静かな夜の愛し方

共有者=共犯者



 本を読んでいるときのエドワードの集中力は危険なほどに凄まじい。まず周囲の気配に気づかない。本を手に彫像の如く立ちつくす。少年を知る者はその姿に納得するが、彼が手にしている本を見れば首を傾げるだろう。
 エドワードが読んでいたものは錬金術に関する資料ではなく、裁判記録だった。
「熱心だな」
 唐突にかけられた声にエドワードの意識は現実に戻る。
 顔を上げればすぐ側に、黒髪の上官、ロイ・マスタングが悠然と立っていた。
 何故ここに? という疑問が「大佐」と呼ぶ口調に滲む。
「そう驚いた顔をするものではないよ」
 ロイが苦笑で返した。
 エドワードは中央司令部で過去の事件記録を調べるのは一度や二度ではない。ロイとコール・ハートネットの関わりを知りたいがため、セントラルに来るたび少しずつ調べてきた。
 ロイに無断で勝手な行動をしている自覚があるだけに、見つかったエドワードは気まずさに目が泳ぐ。
「なんの用だよ」
「きみに聞かせたい話があってね」
 思わせぶりな言葉に、エドワードは眉をひそめた。
「己の身に降りかかった不幸を恥じて、己の命を絶った令嬢の話だ。かわいそうなレディだったよ。彼女の死は奴も悼んだが、心に傷を遺すほどではなかった」
 突然はじまった話をエドワードが理解できるはずもなかった。
「なんの話だ?」
「きみが調べている男に関わる女性の話だ」
 指摘され、今度こそエドワードは言葉をなくす。
 ロイの目に非難の色はない。夜よりも暗い色だけを宿し、その目をエドワードにむける。
「知りたかったんだろ?」
 意地の悪い問いかけは、呆けていたエドワードの腹を熱くさせた。
「邪魔だって言ったのは大佐だぜ。なのになんで、おれに関わろうとするんだ。無視すればいいじゃないか」
 責めるようようなエドワードの疑問に、ロイは「さてね」と肩を竦める。本気か、はぐらかしてるのかわからない空気を纏うスタイルは相変わらずだ。
「気まぐれさ」
 ロイのこたえは薄っぺらい。気分ひとつで行動する性格でもないだけに嘘臭く聞こえた。
 だけどエドワードの心は、彼の言葉を本音だと感じた。まるで風を肌で感じるような自然な受け止め方にエドワード自身が驚く。
「鋼の・・・?」
 ロイの声に、エドワードは我に返った。
 今まで疑問しか抱けなかった男の心を、証拠はないが「本気」を掴めて嬉しくなる。
 嬉しくてエドワードは、泣きそうになる。
(浮かれてるよな、おれって)
「奴って誰だよ?」
 ロイの口振りから「奴」が彼自身でないのは察せられた。ロイが被害者の女性の無念を晴らす理由が掴めない。
 エドワードは、ずっと疑問を抱いていた。己のためにしか動かない男が身の危険を省みずに行動を起こした理由を。
 ・・・知りたかった。
 それは、コール・ハートネットの死の現場に居合わせた負い目からか、自己的な男を突き動かした者への嫉妬からか、エドワードには判別できない。
 望まないと口にしたけど、ロイに近づきたい気持ちはある。
「令嬢が恋をしていた男だ。奴には婚約者がいた。彼女は叶わぬ恋をしていた」
 ロイの口から静かな言葉が紡ぎ出される。
 エドワードは、「奴」が黒髪の青年の親友だと気づいた。
「これで満足かね?」
 聞き返すロイ自身からは感情が読めない。
「満足だよ」
 エドワードはうなずく。
「気になることは追求しなくちゃ気が済まないタチでね」
 軽口混じりのエドワードへ同意するようロイは微笑む。希薄な笑みは身に染みついた表情だろう。胡散臭くてエドワードは嫌いだった。
「だけど、そのせいであんたを傷つけたならごめん」
 唐突な謝罪に戸惑うロイは、とっさに少年の銘を口にすることしかできなかった。
「知られたくないことが誰にでもあるぐらい、おれだって知ってる。おれは自分の気持ちを満足させるために大佐の過去に踏みこんだ。ごめんなさい、大佐」
 少し考えればわかるはずだと、答えを知った後では思う。ロイが危険を冒してまで立ち振る舞う理由など、たったひとりの親友の為でしかない。
 醜い心をロイに晒した自分をエドワードは恥じた。
「こんなにも自分がろくでなしだとは思わなかったよ」
 自己嫌悪の勢いで話せば、長身の影がエドワードに降りかかった。そして、影を作った人物はエドワードを抱きしめる。
 エドワードは動揺して反射的にロイの方へと顔を向けるが、肩に埋まるロイの顔は見えない。
「誰もが同じだ」
 耳元で囁かれる声は静かで、エドワードの胸に染みいる。
「誰もが恋に苦しむ。きみだけではないよ、鋼の」
 子供をあやす手つきで大きな手はエドワードの金色の髪を撫でたが、いつもは毛を逆立てて怒る少年は大人しく身を委ねている。
「おれに乗り換えてくれる気はない?」
 ふいに、エドワードは言った。提案というより思いつきに近い発言は、一回りも大きい青年を驚かすのに充分な効果を発揮する。
「大人をからかうんじゃない」
 苦笑混じりにロイはエドワードから身を離した。
「本気だ。おれはあんたに望まれるなんて思っちゃいないけど、全然子供だけど・・・」
 感情に流されたまま喋れば言葉に躓いてばかりで、言いたいことが伝わらないもどかしさに焦りさえ感じる。エドワードを止めたのはロイだ。
「気持ちだけで充分だよ」
 優しい言葉でエドワードを拒む。それが、引き金だった。
「おれがあんた好きだってこと、忘れんな!」
 捨て台詞を吐いてエドワードは資料室から飛び出す。
 走るエドワードを止めたのはヒューズだった。
「エード、ロイの奴を見なかったか?」
「あっちの資料室」
 言い様エドワードは勢いついでにヒューズの首に腕を回して抱きついた。
「うわっと、なんだ?」
「仕返し」
「やたらとテンションが高いな?」
「気づいたから」
 言葉短くエドワードはこたえる。案の定、ヒューズは眉を潜めた。
「おれの道は誰にも邪魔させない。例え大佐だって、てな」
 じゃあ、とエドワードは呆然とするヒューズを置いて走りだす。テンションが高いといった言葉通り、気持ちが高ぶって大人しくしていられなかった。
 つけ込めるなら隙をついてでもと本気で思った。心に傷を負った彼を慰めたいと本気で思った。だけど、傷を舐め合うような関係の恋では駄目だ。
(おれは共犯者にはなれない)
 ひとりの人としてロイ・マスタングと向かい合いたかった。それが困難な道だとしても、自分の心を貫きたい。


 アルフォンスが待つ場所までエドワードは走り続けた。



SCENE3 終


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