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『父と暮せば』
西尾まりさんインタビュー 2004/6/14

今回は珍しく、インタビュアに男性二人、サークル「きゃぴきゃぴおじさん's」の古川さんと内海さん。

性格なのか仕事柄なのか、紙にびっしり質問事項を書いて用意してきました。
それを見て西尾まりさん「すんごい書いてますね〜」(一同笑)



古川 釧路の感想などをお聞かせください。「ノロッコ号」と到着日の「勝手丼」と「シクロ」についてお願いします。

●西尾まりさんを囲んで。古川さん(左)&内海さん

西尾 前回(第一回例会「マンザナわが町」)は冬だったのと、自由時間がほとんどなかったのですが、今回夏に来させていただいて満喫しています。

勝手丼は(お刺身を)売っているお店があっちにもこっちにもあって、どっちのお店にすればいいかなと迷ってしまいました。ウニ、大トロ、イクラ、メインのものばかり載せてしまうので、箸休めのものを選べばよかったなぁと思いました。

内海 シクロ(人力車)も、釧路のイベントで推進しているのですが、乗られた感想は?

西尾 思ったより軽いなと。どういう構造になっているのかな。前に人が乗っていると、ハンドルが重く感じるはずなのに。面白かったですよ。

古川 西尾さんは、自然が好きだと聞いていたのですが、ノロッコ号から見る釧路湿原はどうでしたか。

西尾 本当は釧路湿原を歩く予定だったのですが、釧路湿原の駅を越してしまってカヌーに乗りました(笑)スタッフ6人でカヌーに挑戦しましたが、結構難しかったんですよ(^o^)




古川 演劇のことについてお聞きしたいと思います。原爆資料の「地蔵」の転がっているシーンの意味するところは。

西尾 原爆資料というものであったはずのものが、自分のお父さんが亡くなった時の顔とお地蔵さんの顔がオーバーラップして、「もうだめだ」と思ったのですね。

その前までは、木下さんのために原爆資料を家に運んでいい感じになっていたのですが。お父さんは、私(美津江)が「おとったん」と思った時どき出てきていますが、それは「こわいおとったん」として出てきたり、「おとったんどうしよう」って思ったとき出てきたりしていたのに、お地蔵さんの顔を見て「あの時のおとったんだ」と、思った瞬間お父さんが出てきた。

無残な姿で不条理な別れをしたお父さんのことを思い出し、いままでずっと気持ちの中に蓋をしていたのが開いてしまった。
でも、出てきたお父さんにはその気持ちは知らない。


内海 あらすじを知らずに見たので、最後の場面でお父さんが幽霊だったと気がついたのですが、お父さんのことを思い出す度に出てきたということですね。

西尾 「先週の金曜から出てきた」という始まりの件のところで、その「先週の金曜日」木下さんと出会ってからなのですね。

恋をするということが、原爆後の初めての美津江の体験だったと思いました。恋はマイナスなことではないはずなのに、人を好きになることに対し、美津江は「いけないこと」と取っている。

でも、人を愛したり恋したりする気持ちは、どうしようもない現象、こればっかりは一人では収集がつかない出来事だったのですね。

この葛藤のケースがそれまでになかった。ただ、お父さんに対する気持ちは、裏腹なんです。

お父さんには消えて欲しいけど居て欲しい。お父さんと一緒に居ると美津江は楽しい。でも、お父さんを見ると原爆のことを思い出したり、自分が蓋をしてきたことを思い出すキーワードになったりする。

いなくなったらいやだけど、お父さんがいるといつまでも幸せになれないのは確か。

またお父さんはお父さんでお前が呼び出すから出てきたのに、いきなり出て行けといわれても、出て行きたくない.

でも、お前が幸せになれないのもいや、だけど敬遠されるのもいや。そういう葛藤もある。

でも最終的に決めるのは自分なんだと。お父さんのできるのはここまでだよと。瀬戸際の四場では、そういうところがでてくる。最初の一場で、「またいたの」というのからはじまっているから、お父さんと生活しているという感じが自分の中にある。

最後には、何かを決断しなければならないと迫ってきているときに、でもこれを自分で決めてしまったら、お父さんがいなくなっちゃうんでしょうと、すごく切ない気持ちになってしまうのでしょうね。





古川 普段でも演劇のことを考えて生活しているのですか。

西尾 それは、ずっとだったら息が詰まっちゃいますね(笑)。

でも舞台が始まったばかりの頃は、固まらなかったりするとずっと考えたりしています。

登場人物は何を考えているのだろうかとか、いい関係を生むための作業とか、台詞を自分のものにしていくための作業とか。

内海 長い台詞はどうやって覚えるのですか。大変でしょうね。

西尾 物理的に最初は暗記ですが、今回は方言があるのでイントネーションを入れて気持ちを持ってくるという作業をするのと、イントネーションもない気持ちもない、気持ちはあるけどはあるのだけれど音が違うという作業があります。

大変というのは他のどんな舞台でも大変。大変であっても、自分がいただけるものはそれ以上。
だから得をしています。大変なのは自分だけでなくほかの人も大変。それ以上のものをやろうとするのが目的だから。





古川 女優になるきっかけは?

西尾 わたしは、三歳のとき、吃音のため、子どものたくさん居るところへ行くように言われたのがきっかけだったのですが、たまたまチラシをもらっていた児童劇団へ入りました。

覚えているのは早口言葉をやったことです。あと、先生みたいな人がいて「これが出来る人」と聞かれて、皆で競って手を挙げて。言葉自体は三ヶ月くらいで直りました。そうしているうちに仕事を紹介されたりして、この世界に入りました。

古川 楽しくなったのは?

西尾 子どものときからこの世界にずっといると、こうしているのが普通だったんですね。

学校に通いながら仕事をしていたので、スタジオモード、学校モード、と自分の中で切り替えていたんですね。

生意気な台詞などを言って、大人を困らせるようなシーンを撮りますよね。自分は意味がわからないから普通に台詞を言っている。自分のやっていることで大人が喜ぶ(それをみて)悪い気はしない、自分が必要とされていることがわかる。

かたや学校では同じ年の子ども達と楽しくすごしている、両方を楽しんでいたのでしょうね。

自分が成長してくると疑問がわいてきました。大学の時に周りが就職活動をしていて、進路が決まってくるでしょう。そんな時わたしは何をしているんだろう、と思いました。それまで普通にやってきたと思っていたことが実は普通ではないと。

古川 子どもの頃は、学校が終わってから皆すぐ遊びに出ますよね。そういうのを羨ましいとか思ったりしましたか。

西尾 それはしょっちゅうでしたね。悲しかったのは運動会に参加出来なかったのと、国会議事堂の社会科見学へ行かれなかったことです。
国会議事堂なんてなかなか行かれないではないですか(笑)。あれはね、本当に泣きました。運動会に出られないのも泣きましたね。そういう行事があったときは一番いやでしたね(ため息)。

でも、女優は自分で選んだ道なのだから、そういうことを乗り越えてきたし、これからも全力投球していきたいと思います。




あっという間の30分でした。西尾さん、どうもありがとうございました!



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