日記(教会ラテン語の予習)

知的生活の模倣過去の日記日記(知的生活)日記(教会ラテン語の予習)

2006/12/10

diary 教会ラテン語の予習 [26] 待降節第2主日

今度の主日に行われる待降節第2主日のミサから。朗読箇所は、ローマ人への手紙(15:4-13)と、マテオによる福音書(11:2-10)

洗礼者ヨハネの使いに、イエズスが「自分の目で見聞きしたこと」として列挙する中に、3人称複数の動詞がいくつか出てくるので着目してみた。

 (1) Caci vident,
 (2) claudi ambulant,
 (3) leprosi mundantur,
 (4) surdi audiunt,
 (5) mortui resurgunt,
 (6) pauperes evangelizantur

私の大雑把な理解では、語尾が -nt なら3人称複数である。(1)「見える」(2)「歩く」(4)「聞こえる」(5)「よみがえる」など。さらに -ur が付けば受動態である。(3)「治る(治される)」(6)「福音が告げられている」がそうである。これは何とか聞き取れるのではないかと思っている。

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2006/12/03

diary 教会ラテン語の予習 [25] 待降節第1主日

今度の主日に行われる待降節第1主日のミサから。朗読箇所は、ローマ人への手紙(13:11-14)と、ルカによる福音書(21:25-33)

福音書の最後の一節を見て、ふと思った。これもまた、訳を知っているから格の見当が付くという例ではないか、と。

 (1) Caelum et terra transibunt:
 (2) Verba autem mea non transibunt.

どれもよく知っている言葉であるばかりでなく、これらが使われているフレーズもいくつか思い出せる。しかし、語形から格が分かる、という状態にはまだ達していない。もう少し気を付けながら勉強したい。

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2006/11/26

diary 教会ラテン語の予習 [24] 聖霊降臨後第25主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第25主日のミサから。朗読箇所は、コロサイ人への手紙(1:9-14)と、マテオによる福音書(24:15-35)。

今回の朗読箇所は、ミサ典書の聖霊降臨後第24主日の部分である。なぜそのようになるかは前回触れたので繰り返す必要はないだろう。

今回は書簡から、Deus が入っているフレーズを取り上げ、意味がよく理解できているか確認したい。

 (1) ut impleamini agnitione voluntatis Dei
 (2) ut ambuletis digne Deo
 (3) in scientia Dei
 (4) gratias agentes Deo Patri

こうして見ると、(1)(3)の Dei は属格として意味が取れそうだが、直前の名詞に十分反応できるかが怪しい。(4)は類似表現を取り上げたこともあるので何とか理解したい。ただ、(2)については ambuletis が馴染みではないので無理そうだ。

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2006/11/19

diary 教会ラテン語の予習 [23] 聖霊降臨後第24主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第24主日のミサから。朗読箇所は、テサロニケ人への第一の手紙(1:2-10)と、マテオによる福音書(13:31-35)。

ミサ典書の聖霊降臨後第24主日は同時に最後の主日であるため、聖霊降臨後の主日が24を超えるときは後回しにされ、その間の主日の固有文は御公現後の主日から取られる。従って今回の朗読箇所は御公現後第6主日のものである。

 (1) Simile est regnum caelorum grano sinapis, ...
 (2) Simile est regnum caelorum fermento, ...

福音に「〜のようである」という表現が2回出てくるので注目してみた。ちなみに、この表現はこの朗読箇所の後、44〜47節にかけてさらに3度出てくる。

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2006/11/12

diary 教会ラテン語の予習 [22] 聖霊降臨後第23主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第23主日のミサから。朗読箇所は、フィリッピ人への手紙(3:17-20)と、マテオによる福音書(9:18-26)。

書簡も福音もいつもより長めで、どこを取り上げたものやらと思ったが、印象に残っている主の言葉を見ておこうと思う。まだ語順には慣れないが、せめて命令文だけでも聞き取れるようにしたいと思う

 (1) Confide, filia, fides tua te salvam fecit.
 (2) Recedite, non est enim mortua puella, sed dormit.

(1)「信頼せよ」というラテン語は、よく見かけるようではあるが、どこに使われているのかあまり記憶にない。同じ章の2節にはもう1つ用例がある。(2)「みな下れ」は、ペトロに向かって言った「サタン、引き下がれ」とニュアンスこそ違え同じ単語かも知れないと思ったが、こちらは vade であった。

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2006/11/05

diary 教会ラテン語の予習 [21] 聖霊降臨後第22主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第22主日のミサから。朗読箇所は、フィリッピ人への手紙(1:6-11)と、マテオによる福音書(22:15-21)。

ミサ典書の当該部分を開くと、「チェザルのものはチェザルに」という有名な一節があったので、それを取り上げてみたい。

 (1) Reddite ergo quae sunt Caesaris, Caesari; et quae sunt Dei, Deo.

訳が頭に入っていれば、単語と意味との対応は難しくない。ただ、日本語のリズムでは「チェザルに」が現れるまでに間があるが、ラテン語の原文ではすぐさま現れる。短い文だが、このリズムに慣れるまで読み込む必要がありそうだ。

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2006/10/29

diary 教会ラテン語の予習 [20] 王たるキリストの祝日

今度の主日に行われる王たるキリストの祝日のミサから。朗読箇所は、コロサイ人へ手紙(1:12-20)と、ヨハネによる福音書(18:33-37)。

福音書のイエズスとピラトとの会話の場面から、英語の I am 〜. You are 〜. レベルの表現だけ抜き出してみた。

 (1) Tu es Rex Judaeorum?
 (2) Numquid ego Judaeus sum?
 (3) Ergo Rex es tu?
 (4) Tu dicis, quia Rex sum ego.

語順が一定していないので戸惑うかも知れないが、ego と sum 及び es と tu がそれぞれ並んでいれば、何とか了解できそうである。

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2006/10/22

diary 教会ラテン語の予習 [19] 聖霊降臨後第20主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第20主日のミサから。朗読箇所は、エフェゾ人への手紙(5:15-21)と、ヨハネによる福音書(4:46-53)。

栄誦には、Sicut erat in principio というフレーズがあり、もちろん意味は分かっているが、erat を過去の動詞として意識できているかというと心許ない。そんな単語が福音の初めに出てきたので、少し学習しておきたいと思う。

 (1) Erat quidam regulus, cujus filius infirmabatur Capharnaum.

(1)の訳は「そこに一人の王官がいた。その人の子はカファルナウムで病床についていた。」である。Erat を聞いた時点で、誰かがいた、何かがあった、ということを意識しないといけないようだ。

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2006/10/15

diary 教会ラテン語の予習 [18] 聖霊降臨後第19主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第19主日のミサから。朗読箇所は、エフェゾ人への手紙(4:23-28)と、マテオによる福音書(22:1-14)。

書簡の冒頭でいきなり Renovamini という単語と出くわした。この -amini という語尾は以前から気になっていたものである。というのも、来る待降節に歌うグレゴリオ聖歌* Rorate Caeli の歌詞に、Consolamini, consolamini と繰り返す印象的な部分があるからだ。

これはどうやら2人称複数の受動態で、命令形のようだ。この形は、後でもう一つ出てくる。

 (1) Renovamini spiritumentis vestrae, et ...
 (2) Irascimini, et nolite peccare:

(1)はバルバロ訳で「自分を新たにし」ろとなっているが、直訳は「新たにされよ」ということだ。(2)も同様に受動態的な訳語になっておらず、「怒っても」となっている。ただ、辞書では自動詞しか見当たらず、しっくりとはしなかった。とりあえず、(1)だけでも受け身と感じられるようにしたい。

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2006/10/08

diary 教会ラテン語の予習 [17] 聖霊降臨後第18主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第18主日のミサから。朗読箇所は、コリント人への第一の手紙(1:4-8)と、マテオによる福音書(9:1-8)。

書簡の冒頭のフレーズを見たとき、反応の鈍い自分に慌ててしまった。

 (1) Gratias ago Deo meo ...

難しい単語は何もない。ペーパーテストなら試験時間内に訳を書くことができ、点をもらうこともできるだろう。問題はこんな簡単な表現が自分のものになっておらず、耳で聞いたら意味を取れないに違いないということだ。

類似する Deo gratias. にしても、頭の中では「神に感謝」に対応しているし、ago も一人称単数ということは分かっているのに、自分自身の動作であるという実感がない。こうなると文法はひとまずおいて、練習が必要だ。

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2006/09/30

diary 教会ラテン語の予習 [16] 聖霊降臨後第17主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第17主日のミサから。朗読箇所は、エフェソ人への手紙(4:1-6)と、マテオによる福音書(22:34-46)。

主日の第2晩課のアンティフォンは、その日の福音朗読から採られている。ということは、大事なところが抜き出されていると考えてもよいだろう。それで今回注目してみたら、馴染みのある次の文に遭遇した。

 (1) Dixit Dominus Domino meo: Sede a dextris meis.

これは、主日の晩課に現れるフレーズである。Dixit Dominus は「主は仰せられた」。Domino meo は与格で、「私の主に」。Sede は命令で「座れ」。最後の a dextris meis は「私の右に」。Credo の sedet a dextram Patris と語形が違う点については、後で調べたい。

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2006/09/23

diary 教会ラテン語の予習 [15] 聖霊降臨後第16主日

今更ながらこのタイトルの曖昧性に気が付いた。ラテン語を予習する主体は、あくまで私自身である。従って過ちもあり得るし、あらばご指摘いただきたい。

今度の主日に行われる聖霊降臨後第16主日のミサから。朗読箇所は、エフェゾ人への手紙(3:13-21)と、ルカによる福音書(14:1-11)。

さて、今回の福音書には有名な言葉があって、しかもそれは対句になっており、学習の材料としても、暗唱の対象としても適当だと思うので、これを扱うことにする。

 (1) quia omnis, qui se exaltat, humiliabitur, et qui se humilitat, exaltabitur.

語尾 -at というのは、祈願文でよく見かける形である。例えば主祷文に adveniat, fiat という語を見つけることができる。今回は内容的に考えて祈願ではなさそうなので、いい加減な知識を整理するためにきちんと調べてみることにした。すると接続法現在ということであったので、この用法をよく理解することができた。

一方、-abitur という語尾は、et sanabitur anima mea という聖体拝領前の祈りの一節に見つけることができる。調べると受動態の未来形であることが分かった。これで意味も了解できた。

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2006/09/16

diary 教会ラテン語の予習 [14] 聖霊降臨後第15主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第15主日のミサから。朗読箇所は、ガラツィア人への手紙(5:25.26,6:1-10)と、ルカによる福音書(7:11-16)。

今回の福音で最初の数行に ibat, ibant が現れるので、聞き取るために押さえておこうと思う。

 (1) Ibat Jesus in civitatem, quae vocatur Naim:
 (2) et ibant cum eo discipuli ejus, et turba copiosa.

両方とも未完了過去という時制だが、英訳は過去形となっている。この場合「行った」と訳して差し支えないだろう。ただ、未完了だから、出発したことは確かでも、着いたことは含意していないと思う。

それから、いくつか復習したい命令文がある。

 (3) Noli flere.
 (4) Adolescens, tibi dico, surge.

(3)は禁止を表す noli と併せて「泣くな」、(4)は「立て」である。少ないけれども、これだけ聞き取れればとりあえず満足だ。

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2006/09/09

diary 教会ラテン語の予習 [13] 聖霊降臨後第14主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第14主日のミサから。朗読箇所は、ガラツィア人への手紙(5:16-24)と、マテオによる福音書(6:24-33)。

今回は福音で否定語が目立ったので、まとめて取り上げてみたい。

 (1) Nemo potest duobus dominis servire:
 (2) Non potestis Deo servire, et mammonae.
 (3) ne ... neque corpori vestro quid induamini.
 (4) Nonne anima plus est quam esca: ... ?
 (5) quoniam non serunt, neque metunt, neque congregant in hornea:
 (6) Nonne vos magis pluris estis illis?
 (7) Nolite ergo solliciti esse, dicentes:

(1)「誰も〜ない」。イエズスの有名な言葉なので、この文自体を暗唱してもいいだろう。。(2) 「〜ない」。(3)(5) 「〜も〜もない」。(4)(6) 疑問文に用いて、「〜ではないか」。(7) 禁止を表して、「〜するな」。ちなみに、復活したイエズスが、自分に向かって身を投げ出したマグダラのマリアに言った言葉は Noli me tangere. である。

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2006/09/02

diary 教会ラテン語の予習 [12] 聖霊降臨後第13主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第13主日のミサから。朗読箇所は、ガラツィア人への手紙(3:16-22)と、ルカによる福音書(17:11-19)。

今回の福音朗読箇所には、いくつかの命令文があった。安易ではあるが、命令文は短くて分かりやすいので、これを取り上げようと思う。

 (1) Jesu praeceptor, miserere nostri.
 (2) Ite, ostende vos sacerdotibus.
 (3) Surge, vade; quia fides tua te salvum fecit.

全てが -e で終わるので、これを命令文の特徴と短絡的に理解したくなるが、それはさておく。

(1)の miserere は「あわれみたまえ」。なぜ nobis でなく nostri なのかは、すぐには調べがつかないので保留しておこう。(2)はラテン語ミサの締めくくりの言葉 Ite Missa est. で有名。「行け」という意味。次の ostende は「見せよ」という意味。これもミサに出てくる言葉。(3)の surge は、これが他で使われているのを見た覚えがない。「立て」という基本的な単語なのだが。次の vade も「行け」という意味。ヴェルディのオペラ「ナブッコ」の合唱曲に Va, Pensiero, sull’ali dorate というのがあるが、その va の語源になった語であろう。

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2006/08/26

diary 教会ラテン語の予習 [11] 聖霊降臨後第12主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第12主日のミサから。朗読箇所は、コリント人への第二の手紙(3:4-9)と、ルカによる福音書(10:23-37)。

福音の朗読箇所には、「あなたたちが見たことを見る目は幸せである」という一節があった。

 (1) Beati oculi qui vident qua vos videtis.

「〜は幸せである」という表現は、山上の垂訓で有名である。おそらくラテン語でも同じ形であろうと思って調べてみたら、やはりそうであった。他にも何カ所か出てきそうなので押さえておきたい。

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2006/08/19

diary 教会ラテン語の予習 [10] 聖霊降臨後第11主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第11主日のミサから。朗読箇所は、コリント人への第一の手紙(15:1-10)と、マルコによる福音書(7:31-37)。

書簡の一部が Credo と重なるので、そこだけ取り出してみることにした。読めばおおよそ意味は取れるので、聞いても分かるようにしたい。

 (1) quoniam Chrsitus mortuus est pro peccatis nostris secundum Scripturas:
 (2) et quia sepultus est,
 (3) et quia resurrexit tertia die secundum Scripturas:

(1)の moutuus est は、動詞の活用表からすると、3人称単数の受動態と思ってよさそうなのだが、「死ぬ」という、意味的に自動詞としか感じられない動詞なので違和感がある。こういう表現もあるということなのか。(2)は「埋められた」とか「葬られた」で、文法的には問題なく理解できる。(3) の形の過去形もお馴染みである。他にも文法的に理解しておきたい語句があるが、今日はここまで。

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2006/08/12

diary 教会ラテン語の予習 [9] 聖霊降臨後第10主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第10主日のミサから。朗読箇所は、コリント人への第一の手紙(12:2-11)と、ルカによる福音書(18:9-14)。

今回のラテン語本文を読む限り、特に興味深い文法事項が頻出するというわけでもないようなので、聖福音の朗読箇所から、自分がよく覚えている語句が使われてるフレーズをいくつか拾っていこうと思う。

 (1) Deus, Gratias ago tibi, ...
 (2) ad caelum

(1)は Gloria の gratias agimus tibi とそっくりである。なぜこの表現だけ 〜 te の形を取らないのかと前から思っていた。辞書で調べてみたら、熟語として gratias agere というエントリーを見つけることができた。どうやらこれが「感謝する」の普通の表現らしい。ついでに gratias も調べてみたら、複数形であることが判った(今更だけれども)。要は英語の I/we give thee thanks にぴったり対応するのである。

(2)の caelum はなまじ意味が分かるだけに、変化形に気を付けてこなかった単語である。英文法に慣れ親しんだ頭では、与格と対格と奪格はどれも「目的語」であり、「目的語」であることが判りさえすれば、細かい語尾変化はあまり注目しない悪い癖がある。しかし、和文羅訳ではそれを意識せざるを得ないから、少しずつでもやってみたらいいのかも知れない。

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2006/08/07

diary 予習箇所を間違える

昨日の「教会ラテン語の予習」で、予習すべき箇所を間違えてしまった。機械的に次の主日を選んでしまい、祝日に気が付かなかったのである。それでも、自分の勉強にはなったので損をしたとは考えていない。それから、すでに終わったミサについて、後から「予習」するのは遠慮したい。

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2006/08/06

diary 教会ラテン語の予習 [8] 聖霊降臨後第9主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第9主日のミサから。朗読箇所は、コリント人への第一の手紙(10:6-13)と、ルカによる福音書(19:41-47)。

今回は書簡の方で、「彼らのうちの何人かが〜したように、〜するな」というパターンが繰り返される。動詞はどれも同じ活用かと思いきや、なかなか一筋縄では行かない。

 (1) Non ... , sicut et illi concupierunt.
 (2) Neque ... , sicut quidam ex ipsis fornicati sunt, ...
 (3) Neque ... , sicut quidam eorum tentaverunt, ...
 (4) Neque ... , sicut quidam eorum murmuraverunt ...

どれも三人称複数過去である。(2)だけ受動態だが、この際に覚えておきたい。バルバロ訳によればそれぞれの意味は、(1)貪った、(2)淫行した、(3)試みた、(4)不平を言った、である。

ちなみに、前半部の動詞はどれも接続法であり、まだ手に負えないのでカットした。それでも、語幹から意味だけ取ることなら可能だろう。それから、これらの悪い行いの結果として起きたことも、活用語尾から三人称複数の過去ということが分かるだろう。

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2006/07/29

diary 教会ラテン語の予習 [7] 聖霊降臨後第8主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第8主日のミサから。朗読箇所は、ローマ人への手紙(8:12-17)と、ルカによる福音書(16:1-9)。

ラテン語では、動詞の語尾が -mus となっているのをよく見かける。活用表を見る限り、時制はともかく1人称複数であると思って差し支えなさそうだ。特に、Gloria の前半部のフレーズは印象的だ。主語の明示はなくとも、「我ら」の行為であることは意識して歌いたい。
 Laudamus te. Benedicimus te. Adoramus te. Glorificamus te. Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam.

さて、今回は書簡の方から、-mus で終わる動詞を拾ってみた。数が少ない上に1語重複しているが、確実に聞き取って理解するためには、これくらいで丁度いいと思う。
 (1) Debitores sumus non carni,
 (2) ut secundum carnem vivamus.
 (3) quod sumus filii Dei.

最後に、基本的に下線部以外の部分には立ち入らないようにしているのだが、(3)の filii Dei は見逃せない。主語が1人称複数なので意味上当然なのだが、filii は複数形であり、馴染みの「神の子」ではないことに注意したい。

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2006/07/22

diary 教会ラテン語の予習 [6] 聖霊降臨後第7主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第6主日のミサから。朗読箇所は、ローマ人への手紙(6:19-23)と、マテオによる福音書(7:15-21)。

今回は趣向を変えて、福音書朗読の中から、日本語でもよく知られているフレーズを拾って、聞き取りに挑戦してみたい。少し長いのだが、個々の単語は比較的馴染みがあるはずだ。

 (1) Non omnis, qui dicit mihi, Domine, Domine, intrabit in regnum caelorum:
 (2) sed qui facit voluntatem Patris mei, qui in caelis est, ipse intrabit in regnum caelorum.

逐語訳をすれば、(1)「みなが〜ではない、私に言う人が、主よ主よと、天の国に入るだろう」(2)「しかし、私の父の御旨を行う者が、天におられる、その人が天の国に入るだろう」といったところだろう。

余裕がないので文法的なことには立ち入らないが、文字で見るのと耳にするのとでは大きく違うから、よく音読して慣れておきたい。

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2006/07/15

diary 教会ラテン語の予習 [5] 聖霊降臨後第6主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第6主日のミサから。朗読箇所は、ローマ人への手紙(6:3-11)と、マルコによる福音書(8:1-9)。

福音書朗読では、dixit を始めとして、-it という語尾の単語がいくつか出てくる。この多くはイエズスのしたこと(三人称単数過去の動詞)と思っていいのではないか。また、-erunt という語尾を持つ語は、弟子たちまたは群衆のしたこと(三人称複数過去の動詞)と思ってもいいのではないか、と考えてみた。

 (1) Et interrogavit eos: ...
 (2) quidam enim ex eis de longe venerunt.
 (3) Et responderunt ei discipuli sui: ...
 (4) Et interrogavit eos: ...
 (5) Qui dixerunt Septem.
 (6) Et praecepit turbae discumbere super terram.
 (7) fregit, ...
 (8) et dabat discipulis suis, ...
 (9) et apposuerunt turbae.
 (10) et ipsos benedixit, ...
 (11) et jussit apponi, ...
 (12) Et manducaverunt, et saturati sunt, ...
 (13) et sustulerunt quod superaverat de fragmentis, ...
 (14) et dimisit eos.

今回の本文では、この仮説がよく当てはまるようだ。訳語は英訳から類推したもので、必ずしも辞書で確認できたわけではないが、イエズスがしたことは以下の通りである。(1)「尋ねた」(4)「尋ねた」(6)「命じた」(7)「割いた」(8)「渡した」(10)「祝福した」(11)「命じた」(14)「去らせた」。

弟子たち、または群衆がしたことは以下の通りとなる。(2)「来た」(3)「答えた」(5)「言った」(9)「置いた」(12)「食べた」(13)「集めた」

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2006/07/08

diary 教会ラテン語の予習 [4] 聖霊降臨後第5主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第5主日のミサから。朗読箇所は、ペトロの第一の手紙(3:8-15)と、マテオによる福音書(5:20-24)。

今回は福音書から次の部分を取り上げることにする。ただし、下線部以外の箇所は、必要なときを除いてあまり着目しないことにする。
 (1) Dixit Jesus discipulis suis: ...
 (2) Audistis, quia dictum est antiquis: ...
 (3) Ego autem dico vobis: ...
 (4) Qui autem dixerit fratri suo, raca:
 (5) Qui autem dixerit, fatue:

(1)と(3)については、これまでも触れたので、聞いて意味が取れるだろう。(2)の dictum est は受動態で「言われた」。この形は Et Verbum caro factum est. にも現れる。(4)(5)の文法的なことはまだ把握できていないが、Qui (autem) dixerit で「(しかし)〜と言う者は」の意であることは分かる。できれば、この語順のまま理解したいものである。

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2006/07/01

diary 教会ラテン語の予習 [3] 聖霊降臨後第4主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第4主日のミサから。朗読箇所は、ローマ人への手紙(8:18-23)と、聖ルカによる福音書(5:1-11)。

今週は福音朗読箇所の中に、ad Simonem, ad genua Jesu, ad Simonem, ad terram と ad の前置詞句が4箇所出てくるので、これを取り上げることにする(書簡にも1箇所あるが割愛する)。ちなみに、続く(代)名詞は対格である。

まず、ad Simonem は、その前の動詞 dixit (dico の過去形)と共に理解したい。この動詞は基本的な語であるから頻度ももちろん高い。福音朗読では、(amen) dico vobis 「(まことに)私はあなたがたに言う」という形で頻繁に出てくる。

次の ad genua Jesu の直訳は「イエズスの膝へ」。ちなみに、ここでも dico の分詞形 dicens が使われている。

そして、ad Simonem がもう一度現れる。ここで一緒に使われている ait の用法は今のところ十分に理解していないが、ここでの意味としては dixit と同様に考えていいと思う。

最後の ad terram は、船の方向を表しているので、「岸へ」と読む。これまで天地の「地」くらいしか意味を知らなかったのだが、なるほどと思った。

ついでに、今回の福音には Exi a me, quia 〜 という表現があり、以前に取り上げた a と quia が同時に出てくる。

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2006/06/24

diary 教会ラテン語の予習 [2] 聖霊降臨後第3主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第3主日のミサから。書簡朗読は、ペトロの第一の手紙(5:6-11)。

ここには、聖務日課の終課で始めの方に出てくるフレーズ (Sobrii estote, et vigilate: quia adversarius vester diabolus, tamquam leo rugiens, circuit, quarerens quem devoret: cui resistite fortes in fide.) が含まれている。

接続詞 quia は confiteor にもあるので、いつも口にしている馴染みの単語である。しかし、いつもその意味を意識していないので、これからは気を付けてみようと思う。

所有形容詞 vester は、基本的な単語の割には祈りやミサの応答で使った覚えがない。だが、よく考えてみたら、侍者としても会衆としても、2人称複数の相手に話しかけることはまずないのだから当然である。

一方、代名詞 vos を含めれば、司祭は頻繁に口にしている単語である。Dominus vobiscum. もその一例である。取りあえず、侍者(または会衆)の confiteor の後に司祭が唱える、Misereatur vestri omnipotens Deus, et dimissis peccatis vestris, perducat vos ad vitam aeternam. のそれぞれの箇所で、自分たちに言及してるものとして実感できたらと思う。

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2006/06/17

diary 教会ラテン語の予習 [1] 御聖体の祝日

今度の主日に行われる御聖体の祝日のミサから。書簡朗読は、コリント人への第一の手紙(11:23-29)。ざっと本文に目を通したところ、「主」を意味する Dominus とその変化形が目に付いたので、これを取り上げることにする。

主格 Dominus は、Dominus Jesus という形で現れる。「主イエズス」と意味は明瞭だが、これが主格であることを意識したい。対応する述部については、今回は欲張らないことにする。

属格 Domini は mortem Domini, calicem Domini, corporis et sanguinis Domini, corpus Domini と4回出てくる。ラテン語は語順が自由ということになっているが、それでも慣用というものがあって、属格は名詞の後に置くことが多い。Domini が聞こえたら、その前の名詞の意味が分からなくても、「主の何とか」という程度は把握したい。

奪格 Domino は、a Domino と、前置詞句の形で登場する。これと似たような形は、主祷文の最後の一文、Sed libera nos a malo. にもあるので、意味は把握できる。ついでに、Domino と malo の語尾が同じなので、もしやと思って調べてみると、やはり主格は malus であった。

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2006/06/16

diary 新連載「教会ラテン語の予習」

これから毎週末に、ミサのラテン語を予習し、気が付いたことを「教会ラテン語の予習」と題して書いていこうと思う。どうせならば、ラテン語のタイトルを付けた方が格好が付くだろうけれど、書いている当人が予習レベルではそうもいくまい。公開する以上は読者を意識して書くが、解説ではないことをあらかじめ断っておく。

目標は非常にささやかなものである。書簡や福音の朗読中に、ある単語を聞き取って、これを理解できるようにすることである。ただし、対応する日本語が分かるというレベルではなく、その部分だけでもラテン語を身につけた人と同程度の反応をしたいと考えている。もちろん、そのためには反復練習も欠かせないことは言うまでもない。

掲載日は特に定めてはいない。あえて言えば「週末」、遅くとも日曜の朝である。それまでに間に合わなかったら、予習をさぼったと思われても仕方がないと覚悟している。

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