静かな夜の愛し方

哀しい嘘



「コール・ハートネット。こいつについてエドワードが調べてるぜ」
「おかしな話ではないだろ。鋼のは以前、奴に捕まったからな。仕返しでも考えているのだろう」
「今頃調べてるからおかしいって言ってるんだ。エドワードがとっ捕まったのは二ヶ月以上も前の話じゃねぇか」
「ならば私にではなく本人に聞けばいいだろ、ヒューズ中佐」
「聞いて教えてくれる奴かよ。あんまり奴に不審な行動を取らせるなよ? 保護者さん」
「保護者ではなく後見人と言ってくれ」



 執務室の扉を開けると、見慣れたはずの室内が少し違うとエドワードは気づいた。原因は、ロイ・マスタングの傍にいたのが美人中尉ではなくむさいおっさん中佐だからだろう。
「こっちに来てたんだ、ヒューズ中佐」
 エドワードは脇に何冊かノートを抱えて入ってきた。
「いよう、エドワード。元気そうだな」
 いつも必ずヒューズが先にあいさつをする。普通ならここで、「ヒューズ中佐こそ」と返すものだが、彼は素早く懐から愛娘の写真を撮りだし、
「うちのエリシアちゃんも元気だぜ〜。ほら、こっちはハツラツとしてもー、かわいい!」
 と、ひとのあいさつは聞かない。
 彼のトークが落ち着いたところでようやく、相手も声をかけられるのだ。
「中佐も相変わらず元気そうだね」
 最初のうちはヒューズのテンションに引いたものの、慣れると「それでこそマース・ヒューズ」と思えるから不思議だった。
「大佐、資料室の鍵、サンキュ」
 エドワードはさきほどまで使っていた部屋の鍵をロイに返す。
「役には立ったかね?」
「大いに。後は宿に帰ってまとめるだけかな」
 言いながら、エドワードはあくびをした。弟と別行動を取ると、ストッパーがいないため根を詰めすぎる傾向にある少年だ。疲れた目を指でほぐす。
「休み休みにしなさい」
 ロイが呆れたように言った。
 サボリ魔の異名を持つロイならではの台詞の後に、ヒューズの笑い声が重なる。
「おまえさんだって、研究中は3日も徹夜したじゃねえか」
 忠告なんてらしくないとヒューズが笑うと、ロイは憮然とした。
「昔の話だ。もう時効だよ」
 長い付き合いのふたりの会話に、エドワードは急に胸がざわめいた。
(大佐でも熱心になることがあるんだな)
 とか、
(年だから徹夜はもう無理だろ)
 冷やかす台詞はいくらでも浮かんだが、ひとつも声にならなかった。
 空気が違う。
 執務室に足を踏み入れたときに感じた違和感の正体を、エドワードは言葉にできない恐怖とともに気づいた。
(ヒューズ中佐だ)
 彼の存在は、いつもは飄々とするロイの雰囲気を穏やかにする。親友だから気負いがなくなるのだとエドワードは自分を納得させたが、自分でも腑に落ちない感覚だ。
「あんまりお喋りが過ぎるとホークアイ中尉に怒られるぜ?」
 これ以上ふたりの前にいられず、エドワードは部屋からでて行く。
 賑やかな階を通り抜けるときも、エドワードは気になって仕方なかった。錬金術一筋で親友と呼べる存在がいないから、ふたりの空気が気になるのだと思った。階段を下る途中でエドワードは、別れたばかりの青年に呼び止められた。
「なんの用?」
 振り返るエドワードの金色の瞳に、焔の錬金術師の姿が映る。
「なにかあったのか?」
 逆に聞き返されて、エドワードは笑いたくなった。ロイが、相手を伺っているのが手に取るようにわかる。
「おれになにかあっても、大佐に関係ないんじゃないの?」
 意地の悪い言い方で返せば、ロイは気分を害したふうもなく笑う。
「その減らず口なら大丈夫のようだな」
 本気か嘘か、彼の言うことはわからないとエドワードはいつも思う。
「ヒューズ中佐が好きなの?」
 前置きもなくストレートに聞いたのは、意趣返しの意味もあるかもしれない。
 ロイは片方の眉を少し上げただけで、とくに驚いた反応もみせず皮肉げに微笑んだ。
「そうだと言ったら、きみは諦めるのかい?」
 己の恋心を、とロイは口にはしなかったが、彼の言いたいことは質問したエドワード自身が一番よくわかっていた。そして、自分の気持ちもよく理解していた。
「諦めるもなにも、最初から大佐に望んでないぜ?」
 エドワードは静かに告げた。ロイの表情は変わらない。
「望んでいない、求めていない。だから余計な同情も勘ぐりも意味がない」
 だから余計なアクションは起こしてくれるなと、エドワードは心のなかで呟いた。弱音としか聞こえない台詞を口にする勇気はない。時折ロイが見せる行動に、エドワードの心はひどくざわめく。
 辛いから、憎まれ口を叩くだけの関係でいようだなんて、言ったら自分が崩れるだけだ。
「・・・ばかなこと聞いて悪かったよ。忘れてくれ」
「きみの想像通りだ」
 話を終わらせようとしたエドワードを、引き止めるような言葉だった。
 質問へのこたえが返ってくると思ってもなかったエドワードは、驚いてロイを見つめた。漆黒の瞳と視線が合い、エドワードは目がそらせないままロイの出方を待った。
「何年も前から、好きだよ」
 女好きの嫌味で自信家な青年の口からでた告白は、かわいく聞こえた。
 死刑の宣告に等しいロイの告白に、エドワードは知らず、笑う。
「下手な嘘」
 そして、今度こそロイに背中を見せた。背後から戸惑う気配を感じたが、エドワードは無視して歩きだす。
(下手だよ、本当に)
 闇を思わせる瞳の奥にあった輝きは、「好き」の一言では片付けられない。
(愛してるって、類なんだろ?)
 よくもまあ、今まで隠してきたものだと、心のどこかで感心していた。
 望んでいない、求めていない。
 だけど知った現実は辛すぎる。
 己が感じる痛みは、ロイ自身にも通じるものがあると思えばさらに切なくなって、エドワードは泣きそうになった。
「エドワードくん、ちょっと付き合ってもらえないかしら」
 通路のむこうから歩いてきたホークアイが、エドワードを見て立ち止まると、一瞬の間を置いてから声をかけた。そして相手の返事を聞かずに、背中を押すように連れていく。マイペースな人物のらしくもない強引さにエドワードは戸惑う。連れていかれた先が給湯室だったこともあり、彼女の行動の意味が掴めなかった。。狭い室内の隅に立ち、呆然とするエドワードの前にマグカップが差しだされる。
(持って行けということだろうか?)
 言葉の少ない彼女の真意は、疲れ気味の思考では読みとれない。しかし、カップから漂う甘い香りはココアで、少なくとも軍人の飲み物ではないのだけはわかった。
「熱いから気をつけて飲んでね」
「おれ・・・に?」
「あなたに」
 優しい言葉とともにエドワードはカップを受け取った。正直、何故ホークアイにココアをいれてもらったのかわからなかった。
「寒そうにしてたわ。暖まっていきなさい」
 ホークアイが、エドワードの心を読んだような言葉をかける。
 機械鎧の右手はココアの熱を感じなかったが、生身の左手は、その熱さを受け止め、エドワードに自分がいかに冷えていたのかを教えた。
 甘い飲み物は温かい。ココアなど何年も飲んでいなかった。母親が生きてた幼い頃は、よく飲んでいたけど。
 随分、遠くまで来た気がする。
 甘い香りが懐かしさと切なさを呼び起こした。
 哀しむ余裕はないし、涙は意味を成さない。
 だけど、
「おー、大将、いいモン飲んでるなー」
 給湯室の前を通りかかったハボック少尉の、鼻をつく煙草の匂いに目が染みた。気が緩む、とはこのことだろう。瞬きした瞬間に涙が溢れた。
「お、おい大将?」
 慌てたのはハボックで、ホークアイは黙ってエドワードの肩を抱き寄せる。
「おれ、おれ振られちゃったー」
 後から思い返せば恥ずかしいことこの上ない泣き言だ。
 詳しいことはふたりに話せない。ただ、哀しみだけを涙で表す。
 ホークアイの腕のなかで、泣きながらもエドワードは、ロイが誰かに涙をみせたことがあるのかと考える。
 ないだろう。だからヒューズの前で笑っていられるのだと思った。
 集中力が乱れていたエドワードは、ヒューズが給湯室に現れたのに気づかなかった。ハボックがそっと人差し指を口に立てると、普段は騒がしい中佐は黙ってその場から消えた。



「あんまりエドワードを泣かすなよ」
「泣かされたのは私の方だ」
 冗談めいた台詞は、今日もロイの口から溢れるのだった。



続く


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