静かな夜の愛し方

ピンポイントの誘惑



 普段は軽快に歩く少年の足取りは重かった。
 エドワード・エルリックが向かう先はロイ・マスタングの自宅だ。そこでなにが起きるのか考えるだけで憂鬱な気分になる。だが行くのを止めようとは考えない。引き際を心得る反面、理屈抜きでまっすぐな面も持つ少年は、敵前逃亡みたいな真似ができなかった。矛盾した性格が仇となるかはロイと会うまでわからないが・・・。
(泣くんだろうな、おれは)
 半ば予測がつく自分に、エドワードは自嘲し、はじめて見る扉をノックした。



 自宅にいるロイは私服だった。軍服を着ていない青年は実際の年齢より若く見える。あいつは童顔だと口の悪いロイの友人がからかっていたのを思い出し、なるほどとエドワードは納得した。
「夜分にすみません」
「呼んだのは私だ。気を遣うひともいないからゆっくりしていきなさい」
 わざわざ呼んだ理由を切り出さないロイに、エドワードは警戒しながらも調子を合わせる。
 ほらよと上着のポケットから、折り畳んだ紙切れを無造作に取りだした。
「本のリスト。ひとに見せるために書いた訳じゃないから汚いぜ」
「かまわないさ。では等価交換といこう」
 ロイの案内で彼の書斎へと足を踏み入れる。整然と並べられる本棚に圧倒されそうになった。個人が持つには膨大な量だが、研究者の本棚にしては少ない。
 目に入る背表紙を見れば、名を馳せた作家ばかりが並んでいた。
「これ!」
 エドワードは突然大声を上げた。
「読みたかった本! ちくしょう、大佐が隠し持ってたのか」
「人聞きの悪いことを言うな。その本は昔から私が持ってたものだ」
 本棚にへばりつき、背表紙を見て叫ぶエドワードに、ロイは呆れたように返す。
「読ませてください、大佐!」
 勢いよくエドワードはお願いした。
「よかろう。ただし、このリストにある、これと、これを私に貸すのが条件だ」
 エドワードが所有する本のリストを指さしながらロイも要求する。
 気が付くと時間は過ぎていた。
 宿をでる前に気負っていたものも忘れるくらい錬金術の話で盛り上がる。弟も連れて来たらよかったと考え、そうできなかった理由を思い出した。エドワードの心が凍った瞬間、振り子時計の鐘が鳴る。
「遅くなったな」
 ロイが時計を見て呟いた。
「泊まっていきなさい」
 親切な提案にエドワードは笑った。
「怒ってる・・・んだよな?」
 昼間のことを、エドワードはようやく切り出す。泊まったとしても、好きなひとの側にいてなにもできないなんて残酷だ。まして、一度は肌を重ねた関係だ。泊まりなさいという誘いは、遠回しな意地悪としか受け止められない。
「怒ってるというより、呆れたね」
 ロイは微笑む。胡散臭い微笑みよりも、ガードの堅い無表情だ。
「余計な気を遣うものではないよ、鋼の。無性にいらいらする」
 手厳しい言葉にエドワードは言葉をなくす。ロイも人間だ。大人だからといって、その心になにを与えても構わない訳ではない。嫌なことが起きれば腹を立てるのも当然だ。
「ごめんなさい」
 掠れそうな声でエドワードは謝る。
「おれだったら、好きなひとと一緒にいられるのは嬉しい。時間を気にしたくないし・・・おれとの約束はいつでもいいものだから・・・」
 力のない声は途中で途切れた。
「ごめん、言い訳だ」
 今日は帰ると早口で言い、エドワードはロイの横をすり抜けようとする。
 鋼の右腕をロイが掴んだ。
「すまない、鋼の。大人げなかった」
「謝るな」
 エドワードはロイの手を払う。
「関わるな、関わるなよ。おれは、自分から大佐を無視できないんだ。大佐が自分に踏み込まれたくないように、おれだって踏み込まれたくないんだ」
 エドワードが叫んだのは、先ほどと矛盾した言葉だった。
 まるで等価交換のようだ。好きなひとと一緒にいられる喜びと引き替えに、同じ重さの苦しみを味わう。辛いなんて、誰よりこの青年の前で口にしたくない弱音だった。
「好きだよ、大佐。好きだから、おれに優しくするな」
「私はきみに優しくしたつもりはないが・・・」
 ロイの手がエドワードの頬を撫でる。そして、金色の瞳を揺らす涙を指先で拭った。
「かわいそうに、同情するよ」
 他人事のような台詞だった。
「ばかだね、男になんか惚れて」
 ひとを憐れむ台詞は、慈しむ響きがあって甘い。
「早く気づきなさい。きみが好いた男が、どんなにひどい人間なのかということを」
 心地よい声が吐き出す内容は難しすぎてエドワードは理解できなかった。固く結んだ唇に温もりが触れる。
 キス、なのだと気づいたときは引き込まれていた。
 ロイ・マスタングという男に。
 エドワードは青年の寝室に連れていかれる。麻痺した頭で次になにが起きるのか想像できず、エドワードは無防備だった。
 ロイは無言でエドワードをベッドに引きずりこむと衣服を剥いだ。
「なに、してるんだよ。大佐は、こんなこと・・・」
 戸惑いながらエドワードは否定した。
 ロイとセックスをする理由がない。愛も、等価交換もない行為は間違いだ。
「いやなら抵抗したまえ」
 悠然とロイは微笑む。自身の笑みの威力を知る男は、惜しげもなく笑いかける。
 ロイのやり方にエドワードは切れた。
「ふざけんな」
 力のない体でした抵抗だが、エドワードの思わぬ反撃にロイは押し返された。
 形勢は逆転してエドワードはロイを組み伏せたが、青年が驚いたのはほんの一瞬だけで、すぐに状況を楽しむような表情に変わる。
「私を抱く気にでもなったのかね?」
 おもしろがる口調にエドワードの怒りが増した。
「嫌いなら嫌いでいい。だから本気になってくれよ。中途半端に関わるなんて最低だぜ」
「きみにどうこう言われようと、これが私だ。知っておきなさい」
「知ってるさ。だけど、大佐を嫌いになれないんだから仕方ないだろ」
 言い切ったエドワードを、ロイは穴が空くほどに見つめ返した。
「大佐が・・・誰かを好きなままでもいいんだ。それでもおれは、大佐が好きな気持ちは止められないから。誰かを好きなままでいいから、そのひとにむける笑顔をほんの少しおれにちょうだい。等価交換の法則に合わなくても構わない」
 金色の瞳から流れる涙が、エドワードの頬を濡らし、ロイの胸に落ちる。
「そんな恋は辛いよ?」
 長い沈黙の後、ロイは聞いた。
「辛いだけじゃない」
 嗚咽まじりにエドワードはこたえる。
「辛いのは今も同じなんだ」
 だけど、とエドワードは涙で歪む顔で微笑んだ。
「大佐を好きになって気持ちいいのは本当だからな」
 辛いとか、苦しいとか、ロイを好きになってから彼に見せる感情は醜いものばかりで全然うつくしくはないけれど、負の思考に負けない輝きがあった。
「ばかだね、本当に」
 ロイの腕がエドワードに伸びて、震える肩を抱きしめた。ロイは子供をあやすように髪を撫でる。ごまかすな、という言葉は口のなかで消えた。
 ロイから伝わる空気は優しい。
 彼自身が優しくしたつもりはないと言っても、エドワードは感じていた。夜に似た静かな優しさ。静かな焔。心を満たすただひとり。
「ばかで結構」
 呟く声に力はない。ロイの腕に抱かれながらエドワードは眠りに落ちた。
 見守るロイの口元には淡い笑みが浮かんでいた。



続く


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