静かな夜の愛し方
朝がくるなら
カーテンの隙間から差し込む光に、エドワードの意識は浮上した。だが睡眠を欲する体はすぐに寝返りを打ち、再び少年は眠りについた。彼が目を覚ましたのはさらに数時間後の話である。猛烈な空腹に叩き起こされての目覚めだった。
「兄さん!」
室内にいる弟に声をかけると、アルフォンスは嬉しそうに駆け寄ってくる。エドワードは起きあがろうとしたが空腹のあまり力がでない。
「腹減った・・・」
情けない声を出すと、アルフォンスは「そりゃそうだよ」と呆れながらも手際よくリンゴを剥きはじめた。
「昨日丸一日寝てたからね。一回薬を飲むとき軽くごはんを食べたけど、覚えてる?」
丸一日寝てただけでも驚きなのに、ごはんを食べた記憶もなくてエドワードは驚く。
「つーか、薬ってなんだ?」
「風邪ひいたんだよ、兄さんは」
弟の言葉にエドワードは「げ」と、声をあげた。空腹のあまり体に力がはいらないとばかり思っていたが、病み上がりのせいだと知り納得する。
「迷惑かけたな、アル」
「ぼくはいいけど、大佐たちにもお礼してね」
「大佐ぁ?」
なんで彼の名前がでてくるんだと首をひねれば、親切な弟は教えてくれた。
「昨日の昼に様子を見にきた大佐が兄さんの風邪に気づいたんだよ。ホークアイ中尉も看病を手伝ってくれたんだ」
「そりゃ、悪いことしたな」
弟の言うとおり礼を言わなければと考えたエドワードは、ふいに、自分のものではないシャツに気づいた。
空腹感が一気に消える。
震えそうになる声を、努めて抑え弟を呼んだ。
「おれの着替えをしたの、おまえか?」
「大佐だよ。昨日の昼と、夜にも来てくれて看病を手伝ってくれた」
剥いたリンゴを皿に乗せ兄に差しだすと、アルフォンスは宿のおかみさんに簡単なものを作ってもらうよう頼みにでかけた。
エドワードはベッドから降りた。傷つけられた箇所はかすかな痛みを訴えているが無視してバスルームに行く。脱ぎっぱなしだった服がどこにも見当たらない。
(誰が片付けた?)
バスタブの排水溝に流し損ねた黒い炭が溜まっていた。
(・・・大佐、だよな)
エドワードは肩の力が抜けた。よりにもよって一番知られたくない人物に知られるなんて不運としか言いようがない。
ため息をつくと、哀しみが零れていく気がした。
エルリック兄弟が東方司令部に顔をだしたのは翌日だった。大事をとってもう一日休みをとったが、エドワードの本音は大佐と顔を会わせる心の準備ができなかったせいだ。
執務室に顔をだすとロイは書類に囲まれていた。ベル氏を襲い、エドワードを一度は拉致したグループがあらかた片付いたため事後処理に追われる軍部だった。
市内に潜伏していた過激派グループは、主立ったものは銃撃戦の祭に死亡。主犯格は逃走した。その男は数年前にロイが捕らえて刑務所に送りこんだが、半年前に脱走したという。
「殺してやると叫んでたからな、また現れるかもしれない」
命を狙われてる男はサイン片手に呑気に言った。剛胆なのか本当にどうでもいいのかわからないが、命の心配はするだけ損だとエドワードは真剣に思う。
「もてる男は辛いね、大佐」
冷やかすと、ロイは肩を竦めて笑った。不敵な笑みだ。いつもなら鼻につく傲慢さを、今日は気にする余裕がなかった。
「約束ものだ」
ロイは引き出しから一冊の本を取りだした。ベル氏の娘を警護する報酬の本だ。
「ありがと」
忘れかけてたエドワードは、なかば呆けながら受け取った。
「風邪は大丈夫なのか?」
「それは大丈夫」
余計な心配はされたくなくて即答すると、彼は「そうか」と一言呟き引き下がる。ここで別れを告げてもなんの問題もない。
だが、
「アル、少し外してくれ。大佐と話がある」
つけておかなければいけないけじめがエドワードにはあった。
エドワードの言葉に、ロイもホークアイを見やる。席を外すよう促す合図に、ホークアイはうなずきアルフォンスと一緒に執務室をでた。
「改まってなんだね?」
ふたりがいなくなるとロイが聞いてきた。
「看病してくれてありがとう」
棒読みのような口調になってしまうのは、これから話すことへの緊張感のせいだ。腹を括ってエドワードは喋る。
「おれがあいつらになにされたか、大佐は気づいてるんだろ」
まっすぐな問いかけだった。金色の瞳が一回りも大きい男を捕らえる。
「なんのことだね?」
「とぼけてくれてありがとよ。だけど、おれは大佐に知らない振りをしてもらう理由がない」
利用できるものはなんでも利用すると言ったのは、目の前にいるこの男だ。29才で大佐の地位にいる彼を、清廉潔白な軍人だ思う方が無理だろう。事実、禁忌を犯した少年にむかって「罪をばらされたくなければせいぜい私のために働け(とエドワードには聞こえた)」と言ったのだ。
等価交換。
口止めには同じだけの代価を。逆をいえば、口止めしてもらうならなにかを返さなくてはいけない。それが、錬金術師として生きるエドワードの自然な法則だった。
「きみのなにを私が知っているかは知らないが・・・」
ロイは椅子に座ったまま年若い錬金術師を見る。
「きみの足枷にならない真実に興味はない」
そっけなくロイは言った。本当に興味がないと思わせる態度に安堵しそうになるが、エドワードは言葉通り受け止めなかった。
(ずるいよ、大佐)
駄々をこねる子供のような、芸のない文句しかでてこない。
ネタを片手に脅された方が気は楽だ。無償の優しさにこたえる術をエドワードは知らない。それどころか予想外の優しさに、傾きかける気持ちが止まらなくなりそうだ。
夜を見て黒髪の青年を思う自分。
万人に知られても構わない汚点を、ただひとりにだけ恥じる真実。
熱を孕んだ体の訳も。
「鋼の?」
認めてしまえば謎でもなんでもない感情だった。
(好きだよ)
面と向かって言う気はないけれど。
「なに?」
「ぼーっとしてるな? 病み上がりで旅立つつもりか?」
「無駄に時間を過ごしちまったんでね」
じゃあな、と片手を上げると、ロイが思い出したように言葉を投げた。
「ベル氏のお嬢さんがきみに感謝してたよ。ウエストシティに来たときはぜひ顔をだしてくれと伝言だ」
そして冷やかしも忘れない。
「2年もすればきれいになるぞ」
少々失礼な言い方とはエドワードも思ったが、サンディをみる限り「きれい」より「かわいい」という印象の方が強い。
「そんときは大佐が相手すればいいじゃん」
「14も下の子供を相手する気はない」
遠回しに自分まで子供扱いされた気がしてエドワードはむかついた。
「子供子供って舐めてかかると、足下すくわれるぜ?」
「どんなふうに?」
こたえる声は余裕だ。
一筋縄ではワイヤー並の神経の男をひっくり返すことはできない。その点を承知しているエドワードの行動もワイヤー並の神経だ。
「Shall we dance? 大佐」
うやうやしく手を差しだすと、黒い瞳が丸くなる。
「ちゃんとリードしてやるよ」
女性パートを躍らせようと目論むエドワードだが、あっさり却下された。
「きみとの身長差では肩が凝る」
「上等だ、そのケンカ買った!」
身長に関して怒りスイッチの入りが早いエドワードは、差しだした手をそのまま机に叩きつけた。
騒ぎを聞きつけたアルフォンスが止めに入らなければ、執務室は滅茶苦茶になっていたところだろう。
「なんで別れ際までケンカ調子かなあ」
駅に向かう道すがら、ぼやくような弟の呟きにエドワードは憮然とする。
駅を目指すひと。駅から流れてくるひと。昼の電車に乗ろうとしていたエルリック兄弟は混雑する大通りを歩いていた。
活気のある街がエドワードは好きだった。これは、旅をして気づいた。無情に通り過ぎていくひとたちが生きる世界にいると、自分が世界に生かされている錯覚がする。
(好きだよ、大佐)
世界の大きさに気づく瞬間に似た唐突な自覚だった。朝のひかりを感じながら、決して朝とは相容れない存在を想う。振り切るように歩きだせば胸の痛みがエドワードを襲った。
母を亡くした哀しみに比べれば、弟を鎧の体にしてしまった後悔に比べれば、乗り越えられる痛みだ。
「さっさと行くぞ、アル」
自分を励ます愚かさを、夜は、あなたは笑うだろうか?
「どうかしましたか?」
珍しく上機嫌な上司にホークアイは聞いた。無視してもよかったが、ロイの鼻歌を放っておいてはあらゆる意味で仕事がはかどらない。
「あやうくドレスを着せられそうになったよ」
楽しそうなコメントにホークアイは沈黙を守り、周囲の者は想像してのたうち回ったという。
SCENE1 終