短信 

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 ・ 短信60 2003/01/19

 私は音楽も美術も、表現の仕方が違うだけで、根本的な所では同じことが言えるのではないかと思います。従って色々な考えが有る様に様々な音楽が出来る。単なる音の羅列の様に聞こえる音楽でも作者の想いが有れば、一つの作品であります。それぞれの個性溢れる豊かな作品です。いや、たとえ、作者の想いが無くても、其れが何かを見るなり聞くものに、何かを与えるならば、立派な芸術だ、との見方もあります。私も其れは認めます。だが私は、主張する音楽家で有りたい。少し高いところに登って、素晴らしい雲が見えたら、それは自然の作り出す芸術であろうし、綺麗な夜空も自然の織り成す芸術であろう。私は其れを音で表わしたい。そして自然の美しさと力強さを、畏怖する心を失わずに、だからこそ、この地球上で最高な頭脳を持った哺乳類である人間としての責務を果たしたいと思います。

 ・ 短信59 2003/01/17

 私はムーニエの言う「悲壮な美しさ」を確かに美しいと思いました。それはムーニエが労働者と同じ目線で描いているからだと思いました。ウィーン分離派に共通する市民的目線、それはまさにリアリズムであり、そうであるからこそ、より多く私にも、その内面までが伝わってきたのだと思います。何か腕を縛られているかのような姿。私にはムーニエの告発する心を感じました。一度目を合わせてしまったら、二度と目を外せないムーニエ。作品に仕上げるまで決して離れない心。そして作品に仕上げたら、観る者に渡す心。かの鉄鋼夫や、労働者達の、数多くの治療もされない病人や死体も見てきただろうムーニエ。彼の心の痛みと優しさが私には伝わってきました。私もムーニエの様な心を持ち続けていきたい、と強く心に思います。

 ・ 短信58 2003/01/15

 あの有名なロダンの影響を受けたと云われるグスタフ・クリムトの分離派は偶然起きた運動ではなく、こうした社会との動きのなかで捉えるべきことだと思います。クリムトは『接吻』とか『恋人達』『抱擁するふたり』等、今までタブーとされていた領域に足を踏み入れ、一般市民を、一般の『女』と『男』を生々しく描きました。其れこそ絵の開放だと思いました。クリムトもムーニエも、歴史に残る、そして歴史を開拓した巨匠だと思います。私の観たムーニエの『鉄鋼夫』は私の脳裏から離れません。涙が落ちんばかりの眼。なにかを訴えてくるような口元。哀願するような顔。ひしゃげたヘルメット。其れと対照的な筋骨逞しい、無駄な贅肉の一切無い身体。彼の想いが、辛さが、痛い程私に伝わって来ました。当時の労働者の置かれた立場が、どの様なものであったか。資本論に出てくる労働者の姿を私はここに見ました。

 ・ 短信57 2003/01/13

 分離派は、芸術を生活の中に、一般市民達の生活の中に浸透させ、芸術家主体の展覧会をする事が大きな目的でした。其れまでの閉鎖的慣習を捨て、市民の中に入ろうとした運動でした。この分離派の中心的芸術家は、グスタフ・クリムト(1862年~1918年)と言う人でした。彼等の運動が、世界的規模で拡がって行く背景には、当時の経済社会に於ける資本主義の台頭と発展を無視して語ることは出来ないと私は思います。経済分野だけでなく、大きく社会全体に網を被せるがごとく、文化面にも多大な影響を与えていったことを創造させてくれます。カール・マルクスやフリードリッヒ・エンゲルスが資本論を書いた時期とも重なります。ロシアでボリシェビキを率いたレーニンのロシア革命の成功。日本に於いても南梅吉が初代委員長になった日本水平社運動の起こり。政治と切り離せない文化。

 ・ 短信56 2003/01/11

 皆さん、コンスタンタン・ムーニエ、 と云ってもお分かりな方は少ないかと思います。19世紀から20世紀に懸けて(1831年〜1905年)活動していたヨーロッパの画家です。彼は長年にわったって修道院の生活を、リアルに表現していたのですがその彼が47歳頃から、労働者の働く姿を描く様になります。そのきっかけは1878年ベルギーの鉱山地帯を訪ねたことでした。ムーニエは「野性的だが、悲壮な美しさ」を労働者達の姿に見出します。私は、彼の作品『鉄鋼夫』高さ50cm程のブロンズ像を観て感動を覚えました。話は逆なのですが、本当はこの作品を観てからムーニエを知るように成ったのです。そして彼のことを調べてみたのです。当時ヨーロッパ美術界では、ウィーン分離派と称する運動が起きていました。この運動は次第に世界に拡がりをみせて行きます。日本でも黒田清輝を中心とする『白馬会』の設立等がその運動のひとつでした。

 ・ 短信55 2003/01/07

 一瞬難しそうな話が出てきたとお思いだったでしょうが、良く考えて頂ければ、何も難しくは無かったと思います。私達が、勤め先に着いて、色々な仕事場がありますが、目の前に有るコンピューターは誰の所有物ですか。其れの乗っているデスクは誰の物ですか。流れ作業のその機械は誰の物ですか。その機械に乗ってくる材料は誰の物ですか。皆私達の物では有りません.それらの物を生産手段と言います。それらを、誰が所有しているかで、時代は歴史的に区別されて呼ばれてきました。原始共産共産制時代は皆が。封建主義の時代には封建領主とか女王とか国王とかが。資本主義の時代には、さあ、誰が持っていますか。資本家が持っているから資本主義です。簡単ですね。何回か前に書きましたが、では、この社会体制が、何故、人類最後の体制だと、誰が何を根拠に言い切れるのでしょうか。長い歴史の中で、これではない仕組みが、まだあるような気がしませんか。長い時間、それこそ悠久の年月を掛けて、いつか正直者が本当に報われる時代が来ることを、私は確信し目指しています。私の生きている時代ではないでしょうが。

 ・ 短信54 2003/01/03

 新年明けましておめでとう御座います。高々私一人の力なぞ、大した力には成りませんが今年もまた力いっぱい、一生懸命生きようと、新たな決意をして居ります。今年も宜しくお願い致します。さて、今世界では平和を求める大きな運動が起きてきています。戦争を許すな、平和を、の声で数十万人の平和行進が、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、ヨーロッパ各地で行われています。でも、私達の多くはそれさえ知らされずにいます。今世界で起きている事の事実を知れば、世界は平和を求めて、全体としては大きく動いていることが解ります。日本で報道されていることだけが、真実だと思って見ていると何か心細く不安感に陥りますが、世界に目を拡げれば一人ぼっちでは無いことも解ります。私は、平和と自然環境保護、奢り高ぶる人間の浅ましさと弱い者に向けた共感をテーマに、一本の縦糸を持って創作をしています。そこに横糸が絡みそれぞれの曲が出来ていきます。私は世界全体の大きな動きのなかで、自分の想いを作り、演奏に、創作に励んで行きたいと思って降ります。

 ・ 短信53 2002/12/28

 音楽が音楽たりえるには、人々を取り巻く社会全体の、ゆとりと平和無くしては有り得ません。生きることの喜びと悲しみを歌い上げ、自然の美しさと枯れていく寂しさを表現する音楽。それは音楽だけに特徴づけされる物ではなく、人間の賛歌であり人間の生活そのものの幸せなくして有り得ない、あらゆる文化の源泉です。ここ数回短信で取り上げていることは、単なるイデオロギーの問題ではないのです。この寒い冬を迎えるアフガンの人々、今、まさに戦火に立たされそうなイラクの人々、アフリカの水さえ飲めない貧しい人々。幸せでない社会の最初の、そして最大の犠牲者は、物言えぬ子供達です。その国の指導者が、どれほど酷い人間であっても、戦争だけは許してはならない。そして地球上を平和の塊にしなくてはいけない。ましてや原爆等を、二度と再び使わせてはいけない。その強い意識をより多くの人々に伝えたい為に、私は自分で出来る全ての、全身全霊を使って生き続けようと思っています。辛いことの多い人生。私に取っては今が一番辛い時期なのだといい聞かせて、頑張っております。もっと辛く苦しんでいる人々を想い。2002年も終わろうとしています。新たな年が皆さんにとって良い年であることを願い、又世界で不幸が少しでも少なくなり、悲しむ人々が少しでも少なくなることを願い、今年の短信を閉じます。皆様良いお年をお迎え下さい。

 ・ 短信52 2002/12/26

 歴史を勉強しますと、不思議な事に気が付きます。地球上のどの国も、多少のずれは有っても同じ様な社会形態を経て来たことです。原始共産制、これは収獲物を皆で分けていた時代です。生産手段もみんなの物でした。その次は封建制の時代です。封建領主が出現してきて、多くの人々はその下で働かされる、そういった社会です。女帝がいたり王様がいたり貴族がいたりした社会。生産手段は皆の物ではなく封建領主の物です。そしていよいよ今の資本主義の時代です。一部の資本家の下で働く時代です。私よりみなさんの方が良くお分かりな制度です。働くみんなは、少しの生産手段も持っていません。自分の働く力、労働力しか有りません。資本家と云われる階層が持っています。大雑把に時代を把握すると、地球上のどの地域でも、数百年単位で同じ道を辿っていることが解ります。じゃあこの制度が、貧富の差の大きな、私が変だと思ったこの社会制度が、人類最後の最高な制度のはずは無い。アメリカの大学の先生が、「今何処かに、新しいマルクスが歩いている」と云いました。

 ・ 短信51 2002/12/24

 私は歴史に興味を持っていました。特に古代史、考古学、人類学に関心を持っていました。真面目な話、大学受験の時まで東京大学の史学科に入りたいと思っていました。その事を担任の先生に話しましたら、その場では真面目な顔して聞いて下さっていらしたのですが、職員室に戻られたら大笑いしていたとのことを、他の先生から伺い頭にきまして、『冗談じゃねぇ』と思い東大の有る本郷の山を下って、お隣の上野の山に有る芸大に行く事にしました。冗談に聞こえるかも知れませんが、本当の話です。

 ・ 短信50 2002/12/21

 小さい頃から本はよく読みました。まだそれ程貧乏ではなかった頃に,両親が買い揃えてくれた世界文学全集とか、日本文学全集。お金が無くなって、だんだん家財道具が持ち出されていっても、本だけはとっといてくれました。箪笥が無くなり、大きな火鉢が無くなりテレビがなくなる。当時りんごは、木の箱に入っていました。八百屋さんから貰ってきて、それを勉強机にしていました。こんな世の中おかしい。働く意志があって、両親とも働いていてそれでも満足な生活が出来ない社会。こんな社会を、私は変える為に意志を持って生きて行こうと思ったのです。私の人生観、歴史観、社会観は10歳の頃に持ちました。今尚変わらない私の思想です。世の中の仕組みを変えようと。

 ・ 短信49 2002/12/18

 私が資本論を読んだり、社会の色々な事に興味と関心をもつのには、私が貧乏な生活環境で子供時代を過ごした事と無関係では有りません。其れと母から聞いた、父が、道ゆく車に飛び込んで自殺をしようとして、出来ずに帰って来てくれたことを聞かされたこと。胸が痛く成るほど父を可哀相に思いました。一生懸命身体に鞭打ちながら働いているのに家族を養えない辛い気持ちが私には、手に取る様に解りました。一番下の末っ子だった私は父にも随分と可愛がられて育てられましたから。社会の仕組みに漠然とした疑問を感じはじめていくのは、至極当然のことでした。母が、家政婦をさせて頂かしていたお家の方から頂いた、たくさんの紅生姜。油揚げを甘辛く煮て、なるったけ薄く、細かく切ってご飯にまぜてその紅生姜をたくさん乗せて食べたご飯の有り難さと美味しさ。

 ・ 短信48 2002/12/14

 今、現実に私達が目の当たりにみている事態は如何ですか。不良債権の最終処理だと声高に叫んで、ジャブジャブと私達の納めた税金を何十兆円という規模で私企業、銀行にどんどん上げているではないですか。大地震の被災者達には1円たりともも出さなかった政府が。おかしいと思われませんか。私はこんなの絶対間違っていると思います。火山列島ですから地震はつき物です。関東、東海地震はいつか間違いなく起きます。それは学術的に明らかです。阪神淡路を上回る被害が、予想されています。国民を守り、困った人々に手を貸すのが政治であるはずですし、税金を納めている私達の権利でありまた、国の義務で有るはずです。その様な税金の使われ方がされれば、皆も安心できるし文化の花咲く、本当の意味で豊かな国に成ると心から思います。お金持ちは、国が何もしなくても立派に生活していけます。貧乏人こそ救われなければ、いや貧乏人と呼ばれる人々にこそ、国が手を差し伸べなければいけないのです。憲法にもはっきり国民の権利として書いてあります。

 ・ 短信47 2002/12/11

 物事の本質を掴むことは、とても大切な事だと思います。今、何がおきているのかを慌てずに知ること出来ます。大きな会社が、どんどん大きくなって中小零細企業がどんどん潰されていく。儲ける為ならどんなことでもする。地球が暖まってしまおうが銭金の為なら関係ない。何も悪いことしていない南の島国が海に沈もうが、オゾンホールが大きく成って紫外線が降りそそごうが今儲かればそれでいい。後は野となれ山となれ。どうせ俺たちゃそんな先まで生きちゃいないし、自分達の一族だけでも無事でいればいい。こういった人達が国と結びついて、一国の政治まで左右させてしまうのが、資本主義日本の世界の現実ではないでしょうか。日本は火山列島です。したがって地震の多い国です。阪神淡路大地震の時、被災者がたくさん出ました。お亡くなりになった方々もたくさんいらっしゃいました。家が全壊に半壊になられた方々もいっぱいおられました。あの時、国は1円の援助もしませんでした。『日本は資本主義の国ですから、御一人お一人の為に援助は出来ません』政府の大臣の言葉です。

 ・ 短信46 2002/12/08

 小さな会社は、大きな会社に吸収されていく。銀行も同じ。今まさに名前さえ判らないほど、知らない名前の銀行の看板が目立ちますよね。その銀行達もまだまだ変わります。何故か。ちょっと以前にも銀行同士の合併が有りましたね。三井銀行がどこかと合併してあさひ銀行なんて名前になりました。神戸銀行と太陽銀行が合併して太陽神戸銀行に成りました。第一銀行もしかり、第一勧業銀行に。今の資本主義体制は発展していけば行くほど、銀行も例外ではなく次々と淘汰吸収され続けていくものなのです。誰が反対しようが、弱肉強食の社会である資本主義では、一つの例外もなく更なる吸収合併を繰り返さざるを得ないからです。百年以上前に、あたかも予言者の様にマルクスも主張しているのです。皆さんも耳慣れた資本主義と言う言葉は、この人カール・マルクスが創った言葉です。今は誰でも使います。また産業の空洞化。少し耳にされたこと有ると思います。日本で物を作らないで、人件費の安い東南アジアの国々で、小さな子供達までこき使い生産するのです。企業は儲かりますが、日本人の労働者は首になり、今まさにリストラの嵐が吹き荒れているでは有りませんか。マルクスはその様な事態も指摘していました。

 ・ 短信45 2002/12/04

 サービス残業の問題、簡単にお話しすれば夜遅くまで働いても残業手当をまともに受け取れないことです。もっと簡単に云えばただ働きです。そんなことも『資本論』には書いてあります。私が作曲したりして夜遅くまで起きているのとは、勿論関係ないですよ。今構造改革なんてよく耳にしますでしょ。不良債権なんて言葉もよく耳にしますよね。農家の方も大変ですよ。農業の構造改革と言われて、農業に大きな株式会社が手を出す様に成ろうとしています.芸人の私が、株、木の株ではありませんよ、株式会社の株をもし買えれば、うまくいけば農業で儲ける事まで出来てしまうんです。その代わり爺ちゃん婆ちゃんの代からこつこつ農家をやって来た個人的農家は淘汰、つぶされていきます。これも『資本論』に書いて有ります。まだまだあるんですよ。百年以上前に書かれた本に、今私達が置かれている状況が、まるで予言者の様に語られていることが。

 ・ 短信44 2002/11/30

 お話しは少し難しそうになりますが、決して難しくは無いのでこの先もお気軽にお読みいただければ 嬉しく思います。私はカール・マルクスと云う経済学者が今から百年以上前に書いた『資本論』と云う著作を時間が有ると読んでいるのですが、中々長い著作、大作でして、全部が3巻に分かれています。私は今第2巻目を読んでいますが、難しそうでいて中々面白い本だとつくづく思います。仲代さんの『セールスマンの死』を観ていても、『資本論』と今の現実と芝居が、重なって見えて来るのです。私は今の時代は何処か間違っていると思っております。日本に於いても四季がはっきりしなくなってきました。南極の氷もどんどん解け始めています。今や日本は亜熱帯地方だそうです。お隣の韓国ではマラリヤが発生し始めています。まさに地球の温暖化がここまで進んで来ていると言うことです。日本の過労死は今やカローシと言う国際語に成っています。今の世の中最高だと思っている方、そんなに多くは無いと思います。

 ・ 短信43 2002/11/28

 先日、仲代達也さんの芝居「セールスマンの死」を観て来ました。この作品はアメリカの劇作家アーサー・ミラー氏が作ったもので仲代達也さんの前は滝沢修さんのはまり役でした。時代は1928年頃のアメリカ。当時の時代背景をバックに勤勉で家族想いの典型的な一家の主が主人公の物語です。新しい家を建て、文化的な電気製品を買い、二人の息子に恵まれ、幸せを絵に描いた様な家族が、時代とともに破滅に追いやられていく過程、私の身につまされる感覚で、社会を、はっきり言えば資本主義の社会を告発していました。今のわが身と,今住んでいる社会と何処も違わずに重なって見えました。家も電化製品も皆ローンです。そのローンを払い終わったとき、主人公ウイリー・ローマンは自殺してしまいます。生活に余りにも疲れ果てて愛する、妻と二人の息子達を残して。

 ・ 短信42 2002/11/23

 言葉が解らなくても、音楽は世界共通の言語で有ることを最近実感致しました。地球の真裏、日本から見て丁度真裏に当たるブラジルの弁護士さんから、メールを頂戴致しました。日本大好き、日本音楽大好きな方で、私のこのページを最近見つけて下さいまして、毎回楽しみにして下さっているとの事なんです。でもまだブラジルでは、余り日本音楽は親しまれていないので、手に入り辛いとのことでした。ブラジルといえば日系の方々が多いと思って、日本音楽も盛んなのではないかと思っていましたので、意外に思いました。この方は日本語を13年も勉強したかたなので、私のページに来て下さいましたが、インターネットなんですから、英語バージョンをこれから時間をかけて作ろうと思います。えっ、そんなこと私に出来るかって、それは、出来てみてのお楽しみ。

 ・ 短信41 2002/11/20

 70歳80歳を超えても現役でご活躍なさっておられる大先輩の方々をお見受けする度に、私は感嘆の想いにかられます。東京でご活躍の方でなくて地方にいらっしゃる方でも、研鑚を積まれた方々の厳しい芸に触れると、私などは心から敬服してしまいます。情報の少ない地方の町で、如何にしてこれ程正確に覚えていらっしゃれるのか、まずこれだけでも頭の下がる思いです。意外に地方に、古い余り知られていない良い曲が残っていたりすることが多々有ります。譜面やテープ等の無い時代。私などは3日もすれば忘れてしまうのに、どんなお稽古をなさっていらしたのか。芸大を出た頃の私は全て頭で理解し、全て頭の中で統率の取れたものが芸だと思っていました。でも今の私は、頭だけでなく体の全身全霊で受け止めたものこそが、芸と言えるものなのでは無いかと、つくづく感じます。