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神秘主義とグノーシス |
Mysticism and Gnosis 神秘主義とグノーシス主義
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【Gnosis Mirandas】 【LINK】 「アイオーンと聖マリア・序文」
【Gnosis Mirandas】 【LINK】 「アイオーン・セフィラー・聖マリア」
【Gnosis Mirandas】 【LINK】 「夜の対話」
【Gnosis Mirandas】 【LINK】 「無限なる心にありて救いなし」
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以下の文書は、実は、以前に記した文書で、記憶では、「神秘主義思想会議室」を含め、どこにも公開の場では発表したことがない文書だと思います。「ヘレニク・グノーシス主義」についての知見の提供のため、「アイオーン」とはどういう意味を持つ言葉であるのかの説明を行っており、それと、カッバラーのセフィラー・システムと比較しております。また、文書後半では、中沢新一のさる小さな書物に記載されている、中沢云う処の「現代グノーシス主義」の「復権」について、これはわたくしが読んでみた処では中沢の勝手な妄想であると云う批判が述べられており、また、「聖マリア」について、「天のマリア」と「地のマリア」について、グノーシス主義プトレマイオス派の神話体系における、アイオーン「シーゲー=エンノイア」が、『ヨハネス福音書』冒頭の記述に現れないと云うことより、或る想定を行い推論が述べられています。これはDM氏と「聖母崇拝」などの話を交わしていた頃の文書であると云うことになると思います。 |
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☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ HAGIAI SANCTAE Miranda et Marie RA. 19960828:0510 |
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さて、「アイオーン」は、これは平凡な言葉です。ギリシア語で Αιων (Aioon), ΑιFων (Aiwoon), と記します。つまりギリシア語である訳で、普通その意味は「永遠」「期間」「時代」「世代」「一生」「人生」「今の世界」です。「永遠」と云う意味は普通の古典ギリシア語では、この語だけでは出て来ません。この語の基本の意味は、「ある特定の期間」「長い期間」と云うもので、英語だと、era,
period, epoch, age, などの意味です。英語では、この語の英語形として aeon,[イーオン]と云う単語があり、この場合は「永遠」の意味です。ラテン語に
saeculum, と云う語がありますが、これが、ギリシア語のアイオーンとほぼ重なる意味を持っています。語源が異なると思うのですが、よく似ています。このラテン語のサイクルムまたはセークルムと云う語は、それだけでは「永遠」と云う意味を持ちませんが、カトリックの祈りなどで頻繁に出て来る、in
saecula saeculorum, と云う言い方は、「諸サイクルムの諸サイクルムにおいて」と云うのが字義的な意味ですが、これで「永遠に」を意味します。 |
| 左・受動 |
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右・能動 | ||||||
| 1 |
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→ | ||||||
| 3・2 | ← | Binah(理解力) |
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Chokmah(智慧) | ← | |||
| 5・4 | ← | Geburah(力) |
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Chesed(慈悲) | ← | |||
| 6 | ← |
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← | |||||
| 8・7 | ← | Hod(榮光) |
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Netzach(勝利) | ← | |||
| 9 | ← |
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← | |||||
| 10 |
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← | ||||||
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このセフィラーとアイオーンの対応はどうなっているのか、対応表があるのかないのかわたしたちは知りませんが(ない可能性が高いです。後述しますが、セフィラーとキリスト教・ユダヤ教の「天使」の対応表はあります[注:この文書では、実際にそこまで話が進んでおりません・キリスト教天使論の領域まで入っていない訳です])、グノーシス主義のアイオーンには、どういうものがあるかと云いますと、一番分かり易いように思えるプトレマイオス派の神話では、根源のアイオーン
Aioon, ho は「プレーローマ Pleerooma, to」(充満)と呼ばれる一つの超霊的神界にあり、そこにおいて、根源の「真の創造原理」より、順次に対としてアイオーンが下降流出創造され顕現して行きます。一応八個のアイオーンを総称してオグドアス(八組系)と呼び、オグドアス
Ogdoas がプレーローマ界を構成することになりますが、三十アイオーン界と云うものが最終的には成立するのであり、三十アイオーン界がプレーローマであると云っても構いません。けれども、基本的には、この「オグドアス」をプレーローマの基本的中心と考えるのがよいと思います。 |
| 男性アイオーン | 女性アイオーン | ||
| 1・2 | Ho Bythos, Ho Propateer(原父) | Hee Ennoia, Hee Siigee(沈黙) | |
| 3・4 | Ho Monogenees, Ho Nous(理性) | Hee Aleeteiaa(真理) | |
| 5・6 | Ho Logos(言葉) | Hee Zooee(生命) | |
| 7・8 | Ho Anthroopos(人間) | Hee Ekkleesia(教会) | |
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もう一つ付け加えますと、『ヨハネス福音書』においては、光(ポース)であり命(ゾーエー)であるロゴスつまりキリストは、「人間」の処に訪れたのであり、また洗礼者ヨハネスは「人間」(アントローポス)です。そして福音書記者ヨハネスがこの福音書を書いている背景には、彼が指導していたか属していた原始キリスト教の信徒の集団(エククレーシア・会衆)が存在していたのであり、この集団とは「教会」(エククレーシア)と同じ言葉であり、そして、最初に言葉(ロゴス)がその傍らにいたのが「神」(テオス
Theos, ho)であるとして、この「神」を、まさにロゴス=モノゲネース=クリストスの父である処の原初の「神」=「プロパテール」としますと、『ヨハネス福音書』冒頭には、「オグドアス・アイオーン」の八つのアイオーンの裡、第二のシーゲーつまりエンノイアを除く、七つのアイオーンがすべてキーコンセプトとして表現されていることになります。これは偶然とは思えないのです。そして何故プロパテールの伴侶である第二アイオーンつまりシーゲー(沈黙・静寂)=エンノイア(思考・思慮)が、『ヨハネス福音書』の冒頭に、これだけ出て来ないのかと云うことには、「或る理由」が想定されます。すでに貴方がたは、〈☆☆☆☆☆〉がまさに、この『ヨハネス福音書』の冒頭に出て来 ない、シーゲー=エンノイアであることをご存じと思いますが、これにも相応の理由があります。けれども、これは『ヨハネス福音書』が、「ヨハネスが代表する原始キリスト教団」の「神話」であったと同様に一つの神話なのです。従って、その「解釈」は読者に委ねられていることになります。 |
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追記:なお『ヨハネス福音書』冒頭に、原初に神の傍らにいたのは、ho Logos つまり男性名詞の「ロゴス」であったと記されていて、このロゴスが、同福音書の解釈では、キリストと同一化されているのですが、他方、ユダヤ教の古い信仰によれば、原初にあって全能の神の傍らには、ヘブライ語の女性名詞である
Chokmah(ホクマー・智慧)がいたとされています。一方、上のプトレマイオス派の神話においては、プロパテールの伴侶は、hee
Siigee,(シーゲー・沈黙)ないし hee Ennoia (エンノイア・思考)であったとされているのに、既述の通り『ヨハネス福音書』には、このシーゲーまたはエンノイアは姿を現しません。他方、ヘレニク・グノーシス主義の起源探求の問題で、「救世者」は一般に男性で、キリスト教的グノーシス主義では、それはイエズスだと云うことになっていますが、どうも初期のグノーシス主義の形では「救世者」は男性ではなく、「女性」であったと云う説があります。プトレマイオス派では、エンノイアは大した役割を果たすことがなく、ずっと下の方の女性アイオーンである「ソピアー・智慧」が、プロパテールを「認識しようと」して大いなる苦しみに見舞われ、ここから、「アカモート」とか「ピスティス・ソピアー」とか、色々な分身のようなものが生まれて、アカモートが「ヤルダバオト」などを創造し、ヤルダバオトが人間や宇宙を創造すると云う話になるのですが、いずれにしても、プトレマイオス派の神話にしても「救世者」はソピアーであると云う考え方も可能なのです。わたくしはソピアーあるいはエンノイア、ホクマーなどの「救世者」の機能は、カトリックの「聖マリア」に継承されたと考えています。 |
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☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ HAGIAI SANCTAE Miranda et Marie RA. 19960328:1420 |
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(1, Miranda ) アブラハムの神、ヤコブの神、イスラーエルのアドーナイ |
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☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ HAGIAI SANCTAE
Miranda et Marie RA. S. 19990503:0450
(edit) ☆ ☆ ☆ ☆ Miranda et Marie RA. S. 19980828:1520 |
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心は無限であり 本来無限の広がりにある |
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☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ HAGIAI SANCTAE
Miranda et Marie RA. S. 19980828:1520 |
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