【秩父街道鎌倉峠】 -鎌倉峠と秩父往還我野通りについて-

NO. 1
DATE 2004/02/28

鎌倉峠

  現在の国道299号線はかつての秩父街道をほぼ踏襲し、高麗川を遡って秩父へと向かっている。しかし高麗川が大きく蛇行する井上にさしかかると、街道は川沿いを避けて小さな尾根を越えていた。
古来よりこの峠を鎌倉峠あるいは鎌倉坂という。井上を高麗川沿いに行くとなると鎌倉橋から南元組の南天神橋まではおよそ4kmほど。だが峠越えをすれば直線では1kmしかなく、標高差も100mに満たない。そのうえ江戸時代にはこの峠は高麗郡と秩父郡の境界ともなっていた。
つまり、秩父へ向かう旅人にとってこの峠は秩父への入口であり、必ず通る峠でもあったのだ。当然ながらこの峠は『新編武蔵風土記稿』にも掲載されていて、近頃では鎌倉古道を扱う書籍にも紹介されている。
今回はその鎌倉峠を実際に越えてみる事にした。高麗川に架かる鎌倉橋を渡り、しばらくすると西武池袋線をくぐる事になる。峠の下には、やはりあまり蛇行できない電車が、尾根をトンネルで貫いて吾野へと向かっている。
そしてこの線路をくぐり、坂組を沢沿いに進めば路傍に馬頭観音が祀られている(下段中央)。街道はその上の不動堂で分岐し、左に行くとすぐに再び道を別ける。けれども道は少し荒れていて判りづらくなっているうえ、踏跡のしっかりした道を選んでしまうと大高山493m方面に向かってしまう。確実に峠に向かうなら、先ほどの分岐を右に行けば左手の山中に井上神社の鳥居が見えるはずだ。じつはこの井上神社が『風土記稿』にある高根権現なのである(下段左)。この社は室町時代の創建と推定されているが、社寺明細帳によれば御神体には「延元鎌倉ノ神六此峠二」と刻まれているという。延元(建武・1336〜39)といえば南北朝時代の頃である。
以来、この峠は鎌倉峠と呼ばれてきたのだと思う。この社の裏からはひと登りで鎌倉峠の切り通しに至る。が、眺望はまったく無い。だが峠にかかる尾根道を鉄塔付近に向かえば『風土記稿』にある佳景の所となり、「鎌倉峠高麗秩父郡界」の図を彷彿とさせる(下段右・次頁参照)。ただし、夏草に覆われる季節には、この絶景も望めないだろう。峠の切り通しから南元組への道はひどく荒れている。夏場ではおそらく道も判別できないのではないだろうか。そして何度か折れながら下り続けた街道は、突然のように消失してしまった。どうやら山上に飛村林道が敷かれた為、雨水の流れが変わって雨期に一条の小沢を出現させ、街道の一部を押流してしまったようだ。その先も若干崩落しており、補強の為の石積が無残に散らばっている。しかし、ここまでくればすでに高麗川が見えている。潅木を跨ぎながら進めば迷う事無く高麗川の河原に至るだろう。そこから川沿いの道をいけば、すぐに南元組の南天神橋である。
 

井上神社(高根権現社)

井上組馬頭観音

鎌倉峠から吾野方面の眺望

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