすい数字は勝利数だ。たくさん勝っていれば、誰でも「すごい」と思ってくれる。しかし、当たり前のことだが、馬を集めて乗ることから始めないと勝利を積み上げることはできない。騎手の本望は、1鞍でも多く乗ることであり、そのための一番効果的なPRが「勝利」であるに過ぎない。そう考えると、「何勝しかた」以上に、「何鞍乗れたか」の方が、騎手にとって値打ちのあることなのかも知れない。 現役で7人が達成しているJRA1万回騎乗。その8人目として熊ちゃんが名乗りを挙げようとしている。前の週を通算9994回で終った。残り6つ。恐らく、12日の土曜日に達成できるだろう。特別レースの登録を見ると、8Rの淀ジャンプSにフレノキャプテンの名前があった。除外馬は出ないので、恐らく熊ちゃんが乗ることになるだろう。これは面白い。障害で達成の可能性も出て来た訳だ。7Rまでに5鞍。熊ちゃんなら可能な数である。しかし、それより少なくてもダメ。多くてもダメ。仮に、そうなるように依頼を調整したとしても、依頼を受けた馬が除外になったりしたらアウトだ。これはもう、自然の流れに任せるしかない。木曜日に発表になった出走メンバーを見ると、1R、なし。2R、あり。3R、なし。これで、もう空きは許されない。4R、5R、6R・・あり。そして注目の7R・・「熊沢重文」あったぁ〜!もちろん、フレノキャプテンが出ていなかったというオチはなく、このまま順調なら1万回目が障害になることになった。そうでなくても行くつもりだったが、こうなったら、何が何でも淀に行かねばならない。 ハイライトは午後だから、そんなに慌てず9時過ぎに自宅を出発。4Rの出走時刻に競馬場に着いた。馬券は買えなかったが、レースは見ておいた。出走取消のお知らせはなかったから2Rは無事走っていたはずで、9996回目となる。バンジョーフェアーは好位から徐々に前へ取り付いたが、直線で伸びず、終ればブービー。勝ったのはアグネスボーイの武豊だった。着いて早々昼休みで、飯でも食うか、と引き上げようとしたところでテッキンさんに見つけてもらった。お互い、前日1日だけ復活したのに食べ損なった吉野家の牛丼を食べようと言うことになり、列に並んだ。競馬場では毎週末に食べられる牛丼。これはこれで不味い訳ではないのだが、やはり、米産牛肉を使った、レギュラーの牛丼の方が安いし美味い。半熟卵を付けてピッタリ500円の牛丼が早く復活してほしいものだ。 食事を終えて、パドックに出てみる。全体的に横断幕の数が少なくて寂しいのだが、障害の特別戦があるからか、障害関係のものは結構目立った。白浜雄造なんて2枚もあったのに・・なんで、熊ちゃんのがないの?1万回なのに。私もそれなりに熱心な熊沢ファンだとは思うが、芸術的センスがないので、恥ずかしくて横断幕までは作れない(^_^;金をかけて横断幕を作り、競馬場まで張りに来るのは、相当なファンに違いないと私は思っているのだが、そんなファンが、なんで1万回の大節目に来ないのよ・・。案外、そう言う記録って、ファンでも気にならない人は気にならないのだろうか。9997回目は、久々に白井厩舎からの新馬、しかもメイショウボーラーの弟・オースミナイスで登場だ。1頭抜けた人気なのがいたが、それでも4番人気に支持された。しかし、同じ母親の馬でも、父親が変わればこうも違うものなのか、「初戦向きではない」のコメントどおり、逃げバテの8着(-_-;勝ったのは、あおったスタートも関係なしに中盤には先頭に立って押し切ったマルブツシルヴァー。また武豊だ。 9998回目はキンショーワールド。あまり期待はしていなかったが、あおって出遅れ。5番手まではポジションを上げるものの、7着に持って来るのがやっと。前3頭がそのまま行くのかと思ったら、後ろから馬と馬の間を縫うようにセイウンプレジャーが飛んできて、あっさり勝ってしまった。またまた武豊。9999回目の7Rはマルノウエスタン。どうにも勝負になりそうもなく、8Rへの資金を増やすために馬券は見送ったが、単勝600倍台の、ダントツで「裏1番人気」だった(^_^;ここまで人気がないと、どんな着順でも腹が立たない。頑張って、後ろに2頭残しての14着だった。もうどうにでもして、武豊は4連勝。しかぁ〜し、お前の連勝はここまでや。次のレースは出る資格(免許)すらないもんね。次の主役は熊ちゃんなのだ。とりあえずテッキンさんとパドックに行ってみたら、おばらさん発見。テッキンさん曰く「大将」のちっちさんの姿はまだなかった。このレースの人気は、やはり重賞で上位争いをした実績のあるナムラリュージュだった。主戦の高野騎手の負傷で白浜騎手が手綱を握っていた。彼は結構、いい馬の代打で勝ってそのまま持って行っちゃうからなぁ(^_^;フレノキャプテンはと言えば、取り立てていい気配もない。熊ちゃんが乗ると言うのに、単勝13〜4倍程度で5番人気前後をウロウロしている。まあ、長期休養明け後、ちょっとずつ成績は上がっているが、正直、今回のメンバーで勝てるとは思わなかった。 「と〜ま〜れ〜」の合図で騎手が馬にまたがる。14頭中、1頭だけ騎手がいない。それがフレノキャプテンだ。障害に乗る騎手は、逆に平地ではあまり騎乗機会がない。唯一パドックに現れない騎手が、通算1万回騎乗を果たそうとしている。熊ちゃんの記録の意味を象徴した光景に思えた。フレノキャプテンは、最終的に7番人気と言う低評価。私にしても、1万回だと力を入れつつも、馬券は「軸」ではなく、3連複と馬連の「ボックス」だもんね(^_^;それと、もしサインをもらえる状況だったら、これにしてもらおうと、単勝馬券も100円だけ買っておいた。馬券を買っている間に本馬場入場が始まっており、フレノキャプテンが出るときには、 「熊沢騎手はJRA通算1万回騎乗になります」 と言っていた。嬉しいアナウンスではあるが、今の時点では達成じゃないんですけど(^_^;ウイナーズサークルの辺りにいると、出走時刻が近づいてきて、大将・ちっちさん登場(^_^;役者がそろったところで、記念すべき瞬間を迎えた。全馬ゲート入りを終え、スタート!この瞬間、一同小さく拍手。これで熊ちゃんの1万回騎乗が確定!後は落ちようが何しようが、「障害で1万回騎乗達成」の偉業は成立だ(^_^;レースは往年のツインターボを思い出させる強烈な大逃げでダイワウインダムが飛ばして行った。テレビ中継のカメラマンを泣かせる展開だ。そのはるか後方でフレノキャプテンとヤシャボサツが2番手を併走していた。約1頭を除くと僅差で逃げているような形が3周目の向正面続いていたが、ここで人気のナムラリュージュが仕掛けて来た。フレノキャプテンを交わし、失速はしたものの大逃げの貯金が残るダイワウインダムに襲いかかった。 「あ〜ぁ、やっぱりナムラリュージュか」 力のある人気馬に交わされ、あきらめかけたが、ここからがいつもと違っていた。人気のもう1頭、コアレスプレジャーと一緒に上がってきて、直線での先頭争いに食らいついていた。力尽きたダイワウインダムを交わし、人気2頭との追い比べ。 「行け〜!」「差せ〜!!」「抜けろ〜!!」 予想外の展開に、熊沢ファン4名、周りの目も気にせずに叫びまくった。「○○勝」の記録じゃないから、勝てなくてもウイナーズサークルには呼んでもらえる。でも、ここまで来たらやってしまえ。勝って表彰台を独占するのだ。フレノキャプテンは、熊ちゃんの記録を知っていたのだろうか?熊ちゃんのムチに応えて前を伺い、最後は突き放すように1馬身半の差をつけて快勝! 「すごぉ〜い!」 「うおぉぉ〜!ほんまに勝ってしもたがな〜!!」 何と言うことだろう。1万回騎乗を障害で、しかも勝利で飾る。おぼろげに望んだだけのことが、目の前で現実となっていた。ゴールの瞬間、小倉SJでの久々の重賞勝ち以上の興奮を覚えた。祝福の言葉で検量に向かう熊ちゃんを迎え、表彰式を待った。熊ちゃんが嬉しそうにウイナーズサークルに出てきて、まずは1万回騎乗の表彰式だ。主に「○○勝」に使われるプラカードには、紙で「1万回騎乗」と書いてあった。記念に贈られたのはターフィーくんのぬいぐるみ。ええ歳のおっさんがあれを持って手を挙げても、あまり絵にならんぞ。熊ちゃんもやや照れ気味だった(^_^;障害で1万回達成は、もちろん史上初だ。新聞では「障害で100回以上乗った騎手では初」と書かれていたが、これだけ乗るには当然、平地でも多く乗らないといけない。でも、それだけ平地で乗れれば障害にまで乗る必要がない、と言うのが競馬界の常識である。しかし、それについてインタビューで熊ちゃんは、 「ぼくにとっては、普段から平場も障害も乗ってるから普通のことです」 とあっさり言ってのけた。そう、競馬界では常識でないことも、熊ちゃんにとっては当たり前のことなのだ。いや、競馬が好き好きでたまらなくて、1鞍でも多く乗っていたいと考えるなら、たとえ平地で成績がよくても、障害でも通用するようになって、さらに騎乗数や勝ち星を上積みしようとする姿こそ、常識であるべきではないだろうか。障害に乗って得られるものとリスクを天秤にかけるのではなく、ただ単純に競馬が好きだから乗る。こう言う気概を持った若手騎手が現れ、熊ちゃんの地位を脅かすようになれば、障害の未来も明るいのだが。 続いて、レースの表彰式に移り、サインとかを振舞うこともなく、熊ちゃんは去って行った。馬券の方は、テッキンさんが単勝、馬単でたっぷ儲けていた私はと言うと、3連複が当たったものの、それより配当が高い馬連は、別路線で買ってしまい、コアレスプレジャーが抜けていた。JRAの今年の初当たりは、結構トホホな結果だった。サインをもらえなかったので、記念のつもりの単勝馬券を勝負馬券に組み込むと言う卑怯な手段で合わせて2,980円の配当を得て、辛うじてプラスとなった(^_^;しかしまあ、今回の勝利は、馬券関係なしに見られてよかった、と心から思えるものだった。 大きな祭りが終って、あとは淡々と馬券を買って外すのみ。熊ちゃんも、残り2回の出番は9着、13着と奮わなかった。まあ、8Rを勝ったのも奇跡的ではあるが(^_^;テッキンさんは10Rのエネルマオーで儲けて沸いたりもしていたが、私は相変わらずダメダメぶり。浮上のきっかけさえつかめず、淀JSの馬券を当てただけで終ってしまった(^_^;それ以外の話題では、9Rでも武豊が勝って、実況は「武豊、これで5連勝!」と言っていたが、「8Rは乗ってへんで〜」とこっそり突っ込みを入れてみた(^_^;また、藤田が1100勝に王手がかかっており、後のレースはその成り行きにも注目していた。何しろ、私が競馬場に来てからは、平地では武豊のいいとこしか見てないから。 「藤田が1100勝したら熊ちゃんの1万回が目立たんようになるから、今日は遠慮しといてほしいですね」 とか言いながら見ていて、実際に、最後まで勝てなかった。 「これで明日の新聞は藤田に食われなくてよかったですね」 しかし、この時点で誰も気づいていなかった。1Rのウイナーズサークルですでに藤田騎手の1100勝を祝うプラカードが掲げられていたことを(^_^; |
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3月12日は阪神スプリングジャンプ。記念すべき1万回騎乗を勝利で飾ったフレノキャプテンで登場である。満を持して応援・・となるはずだったが、インフルエンザにかかってリタイア(-_-;それで、動けないぐらい苦しんでいたらあきらめもつくのだが、症状は案外軽く、行くつもりなら行ける程度の病状だったので、強行してやろうかとも思った。でも、人にうつすかも知れないウイルスを持っているのがわかっているのに、人ごみに突っ込んで行くこともできないので、残念ながら競馬場行きを自重した。「競馬・喜怒哀楽」は、基本的には観戦レポートを書いているので、競馬場に行かなければネタがない。だけど、次はいつ行けるか分からない・・。と言うことで、たまには、これまであまり書く機会がなかった昔話を書いてみようと思う。今回は私の競馬ビギナー時代の話である。 プロフィールでも書いたように、私が競馬の世界に首を突っ込んだのは、93年5月のオークスである。当時、私の職場は神戸の元町にあったので、ウインズ神戸の存在は認識していた。大学時代からの友人が競馬をやっており、たまに飲みに行ったりしたときには、そういう話題もあったが、一緒に競馬場に行こうとか、そういう話は一度もなかった。92年、メジロパーマーが逃げ切り勝ちした有馬記念では、その友人と元町で会う約束をしており、トウカイテイオーを中心にした馬券を買うと聞いていた。もちろん、私は馬券など買おうとも思っていなかったが、何となくレースの行方は気になったから、神戸へ向かう電車の中でラジオをつけ、実況を聞いていた。恐らくこれが、たまたま流れていた中継を聴いたとかではなく、積極的に競馬に関わった最初のレースだと思われる。もっとも、このときは、「残念やったな〜」と言うだけで終って、その後2人並びのパチンコ台でそろって勝って喜んでいた(^_^; 話をオークスに戻すと、私は元町までパチンコをしに出かけたのだが、いざ元町駅から地上に出ると、続々と駅前の建物に飲み込まれる人の波に、何となくついて行ったような感じで私も建物の中に入っていた。明確な理由など思い出せない。いや、なかったのだと思う。本当に「何となく」馬券を買ってみようと思ったのだ。手にしていたスポーツ新聞の買い目そのままに、馬連千円ずつ5点。買った時点では、軸となった馬の名前すら分からなかった(^_^;後で新聞をよく読むと、桜花賞を勝ち、2冠を狙うベガだった。馬券を買い終わると、最初の目的どおり、パチンコ屋に入った。JRの高架下にあるパチンコ屋は、場所柄どこも競馬中継を流している。オークスの時間になると、打つのを中断してテレビの画面に注目するおっちゃんたちに混じって、私もレースを見守っていた。どうやら、大本命のベガが勝ったものの、2着のユキノビジンまでは印が回っておらず、生まれて初めて買った馬券は外れで終った。 これに懲りず、次の週も私はウインズ神戸に向かっていた。今度は、明確に馬券を買う目的である。軸馬は、皐月賞2着のビワハヤヒデ。もっとも、そんな戦績などは知りもしないで、電話で友人と話しているうちに、 「ビワハヤヒデなんかええんとちゃう?」 との話が出て、それを鵜呑みにしていただけだったのだが(^_^;相手には、相当適当に選んで、気づけば7頭に流していた。たまたま、その中にウイニングチケットがいて、馬券は的中。記念すべき初払戻しとたった。もっとも、7千円の投資に、戻って来たのは7,200円だから、200円しか儲けはなかったのだが(^_^;通算3戦目は、宝塚記念。その日は、職場の親睦旅行で恵那峡温泉から帰る途中で、バスについていたテレビで観戦していた。上司にも競馬をたしなむ人がいて、結構盛り上がっていた。このときは、何を中心に買ったのか思い出せないのだが、メジロマックイーンが勝った時点で残念がっていたよいうな記憶があったから、多分、マックイーンは外して買っていたのだろう。この頃からすでに、武豊に逆らおうとする傾向があったのかな(^_^; 6月に宝塚記念が終ると、当時のGI戦線は長い夏休み。私も、夏のローカル競馬とかには一切興味を示さず、次のGIである天皇賞(秋)まで馬券は休んでいた。その天皇賞も外して、続く通算5戦目となる菊花賞で、ついに高額配当が飛び出した。軸は、ダービーでお世話になった(2着だっけど)ビワハヤヒデしか考えられなかったが、相手は、5頭目をどうするかで悩んだ挙句、決められずに悩んだ2頭を両方外して4頭流しになった。相手の4頭のうちの1頭が、ステージチャンプ。関東の上り馬で、私の希薄な競馬知識ではまず手が伸びなかったと思うが、前日、毎日新聞夕刊の競馬面のコラムで、芦谷有香さんがなぜだかステージチャンプを推していて、それに何も考えず乗っただけのことなのだ(^_^.;でも、それが決まってしまうあたりがビギナーズラックだったのだろう。ビワハヤヒデが悲願のGI初勝利を決めた後、豪腕南井のムチに反応してか、鬼のような末脚で2着に突っ込んで来た。これにはビックリだ。ウインズ神戸まで馬券を買いに行って、結果は家のテレビで観ていたのだが、3,830円の配当には興奮を覚えた。4千円が10倍近くになったのだから。今は、こんな効率のいい馬券の買い方なんて、多分できないだろう(^_^; 続くエリザベス女王杯は、さすがに2冠馬ベガに逆らおうとは思わなかった。相手にどんな馬を買っていたかは覚えていなくても、 「ベガはベガでもホクトベガ〜!!」 の実況は、今でも忘れない(^_^;私も、ちらりとそんなことも考えていたが、さすがにホクトベガを軸にはできんよな〜。もちろん、ホクトベガ絡みの馬券など買っていない。しかし、このときの2着馬が、後に私を完全に競馬に縛り付けることになろうとは、知る由もなかった。次のマイルチャンピオンシップは、先日引退した岡部幸雄さんがシンコウラブリイで勝ったレースなのだが、調べて見ると、藤沢和雄厩舎の初GI勝利でもあった。自分の馬券については、外れたのだが、それ以外に覚えていることは、菊花賞で大儲けさせてくれたステージチャンプにあやかって、「ステイジヒーロー」を馬券の1つに入れていたことぐらいだ(^_^;それと、私が馬券を買ったレースで、初めて熊ちゃんが登場するのだが、このときはヤマニンシアトルでしんがり負けだったようだ(^_^;ジャパンカップは外国馬が分からない、3歳(今の2歳)馬は分からない、との理由で3戦飛ばして、次の馬券はスプリンターズステークスだ。でも、このレースは外れたこと以外、書くこともない。 そして、1年で一番売り上げのある有馬記念。1年前は他人事だったが、今度は当事者となっていた。その週の土日にかけて、県内の浜坂までカニを食べに行くことになっていて、土曜日に県庁の近くで友人を拾うことになっていた。当然、馬券はその集合の前にウインズ神戸で買っておいた。ビワハヤヒデを軸にするのは当然として、1年ぶりの復活となったトウカイテイオーも大いに気になった。1年ぶりのレースがGIで2着以内に来ると言うのは、常識的な予想をするなら考えられないことだが、馬券10戦にも満たない私にとっては、「トウカイテイオー奇跡の復活」のドラマを夢見ることを選ぶ方が上だった(^_^;結局、ビワハヤヒデとトウカイテイオーの2頭を軸とし、同じ5頭に流すのと、この2頭の馬連と単勝を買って旅に出た。レースの時間は、兵庫県生野町の奥、黒川温泉で迎えたのだが、あまりに山奥なので、カーラジオの電波も極めて状態が悪かった。それでも、雑音の中に、最後の直線でビワハヤヒデトウカイテイオーがゴール前で優勝争いをしている状況が分かり、色めき立った。そして、トウカイテイオーが勝ってさらにビックリ。深い予想もなしに、初挑戦の有馬記念を獲ってしまった。おそるべし、ビギナーズラック(^_^;一旦帰宅して車を置くと、同行者と近所の焼き鳥屋で一杯やって、それが私のおごりになったのは言うまでもない。 年が明け、94年初戦の桜花賞は外れ。その後、桜花賞の初的中までは7年を要した。皐月賞は、人気になってもビワハヤヒデの弟・ナリタブライアンをあっさり軸にした。このレースは、ナリタブライアンの1冠目は順当として、2着に人気薄のサクラスーパーオーが突っ込んで2,850円の中穴となった。なんで、こんな馬をヒモに入れていたのか、未だに・・と言うより、今となっては永遠の謎である(^_^;これもビギナーパワーだったのだろうか?天皇賞(春)は、ご執心のビワハヤヒデが順当に勝ったのだが、この頃になると、「10倍以下はいらん」などと、妙な穴党意識が働いて、2着のナリタタイシンも、3着のムッシュシェクルも買っていなかったと思う。そして、通算13戦目となる安田記念。当時の日程では、オークスから追って行くと、ここが1順目の最後だった。この月の初め、私はバイクで転倒し、左手首を骨折していた。それでも、骨折する前の約束で、大阪へメキシコ料理を食べに行くことになっていた。その途中でウインズ神戸に寄って馬券を買った。最初の予定では、外国馬の中で割りと人気のなかったドルフィンストリートとウィニングパートナーズ、ビワハヤヒデの活躍でささやかれていた「芦毛伝説」に乗ってトーワダーリン、そして、これは超高配当を狙ったヤケクソとしか思えないのだが、13番人気のマイネルヨースの4頭でボックスを組もうとしていた。 ところが、いざ馬券を買おうと並んでいると、マイネルヨースの騎手が、確か最初は柴田善臣だったように記憶しているが、変更になっていた。GIで騎手が変わるのはよくないだろう。なら、やめておこう。では、何に変える?と思ったら、辺りのおっちゃんが開いていた新聞の大見出しに「ノースフライト」の名前が出ていた。じゃあ、ノースフライトにしよう。このとき、ノースフライトが「ベガはベガでもホクトベガ」の2着だったことなんて、記憶の片隅にもなかった(^_^;馬券を買って、左手の使えない不自由な体でも「日本の鉄道全線完乗」を目指して近鉄の未乗区間に乗っていた。御所線の終点・近鉄御所駅についたところで出走時間となり、雑音の激しいラジオで何とか中継を聴いていた。 「ノースフライト、ノースフライト〜!」 優勝馬を告げるアナウンスから、やや間を置いて 「大外からトーワダーリン!」 背中がゾクっとした。何ということか。買う直前で差し替えて入れた馬が勝って、大した根拠もなしに買っていた10番人気の馬が2着。結果は、142.1倍の万馬券だった。ここで、華麗なる「ビギナーズイヤー」は完結した。こんなに早く万馬券を的中できるとは・・。これにより、私は競馬の世界から抜け出せない身になってしまい、今現在の私に至っている。それが幸運だったのか、不運だったのか。少なくとも、その後のトータルの「懐具合い」と言う点では、答えは、「不運」だろう(^_^; ・・などと、無駄な昔話を書いている間に、熊ちゃんが4Rロードアンセム、5Rのビジュアルメイクと連勝。5Rなんて、現地でいつものスタイルで馬券を買っていたら、2着が岩田、3着が武豊だから、3連複の万馬券は取れていたと思うのだが・・。現地観戦の予定をキャンセルしたら、熊ちゃん大活躍。今年は、馬券で儲けられるような気がしなくなってきた(^_^;3月後半からは少々忙しくなりそうだが、次回は是非現地レポートを書きたいところだ。 |