| 第12話 検証・酔いどれ帰宅録(04.2.8) |
私の飲み友達は大阪方面に多く住んでおり、酒を飲む機会も神戸より遠方の大阪の方がかえって多い。だから酔っ払ってひとり帰途につくのは、なかなかスリリングだ(^_^;自力でちゃんと帰れるだけの余力は残しているつもりでも、ときに記憶が飛んで「なんで帰れたんやろ?」と思うことがある。約1年前の「競馬・喜怒哀楽」13鞍目の最後の方で、栗東から家までの謎の行動に触れたことがあるが、今回はさらに複雑な行動をしていた。そこで、酔っ払った局長が、どんな足取りで家にたどり着いたのかを検証してみることにする。 2月8日、ちょっと渡したいものもあり、寝屋川に住んでいる友人宅を訪ねた。そうすると、そのまま酒をご馳走になるのがパターンとなっている。最初はビールでも、そのうち焼酎発動で、注がれるままに飲んでしまうので、つい飲みすぎる。日記の更新もしたいし、20時頃には出発するつもりが、気がつけば21時を回っていた。しゃべりながら半分寝ていたような状態だったから、さすがに潮時のようだ。それでも、千鳥足になるほどではなく、しっかりとした足取りで香里園駅に向って歩いて行った。 駅に着いて自動改札をくぐる。カードに記録されたタイムスタンプは21時23分だった。やって来た急行は、何と特急車両が使われていた。酔って幻でも見ていたのかも知れないが、多分、現実だったと思う(^_^;これはラッキーと思って座ると、当然のように間もなく眠ってしまう。目覚めたら停車中だったので反射的に飛び降り、階段を下りかけたところで、何か違うような感覚に気づいた。まだ守口市駅だった。恐らく、後続の準急に乗ったのだろうが、どうもその記憶はあまりない。次の京橋で降りてJRに乗り換えるつもりが、気がつけば終点の淀屋橋だった。変に戻ると時間がかかるので、結局、そのまま地下鉄に乗り換えた。 淀屋橋駅では、トイレに行って、これからの乗り継ぎに備えたような気がする。梅田に着いたのが22時7分。ここで、当初の予定どおりJRに乗るか阪神にするか迷ったが、JR大阪駅まで歩くのが面倒になり、そのままカードを改札機に通した。しかし、ここでしまった!と思う。湊川からは手持ちの株主優待乗車証が使える。湊川までの乗車券を買えば何の問題もないのだが、残高が十分なカードだと精算のときにややこしくなりそうだし、間違ってそのまま改札を通ると、湊川からの余分な運賃も払ってしまうことになる。 まあ、そんな心配をできるくらいだから、思考能力は十分残っていた。別に不正乗車をしようと言うわけじゃないから、何とかなるだろうと、発車間際で22時12分発の直通特急に飛び乗った。阪神のいわゆる「赤胴車」で、オールロングシート車だったのは確かに覚えているが、梅田を発車してから途中の駅に途中に止まった記憶はなく、気がつけば乗り換えの新開地だった。以前、大阪で飲んで帰ったときに、阪神の直通特急で姫路まで行ってしまって帰れなくなったこともあるので、危ないところだった(^_^;神戸電鉄のホームに出ると、三木方面は出た後で、次の電車は三田行だった。そこで、次の湊川までこの電車で先行し、精算の不安を解消することにした。 発車まで多少時間があり、喉が乾いたのでジュースでも飲もうと思ったら、なぜかポケットに野菜ジュースが入っていた。そう言えばどこかでコンビニに寄ったような気もしたが、確かな記憶として浮かんでこなかった。買った記憶はないが、現物は手元にあった。まさか、どこかでパクったんやないやろな(^_^;それはともかく、1駅で電車を降りて、湊川駅の改札機をカードで出場し、すぐに株主優待証で入場。この行動は、カードの裏面の記録で明らかなのだが、どうもこのあたりの記憶も判然としない。 次に覚えていたのは、最寄駅で降りたことだ。去年の栗東からの帰りもそうだが、全般的に、降りた記憶より乗った記憶の方がハッキリしないのは何故なのだろう?駅から自宅までは××で(まともに書くとちとヤバいので(^_^;)冷たい夜風に当たり、少しはシャンと目も覚めて、ひとりの酔っ払いは無事自宅にたどりついた。ともかく、多少の降り間違いとかはあったが、大きなロスなくよくぞ帰り着いたものだ。しかし、酔いどれ状態は帰宅後も続き、一歩間違えば水死していたかも知れない。このあたりは、2月9日の業務日誌をご覧あれ。 この話、当初は日記で処理するつもりだったが、細かく書くと千字ではとても収まりきれなかった。そこで、しばらくこのコーナーも間隔が空いてしまったので、無理やり「鉄道のネタ」として1回分使わせていただいた。「旅行記」とは言えないが、内容的には鉄道の話題に違いないのでお許しを(^_^; |
| 第13話 新線訪ねて南へ東へ(04.3.12〜14) |
| 03年は、あまり大きな新線開業はなかったが、04年になると2月1日の横浜高速鉄道の横浜−元町・中華街間と言う軽いジャブを打った後に、3月13日、九州新幹線新八代−鹿児島中央間と、その引き換えにJRから第3セクターへ移管した肥薩おれんじ鉄道という大物が控えている。横浜の方は、青春18きっぷが使えるようになるまで待つつもりだったので、しばらく完乗タイトルの方は棚上げと言うことになった。新幹線に乗りに行くにあたって、鹿児島への足は飛行機として、前年韓国へ行くことで得たマイル(第7話参照)を使うことにした。事前に問い合わせると、必ずしも単純往復しなければならない訳ではなく、伊丹−鹿児島−羽田と言う乗り方も可能とのことだった。そこで、横浜からの帰路を「ムーンライトながら」にすることで一気に新線を片付けることにした。たまたま新幹線開業日の前後のスケジュールがあいたので、開業初日に新幹線に乗る方向できっぷの手配をした。その結果、航空券と「ながら」は押さえものの、新幹線については確保できなかった。まあ、こちらはいざとなれば自由席もあるので、決行することになった。 行きは12日の伊丹8時発の542便で、まずは車で出発。勤務先の駐車場に車を置き、谷上から三田に向かった。通勤用に金券ショップで買った株主優待パスを持っていたので、三田から18きっぷを使うことでささやかな節約ができるのだ。三田からはすでに始まりかけたJRの通勤ラッシュに混じって伊丹まで乗り、市バスに乗換えて7時過ぎには空港に到着した。前回沖縄に行ったときは関空発だったので、朝の伊丹空港は本当に久しぶりだ。この時間帯は各方面への出発ラッシュで、やはり離陸が少し遅れた。それに伴って鹿児島空港到着も9時10分の定刻から10分遅れとなり、これが予定変更への引き金になった。詳しい経緯は「郵便局訪問記」のbQ4に書いてあるのでそちらに譲るが、数々の幸運やトラブルに見舞われながら指宿市内や枕崎市内の郵便局を回って、約88kmにも及ぶ指宿枕崎線を引き返して行った。 途中山川で西鹿児島行乗り換えたが、終点の西鹿児島までは乗らず、南鹿児島で降りて市電に乗り換えた。西鹿児島駅前の乗り場が、多少駅に近づくように移転したそうなので、1つ先の停留所まで乗ってみたのだ。乗るべき新線とまでは言えなくても、やはり気になるものは乗っておかなければならない(^_^;しかし、10年以上ぶりの西鹿児島駅前なので元の駅前の乗り場の様子は覚えておらず、どの程度線路が動いたのかは分からなかった。いよいよ翌日に「鹿児島中央」となり、新幹線が走り始める西鹿児島駅周辺は、まだ工事中のところも多かったが、もはや私の記憶している西駅の面影はすでになくなっていた。 駅ビルに上がってみると、みどりの窓口は記念入場券を買い求める人でいっぱいだった。私も買いたかったが、どれだけ待つか分からないのであきらめた。結局、西鹿児島駅最後の記念になるようなものは手にせず、次に出る普通列車で川内に向かった。別のホームでは、博多行の最後の「つばめ」を送り出すセレモニーの準備が行われていた。しかし、川内までの区間は、JRとしてはこれまでと変わらずに電車が走り続ける。実際、各駅で少しずつ降りて行く客がいて、通勤の足として活発に利用されている様子が分かった。川内はプレハブの仮駅舎で営業していたが、それもこの日で最後だ。すぐにみどりの窓口に行くと、翌日の新幹線の切符を買い求めた。並んでいる間に「つばめ28号」が到着し、ホームではさよならセレモニーが進んでいる様子だった。新幹線が走って時間短縮になるのと引き換えに、川内から博多への直通列車は、これを最後に当分は走らなくなる。幸い、「つばめリレー41号」から「つばめ41号」へ乗り継ぐ指定席を押さえられて、席の心配をする必要はなくなった。 この夜は、駅前の川内ホテルで宿泊。アウトバスだが5千円で釣りが来る安さだった。予約の際に「バスなしなら空室がある」と言われて、報道陣とかがたくさん泊まっているのか?と思ったが、地元のトラック協会の宴会が入っていたからのようだ。確かに、トラック協会の集まりで酒飲んだら、そのまま泊まっていかないとヤバいわな。部屋に風呂はなくても、大浴場は温泉なので大歓迎だ。1日の疲れを温泉で癒し、翌日のハードな行程に備えた。 翌13日早朝。昨日切符を買った仮駅舎は閉鎖され、真新しい駅舎に明かりが灯っていた。新幹線の1番列車を待つ人もいたのだろうが、さほどの混雑はなかった。営業を始めたばかりのみどりの窓口で九州新幹線開業記念の入場家券を購入し、続いてこれから乗る肥薩おれんじ鉄道の乗車券を券売機で購入した。八代まで全線通しの運賃は2,250円。JRなら1,890円で、2割ほど高い。地元の人には負担増であるが、まあ、通しで乗る人はほとんどいないだろう。ホームにはすでに新しいディーゼルカーが待っていた。昨日までは電車が走っていた区間だが、今日からは「非電化」となる。貨物のために電化施設は残っていても、旅客鉄道としては電車の運行はないのだ。5時47分初の始発列車で八代に向かうが、この時間では開業セレモニーとかは一切なし。「新規開業」とは言え、営業形態がちょっと変わっただけなので、鉄ちゃんもまずは完全な新線の九州新幹線に注目するのだろう。2両のディーゼルカーは、たった6人だけの乗客を乗せて出発した。九州の夜明けは遅く、まだ薄暗い状態でのスタートだ。 次の上川内で早速、貨物列車と交換した。貨物列車通過に伴う収入は、おれんじ鉄道の貴重な収益源となるのだろう。2つ先の薩摩高城からしばらくは、海に寄り添って走る。次の西方で地元の試乗客と思われる4人が降りてしまうと、車内は2人だけになってしまった。いくら新線じゃないと言っても、あまりに寂しすぎる。次の薩摩大川で川内行の列車と交換し、6人が乗ってきた。そろそろ用務客が動き始める時間になったようだ。 阿久根では1人だけ降りて学生ばかり10人ほどが乗ってきた。阿久根市は、鹿児島県内の市にあって、九州新幹線の開業で一番割りを食った市だ。川内と出水には新幹線の駅ができた。串木野にはJR在来線が残った。しかし、阿久根だけはJRのネットワークから外されてしまった。新幹線開業の「陰」の部分が如実に現れている。阿久根を出てしばらく進むと、左手に島影が見えた。本土とは橋で陸続きの長島である。ベッタリ海に沿って進み、折口の手前からで東にそれてからは、内陸を走って行く。高尾野で対向車が遅れで多少の遅れが出て、それは西出水でさらに拡大した。これまで増えてきた学生がこの駅でドッと降り、ワンマン運転ではスムーズに対応できなかったのだ。こんなことでは列車の遅れが常態化しないか、少し気がかりなところだ。次の出水は新幹線との接続駅で、おれんじ鉄道の車両基地もある。ここで1両切り離し、終点の新八代までは1両の運転となる。これ以上身軽になれない姿で、4分送れて出水を出発した。 次の米ノ津からは国道3号を挟んで海に沿って行く。その間、右手には九州新幹線の線路が見えた。鹿児島県から熊本県に入って、国道をオーバークロスすると間もなく袋で、続いて水俣に停車する。つい昨日までは特急が全列車止まっていたと言うのに、今はたった1両のディーゼルカーである。それでもかつての特急停車駅の意地か、一気に20数人が乗り込んできた。JR時代から引き継いで使われている駅名標には、次の新水俣の名前を紙で書いて貼り付けてあった。九州新幹線の新水俣駅の脇に新しいホームを設置したのがおれんじ鉄道の新水俣だ。ここでも10人ほどの乗車があったが、恐らく、新幹線の接続駅としての役目は薄いのだろう。駅の駐車場は車が一杯で、市内の人たちはこの駅まで車で乗り付けてから新幹線に乗るのが自然な流れのはずだ。次の津奈木では、すぐ北側を新幹線がかすめている。近くには小さなモノレールがある津奈木温泉があり、いつかは立ち寄ってみたいところだ。芦北町の中心である佐敷は、一部の特急が止まっていた駅だ。結構人の入れ替わりがあった。この町には、街の東側を流れる球磨川に沿って肥薩線の駅がいくつかあるが、ローカル線がJRで残り、町の中心を通る本線が第3セクターになってしまうとは、実に皮肉なことだ。 長めのトンネルを抜けると間もなく海浦で、高台にある駅からは駅名のとおり海が見える。2両編成の列車と交換した肥後田浦を出て2〜3分も走れば、またしばらく海とべったりの車窓となる。八代海の対岸に見えるのは、天草の上島である。テープで車窓の説明をしていたが、時刻はまだ8時になるかならないか。車内をにぎわせている乗客のほとんどは、昨日までと変わらず利用している地元客だろう。日奈久から改称した日奈久温泉の手前で海と別れ、のぼりがいっぱい立ったホームに滑り込む。駅名標は、解消に間に合わなかったようだった。八代のひとつ手前、肥後高田で高校生が大量下車。新しい第3セクター鉄道のお得意様は、やはり高校生なのである。左手の向こうには八代市の市街地が見えるが、線路はまっすぐそちらには向かわずに、球磨川を渡り、一緒に肥薩線の線路をまたぐ。そして肥薩線の線路と並走しながら八代に到着した。この列車は1駅JRに乗り入れて新八代まで行くのだが、遅れを引きずったままの到着で、いつ発車するか分からない。どっちみち、私はここで熊本行の電車に乗り換えるので、切符を料金箱に入れて下車した。駅前はテントで物品販売とかしており、開業の祝賀ムードが漂う。ふと気づくと、やけに肩が軽い。リュック丸ごと車内に残していたのだ。まったくアホである。幸い、列車はまだ出発できずにいて、無事荷物を回収できた。つくづく自分がいやになる。 J JRの電車に乗って、新八代駅はとりあえず外から眺めるだけで行き過ぎる。今は博多に向かう線路は途中で切れているが、新幹線のホームから線路が1本合流している。この線路の正体は、後ほど。九州新幹線完成の暁には新八代の次の駅となる熊本に到着。工事中ではあるが、まだまだ10年ぐらい前に来たときの雰囲気は残っていた。さらに市電に乗り、通筋町で下車。商店街のアーケードをくぐり、熊本電鉄の藤崎宮前駅を目指す。アーケードが途絶えてもさらに進むと、熊本ラーメンの有名店「こむらさき」の本店があるが、まだ営業開始前だ。ラーメン屋の昼は、11時頃の開店が多い。残念だが、今回はラーメンをすすっているヒマはない。 突き当りを右に曲がると、左手にパチンコ屋が現れる。開店前だが、すでに目当ての台を狙う客が並んでいる。藤崎宮前駅は、このパチンコ屋の奥にあって、地元客以外はうっかりすると気づかずに通り過ぎてしまうだろう。私がこの駅に来たのは18年前の話で、様子がガラリと変わっていても不思議ではない。と言うより、以前がどうだったかもよく覚えちゃいないが。券売機もなく、運賃は下車時に料金箱に入れることになる。今回熊本電鉄に乗りに来たのは、気になっていた線路の付け替え区簡に乗っておこうと思ったからだ。3年ほど前、国道の拡幅用地を確保するため、須屋−黒石間を少し東に移動させ、中間に新しい駅をひとつ作ったのだ。一応、自分のルールでは「営業距離が伸びない途中区間の線路付け替えは乗りつぶしの対象としない」としているが、やはり気にはなるので、この機会にのどに刺さった小骨を抜いておこうと言う腹だ。 須屋駅を出発して1分もしないうちに、新旧路線の分岐点と思われる場所に差し掛かる。九州自動車道の下には線路をはがされたトンネルがあるので、その跡がよく分かった。新線で九州道の下を抜けると、新しく設置された三ツ石駅だ。次の黒石駅も移動しており、線路の敷石が、まだ白くてきれいだった。次の電波高専前まで乗れば付け替え区間を全部乗ったことになり、これでスッキリした。折り返しの電車にはまだ時間があったので、しばらくは歩いて「廃線跡巡り」としゃれ込む。線路に沿うように走る国道387号を歩いて黒石駅の辺りまで戻る。狭かった国道は、この辺りから道路は広く立派になり、歩いている歩道の下に線路があったに違いない。5分も歩くと、左手に遊水地があり、線路跡と思われる部分が切断されていた。一旦は池の方に歩いていったが向こうへ行ける様子はなく、もう一度国道に戻って、国道から左に分かれる細い道に入った。すると、まもなく明らかな線路跡が現れ、九州道をくぐる。この時点で帰りの電車まであと5分ぐらい。須恵まで行けそうな感じもしたが、新しい三ツ石駅で電車を待つことにした。 帰りは北熊本で乗り換えて上熊本に向かった。この上熊本線は、熊本の市街地を大きく迂回するような線形でJR熊本駅に接続している。昼間は車内に自転車の持ち込みができるのだが、途中の駅で実際にじいさんが自転車を押して乗ってきた。途中には山があり、電車はトンネルで抜けるが、自転車で越えるには急な坂がある。それを避けたのか、2駅だけで降りて行った。ローカル電車にも色々な使い方があるものだ。県道をオーバークロスするとJR鹿児島線の線路と寄り添い、JRの駅の北の外れに着いた。線路1本だけの小さな無人駅なのは18年前と変わらないが、少しJRの駅から遠くなっている気がした。上熊本からは11時48分発の「リレーつばめ41号」に乗って鹿児島へ戻る。新幹線が先端部分だけの先行開業と言う、これまでなかった形態で、時間は短縮されるが乗り換えを強いられるのは面倒である。その負担感を少しでも和らげるために取られた手法が、在来線特急の新幹線ホームへの乗り入れである。 新八代の手前から上り線路を渡って右手へ伸びる単線がある。これが、先ほど書いた連絡線である。新幹線に乗るだけなら、おれんじ鉄道に乗った後にわざわざ熊本まで行く必要はなかったのだが、この連絡線も通りたいために、熊本まで足を伸ばしたのだった。軽く右へカーブして高度を稼ぎながら新幹線の高架に乗り入れ、在来線の本線を跨いで九州新幹線「つばめ41号」の待つホームへ乗り入れた。全乗客が出口に向かい、新幹線の車両に移動する。接続時間は3分で、お年寄りの団体とか乗っていたら、間に合うのだろうか。昼食がまだだったので、弁当でもあれば買いたかったが、ホームに売店はなし。たった3分の乗り換え客相手では商売にならないか。無事所定時間内に乗り換えを完了し、鹿児島中央に向けて出発である。 昨日まで博多と西鹿児島とを結ぶ特急から「つばめ」の名前を受け継いだ新幹線は、6両編成でグリーン車がない。運行時間が短いこともあるが、普通席自体が4列シートでゆったりしているので、今のところは必要ないのだろう。在来線時代の「つばめ」や、主に日豊線を走る「ソニック」など、九州の特急車両は斬新なデザインが目を引くが、新幹線も負けてはいない。車内に和装をふんだんに取り入れているのだ。シートは木製で、ブラインドがすだれ風になっている。材質は桜らしい。客室の仕切り壁も木目豊かなクスノキ製。洗面所にはい草の「縄のれん」が施されている。「お座敷列」は別にして、ここまで和風にこだわった車両は見たことがない。JR九州の意気込みが感じられる。 平野部の高架橋はすぐに終わり、最初のトンネルに入る。出たところが球磨川で、渡り終えるとまたトンネルへ。「おれんじ鉄道」が海に沿って走るのに対し、こちらは山中をトンネルでショートカットして行くので、むしろ球磨川に沿って走る肥薩線に近い位置を通っている。もっとも、ほとんどトンネルだから、肥薩線の線路を見ることはできない。一旦おれんじ鉄道の線路をオーバークロスするとまたトンネルで、津奈木駅の上を越したあたりで減速し始めた。間もなく最初の停車駅新水俣である。この駅を出ると、市街地に向かうおれんじ鉄道の線路と別れ、まっすぐトンネルで鹿児島県との県境に進む。おれんじ鉄道の車窓から確認したとおり、県境近くの袋駅辺りでは地上に出て海も見える。鹿児島県に入るとしばらくは、まとまった地上区間となる。ただし、乗ってから半年以上経ってこれを書いているので、どんな景色だったかはすっかり忘れてしまったが・・・(^_^; 新八代を出て22分で出水に到着。県内での試乗と思われる新しい乗客も目立った。出水から次の川内にかけては、在来線は海に向かって大きく迂回しているのだが、こちらは惜しげもなく長いトンネルを掘って距離を短縮している。比べて見ると18.6kmも違うのだ。並行在来線が残っていたら、新幹線の営業キロは在来線の営業キロに合わせるので分からないのだが、JRの路線としては独立した路線となったために、距離の短縮効果がハッキリ分かるようになった。ほんの12分で、前夜泊まった川内に到着。昼間の半数の列車しか止まらない先の2駅と違って、こちらは、ほぼ全列車が停車し、さすがは鹿児島県第2の都市である。なお、川内市は04年10月に周辺の町村と合併し、10万都市「薩摩川内市」に生まれ変わっている。甑島も市域に含まれる、広大な市である。 川内から先はJR鹿児島線が鹿児島市への通勤路線として残っているため、在来線と同じ46.1kmとなっているが、明らかに新幹線は距離が短い。わざわざ直通列車を打ち切って先端部分だけ先に開業させるなんてと思ったが、結局、地形の関係でなるべく海岸沿いを迂回するように進まざるを得なかった在来線に対し、線形の改良と距離短縮で最大限の時間短縮が図れるのが、今回の開業区間だったのだ。現に、熊本から2時間20分余りを要していたのが、今回は乗り換え時間込みで1時間9分、最短ならほんの53分である。車窓はあまり楽しめないが、あっと言う鹿児島中央に到着した感じだ。快適な車両もゆったり楽しむ暇がない。この列車が博多までやって来るのは、早くて10年は先だろうが、いつか関西から鹿児島中央へ直通する列車に乗れるようになれたらいいのだが。 新幹線開業のお祭りムードの鹿児島中央駅で、昼食用に「とんこつ弁当」を購入し、そのままリムジンバスの乗り場に向かった。この後、羽田に向かうのだが、早めに空港に着いて、ラウンジでゆっくり時間を過ごした。と言っても、その間、気になるレースがあって電話実況をしてもらったりしていたのだが、この辺りのことは、「競馬・喜怒哀楽」の40鞍目を参照されたい。2時間近く空港で過ごし、16時ちょうど発のANA628便で羽田へ飛んで、いよいよ西へ東へと向かった新線踏破の旅は最終局面を迎えた。リムジンではなく一般路線バスでのんびJR蒲田駅まで出て、東急の電車を乗り継いで横浜へ。JRの方が早いのだが、みなとみらい21線開業に伴い、東急も一部区間が地下化されたので、ついでにこの区間の乗っておくには、この方が都合がいい。もっとも、すでに暗くなっていたから、いつ地下にもぐったのかも気がつかなかったけど(^_^; 地下ホームとなった東急線横浜駅で一旦下車し、みなとみらい線の1日乗車券を買ってから元町・中華街駅を目指す。往復するだけなら損だが、どこか途中の駅で1度下りると元が取れる値段になっている。とりあえずは一気に乗ってタイトル防衛だ。東急東横線からの電車が直通で頻繁に乗り入れて来る。わずか4.1kmに途中駅が4つあり、停車のパターンが3種類もあるのは驚いた。乗ったのはたまたま各駅停車で、次の新高島にも停車したが、この駅は唯一、各停しか止まらない駅だ。地下駅なので駅の周りの様子は分からないのだが、再開発途上で、今はガラ〜ンとしているとか。次のみなとみらいが中心的な駅で、線内で特急が止まるのはここだけだ。ランドマークプラザの地下に設けられた駅なのだが、地上から吹き抜けになっていて、まったく地下駅のような雰囲気はない。馬車道、日本大通りと小刻みに止まり、終点の元町・中華街でしばし空白となっていた「日本の鉄道全線完乗」のタイトルを取り戻した。 すぐにとんぼ返りしたので、中華街がどんなところなのかは見ることができなかったが、開業当初は駅の一時ホームから外へ出られなくなるほど人があふれていたと聞いている。私は先ほどのみなとみらい駅で降りて友人のM氏夫妻と待ち合わせしていた。穴場的なカフェテリアで、横浜の夜景を見ながら飲むビールは格別だった。そう言えば、横浜で飲むのなんて初めてだった。関東の友人と飲む機会はあっても、東京がほとんどだ。まあ、酒を飲むのに場所は選ばないけどね(^_^;帰りの「ムーンライトながら」までの待ち時間を楽しく過ごし、気持ちよく西へと向かうことができた。その後、途中で中京競馬場には行ったが、馬券も買わずに場内で休憩所として使用されている名鉄パノラマカーの車内でダラ〜リと飲んだくれていたことを付け加えておく(^_^; |