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【山根六角塔婆と北向地蔵】 -毛呂山町・宿谷と権現堂について-

吾野の岩殿観音の石龕と同年同月(貞和2年12月)に建立されたのが毛呂の山根六角塔婆で、こちらもやはり県文となっている。しかもこの両者は構造上も良く似ているうえに同じ石質でもある。そしてこの六角塔婆は大八木、葛貫、宿谷の六道の辻に祀られていて、宿谷の滝からもそう遠くはない。
吾野と宿谷とは直線7kmで、その間には奥武蔵の尾根があるが、およそ650年も前に石龕や六角塔婆を祀った人達にはそれも隔たりとはならず、山村に暮らす人々が峠を越えて盛んに交流していた事が窺える。
どうせならこの両者を結ぶ道を辿ってみたいと思ったが、大八木の岩沢観音から北向地蔵に向かう尾根道は生憎とすでにゴルフ場になっている。あるいは、坂口からも古道の痕跡がなくもないが、いっそのこと宿谷の滝から物見山に向かう事にした。北向観音に向うルート上には林道が駆巡り、古道の損壊も著しい。
幸いにして宿谷の瀧の上からはハイキング道が伸びていて、物見山から北向き地蔵を繋いでいる。
山根六角塔婆に刻まれている梵字を、正しくは種子といい、それぞれが仏を表わす。すなわち、胎蔵界大日如来、釈迦、薬師、金剛界大日如来、不動明王を表わすのだが、惜しくもうち一つは欠損している。似たような六角塔婆に小川町大聖寺の六角塔婆・康永3年(1344)があるが、もし、この山根の六角塔婆に欠落がなかったなら同じように国文級であったに違いない。
ちなみにこの六角塔婆のある場所は、鎌倉古道の山の辺の道の一つで、仏教思想に基ずく六道の辻であるともいわれている。つまるところ、山根六角塔婆を祀った人達が通ったと思われる道は、本来この山の辺の道であったわけだ。ここから岩殿観音のある吾野へ向かう道は、おそらく宿谷の瀧の上あたりを通過して沢沿いを進んだはずだが、現在は宿谷・権現堂林道がそれをほぼ踏襲していてこれを辿るのは難しい。おそらく、途中の谷間からじりじりと高度を上げて北向観音へと至り、そこから土山へと続いていたように思う。
15mほどの落差をもつ宿谷の瀧は、古くは修験の道場でもあった。(下段左)
『新編武蔵風土記稿』宿谷村の項には信多瀧(宿谷の滝)の傍には不動堂があったと記され、笹井の観音堂配下の修験、妙覚院・祐円が開いたと記載されている。
すでに観光化されたこの滝の周辺には不動堂の痕跡もないが、現在物見山に登って行く急なハイキング道も、じつは修験の名残りなのでは、と思えなくもない。この道は宿谷の瀧の上から急登となってヤセオネ峠(下段中央)へと至るが、生活道の趣はほとんどないといえるだろう。 |
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