新津演劇研究会について

 この集団についてけっこう質問が来たり、いまだに耳にすることがある。いちいち全員の方に説明できないので
ここで標しておきたい。

 平成6年6月に発足し、平成12年3月なんとなく幕を閉じた。なんとなくというのがぴったりするほど
曖昧な終焉だった。
 その説明をしておきたい。
 発足当時、私は新津市民であり、それまでの地元の風習・習俗にない演劇とういう概念を持ち込んだ。
劇場の無い町での演劇活動の第一歩だった。
 当時目指した姿は劇団活動ではなく、また公演活動が目的でもなく、演劇を広め、深めるための勉強会
=WS(研究普及)活動だった。つまり演劇活動のための”場”の提供と”人材”の育成だった。
 新津市七日町(現B&G海洋センター向かい)に稽古場を借りてそこをアトリエにした。そこで生み出
されるものや集まるものがすなわち新津演劇研究会そのものであった。
 新津演劇研究会 発足1年後、仕事の都合で中里村へ移り、会を離れた。
 研究会には本来は会長ポストが運営に当たるところであったが、会長職空席のまま代表という運営ポスト
をつくった。これは会がこのような緩やかなWSである趣旨に鑑み、特定の人間に権限を集中させないため
でもあった。
 また、私的・実験的なWSを組織化したものであったため、運営会則等の整備はおこなわなかった。
これがのちに曖昧な終焉につながっていった。
 しかし、私的・実験的なWSであっても、外に向けて会を代表する存在も必要であったので、「スポーク
スマン」という位置付けで”代表”という役席を設置したのだった。要約すると
 @新津演劇研究会=当時新津市にあった稽古場
 A新津演劇研究会の代表=スポークスマン
 B新津演劇研究会の目的=演劇活動の”場”の提供・本物を創る”人材”の育成への取組み
 月日は流れ、このような理念は曖昧になっておった。発足当時を知る人間は少なくなり、いつしか劇団化
して、
 ・新津演劇研究会=劇団。
 ・新津演劇研究会代表=新津演劇研究会会長 
というように誤解され始めた。
 はじめのうちは外部の人が誤解していただけであったが、不思議なものでそのうち内部の人間まで誤解して
認識が変容していった。

 ↓
 とうとうその日が来た。借りていた稽古場を引き渡すことになった。稽古場がなくなった。
 それに伴う当時の関係者全員の話し合いで、@が無くなる以上、新津演劇研究会も解散することになり
次の事項が了承された。
 ・研究会財産は、以後別名称で演劇活動を継続する組織の代表者に引き継ぐ。
 ・新津演劇研究会解散後は、関係者による名称使用は行わない。
  ※しかし商標登録しているわけではないので、あらたに同名の研究会ができる可能性がある。一度
  でも研究会に関わった者は名称を使用しないことで合意した。
 ・新たに再発足する場合は、解散決議をした者を改めて召集し、全員の同意が無ければ復活させない。 

 ↓
 今、新たに新津演劇研究会という名称を聞く事があったり、解散した事実を知らない人から尋ねられたり
することがある。
 いちいち説明できないので概略をここに記しておきたい。