静かな夜の愛し方

浅い眠り



 夢を見ていた。夢だと思った。
 エドワード・エルリックは薄目を開けた先にいる人物を見て、己の都合のいい夢に苦笑する。無意識に彼の首へと両腕を回したが、
(あれ?)
 妙な質感に気づいて首を捻る。
「お目覚めかい、鋼の?」
 耳元で聞こえる現実的な声に、エドワードは本当に目が覚めた。
「た、大佐?」
 びっくりして後ずさりすると、寝るには狭いソファからひっくり返る。床に落ちかけた体を支えたのは、ロイ・マスタングの腕だった。
「大丈夫かい?」
 余裕顔で問われて、エドワードは顔を上げられなくなる。
 ロイを執務室で待つ途中、うっかり寝てしまったどころか、寝ぼけて抱きつくなんて洒落にならない。
 と思ってるのはロイに好意を寄せるエドワードだけで、ロイ自身や、弟アルフォンス、ホークアイといった面々は、隙を見せない少年の寝ぼけた態度に微笑むだけだ。
「おれを待たせやがって」
 悔し紛れの一言は、とても上官にむける言葉ではなかったが、ロイは気にせず「すまいないね」と返した。
「おらよ、報告書」
 エドワードはロイがディスクに座ると、乱暴に書類をさしだした。
 提出された報告書を目で読むロイは、独り言が多い。
「あの事件はきみが絡んでたのか」「この件ではどこそこから苦情かきてたぞ」「もう少し地味に動きたまえ」
 賢者の石を求めて各地を回るエドワードは軍属のため、所在の在処ははっきりしておかなければならない。事後報告で済むのは正規の軍人ではないからだ。
「で、次はどこへ行くつもりだい?」
「東西部にあるトロールって街だ。ここで調べたいことがあるから出発は2,3日先だけど」
 その街以降の行動については、その場で決めるので当事者でもわからない。
 トロールか、とロイが呟く。
「最近、あの街の周辺は物騒になっている。気をつけるんだな」
 珍しく忠告をするロイに、エドワードは肩を竦めた。
「大概どこへ行っても物騒だぜ?」
 東部の情勢は不安定だ。数年前長年に渡る戦争が終わったばかりだから仕方ないとはいえ、大きな街になればなるほどひどくなっている。
「きみが下手によからぬ連中を刺激しなければ、穏便にすむ場合が多いだろう」
 ロイの皮肉にエドワードはなにも言い返せない。「むこうが勝手につっかかった」とは、言い切れない行動をしている彼らだ。
「兄さん、たまには大佐のいうことを聞いてもばちは当たらないよ」
 弟までもがロイの援護射撃をしている。
「心優しい弟くんだな、いい兄弟を持ったじゃないか」
 しらじらしいロイの台詞に嫌気がさしたエドワードは、帰ろうと体を反転させたが呼び止められた。
「もうすぐ仕事も終わる。少し待っててくれないか。食事に行こう」
 ロイの誘いにエドワードは己の耳を疑う。この男と会うのは、仕事絡み以外はないはずだ。
「なんで大佐とメシなんか・・・」
「アルフォンスくん、兄を借りてくよ」
「よろしくお願いします」
 勝手に話を進めるふたりにエドワードは食ってかかったが、2対1では勝ち目がなかった。



 半ば強引に連れて行かれたのは、大通りより一本奥に入った店だった。レストランというほど高価なではなく、パブというほど騒がしくもない。そして見覚えのある建物だった。
(ここ、大佐と女のひとが入ってった店だ)
 雪もちらつく冬の夜、エドワードは弟とロイのデートの現場を目撃した。この店に入るのはおもしろくなかったが、案内人が先に進むので大人しくついていくしかない。
「ここのパイ包みのクリームシチューは評判が良くてね」
 エドワードに好き嫌いを確かめると、ロイは勝手に注文していった。込み合う時間より早いためか料理は早々に並べられる。
「んで、なんの用だ?」
 料理を前にエドワードの腹は鳴るが、胡散くさげにロイを見やった。
「食事は楽しもうじゃないか、鋼の」
 不機嫌な同伴者にロイは気にした様子もない。
「最近、楽しく食べてないと聞くしね」
 その一言で、エドワードの表情は不本意なものへと変わった。
「アルだな」
 裏切り者めと、胸の内で呟く。
「情報者は秘密だ」とロイはこたえるが、エドワードの食生活まで知っている者は弟アルフォンスしかいない。
「やつれているように見えるのは私の気のせいかな?」
「老眼プレゼントしてやるよ」
 憮然としながら、それでもエドワードはフォークを持った。ロイの言う通り、というか、弟の言う通りエドワードは食欲がなかった。
(胸がいっぱいで食欲がない、なんて言えるか)
 本を読んでいるときやなにかを追っている最中は集中力で忘れてしまうが、眠りに落ちる寸前の思考が動かなくなったときや、頭より手を動かさなくてはいけない食事中など思い出してしまう。
 目の前にいる男を。
 現にこうしてともに食事していても、実は緊張のあまり食べた気がしない。だが請われるまま旅の話をしたり、互いの錬成理論の話をしたりする内に、皿が空になる頃には楽しく食事ができた。
 腹を括って会えば、嫌味も皮肉も、腹は立つが楽しめるから不思議だ。
「そこでヒューズが・・・」
 友人の話をするロイの顔を、蝋燭の炎が照らす。暗がりの照明を補うようにテーブルに置かれた蝋燭は、店の戸が開け閉めする度に風で揺らめく。
 なにげない動作に、心が奪われ改めて思い知る。
(好き、なんだ)
 虚しい感情だと思う。胸の痛みがいつか昇華できる日がくるのか謎だ。15年しか生きていないエドワードは、数年先の未来など夢と同じで想像できない。今まで生きてきた分と同じだけの年数を生きれば、今の目の前の男と同じ年になれるなんて嘘のようだ。
(まあ、こんな女好きにはなりたくないけど)
「なにを笑う、鋼の?」
 エドワードの微妙な変化をロイは指摘する。
「お話中失礼します、マスタング大佐」
 ふたりの間に声が入る。傍らには、いつのまにか女性が立っていた。
「大佐がお店に来てると聞いてあいさつにきました」
 紅い唇が笑みを彩る。
 女性にエドワードは覚えがあった。ロイがこの店に入ったときの相手が彼女だ。
 ロイに好意を寄せる瞳を見るのは嫌だった。
「大佐、ごちそうさま」
 エドワードは席を立つ。デザートまで食べた状況で長居する意味はない。
「おれ、帰るから。後は勝手にどうぞ」
 コートを着るのも惜しくて、脇に抱えて外に出る。昼間は大分暖かくなったが、夜は息が白くなるほど寒い。
「待ちなさい、鋼の」
 支払いをすませたロイが店から出てくる。
「子供が変な勘ぐりをするんじゃない」
「誰がガキだって!」
「勝手に勘違いして納得するあたりが子供だというんだ」
 ロイはコートを羽織りながら小言を言った。
「彼女はあの店の専属歌手だ」
「その割に親しそうだったな」
「やけに絡むな」
 不思議そうにロイがエドワードを見返した。
「そう見えたんだよ」
 半ば怒鳴るようにエドワードはこたえた。
「彼女を犯罪者から守ったことがあるからな。恩を感じてくれてるのだろう」
 ロイの話は、客として親交のあった男が、なにを勘違いしたのか彼女を追いかけ回し困らせていたということだ。終いにはナイフを持って襲いかかってきた男をロイが捕らえた。
(ストーカーなんて警察の仕事だろ)
 エドワードは思ったが口にしなかった。口実を持って彼女がロイに相談したのは想像できる。
(わかっているのか、いないのか)
 曖昧すぎてエドワードは判断できなかった。
 ロイがわかっているとしたらタチが悪いと思うし、わかってないとしたら・・・やはりタチが悪い。
「大佐ってさ、女のひとと付き合うの好きだけど、それ趣味?」
 噂ではデートの相手は複数いるらしい。恋人の話もちらほら聞くが、聞く度名前が違う。
「本気の趣味だ」
「女の敵だな」
 ロイの即答にエドワードは白い目で返した。
「合意さ。彼女たちもわかっているし、私といて楽しんでくれてる」
「わかんねー」
「わかってくれなくていいさ。むしろ、わかる方が怖い」
 そう言いながらロイは赤いコートを奪い、エドワードの肩にかける。
「風邪をひくよ」というロイの言葉は、話の終わりを告げていた。
(悔しい)
 話すに値しない子供だと思われた。
 おまけにエドワードが泊まる宿までロイが送った。女じゃないんだと抵抗すれば、暗いから相手もわからないだろ、と返される。そしてエドワードに襲いかかる暴漢の心配をし、あげく「呼びだされるのはごめんだ」と言われては、エドワードもおもしろくない。だが東方司令部のお膝元でなにかあれば、エドワードの後見人であるロイは必ずひっぱりだされる。
「どうせホークアイ中尉に面倒事は押しつけるくせに」
 せいぜい大人しくしてますよ、とエドワードはぼやき、宿の玄関に続く階段を昇った。3段ほど上がったところでロイに振り返る。
「今日はメシ、ありがとよ。うまかった」
 距離はあるが、同じ目の高さで喋るのは新鮮だった。
 どういたしましてとロイはこたえる。彼にとって、本当に些細な今日の食事だったかもしれないが、
(凄く嬉しかったって言ったらどうする?)
 口にだして言えないから、エドワードは思うだけで終わらせた。
(好きだって言ったらどうする?)
 結果は、目に見えてるから言う気はない。
「鋼の?」
「大佐をさ・・・」
 エドワードはひっそりと口を開いた。
「大佐を本気にさせられるひとって、いるのかな?」
 エドワードの台詞が意外なのか、ロイはすぐにこたえを返さなかった。
「それは私にもわからんよ」
 困ったように彼が笑ったのは、どうしようもない質問に対してかもしれない。
「おやすみ」というあいさつとともに別れた。黒いコートが通りを曲がり見えなくなるまで、エドワードはその場にいた。振り返らなかった男。エドワードはさっさと宿に入ったと思ったのだろう。所詮、その程度の認識だ。
「好きだよ、大佐」
 冷たい風が、エドワードの髪と声を揺らす。金色の瞳を閉じれば、黒と青の残像が浮かんだ。



続く


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