第7回  沖縄の鉄道 (15.2.17)

  全国の鉄道を究めようと志す鉄道ファンなら、意識せずとも、その過程で46都道府県に足跡を記すことになる。しかし、どうしても残る1県…そう、沖縄県だ。私もその中のひとりで、最後に訪問した県が沖縄だった。もちろん、乗り潰しとは一切関係なしに観光で訪れる機会はあるだろうが、最後の訪問県が沖縄と言うのは、鉄ちゃんにありがちな現象である(^_^;

  しかし、歴史上鉄道がなかった訳ではない。沖縄県の鉄道の歴史は、1914年に始まった。那覇市内では、4月に沖縄電気軌道と言う路面電車が久米−首里間で開通し、最終的には那覇港近くの通堂まで延長されたが、33年8月、経営不振のためにわずか19年で廃止になってしまった。全国的にも、大正から昭和初期に開通し、戦前に廃止された鉄道は数多くあるようだ。

  もうひとつは、沖縄県営鉄道で、沖縄電気軌道と同年、那覇−与那原間9.4kmの路線を開通させた。与那原は島の東側の港町で、沖縄本島を横断するような形で建設された。線路の幅は762mmで、この幅の鉄道は「軽便鉄道」と呼ばれている。実際、開業時は「沖縄県営軽便鉄道」と言う名前だった。ちなみにこの軌間は、現在の日本では近鉄の内部線、八王子線と、03年4月から三岐鉄道に譲渡される北勢線、それと黒部峡谷鉄道だけで採用されている。地元の人々は、県営鉄道を「ケービン」(本当の読み方は「ケイベン」なのだが)と呼んでいたそうだ。

  県営鉄道は、22年に嘉手納まで、23年には糸満まで路線を延ばし、3路線48kmの路線網を誇っていた。しかし、悲しいことに太平洋戦争末期になると沖縄本島は地上戦の舞台となり、45年、県営鉄道の線路は破壊しつくされ、そのまま歴史の幕を閉じてしまった。その後のアメリカによる占領下、再建されることはなく、73年に沖縄が本土復帰した後も県内に鉄道は建設されなかった。なお、その他に、糸満馬車軌道と沖縄馬車軌道と言うのがあったそうだが、いつ頃からいつ頃まで走っていたのか分からない。また、旅客列車ではないが、84年までは南大東島でさとうきび運搬用のトロッコが現役だったのは有名な話だ。

  さて、戦後の沖縄に戻る。本土復帰とともに、軌道系交通システムの採用についての論議は始められていたのだ。79年になって県と那覇市が都市モノレールの導入の方針を決定し、81年度に沖縄都市モノレールの国庫補助事業が採択された。82年度に第3セクター沖縄都市モノレール鰍ェ設立され、83年度に空港から汀良(後の首里)までの建設が決定された。その後諸々の調整を経て、実際に軌道法第3条に基づく運輸事業特許を取得したのは96年3月のことだった。これを受けて同年11月に起工式が行われ、いよいよ沖縄のモノレール計画が形になって進んで行くことになった。軌道工事は順調に進み、着工から5年余りを経て、02年3月に軌道桁が全線連結された。現在では、駅施設もほぼ完成し、02年11月には2両編成の車両が試運転で那覇の街の上を走った。那覇の市民は、その姿をどんな思いで見ていたのだろうか。

  当初開業日は03年12月頃とされていたが、大幅に前倒しされ、03年8月10日開業とのニュースが入った。那覇空港を起点に、バスターミナルとの連絡駅になる旭橋、県庁前、国際通り最寄の真栄橋等を経由して首里に至る12.9kmの路線で、駅の数は全部で15。全線を27分で走る予定である。愛称は「ゆいレール」で、農作業とかを助け合う互助組織「結いまーる」にちなんで名づけられたそうだ。沖縄県では戦後初の鉄道の誕生は、もう目前なのだ。

  私は3度沖縄を訪れている。最後に訪れたのは95年6月のことで、そのとき地元の人に聞いてみたら、計画自体知らないような口ぶりだった(^_^;次の訪問は、当然「ゆいレール」乗車のためで、今まで以上に感慨深いものになるだろう。そして、大変費用のかかる乗り潰しになると思う。家族に「モノレールができたら沖縄に連れてったる」と約束してしもたからなぁ(^_^;
 第8回  快速列車 (15.4.19)

  「快速」とはJRの正式な列車種別ではない。現在JR在来線の列車種別は「特別急行」(いわゆる「特急」)「急行」「普通」の3種類だけで、「快速」とは「普通」の中でも停車駅の少ない列車に付けられている呼称である。特急や急行が利用するのに運賃とは別に料金を取られるのに対し、快速列車はたとえ特急並みの速さであっても特別料金なしで利用できる。あくまでも「普通列車」なので、すでに第1回でも書いたように、青春18きっぷでも利用できる。

  ひとくちに快速列車と言っても、その中にも色々な種別がある。関東圏では、中央線で快速の上位に古くから「特別快速」が運行されている。もともと東京−高尾間の運行だったが、首都圏の通勤圏の拡大から、現在は山梨県の大月まで通勤型の電車が足を伸ばしている。中央線の「特別快速」はさらに、中央線を走る「中央特快」青梅線に乗り入れる「青梅特快」通勤時に走る「通勤特快」と使い分けられている。他にも、山手線の各ターミナルから東海道・中央・常磐・東北・高崎・埼京・京葉・総武の各線に、快速の他に「通勤快速」が運行されている。「通勤快速」は、おおむね快速より停車駅が少なく、東海道線では大ターミナル横浜を通過する。

  関西圏では東海道・山陽線(一部湖西・北陸・赤穂線乗り入れ)で快速の上位に「新快速」が運行されている。新快速は、並行する私鉄のサービスに対抗すべく、1970年、京都−大阪−西明石間で6往復が試験的に運行が開始された。その後度々増発されたり、運行区間が伸びたりと発展しながら現在に至っている。停車駅は当初より増えているが、車両の改良によりかえってスピードアップされている。新快速の速さは相当なもので、昼間の標準的な運行区間の長浜−姫路間206.1kmを2時間半で結び、表定速度(停車時間も含めた平均速度)は何と時速82.4km。京都−大阪間に限れば何と95.1km!下手な特急よりはるかに速い。国鉄時代には、新快速が急行を抜くと言う逆転現象すらあったのだ。なお、新快速は阪和線でも走っていたが、こちらは短命で終わったようだ。また、関西では、他に阪和・大阪環状〜関西・奈良・片町の各線に「区間快速」がある。

  中京圏でも東海道線で関西同様「新快速」と「区間快速」があるが、さらに「特別快速」もある。こちらは関西よりもさらに速く、名鉄と競合する豊橋−岐阜間で表定速度93.4km、名古屋−岐阜では101.0km!!これを凌ぐ速さの特急は数えるほどしかないだろう。中央圏では、中央・関西の各線に電車の快速があり、ちょっと変わったところでは、ディーゼルカーの快速・区間快速が非電化の武豊線に乗り入れている。上記の3大都市圏の他にも、政令指定都市の近郊では1時間当たり2本程度の快速列車が運行されている。

  さて、東海道・山陽線の時刻表を見ると、関東の東京−横浜間と関西の高槻−明石間では一部の駅が省略されているのにお気づきだろうか。どちらも、この区間では各駅停車(おおむね青い帯の入った車両)の電車しか止まらない駅は本文に記載されていない。時刻表では「快速」と表記されておらず、各駅に止まるように見えても実際は一部の駅を通過しているのだが、こうした電車の呼び方に東西で違いがあるのだ。

  関東ではこうした列車はあくまで「普通」だ。「快速」は「普通」の停車駅をさらにいくつか通過する電車のことだ。一方、関西では時刻表に「快速」の表示がなくても京都−大阪−西明石間では「快速」と呼んでおり、各駅に止まる青い帯の電車が「普通」になる。関東でこれに当たるのが「京浜東北線」で、東北線大宮から東京を通り抜けて東海道線横浜までの区間を原則各駅停車で運行されるのが京浜東北線だ。ややこしいのは、昼間に限り京浜東北線は山手線と並行する田端−品川間で「快速」となることだ。この外側の区間では各駅停車なので、昼間の東北線赤羽−大宮間、東海道線品川−横浜間では、「普通」が「快速」を抜く現象が頻発してしまうので要注意だ(^_^;

  列車名が付けられている快速列車も数多い。第6回で書いた「ムーンライトながら」もそのひとつだ。指定席が付いている列車が複数ある場合は「○○1号」のように号数が付けられる。中でも小樽−新千歳空港間の「エアポート」、名古屋−伊勢市・鳥羽間の「みえ」、岡山−高松間の「マリンライナー」は10往復以上運行されている。「マリンライナー」にはグリーン車も連結されており、近々新型車両も投入されるようだ。「みえ」は第3セクターの伊勢鉄道に乗り入れ、ディーゼルカーなのに名古屋−松阪間では最速で表定速度は80kmを超える俊足ぶりだ。全車自由席だと号数は付かないのが普通だが、仙台−石巻の「うみかぜ」や佐世保−長崎の「シーサイドライナー」などは、指定席連結の列車が1本もないのに、なぜか号数が付いている。

  貧乏旅行をしている身には、安く速く移動できる快速列車はありがたい存在だ。また、付録ページに載っている「ホリデー快速」は、首都圏だと普段は乗れない貨物線を経由する列車もあり、知らない人を驚かせるかも知れない。全車指定で、特急車両を使った豪華な列車も登場した。週末は、快速列車でちょっと遠出はいかがですか?
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