静かな夜の愛し方
声の限りに
東方司令部の活気があるのは、情勢の不安定さで仕事が多いという理由だけでなく、治めている人間の人柄に大きく反映されているからかもしれない。とくにイーストシティにエルリック兄弟が滞在している間の賑やかさは並ではない。エドワード・エルリックが少年特有の高い声を大きく張り上げるからだが、本人は自分が目立っていると気づいていない。
「よー、大将」
エドワードの小柄な体より巨体の鎧姿の弟が先に目についたが、怒りも露わな少年の方にハボックは声をかける。また執務室が荒れるな、と危惧したのはこの場にいる者全員だ。
「大佐は」
噛みつくような勢いでエドワードは聞く。怒りっぽい少年だが、怒って来るのは珍しかった。
「奥にいるぜ」
エドワードはハボックに礼を言うと執務室を目指して突き進む。
エドワードの後をアルフォンスは追いかけるが、兄の手綱を握るのがうまい弟は手を出しあぐねている様子だ。
「なにがあった?」
ハボックがこっそり聞くと、アルフォンスは首を横に振った。
「ぼくにもわからないんです。図書館で新聞を読んでた兄さんがいきなり怒りだして・・・」
アルフォンスの言葉とエドワードのあいさつが重なる。
「邪魔するぜ、大佐」
どこぞのちんぴら風情の台詞に、東方司令部ロイ・マスタングは盛大に呆れた。
「今度はなんだね?」
いきなり怒鳴られても心当たりがないのだろう。とぼけているとは思えない態度だが、余裕にも見えるロイにエドワードは持ってきた新聞を書類の上に叩きつけた。
「なんだよ、これ」
この新聞を図書館で偶然見つけたとき、エドワードは驚き、次に怒りが沸いた。
半月ほど前の新聞の一面トップには『ロイ・マスタング、セントラルシティの爆弾を除去』という見出しと見慣れた男のすかした顔写真があった。
「きみの手柄にした方がよかったかね?」
駅に仕掛けられた爆弾を発見したのはロイだが、始末したのはエドワードだ。
「そうじゃねえ」
エドワードは爆弾が片付けると、汽車の時間が差し迫っていたため面倒事をロイに押しつけ去っていった。事件など日常茶飯事の彼らは、ロイから説明もなかったおかげですぐに忘れた。
「あんた、知ってて黙ってたな。爆弾仕掛けた犯人のこと」
上官相手に、もとから粗雑だった言葉使いがさらに乱暴になったが、エドワードは構わず話を続ける。
「おれに黙ってた訳、聞かせてもらおうじゃないか」
「忘れてた」
「ふざけんな!」
エドワードは青い軍服の胸倉を掴んだ。
「中尉、席を外してくれないか」
頼み事のような口調でも、上司の口から出ればそれは命令だ。ホークアイはとうなずくと、開け放たれたドアをきっちり閉めて出ていった。
「直情的だな、鋼の。きみはなにをそんなに怒る?」
「『紅蓮の砂塵』リーダー・コール・ハートネット。そいつのネタでおれにダンマリを決めるなんて許せねえ」
怒鳴り声の声量は落ちたものの、その分エドワードの表情に凄味が増した。
エドワードが『紅蓮の砂塵』に捕らえられたのは周知の事実だ。だが、誰も知らない真実もあった。
エドワードは捕まった際、彼らに犯された。
隠し通すつもりだったがロイに知られた。彼にだけは隠しておきたかったエドワードは、ショックで熱をぶり返した。好きなひとに、男にレイプされたと知られるのは辛い。それ以上に、庇うようなやり方が悔しかった。
「許すも許さないも関係ない。私が決めたことにきみが口を挟む権利はないはずだ」
権利云々以前に、上官にたてつくエドワードを放っておく方がおかしい。
いつもロイに噛みつくエドワードもわかっていた。少年の態度の悪さを口先だけの注意で、本気で疎んじてないロイは、甘やかしてるのだと。
(いや、違う)
子供だからと思っていたが、唐突にエドワードはこたえに辿りついた。
(許されてるだけだ)
すなわち、対等と見なされていないのだと。
錬金術師として、ひととして、それなりの価値を認められても、埋め尽くせない年齢差があった。
「おれを、そんなに憐れむか?」
ひとの傷口に触れないやり方をしたロイを、エドワードは殴りたい衝動に駆られた。我慢して尋ねる声は、みっともないほど震えている。
「かわいそうならそう言えばいいだろ」
「落ち着きたまえ、鋼の」
「興奮してなにが悪い! 遠回しな同情でおれが喜ぶと思ってるのか」
怒りに任せた暴言は、ロイの冷たい眼差しによって消えた。
「言葉がすぎるぞ」
黒い瞳の冷たさにエドワードの心臓が凍る。だが、怒りたいのは自分だと言い聞かせてロイをにらんだ。
欲しいのは同情じゃない。欲しいのは優しさじゃない。
欲しいのは、真実で向き合う心だけ。
しかし、エドワードは自分が真実をかけらも渡してないことに気づいた。
「好きだよ、大佐」
本人を前にして一度も口にしたことのない想いを告げる。告白なんかで対等になれるとは思わないが、手段がこれしか浮かばないほどエド−ワードは切羽詰まっていた。
静かな怒りを含んでいた瞳が戸惑いの色に変わる。
「好きなんだ、大佐が。だから庇われると辛い」
「好かれていたとは光栄だな、ありがとう」
ロイの楽しげな返答にエドワードの息を呑む。
欲しかったのは、礼ではない。
なにが間違っていたのかわからないまま、エドワードは機械鎧の右手を重厚な机に突き立てた。
「大佐のばかやろー!!」
今日一番の怒声は、机を粉砕する音に負けないぐらい大きかった。
「嫌いだ、死ね、三途の川をさっさと渡っちまえ」
おまけとばかりに木の固まりを、これまた機械鎧の左足で蹴り上げる。
書類も散らかり室内は嵐が通った後のように悲惨な状況だ。事後処理にあたるホークアイに悪いと思ったのは頭が冷えた後だったが、頭に血が昇ったエドワードは、呆然とするロイを無視して部屋から飛び出した。兄さん! と叫びアルフォンスが兄の後を追う。
開けっぱなしの扉からホークアイが入ってきた。数分前からでは想像しなかった室内の惨状に、形の良い眉をひそめ、上司に非難の眼差しを送る。
「自分で掃除するし、机も私が新しいのを買うし、ここにある書類は今日中にやってしまうから・・・」
話す途中に降ってきた書類を指で摘んで、ロイは情けない笑みを浮かべる。
「この件、見逃してくれないか?」
エドワード・エルリックにおとがめなし。という上司は、らしくもなく甘い。甘くなるのは、自分に非があると自覚してるからかどうかは、なにも知らないホークアイは判断できないし、下手な推測をする性格でもない。
「お困りになるのが大佐ひとりだけでしたら、私は構いません」
東方司令部から5分ほど走った後、エドワードは急に止まった。背後の、金属の足音が徐々に小さくなってくる。
「どうしたの、兄さん?」
「・・・相手にしてもらえなかった」
振られる以前の問題だったと、思い返せばエドワードは肩が下がっていくのを感じた。
「こう言っちゃあなんだけど、大佐の方が三枚は上手だと思うな」
事情を知らない弟だが、彼の言葉はやけに当を得てる。
(はじめから役不足だったんだ)
自分は男で、少なくとも女好きの大佐に興味を持ってもらえる身ではない。すべてはわかっていたけれど、突きつけられた現実は厳しかった。
一世一代の告白を軽くあしらったロイにエドワードの怒りは消えないが、哀しみから生まれる怒りはひどく疲れる。
「明日、イーストシティをでるぞ」
突然の旅立ちに、弟は黙ってうなずいた。
続く