静かな夜の愛し方
フィフティフィフティの砦
見失いそうになる後ろ姿を追いながら、エドワードは壁にバツ印をつけた。どんなに頭に血が昇っていても、アルフォンスたちが後を追えるよう目印を残す冷静さが彼にはある。
ハートネットが建物に入ったのを確認して、エドワードも様子を探った。ここで応援を待つのが一番とはわかっていたが中に入っていく。待つのは性に合わない、とは言い訳だ。自分の手で捕まえたい気持ちが強かった。
建物は廃墟というほどさびれてはいないが、ひとが住む気配もなかった。壁は崩れ、以前使っていた家財道具が床に転がっているが埃は少ない。ひとが行き来している証拠だ。
ひとが通った跡に注意して歩いていたが、後頭部に突きつけられた銃の感触に足を止めた。
「また会ったな、鋼の錬金術師さん」
低く笑う声に振り返れば、今度は額に銃口が当てられる。
「尾行するなら殺気は消した方がいいぜ」
隠密行動は彼の方が上手だった。
「両手を上げろ。おまえが手を合わせるだけで錬成ができるのは知っている」
エドワードは大人しく手を上げた。反撃の糸口が見つからない状況で暴れるられない。いきあたりばったりの多いトラブルばかりに関わるせいか、慎重な奴が相手では勝手が掴めなかった。
「鎧の弟はどこだ?」
「さてね」
エドワードがとぼけると、ハートネットは彼の胸倉を掴み銃で殴りかかる。頬に受けた衝撃は大きかったが、掴まれているため倒れることはなかった。
「イーストシティじゃ随分かわいがってやったのに、つれないこと言うねぇ」
「あんた、かわいがるって言葉の意味を勉強した方がいいんじゃないの」
殴られようが、エドワードは口を閉ざす気はない。今度は反対側の頬を衝撃を受けた。
「おまけに、マスタングに仲間を殺された。ついてない、あいつはおれの疫病神だ。さっさと葬らないと気がすまない」
狂気じみた口調が男の口から漏れる。エドワードはロイが彼を捕らえたことを思い出した。
「せいぜいがんばりな」
エドワードは口元に笑みを浮かべながら言う。
「無駄だと思うけど」
「生意気なガキだね」
ハートネットはエドワードを持ち上げるよう襟首を引っ張った。
苦しくなる息のなか、今度こそ殺されるとエドワードは思った。
「そこまでにしてもらおう、コール・ハートネット」
場にそぐわぬ凛とした声に、男のなかの狂気が燃え上がったのをエドワードは見た。
「ロイ・マスタング!」
壊れかけた扉の前には、青い軍服の青年がいた。
アルフォンスがロイに連絡をいれて駆けつけるにしても早い到着に、エドワードも驚く。
「アルフォンスくんから連絡がきたときは驚いたよ。無茶をするね、鋼の。あれほど大人しくしてろと言ったのに」
やれやれ、とあからさまなため息をつかれ、エドワードは状況も忘れて怒鳴り返しそうになる。しかし、ハートネットが口を開く方が早かった。
「丁度いい。ここで殺してやる」
「どうやって?」
落ち着いた態度はひとを小馬鹿にするもので、ハートネットの怒りに油を注いだ。
「このガキを殺されたくなかったら大人しくしろ」
両手を後ろでひとまとめにされ、こめかみに銃口を押しつけられた。
「なにを呑気に人質になってるんだ、きみは?」
「うるせー、笑いたければ笑えばいいだろ」
「それ以上に呆れている」
「おい」
ハートネットを無視した会話に男が口を挟む。
「銃と、それから発火布を捨てろ。じゃなきゃこのガキを今すぐ撃つ」
「仕方ないね」
ロイは言われた通り、銃と愛用の発火布の手袋を床に置いた。
「大佐? なんの冗談だ?」
まさかロイがひとのために命を差しだすとは思えず、エドワードは目を疑った。
「まあ、きみを助けるためかな」
曖昧な返事で、ロイの真意を汲み取る方が無理な話だ。
「だからきみも、安心して私に任せなさい」
(嘘臭い)
仮にも告白した相手に対して暴言に近いが、エドワードの正直な感想だった。
ロイ・マスタングは野心家だ。彼が、自分の身を危険に晒してまでひとを助けるとは思えない。エドワードは確信したからこそ、彼になにか手があると気づいた。
「よくもおれを刑務所に叩きこんでくれたな」
「・・・そのことについては深く反省している」
ロイの台詞にエドワードはついていけなかった。冗談とは思えないほど彼の目は真剣だ。黒い瞳に怒りの焔が灯っていた。
「コール・ハートネット。テロ活動のみでなく、数々の女性をレイプしたな。法廷で声高らかにその女性たちの名前を告げた。その後、3人の女性が自殺したのをおまえは知っているか」
「後のことまで知るか」
「クリウス大佐のお嬢さんを襲い、事実を公表されたくなければ私をここにおびき寄せるよう、大佐に脅しをかけたのもおまえだな」
「娘思いのいい父親だ」
品のない笑いは同意を意味した。ロイはさらに言葉を続けた。
「脱獄してから今日までの間、何人女性を辱めた?」
「知ってどうする? きさまは今ここで死ぬんだからな」
ハートネットがロイに銃をむけた。それでもロイは微動だにしない。「違うな」と小さく否定する。
「死ぬのはきさまだ」
声とともにロイのブーツの踵が鳴った。
かちっ、と火花が踵から生まれる。
エドワードは彼の足下から錬成される焔を見た。
「なに?」
ハートネットは驚いて身を引いた。その隙にエドワードは彼の手を振りきりロイの元に駆ける。
エドワードに狙いを定めた銃が発砲する前に2度目の金属音が響く。
尋常ではない叫び声にエドワードが振り返ると、全身を炎に包まれるハートネットがいた。とっさに助けようと身を翻すエドワードの、腕を掴んで止めたのはロイだ。エドワードはロイの冷たい瞳に悪寒が走る。
「無駄だ。致命傷の焔を与えた」
「なんでそんなことを!?」
目の前でひとが死んでいく恐怖に青ざめながら、エドワードは怒鳴るように聞く。
「ここは戦場じゃないんだぜ。軍人だからってひとを簡単に殺していいのか?」
「よくないに決まってるだろ」
あたりまえだと言わんばかりの口調がいつも通り過ぎて、エドワードは怖くなった。
「ここで奴を捕らえたら、被害に遭った女性たちの名がまた叫ばれるだろう。これは私の独断だ」
「だからって・・・」
悲鳴が小さくなるにつれて濃くなる匂いに、エドワードは耐えきれず吐いた。
「すまなかったね、ひとが焦げる匂いなんて気持ちいいもんじゃないだろ」
ロイは平然と正面を見据えていた。エドワードは確認する勇気がないが、彼の視線の先にいるは燃え続ける人間だ。
人間兵器として戦争にいったロイには慣れた光景や匂いだった。
「なんで・・・?」
締まりそうな咽で聞いた返事はシンプルだ。
「許せなかったから」
「なんであんたが、被害者の怒りの肩代わりをするんだよ」
「自殺した女性のなかに、私の知り合いがいたと聞けば納得するか?」
本当か嘘かわからない返事だった。相手に踏み込ませまいとするロイの空気が、冷気の如く足下から伝わってくる。
悔しいと、エドワードは思う。大事なことはなにひとつアテにされない自分が悔しい。
「出よう。きみがつけた印にアルフォンスくんが辿りつく前に、取り逃がしたと言いなさい。ここにはきみも私もいなかった」
銃と発火布を拾い、ロイが何事もなかったように周囲を見渡す。証拠を残さないため確認をする姿は冷静だ。
「それ、命令?」
「ここにいるのは軍人ロイ・マスタングではない」
上官として命令できる状況でない自覚はロイにもあった。
「私からのお願いだ」
上に行く野心のあるロイにとって殺人は足枷だ。エドワードが一言、ロイを良く思っていない一派に告げれば彼は軍を追いやられる。
「だったら、おれのお願いも聞いてくれる?」
エドワードの台詞は予想していたらしく、ロイは驚きもみせずに内容を聞いた。
「一晩おれに付き合ってよ」
続く