【慈光寺から堂平山】 -慈光七石・七木・七井について-

NO. 1
DATE 2004/02/28

椚平の二万部経塚

  1000年以上の歴史をもつ都幾川村の慈光寺(下段左)は、それだけに様々な伝説に彩られている。そして、下段中央の板塔婆石群をはじめ、保有する国・県指定の文化財も数多いが、ここでは七井、七木、七石にまつわる伝説を紹介することとして、まずはそれらを慈光寺実録より採録して2頁に掲載しておく。
 かつて栄華を極めた慈光寺も、今では訪れる人とて疎らである。しかし、今も慈光山中の僧坊群跡に、その繁栄ぶりの凄さを垣間見る事ができる。下段右はその七石のうちの一つ信濃石(牛岩)であるが、今となってはこの山林に埋もれた、ひな段のように数多ある僧坊跡の中からこの信濃石を探し出すのも容易ではない。この僧坊群を眼にするとこれほど栄えた慈光寺が、衰退の一途を辿ってしまった事がまるで夢のようにも思える。しかし、仏教の無常観からすれば栄枯盛衰は世の常であり、千手観音のご利益に変わりがあるはずもない。むしろこのまま変わらずにいるほうが、自然体で良いのかもしれない。現代人に蔓延するストレスも、それを自覚すれば心の歪みとはならない。結局、仏教とは禅にしろ、観音様の教えにしろ、自己を見つめて心の歪みを開放させる事に尽きる思う。過ぎたるは及ばざるが如しで、自戒がなければ自らの存続すらも怪しくなるのが道理である。
 さて、画像はやはり七石の一つの冠岩。ちょうど霊山院の裏山の尾根道沿いにあり、かつて修行僧が秩父の峰々を回峰の後、この冠岩まで来て法螺貝を鳴らし、頭の冠を解いたという。せっかくなので今回はこの古道を探り、堂平山(875.8m)まで足を向ける事にした。慈光寺から堂平山の中継地となる七重集落までは、古道も生きているので難なく通う事ができるが、そこからはいつものように林道が絡み、路傍にある自然石の道標ももはや林道の片隅に追いやられている。(2頁下段左 右 坂東九番 小川 左 あかぎ 安戸)
 七重から先は尾根道が最短となるはずだが、もはやこれを辿ることは難しい。あきらめて七重集落からは林道を歩いて七重峠に向かうことにする。・・・しかし、こうも林道が続くとさすがに嫌になる。 すでに何度も述べているように、林道は10%程度の勾配を保てれば距離はあまり気にしない。だが、一方の古道はなるべく直線で距離を短くし、尚かつ体力的もに負担が少ないルートを選ぶ。当然ながら古道をたぐりはじめ、やがて探りあてた掘割道を林道間を縫うようにして辿る。(2頁下段中央)この古道を使うだけでも、往復すれば1時間以上の短縮となるはずだ。
 そして林道は堂平山の手前で七重峠・笠山(837m)方面と剣ヶ峰・白石峠方面に道を別ける。もちろん古道も同じ分岐点に至るが、ここでは間違っても剣ヶ峰(876m)方面に足を向けてはならない。未舗装とはいえ、この林道は明らかに車の為の道で、展望もなく単調なうえに距離にすれば堂平山まで2km以上も遠回りだ。ここは旧道と重なる七重赤木林道を行き、途中から別れた急登を七重峠まで一気に上る。だが、この道もすでに棘の道となっているので、夏場の半袖ではかなり辛そうだ。
 七重峠は堂平山と笠山の間にある峠で北東の展望は良い。ただし林道開発も中途なので雑然としており、必ずしもこの峠に趣があるとはいえない。しかし、そこからひと登りした堂平山は眺望が良く、すでにその役目を果たし終えた国立天文台観測所のドームにすら趣を感じる(2頁下段右)。そこには斜陽となった光の中に外秩父の山々が拡がっていた。
 本来、尾根道を行けば慈光寺までは4kmほどだが、林道に頼るとその距離はほぼ倍になる。帰途はできるだけ古道を使ったが、少しばかり度が過ぎ、七重集落より少し下の辻に出てしまった。途中の路傍には馬頭観音と都幾川村誕生碑があったので、どうやらこの道は曲玉谷に抜ける、かつての旧道だったようだ。しかし、七重集落までくれば後はどうとでもなる。七重にはかつて慈光寺に付随する七重の塔が建立されていたという伝承もあり、秩父の峰々を回遊する修行僧の中継地だったともいう。
帰り道、冠岩の所で被っていた帽子を、そっと脱いでみたのはいうまでもない。
 

六万部塚

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