ミャンマーの人は本当に日本人に似ていると思う。着ているものや食べているものには相当な違いがあっても、礼儀や遠慮といったものの考え方が、日本人に共通していることが多いので、東南アジアの国々を歩いていてもこの国ではホッとする。それに、これは解らないかも知れないなあ、と思うような下らない冗談を言っても、それがすんなり通じたりする。だから、たとえ言葉ができなくても、「以心伝心」というものが働くのである。仕事のやり方などについても、難しくてできないようなことがあっても、とにかく最善を尽くすといった頑張りには私たちの価値観に近いものがある。
今、経済発展真最中のミャンマーで、人々はやる気に満ちている。そして、彼らの生活には笑顔が絶えない。私が現地滞在中、ホテルのフロントで見かけた「もし従業員にスマイルがなければ、どうぞ微笑んであげて下さい」というノーティスが強く印象に残っている。ここは「微笑みの国」ミャンマー。そんなミャンマーを元気に微笑ませているのが音楽である。
伝統音楽〜サイン(・ワイン)
ミャンマーの代表的な音楽といえば、世界的にも有名なのが、サイン(サイン・ワイン=サイン楽団)である。インドネシアのガムランやタイのマホーリーなどに似た青銅製打楽器、太鼓、笛などによるオーケストラで、「パッロウン」という小さな太鼓が円形状に並べられた楽器に、「フネッ」というチャルメラが特徴。もともと王宮の音楽として発展したサインだが、現代に至るまで大衆化し、年中行事や結婚式などで演奏されることが多い。
サインを使った芸能で最も有名なのは、18世紀に王室芸能として創始され、現在まで大衆化し、強い支持を得ている「アニェイン」である。サインをバックに、道化役の男性数名と女性の踊り子ひとりが共に日常社会の出来事を語りあい、歌う。普段は控えめなミャンマー女性のイメージとは異なり、アニェインの踊り子は力強いメッセージを観客に投げかける。そして、道化の囃しと共に踊り子が華麗な舞を披露。リズムの起伏が激しく、ダイナミックに演奏されるサインに舞い踊るその姿は、迫力に満ち溢れている。
それから、操り人形劇「ヨウッテー・ポエ」も有名である。こちらも高尚な王宮芸能として演じられていたものであるが、インドネシアのワヤンのように、語りに従って人形を操り、踊らせる。先ほどのアニェインの踊りはこの操り人形にも真似た感じで、肘や膝の間接を操り人形のように曲げながら踊るのが特徴である。
また、その他、ラマ・ヤナを題材とした演劇「ヤマ・ザッ」といった大衆芸能の他、綱渡りやボール蹴りなどの大道芸を大衆に披露する時にも、バックにはサインが活躍する。
このように様々な芸能に登場するサインは、一般に「伝統音楽」ととらえられるのかもしれないが、実をいうとこの音楽、かなり「大衆的」である。演奏には必ずしも伝統楽器のみでなく、ピアノやサックス、トランペットなどが同居することもある。いつから始まった「伝統」なのかは不明だが、つい最近のことではなく、かなり前からミックスされてきたようなのである。ちなみに、ミャンマーのお寺へ行くと、仏像にきらびやかな電球がつけられていたり、おみくじが電気仕掛けであったりするのをよく見掛けるが、この国はピュアな伝統にこだわるのでなく、外来のものを受け入れるのには相当寛容のようである。
伝統と現代の融合〜ミャンマー・タンズィン
そんなサインが現代において最も大衆的に生まれ変わったのが、現在のミャンマー歌謡曲のジャンルのひとつ「ミャンマー・タンズィン」である。「ミャンマーのメロディー」といった意味で、「ミャンマー・アタン」「カラーポー(・テー・ギータ)」などとも呼ばれるこの種の音楽は、サインにドラムスやキーボードなど現代のポップスの楽器が巧みに組み合わさり、演奏される。欧米のリズムに伝統楽器を取り入れた音楽は他の国にもよくあるが、ミャンマー・タンズィンの場合は、伝統楽器のみのいかにもというサウンドが続くかと思うと、唐突にドラムスやギターの入ったポップス調に転向したりと大胆な展開。それは1970年代のプログレッシヴ・ロックを聴いているような感覚とでも言おうか。あるいは、ひょっとしてこれは「ワールド・ミュージック」先駆けだったのかもしれない。
このミャンマー・タンズィンを中心に歌う代表的歌手を挙げると、女王的存在のママ・エーを筆頭に、ティンティンミャ、チョーピョウンといった歌手が、強い支持を得ている。ママ・エーは40年ものキャリアを持つベテランで、生み出したヒット曲は数千にも登る。彼女の下で育った歌手は多く、音楽界の誰もが慕う存在である。それから、その次の世代では、キンニュッイーも地味ではあるが、好アルバムをいくつもリリースしている。
彼女たちは何れも、かつてラジオ局の専属歌手として活動し、新曲が出る度にスタジオでマイクに向かって生で歌っていた。今でこそカセットが普及し、生で歌う必要はないが、その昔、人々はみなラジオにかじりついて彼女たちの歌を聴いていたそうだ。今でもその声は健在で、特に高年齢層を中心に人気がある。
彼女たちの過去のヒット曲はそこで消えてしまうのではなく、今でも色々な歌手に繰り返し歌われているのだが、そういったいわゆる懐メロを「ケッハウン・テー」「フナウンケッ・テー」などと呼ぶ。そして、現在リリースされているミャンマー・タンズィンのカセットの多くは、それらのリバイバル(「ピャンソー・テー」)である。では、オリジナル(「コーバイン・タンズィン」)はどうなのかというと、新曲がなかなか出てこないのが現状である。ミャンマー・タンズィンのオリジナル・アルバムを作るのには時間も手間もかかる。それに対し、リバイバルならば比較的容易にできる。それだけの理由ではないのかもしれないが、新しくてサウンドの完成されたミャンマー・タンズィンを聴いたとしても、後でリバイバルであることを知るといったパターンはよくある。
また、リバイバルにしても若手の歌手は少ない。何とか頑張っている重要な若手後継歌手、ニニ・ウィンシュウェも最近、ポップス系を歌うことが多くなっている。事実、彼女の人気はポップス系を歌うようになってから更に上昇した。今後のミャンマー・タンズィンの行方が心配されるところだが、これも時代の流れなのだろうか。
若者の心を代弁するミャンマー・ポップス〜スティリオ(・テーギータ)
ミャンマー・タンズィンは独特のサウンドが私たち外国人などには面白いのだが、伝統的カラーはやはり他の国の状況と同様、欧米を見つめる都会の若者たちからは敬遠される傾向にある。現実、広く大衆に受け入れられているのは、やはり欧米のリズムをベースとしたいわゆるポップスである。テレビやラジオで政府がいくら「伝統」をうたっても、人々のニーズはやはり「新しい」外国の文化に向いている。
1960〜1970年代に世界的に流行したビートルズやアバは、ミャンマーでも一大旋風を引き起こし、歌手たちにも大きな影響を与えたが、この頃、新しいミャンマー・ポップス「スティリオ(・テー・ギータ)」が登場した。スティリオという名前はちょうどその当時、ステレオ(スティリオ)・セットが普及し始めた頃であったことからついたのだという。それに対して、以前の伝統楽器を使って演奏していた歌謡曲を「モノ(・テー・ギータ)」という。今のミャンマー・タンズィンにつながるジャンルである。
スティリオの演奏には基本的に伝統楽器を用いないが、メロディー・ラインにはミャンマーのカラーを残している。言って見ればミャンマー独特のフォーク・ソングのようなものだが、キャンパスを中心に広まり、若者の集まる街角ティーショップなどにはかかせないバック・ミュージックとなっている。
そんな若者の心を代弁するスティリオの人気筆頭歌手としては、男性ではサイン・ティーサイン、女性ではメースウィが挙げられる。サイン・ティーサインは、その歌をバック・アップする作詞家サイン・カムレークと共に、メッセージ性ある歌を歌う。とはいっても過激なプロテスト・ソングは一切ない。かつて民主化運動が激化した頃にその兆候があったというが、そのような歌詞はすべて検閲で削られる。彼自身も政府の意見に対して合理的に同調する形をとっており、「歌は聴いてくれる人のために歌うだけ」語るが、サイン・カムレークの歌には社会を風刺する深い意味が込められているという。メースウィもかつてはそのような歌を歌っていたというが、今ではすべて健全なフォーク・ソング。かつての大女優ドー・ミンミンキンを母親に持つ彼女は、芸能人としての天性を持った人であるが、抜群の歌唱力で人々の心を魅了する。
その他、オリジナル・ソング・ライターとして数々のヒットを生み出している、男性歌手キン・マウン・トーやソー・ルィンルィン、また、サイン・ティーサインらと共にワイルドワンズというバンドを組んでいた女性歌手ミミ・ウィンペなども、メッセージ性を持った好作品をいくつもリリースしている。
カバー・ソングの氾濫とノリのよいロック〜キッポー・テー(・ギータ)
スティリオはミャンマーのカラーを持ったポップスであったが、それを含め、欧米のポップスのリズムをベースとしたいわゆるポップス全般を「キッポー・テー(・ギータ)<現代歌謡音楽>」と呼ぶ。最初は欧米のポップスのカバーに始まり、現在ではスティリオ以外のオリジナル・ポップスも多くリリースされている。特にジャンルごとにアーティストが分かれるわけではないが、いわゆる普通のポップスを中心に歌う人気歌手には、男性では俳優としても活躍しているヤン・アウンや若手新人アイドルのナウン、女性ではヘーマー・ネーウィンやポーダリー・テインタンなどがいる。音楽的にはあまり特徴がなく、安っぽいアレンジのものが多い気はするが、ここではルックスとアイドル性が重要。ヤン・アウンやナウンは女性のファンに大人気だが、ヘーマー・ネーウィンやポーダリー・テインタンは男性からだけでなく同性からも強い支持を得ており、ミャンマー女性のトレンド・リーダー的存在ともなっている。
また、ここ数年、政府が対外的に経済をオープンするようになってから、外国からの情報も益々増え、欧米のポップスのカバー・ソングはもとより、臨国タイやチャイニーズ、日本のポップスのカバーもよく耳にするようになった。著作権保護の協定もないうえ、簡単に作れて且つよく売れるカバー作品が増加するのは無理もない。
そんな状況下で人気が爆発した女性歌手、エーチャンメーは、1994年にリリースしたファースト・アルバム「ハッピー・ネイション」で、中島みゆき「ルージュ」のカバー「ダザージーチョーペーネーデー」を歌い、大ヒット。一躍トップ・スターの座を築いた彼女だが、アルバムの中のほとんどの曲がダンサブルでノリのよいポップスのカバーであった。欧米のカラーを持ち、都会的なカッコいいサウンドが多くの若者を引き付ける、といった現象は、ミャンマーに限ったことではないが、その傾向がこのところあまりにも急激に進んでいる。そして、彼女に続いて同じようなスタイルの歌手が続々とデビューし、それがまたヒットしているのである。
また、カッコよくてノリのよい若者の音楽といえば、ロックを忘れてはいけない。ただ、サウンドの激しすぎるロックは政府から背徳的であるとされ、制限されているのが現状である。しかし、年に1度の無礼講となるダジャン(水かけ祭)の時には、派手なロック・バンドも表に顔を出す。その多くは欧米のカバーであるが、オリジナルで勝負できるミャンマーのロック歌手のシンボル的存在に、ゾーウィントゥッがいる。彼の率いるバンド、エンペラーと、ミャンマーで初めてテクノ・ラップのアルバムを出したミョーチョッミャインのサウンド・エンジニアリング的サポートと共に、独自のアルバムを創作。政府のサポートも受けていることから、それなりに健全な歌が中心ではあるが、彼なりに精一杯のロックを歌う。
ステージ・ショーとテレビの「きまり」
「ロウンジー」という腰巻スタイルが日常のミャンマーでも、キッポー・テーの「ステージ・ショー(コンサート)」の時には、皆ズボンやスカートを履いて聴きにくる。意外にもヘヴィメタ・ファッションに人気があったりするのだが、キッポー・テーを聴くにはやはりそれなりの身なりが必要。ヤンゴンのいちばん新しいディスコでも「ロウンジーでの入場お断り」となっている。
ズボンやスカートは新しい文化の象徴、とはいっても、まだまだぎこちないところが多い。アーティストにしても、ファッションは派手なヘヴィメタだが、サウンドの方はソフトなポップス、というのをよく見かける。現状では音楽の本質うんぬんというよりカッコいい衣装に酔いしれているだけといった感じがなくもない。ただ、ステージ・ショーのような公の場での派手なパフォーマンスが原則として禁じられているので、歌も必然的におとなしくならざるを得ないのは仕方がないことである。観客の方もじっと椅子に座って歌に聴き入るしかなく、たまに立ち上がって踊る若者がいると、すぐに主催者側に注意されるといった感じで、どうもやるせない。しかし、それが現状である。アーティストや観客もそれに反発するのではなく、「きまり」には従う。そうやって合理的に社会的規律を守りつつ、ぎりぎりのところまで精一杯音楽を楽しんでいるのである。
テレビについてもまた同様であるが、身体を激しく揺らすパフォーマンスはステージ・ショー以上に規制されている。従って、歌手たちはまるで東海林太郎のように直立し、身体を左右に少しだけ揺らしながら歌うといったパターンがほとんどである。私の知人のプロデューサーが以前、タイのアイドル歌手に真似てノリのよいビデオ・クリップを製作した、といって出来たてのほやほやを見せてくれたことがある。内容は日本の少年隊のような感じのダンサブルなものであったが、そのビデオは後、検閲を通らず、お蔵入りとなってしまった。
それでもめげずに頑張るところが、ビルマ人のいいところなのかもしれないが、経済情勢も急激に変化を遂げている昨今、音楽の方も今後ゆっくりと変わっていくことであろう。
放送メディアとカセット・雑誌の流行情報
ミャンマーには、政府管轄のミャンマー・ヨウッミンタンジャー(TV
MYANMAR)と、国軍管轄のミャワディー・ヨウッミンタンジャー(MYAWADY
TELEVISION)の2局のテレビ局があり、ラジオは政府管轄のミャンマー・アタン(MYANMAR
BROADCASTING SERVICE=MBS)の1局である。何れも政府の推奨する音楽、例えばミャンマー・タンズィン、スティリオ、ソフトなポップスといったものが中心に流され、ロック系はやはり少ない。ミャワディー・ヨウミンタンジャーの方では、最近になって若者向けスタジオ・ライヴ番組も放送されるようになり、人気が出ているが、ミャンマー・ヨウッミンタンジャーの方は相変わらず堅い感じの放送が続く。例えば、同放送局の場合、キッポー・テーであってもズボンはだめで、バンドなどもロウンジーで登場する。ミニ・スカートの女性アイドルといったものは絶対にない。
また、テレビで流されるものには、政府のイベントにちなんだプロパガンダ・ソングが多く、人気歌手たちはまた、それらを歌うことを義務としている。特に昨年から今年にかけては「ミャンマー訪問年」ということで、そのキャンペーン・ソングがこのところ多い。その他、国家マラソン大会ソングや、国軍を讃える歌、国営ホテル開店記念ソングといったものがかなりの頻度で流されている。
従って、テレビでよくかかっているものが今、人々の間で流行しているものとは限らないわけである。それに、古いビデオ・クリップが未だに繰り返し流されていたりするので、「流行」をテレビからつかむのは難しい。最新の流行情報は、やはり街角で売られているミュージック・テープと、芸能情報の載った雑誌がたよりである。
ヤンゴン〜東京・ミャンマー・コミュニティー
このところヤンゴンは、レコード会社が著しく増加している。それだけ音楽に対する需要が増え、また、人々の懐も暖かくなったという証拠であろう。とはいっても、比較的安価なカセット・テープがまだまだ主流のミャンマー。10倍近くも値段の違うコンパクト・ディスクなどは、未だ一般市民には定着していない。ミャンマーのコンパクト・ディスクは、大きなミャンマー・コミュニティーのあるシンガポールでプレスされているものが多いのだが、そこを拠点にミャンマー現地の他、全世界のミャンマー・コミュニティーにディストリビュートされている。
その大きな消費地のひとつが東京である。実は日本には何万人ものビルマ人が居住し、特に東京都内にはミャンマー関連の雑貨店やレストランが多数あり、在日ビルマ人向けのビルマ語新聞まである。そんな東京のミャンマー・コミュニティーは、ヤンゴンのメディアとも連携しており、雑誌などに「日本レポート」のようなものがしばしば載る。昨年末には、サイン・ティーサイン、ポーダリー・テインタンなど人気歌手が日本を訪れ、在日ビルマ人向けにコンサートを催したが、そんな話題もミャンマー現地の雑誌に投稿され、広く伝わった。
その他、東京にはミャンマー現地でかつて活躍していた元芸能人やオピニオン・リーダーが住んでいたりする。また、東京で結成され、ミャンマーでデビューしようとしているバンドもいくつかある。東京とヤンゴンの私たちの知らないところで密接に繋がっているのである。
伝統音楽から現代のポップスへ。こうして見てみると、ミャンマーの音楽は保守的な側面と革新的な側面が互いにぶつかり合いながら、その環境が形成されていることが分かろう。急速な経済発展の中、政府のコントロールがいたずらな変化を防ぎ、バランスを保っているとはいえ、やはり窮屈な押さえつけは音楽をつまらなくする。しかし、アーティストたちはそれに対し単に反発するのではなく、合理的に割り切って同調しつつ、別のところからまた違った流行を生み出す。そうやって、新しいミャンマーの音楽を世に次々と送り出しているのである。常に微笑みながら…。
|
|