静かな夜の愛し方
青いひかり
エドワードを突然苦しめたじんましんは原因不明のまま消えた。過去にじんましんの経験がなければアレルギー体質でもない。クロック・トーマが調合した薬のせいということで片付いたが、赤い斑点が消えるまでエドワードは宿屋で安静を命じられた。
「不調に気づいたらすぐに連絡をいれてね」
毎日激務の合間を縫って見舞いに訪れるホークアイは、帰り際にはいつも同じ言葉を残す。得体の知れない薬に対する彼女の心配は、エドワードの肌が元に戻っても消えなかった。
「もう大丈夫だから」
いつまでも心配をかけたくない思いで強く言えば、困ったように彼女はエドワードを見つめ返した。
「わたしたちがエドワードくん、アルフォンスくんを気にかけるのは心配してるからじゃないのよ」
みんながあなたたちを好きだからよ。と告げる彼女に、アルフォンスの気配が嬉しそうなものに変わる。無償の愛情にエドワードも嬉しくなった。ただ、弟のように素直に表面にだせないのは彼の性分だ。
「大佐も心配してるわ」
彼女の一言にエドワードは胸が詰まりそうになったが、ふてぶてしい表情で否定した。
「そんなことないない」
嫌われてるから。という言葉が出そうになったが、エドワードは堪える。
『その無防備さは若さ故か』
クロック・トーマと知らずに彼と会っていたのをロイは非難した。冷たい眼差しは記憶に鮮明に残る。ひととして冷たい目なら何度か見かけたが、温度のない眼差しを個人的にむけられたのははじめてだ。
思い出すだけで胸が重くなる。
「大佐から本を預かってきたわ」
ホークアイはバッグから本を取りだした。それはエドワードがロイに貸した本だ。
エドワードが受け取ると、ホークアイは「またね」と微笑みを残して帰った。
その夜、エドワードはベッドに寝ながら本の表紙を眺めていた。カーテンを閉めない窓から月明かりが差しこむ。
本を手に取り、適当にページをめくる。その途中、紙が一枚滑り落ちた。
『読まないで本を返すよ。読むときみを思い出してページが進まない。本を貸してくれてありがとう』
メモを読み終えたエドワードは「なんだ、これ?」と本気で首を捻った。
サインはないが、力強く特徴のある字は手紙をロイのものだと語る。
本を手元に置きたくない。というメッセージかどうかも不明だ。訳のわからなさにエドワードは呻いて・・・切れた。
「アル、大佐のところに行ってくる」
エドワードは着替えると弟に早口で言った。
「今から?」
アルフォンスの驚きは当然だろう。
非常識と言われようが、エドワードは不可解な気持ちのままでいたくなかった。終わりなら、はっきりと終わりにしたい。
「片付けたいことがある」
問答無用な口調で言えば、聡い弟は「あまり迷惑をかけないようにね」といって兄を送り出す。
久しぶりの深夜の外出はエドワードに季節の変化を感じたさせた。記憶にあった夜より涼しい。
空を見上げれば満月だ。青いひかりが夜を照らす。ひかりは眩しいはずなのに、夜のそれはとても優しい。
エドワードの目から涙が零れた。
(辛いね、大佐)
ロイが予言した通り、心を押し潰すような苦しみが襲う。気持ちが沈んだときに好きなひとを想えば涙しか流れない。
早足で歩いていたが、やがて速度は緩くなり、石畳の溝につまずいた。反射神経の良い彼ならすぐに体勢を立て直せるのに、エドワードは膝は地面に落ちた。
「なにやってんだろ、おれ・・・」
好きだという勢いだけで走ってきた。空回りばかりの感情を、宥め、愛しく思いながら月日が流れてきた。
哀しいだけの恋じゃない。それなのに溢れるのは涙だけだ。
強い気持ちを、夜が静かに受け止める。
「きみは本当にばかだね、鋼の」
頭上からふいに響いた声にエドワードは顔を上げた。月を背後に従えて立つ青年の表情は影になって見えないが、雰囲気は伝わる。声と同じく優しい。憐れんでるだけなのかもしれない。
「大佐が本を読まずに返すから・・・」
涙で正しい発声ができないせいもあるが、自分がなにを言いたいのかわからないため口調は頼りなかった。
ロイは片膝をつくと、書類の入った封筒と鞄を脇に置いてエドワードを抱きしめた。
「すまない」
短い謝罪は、それだけに真摯だ。
今だけだと自分に言い聞かせてエドワードは、ロイの肩に顔を埋めた。かすかに香る整髪料と体温に、不安定なエドワードの心が落ちついていく。
「つまずいて泣くような恋ならやめなさい。心がもたないから」
エドワードの髪を優しく撫でながら、残酷な台詞をロイが言う。
「諦められるならとっくに諦めてる」
エドワードは顔を上げた。黒い瞳が困ったような色合いを浮かべている。
エドワードの心が瞬時に冷えた。
(迷惑?)
自問して、肯定する。14才下の同性から告白され続けて、煙たがらない者はいないだろう。
自分の気持ちを考えるだけで、相手の都合を考えていなかった。
(なんてばかなんだ、おれは)
ロイに嫌われることを想像しなかった自分はめでたいとしか言いようがない。
侮辱されただけで苦しかったのだ。嫌われたら、と想像するだけでエドワードは恐ろしくなる。
「ご、ごめん。いいよ、もう。おれも自分でどうにかするから」
エドワードは慌てて立ち上がると、涙で濡れる顔を拭った。
「迷惑かけてごめん」
好きなひとを困らせるなんてよくないよな。と、笑いを交えながらエドワードは言った。
「鋼の、落ち着いて聞きなさい。いや、こたえてくれ」
穏やかにロイが言う。下から少年を見上げる青年の、有無を言わさぬ微笑みにエドワードはうなずいた。
「本を読まずに返すといった私のメモを、読んでくれたね?」
エドワードは再びうなずく。
「私がきみに、見知らぬ男と会うのを無防備だと言った訳はわかるかい?」
エドワードは考えて・・・首を横に振った。侮辱された印象が強かったため、意味まで考える余裕はなかった。
「あの時は私も感情のままきみに乱暴な言葉を吐いたし、きみから借りた本を読んでもページが進まない理由も思いつかなかった。今、泣いているのきみを見つけて声をかけた私を、きみはどう思う?」
「面倒見がいいひとだと思う」
ロイがなにを言いたいのかわからないが、真面目な口調にエドワードは短気を起こさずこたえる。ただ、ロイにとっての正解ではなかったらしく、青年は淡い笑みを浮かべた。
「きみの恋を終わらせようか」
不吉な言葉に身構えるエドワードに、ロイはささやいた。
「好きだよ、鋼の」
一言一句間違えるとこなくエドワードの耳に届いたそれは、理解するには難しすぎた。
「きみに手を払われた時に気づくべきだった。きみがいつも私を見ているから傲慢になってたようだ。きみが去っていくのを見て、私はひどくショックを受けたよ」
「そんな・・・ささいなこと・・・」
「私には、世界を変えるほどの衝撃だった」
呆然とエドワードが立ちつくすなか告白は続く。
頭がまっしろなエドワードは、理解できた言葉を処理するだけの心を持ち合わせていなかった。
「やった。両思いだぜ」と指を鳴らして喜ばなかった自分を後々まで後悔するほどエドワードはただ突っ立っていた。
エドワードの無反応振りにロイは苦笑する。制服の裾についた埃を払いながら立ち上がると、身を屈めて少年にキスを贈った。
触れるだけのキスにエドワードは心臓が止まりそうになる。
唇が離れると、ロイの大きな手がエドワードの頬を包んだ。
「きみとのキスは気持ちがいいな。気づくのに時間がかかったけど、これが私のこたえだ」
だが鋼の、と改まった口調でエドワードを呼ぶ。
「私の好意を受け入れる覚悟がないなら、手を払いなさい。私が目指すところときみの望みは違う。いつか、お互いが傷つくときがくるだろう」
ロイが、未来を語る。彼の未来のなかに自分が関わるのだと言われ、傷つくことを想定されたがエドワードは嬉しくなった。そして、こたえを示したロイに、エドワードの気持ちは自然に引き締まる。
「いつか泣くときがきたら、おれは思いっきり泣くと思う」
エドワードはロイの両腕に触れた。
「だけど、そのときまでは手を握っていたい。そのときまででいい。おれを好きでいてくれよ」
金色の瞳から、また透明な涙が流れてくる。何故だろうとエドワードは自問する。飛び上がって喜んでいい状況なのに、胸を占める感情は哀しみに似ている。
「道が違える日がきても、きみが好きだよ」
「おれも・・・」
「そう言ってもらえると嬉しい」
嗚咽でまともに喋れないエドワードの短い返事に、ロイが微笑んだ。滅多に見られない打算のない笑みに、エドワードは見惚れて涙が止まる。
「帰ろう。宿まで送っていく」
差しだされた手と青年の顔を、エドワードは交互に見つめた。冗談ではなさそうな雰囲気だ。いつもなら子供扱いするなと憤慨する少年だが、恐る恐る大きな手を握る。
明るい夜空の下、時折すれ違うひとは手を繋ぐ軍人と子供に振り返る。
長くはない道のりをふたりは歩いた。
ゆっくり、ゆっくりと歩いた。
続く