Title:MilkAge

第二子、長女誕生
予定日の7月4日より、約10日早く陣痛は始まった。6月24日(木)、 この日、私は仕事で池袋に来ていた。仕事が終わって、6時過ぎに家に電 話をする。妻は少し痛みに耐えている声で、「陣痛が始まったようだ」と 言った。家までは、同じ東京といっても、片道約1時間半はかかる。夜8 時、妻が出迎えてくれた。痛くはあるが、まだ耐えられそうだという。ほ ぼ10分間隔で痛みは来る。助産院[1]に連絡をして、もっと痛みがひど くなったら、行っても良いかと確認を取る。結局、11時まで妻は我慢し た。何人目であろうと、男はウロウロするばかりである(私には痛みがな いのだからしょうがない)。長男:悠澄を見て貰うために妻の妹に来て貰 う。2人で遊んでいる内に、こっそりと家を抜け出し助産院に向かう。1 1時半、助産院に到着。

[1] 福生市志茂森田助産院

7〜8分間隔の陣痛が延々と続くが、午前3時、分娩台へと移動する。そ れまでの間、私は苦しむ妻の横で、陣痛が起れば背中を撫ぜ、「ヒーヒー フーッ」と呼吸のリズムを繰り返す。陣痛が治まっている間は、横で雑誌 を読んでいた。言い訳すると、妻は半分眠っているように体力温存を図っ ているし、私は非常に眠い。妻は仮眠を薦めるが、2人目は早く生まれる と信じて、起きていたかった。また、悠澄の時は、実は私は途中で眠って しまい、助産婦さんに一時的に代わって貰っていた。そのことを妻は恨め しくは言ったことはないが、きっと良い気分ではなかっただろう。起きて いたのは意地である。

分娩台の上では、45分の闘いであった。悠澄の時を思い出し、これから 痛む時間の方が、しだいに長くなり、その後産道に頭が現れてからも結構 時間がかかることを覚悟していた。だから、助産婦さんが「もう少し、も う少し!」という声を、私は単なる励ましだと思っていた。ところが、 「ほうら、頭が出てきた!」と約30分後には声がする。えっ、長期戦だ と思って少し力をセーブしてきたのに...などと心の中で私は叫ぶ。見る 間に、血だらけの悠澄の時とそっくりな子供が目の前にさし出された。悠 澄と同じ様に、ヘソの緒が軽く首にからみついている。

やはり、少し恐かった。悠澄の時も感じたが、いつもそれなりに身奇麗に している人達を見慣れた目には、血塗れの泣きじゃくる"生"の人間は、衝 撃的である。悠澄より少し小さめ、目は少し大きいか。「女の子だよ」、 声がする。そうか、女の子かぁ...漠然と思った。今回も、事前に男か女 か分からなかった。1度行った病院での検査では、頭をこちら(エコーの 装置)に向けているので判らないと言われた。最初の子が男の子だから、 次は女の子が良いかな−と話しては、健康であれば良いという結論にいつ も達していた。いざ、どちらか判った段階でも、やはり「健康かどうか」 が頭にあった。「おぎゃー」と声がする。健康そうだ。一安心だ。

出産は、短くはあったが、さすがに疲れている、支えていただけだがドッ と疲れが襲って来る。妻は泣ぐみながら、「おかあさんだよ、頑張った ね」と娘を呼んでいた。

ほっとした頭で、私は自分の仕事と比較していた。どんなに頑張って仕上 げた仕事も、その完成後の満足感は、きっと今、妻が感じているものに遠 く及ばないだろうな...と。人が1人生まれて来ることは、とてつもなく 大きなことなのだ。

悠澄の時のように、頑張って指の数は数えなかった。娘は一度こちらに顔 を向け、大きな目で挨拶をしてから再び泣き始めた。妻の御腹に置かれ、 私がまたもヘソの緒を切った。もう感触は判っているつもりだったが、 生々しく太いゴムを切り落とすような鈍い感覚が手に残った。

体重を計り、身長を測る。2840g,49cm。1993年6月25日(金) 3:45AM誕生。明け方で寒いので、風呂にも入れずそのまま服を着せる。気 が付くと、明るくなっている。妻と入院室に行く、娘も同じにだ。ついさ っきまで妻の御腹にいた子供が、今、服を着て妻のすぐ傍に横たわってい る。私が覗き込む、確かに少し小さい。かわいい。

助産院
通院中に尋ねたことがある、「何を持ってくれば良いですか?」。その時 の答えは、「う〜ん、普通に思いつく衣類とかでいいよ。なんも持って来 なくても産めるからねぇ」。なんとも悠長な..と思ったが、実際そうであ った。

診察室と分娩台のある部屋を除いて、殆ど普通の家と同じである。プライ バシーというモノを過度に重視する我々の目からは、あまりに開けっ広げ の感覚すらする。

けれど、ここで産んでみて、同室となった方とも話してみて、これで良い んだろうと思う。本来、人を産み、育てることは1家族でも難しい。今や 核家族が普通の状態である。プライバイシーよりも人との輪が大切なんだ ろう。ウチの子はどうだ、こっちの子はああだ...そんな会話が妻を励ま す。

そんな助産院が、いまはなくされようとしている。近代日本に、そんな古 いものは必要ないと、お役所が言うらしい。技術に対する狂信−そんな言 葉が浮かんだ。技術は、人の絆を強める道具にしかならない。

悠澄、兄となる
陣痛がひどくなって、こっそり抜け出した夜、悠澄は義妹と遊び疲れ、な にかおかしいと思いながらも、寝てくれたそうである。が、夜中の3時 頃、目をさまし、妻が居ないことに気づいて、大泣き。義妹は、しかたな く、悠澄を抱いて、丑三つ時の夜道をあやしてくれた。

妹が生まれた朝、朝8時頃に一旦帰った私の声をききつけて、悠澄は私に 飛びついてきた。淋しかったのだろう。考えて見れば、親から離れて眠っ たのは、生後2日目の呼吸停止事件以来である。落ち着いてから、悠澄と 義妹と3人で、再び見舞いに行く。こんなに自由に出入りできるのも、助 産院が故である。

1時間ほど居て、あまり長居も悪いと思い、悠澄に帰ろうかと聞いてみ る。すると、泣くこともなく同意した。最近凝っている「シャボン玉」で 誘惑はしたが、少し意外だった。部屋をでるときも、笑顔で手を振って妻 と別れた。妻が普通の状態でなく、この部屋に居るものだと判っているか のようだった。

悠澄には、出産の1ヶ月まえから、"Baby"という言葉を教えていた。少 し、言葉が遅いこともあって、「赤ちゃん」は無理だろうと思っていたか らだ。毎晩、寝る前に、妻の御腹にキスをして、「ぐっ、べぇびっ(Good Baby)」と言わせた。勿論、私も同じことをする。また、動物の赤ちゃん がテレビで出れば、「Baby」と繰り返えした。そのせいか、悠澄は初対面 から、妹を「べぇびっ」と呼ぶ。そして、とても大切にしてくれる。どう も、彼女を"か弱い"者だという認識は少しはあるようで、時には守ろうと さえする。

寝かせていると覗き込み、泣いていると親を呼びに来る。私がオムツを換 えてやって泣き出すと、私がイジメていると思うのか、向うへ行けと追い 立てる。スヤスヤと腕の中で気持ち良さそうにしていると、キスをしよう と顔を近付ける...。

勿論、やはりオッパイを取られた(と、言っても悠澄はとうに卒業してい るが)嫉妬と、かまいたいという心情に挾まれて、悠澄は複雑な気持ちの ようだ。我家は、悠澄が安奈をどう受け入れるかで、しばらくは賑やかな 日々が続きそうだ。

悠澄との会話
悠澄は、まだ意味のある文章を声にすることはない。近くに悠澄より1月 遅く生まれたのに、かなりの言葉を話す子がいる。さすがに焦るが、仕方 がない。その子の苦手なことを、悠澄が得意だったりする。話すことは、 山ほどある悠澄の学ぶべきことの1つに過ぎない。

ただ、そんな悠澄の表現力でも、双方向の会話が成り立ったりする。

妻:「悠澄君、なにしてるの?」(悠澄はテーブルのコップに手を伸ばし ている)

悠:「ちゃ」

妻:「お茶飲んでいるの?」

悠:「んな〜〜い」(本当に空のようだ)

妻:「入ってないの?持って来ようか?」

悠:「ううん」(首を振る)

妻:「そう、要らないの。」

たわいのない会話ではある。しかし、この会話は、悠澄と妻が別々の部屋 でしている。ついこの間まで、こんなことはなかった。またも進歩だ。

悠澄、字を学ぶ
悠澄には、もう字を教えている。今の所認識するものは少ないが、幾つか は覚えた。まだ、話もろくに出来ないのに−とも思ったが、家の中でそう そう走り回す訳にもいかぬ。座って、熱中できることを見つけねば、こち らの身がもたない。

積み木や磁石付きの文字板みたいなもので教える。こちらが、手にとって 発音する。それから、こちらの発音から、その積み木を見付け出せるか を、何度も繰り返す。正解だったら、派手に誉める。

大人でもそうだが、誉められて悪い気がする訳はない。誉められたくて、 繰り返すので、徐々に覚える数も増える。ますます、誉める。...この繰 り返しである。

今の所、一番覚えたのは数字の「5」。数字は手で動作を付けて覚えさせ た。その前に、「ぱー」を覚えていたのが効いたのか、手を広げて差し出 し、「ごっ!」と良くやる。いまでは、外にいても、車のナンバープレー トに「5」があると、叫ぶとこまで来た。目の悪い私は、気を悪くしない ように、目をこらして「5」を探し回る日々である。ウォーリー探しより も楽しい。

安奈と命名
1週間経って、名前が決まった。安奈。音"ANNA"は、聖書から。漢字は、 平安の安に、奈。奈は、その正字を"カラナシ"、林檎の類、あるいは、赤 い実の総称。平安の実たらんことを願って。

実は、安奈の名は、甲斐バンドの名曲と同名同字なので、私がファンが故 に凄く迷った。せめて、漢字を変えようと努めたが、良いのがなく断念。 基本的に、悠澄の時と同じように、外人が発音しやすく、漢字にも意味が あるものを探した。私には、娘(異性)の名前の方が遙かに難しかった。

娘の父となる
遂に、娘の父となった。息子の父となったのとは、大きく違う。

先ず、自分の価値観が問われる思いがした。私は、これでも、結構合理的 に物事を考えられる方だと思う。そして、平等主義者のつもりだ。ところ が、娘が生まれて、頭に思い浮かぶ事柄は、どちらかと言うと、やはり男 女の差がついている。

悠澄の時は、「良い顔」であることを望むが、安奈には「綺麗な顔」を望 んでいる。悠澄の時は、少々曲がっていようが、原型(親)の顔を思えば良 いかな..と結構気楽であった。ところが、安奈には、原型を顧みず、美形 を願っている。「人間、顔ではない、心だよ」そんなことを随分と言った 気がするが、どうも本心は違っているようだ、情けない。

鬼も腹を抱えて笑いそうな、先のことまで考えた。仕事や将来。悠澄に は、自分の好きなことをやって欲しいと、素直に思う。安奈には、好きな ことであっても、どこか「安定」したものを望んでいる。それが、結婚や 家庭といった具体的で封建的な形では、まだ感じない。それが、未だしも の救いだ。

悠澄には、自分の失敗で傷つくことさえ成長としてみれそうだが、安奈に は、できれば、傷付くこと自体を避けさせてあげたい。

安奈は、私にとっては初めての「身近に居る"かよわい"女性」である。母 も妻も強い。もしかしたら、女性に対する馬鹿げた幻想を未だ持っている のだろうか。安奈は、悠澄以上に、私に何かを教えてくれるだろう。きち んと学んでいこう。

二児の父となる
Image 私は3人兄弟の一番上、妻は4人姉妹の3人目。どちらも多兄弟姉妹の環 境で育った。だからだろう、子供は2人でも少ないように思う。しかし、 今や日本の平均[1]を越えたことになる。

[1] '92年の1世帯当りの平均人員は、2.99人。

兄弟はあとで望んでも、得られるものではない。逆に、後で疎ましく思っ ても、居なかったことにする訳にもいかないが。でも、人間同志の衝突は 良き学び舎である。

現に、悠澄は今ですら、多くのことを体験している。なんでも最優先に相 手にされる立場からの転落。弱き者を間近に見ること。泣き出す安奈を どうしようかと悩むこと(実際悠澄は、安奈が泣き出すと落ち着かなくな る。親を呼びに行き、泣き止むまで周りをウロウロとしている)。

そして、私はそんな悠澄を、時にイライラしながら、ハラハラしながら見 ている。自分で、何を学んでいるかは明確には言えないが、多くのことを 学んでいる実感だけはいやにリアルにある。

この子達とのこれからを考える。良い親とは何だろうか?恐い父親が居な くなったとも言われている。昔と違い、手本となる像がないこの時代に、 家族全員できちんと歩んでいきたい。

児童手当て
1991年、児童手当の支給に関する法律が改定され、1992年の1月から第1 子にも児童手当が支給されることになった。この支給条件は、以下の4 点。

  1. 平成3年1月1日以降に生まれた児童に対して
  2. 平成2年12月31日現在の扶養状況に応じて
  3. 平成2年の所得制限を満たした場合に
  4. 満3歳になるまで、支給する
受給額は、以下の通り。
第1子 5000円/月
第2子 5000円/月
第3子以上10000円/月
問題は、申請しないと貰えないという点である。H3.9.20に生まれた長男 は、H4.1の改正のために受給資格が生まれたのに、申請しなかったために 約1.5年分損した(?)ことになった。

娘の出生届け時にこのことを知った。自分達を守ってくれる決まりは、能 動的に自分から捜さないと手に入れられないという例か。テレビも新聞も ラジオにも触れない人は、どこからこの様な情報を得るのだろう。

また、各市町村の独自の児童手当てもある。移転などの時は自分で確認す る必要がある。人によるとは思うが、住民票の移動時に、窓口の人はここ までのチェックはしてくれない。

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