静かな夜の愛し方

静かな夜の愛し方



「わかったわ。定時で終わらせるからね」
 ホークアイの言葉に、その場にいた者は全員自分の耳を疑った。仕事に関しては一切の私情を挟まないリザ・ホークアイが、仕事中に私用の電話をかける姿は真夏の雪より異常現象だ。
 現場を目撃した彼女の上司ロイ・マスタングは、驚きのあまり言葉がでなかった。
 電話を終えたホークアイがロイの元に進む。
「大佐」
 と、いつもと変わらぬ口調が逆にロイの緊張感を煽った。
「デートのお誘いです。今日は定時上がりになるようお仕事をなさって下さい」
「中尉、きみにしては言葉が足らないな。誰と誰がデートするために、誰が定時に仕事が終わるようがんばらなくてはいけないのかな?」
 机の隅に山となった書類を横目に、ロイは務めて平静に聞いた。
「それは私と大佐」
 そこでわざわざ言葉を区切ると、ホークアイは有無を言わさぬ微笑みで言った。
「と、エルリック兄弟です。もっとも、仕事が終わらないようなら大佐抜きでお食事にいきましょうという話になっています」
「待ちたまえ、なんで私に関わる話を私抜きで決める?」
「大佐の仕事に関わる話なら、私に頼むのが筋だとエドワードくんは言ってました」
 暗にロイ自身が信用されてないと言っている。
「エドワードくんの快気祝いですから、約束の時間に間に合うようにして下さい」
 間に合わなかったら殺される。とロイは本気で命の危険を感じた。間に合わなかったら置いていかれる、という発想ができないあたりが普段のこの男の仕事ぶりを語っているかもしれない。
「期待にこたえよう」
 この日、久々の定時に軍人たちは喜び勇んで帰宅したという。



 エドワードの快気祝いと聞きつけ、ハボック、ブレタ、フォルマン、フェリーといった東方司令部の顔なじみ面々も食事の席に着き、エルリック兄弟は喜んだ。
「じゃんじゃんやってくれー、今日は大佐の奢りだぜい」
「誰です、エドワードくんにお酒を飲ませたのは」
「兄さん、お水を飲もうよ」
「大将がおれのグラスを間違えて飲んだんですよ〜」
 食事の時間帯とあって店は賑やかだ。おかげで軍人たちの騒ぎは目立たない。
「一番、エドワード・エルリック、トイレに行きます」
 酔っ払いは、心配する弟を振って席を立った。
 店の奥まった位置にあるトイレに行くと、背後から固いものが突きつけられた。
「抵抗するな」
 喧噪とはかけ離れた低い声に、エドワードは酔った頭ながら危険な状況を察知する。
「するなと言われて大人しくする奴はいないだろ」
 エドワードは両手を合わせて輪を作ると、壁に手を着いた。いつもなら派手な練成が起きるのだが、できあがったのはハニワの像だ。
「あれ?」
 イメージ通りにいかなかった出来上がりにエドワードは首を傾げた。酔った思考では、構築式が不充分なのだと朧気ながら理解する。
「人間兵器と言われる錬金術師も、所詮は子供だな」
「あんた何者?」
「豊壌の女神の頭脳」
「あんたが」
 エドワードは、クロック・トーマを思い返した。強運に恵まれた男。彼の周りが有能だったばかりに組織は大きくなった。背後の男がクロックの部下なら侮れないとエドワードは思うが。
「我らがリーダーを返してもらう。おまえは取り引き材料だ」
「あんたばかだね。おれを人質にしたいなら、もっと別の場所でやればよかったのに」
 エドワードはしみじみと言った。
「イーストシティの、しかもロイ・マスタングが同じ屋根の下にいるのに強行突破しようだなんて、無謀もいいとこだぜ?」
 酔いに任せた流暢な喋りが終わると、男の不快さを表す声と話題の主の声が重なった。
「褒め言葉は嬉しいが・・・鋼の、きみは捕まりすぎやしないか?」
 入口には、練成の気配を感じて様子を見に来たロイたちがいた。
「すまね、立ち回りしたらこいつを倒す前におれが倒れる」
 体術に自信はあるが、この体で暴れても実力は半分もだせないだろう。
 ロイの背後から「勘弁してください、中尉」とハボックの泣き言が聞こえた。エドワードは心のなかでハボックの命運を祈った。
「きみ、早く鋼のを離しなさい。大人しく捕まる気があるなら、五体無事に拘束しよう」
 尊大なロイの態度に男は怒鳴った。
「こいつの命が惜しかったら、こちらの要求を呑め」
 銃口がエドワードの後頭部に当たる。
 チャンスだと思った瞬間、体が動いた。
 エドワードは鋼の右手で銃を奪おうとした。銃口を塞げば暴発を誘える。例え撃たれても、鋼の手が受け止めるなら問題はない。
 だが、エドワードの動きはワンテンポ遅れた。
 銃口が眼前に定まるのを見て、撃たれるとエドワードは思った。
 ロイがエドワードの生身の腕を掴んで引き寄せる。暖かい胸に抱き込まれながら、エドワードは銃声を聞いた。
「大佐!」
 緊迫した空気が崩れ、一瞬にしてあたりは騒然となる。
 ロイの背後にいたホークアイが男に殴りかかった。そして持っていた銃で男のこめかみを打ち据えて気絶させる。ホークアイの早業に、誰もが呆気にとられた。
「快気祝いの席で主役を人質にしようだなんて、無粋なひとね」
 表情にはでてないがかなり怒っている様子の彼女を見て、男たちは黙って自分たちの仕事にとりかかった。
「怪我はないか、鋼の?」
「怪我してるのは大佐だろ!」
 エドワードは悲鳴のように叫んだ。ロイの左腕は銃弾がかすり、青い軍服に赤い染みが広がる。
「ああ、もう、ばか野郎。デスクワークで鈍った体でがんばるな」
 エドワードの口からでたのは、心配する心とは反対の無情な言葉だ。
「ひどい言われようだ」
 苦笑するロイの呟きは、喧噪に紛れて少年以外には聞こえなかった。



 一度は定時で司令部を離れた面々だが、事件発生のため再び職場に戻った。いつ何時、緊急事態が起きるかわからない職業の軍人たちは、己の不運に嘆きながらも黙々と仕事をこなす。
 エドワードは簡単な事情聴取を受けて帰宅を許されたが、弟を宿に送るとその足でロイの自宅にむかった。無人の家の玄関前に腰を降ろして主人の帰りを待つ。
 秋の夜は肌寒かったが、ロイに抱きしめられた記憶を思い出せば体温があがる。
 ぼんやりとエドワードは先刻の事件を思い返す。ロイが自分を庇うとは思わなかった。助けられて驚くのは失礼な話だが、正直、エドワードは信じられなかった。
 虫の音が世界のすべてのようにも思える夜だ。
 静かだった。
 エドワードは目を閉じる。
 やがて地面を踏みしめる足音が聞こた。顔をあげると驚いた顔のロイが目に映る。
「こんな時間にどうした?」
 連絡のない訪問に、ロイは穏やかに聞き返した。
 とっさに、先刻助けてくれた訳を尋ねようとしたが、口からでたのは違う台詞だ。
「嬉しかったんだ」
 無意識の言葉がぽろりと零れる。エドワードは無防備ともいえる表情でロイを見上げた。
 玄関に近づくロイにつられてエドワードは立ち上がる。ふいに、大きな体に抱きしめられた。柔らかい抱擁の心地よさに、エドワードは戸惑いながらも身を預ける。
「きみが無事でよかった」
 淡々とした口調だった。あいさつにも受け取れる素っ気なさだが、声の奥にこめられた安堵の色はエドワードに伝わる。
(嬉しい)と、心の奥底からエドワードは思った。
 エドワードはロイにこたえるようにうなずくと、彼の肩に額を押しあてた。
 熱くなった目頭が、瞬きする間に涙を生んだ。
「泣かなくていいよ」
 ロイはエドワードの涙の訳を聞かず、彼の頭を撫でた。
 夜が静かに更けていく。
 頼りない月明かりに照らされて、沈黙のなか育まれるものがある。見えないそれを抱きしめるように、エドワードはロイの腕に抱かれた。



SCENE4 終


BACK NEXT