Title:MilkAge

兄妹
Image 悠澄は、安奈がとても好きだ。安奈が泣き出すと真っ先に飛んで行き、胸 や頭をポンポンと叩く。あやしているつもりらしい。時には、私達親でも 触らせてくれなかったりする。また、私が妻に触れることにも怒るくせ に、寝る時などは自分と妻の間に安奈を寝かせる。私がそこで寝たら、怒 って泣き出したりさえするのに。

しかし、悠澄の思いはどうであれ、こうした行為は必ずしも安奈にとって 嬉しいものではない。安奈も、見た目に嫌がったり、ムスッとした顔付き になってそれを表現する。しかし、悠澄はお構いなしである。当節、こん な強引な男も珍しいだろうなぁと、将来女にもてない息子を想って見つめ ている。

しかし、しかし、安奈も悠澄が好きなのである。私が抱いても機嫌が直ら ないのに、悠澄が五月蝿いくらいにベタベタと相手をすると、泣き止んで 嬉しそうな顔すらする。ショックである。

初めは、危険だから悠澄を少し遠ざけようとしていたのだが、今ではそれ は諦めた。安奈は、悠澄ごと自分を取り巻く環境を取り込んで行っている のである。そして、兄妹の絆を作っていっているのだろう。良き兄であ り、良き妹として共に成長してほしい。

お手伝い
息子がようやく言葉を習得し始めたら、さっそく色々とお手伝いをお願い するようになった。

私が安奈の足を持ち上げながら、悠澄にオムツを持ってきて貰ったりす る。昼用夜用が2人分あるので、「そのピンクの」とか「その右の」と か、理解できようができまいがお構いなしに頼む。

息子はあっちにフラフラこっちにヨタヨタっと、一生懸命探してくれる。 大人でも同じだが、自分が必要とされていることに快感を感じるようだ。

買い物に行っても、色々と邪魔になりそうなお手伝いをしてくれる。良い 気分で手伝っている息子の顔は輝いて見える。

今や、安奈のオムツ替えの時には、コットンを取り出し桃の葉ローション をそれに付けて渡してくれたりもする。やらせれば、結構なんでもやって しまう。次は何を手伝わせようか...。

うがい
Image 2才になる前、「うがい」を教えた。最近の子供用歯磨き粉は、飲んでも 良いようにできているらしいが、なんとなく、見ていてこっちが気持ち悪 いからだった。

コップの水を口に含んで、飲まないように口の中で水を転がす(?)。これ が出来るようになるまで、約1ヶ月。口の中なのでよくは判らないけれ ど、並んでグチュグチュやっていると、次第にできるようになって来る。

次に上を向いて、口を開けて、ゴロゴロゴロ...とやらせる。同じように 並んで見本を見せる。不思議そうに音を聞いている。遊びのつもりなのだ ろう、自分も挑戦する。何度も口を開けて上を向いた瞬間に、水を飲んで しまう。別に、できなくても叱りはしない。構わず見本を見せる。

健気に何度も挑戦する。そして、2才前にはちゃんとうがいができるよう になった。器用な子である。

シャボン玉
Image 何年ぶりだろうか、シャボン玉なんて。そう思って、ピンクのストローに 息を吹き込む。大きな虹色のシャボンを前に、悠澄がはしゃぐ。

石鹸水を飲むのではないかと心配したが、それも一時のこと、1週間で息 子はシャボン名人となる。気にいるといつなんどきでもしたくなるのが、 この世の常。石鹸水だけは、なんども買いに行かされた。

「ふーっ、ふーっ」と要求し、自分でつくっては壊しに走る。穏やかな陽 の下で、息子と2人でシャボンをしていると、「平和ぼけ」も良いかなぁ と思えて来る。世界の状勢に目を向けずにとぼけた発言をするのは滑稽 (こっけい)かもしれないが、皆んな究極的にはこの様な平和な静けさを求 めているはずだ。何故、そのために銃がいるのだろう。「平和ぼけ」でき るこの環境は、まぎれもない日本の宝である。

静かな静かな一時である。

外耳炎
安奈、2ヶ月後半にて、外耳炎と診断される。

気付いたのは、「どうも右耳を胸にあてるように抱くと、強く泣くんじゃ ないか..」という疑問からだった。数日、なんだか機嫌が悪いなぁと感じ ていたことでもあった。耳の臭いを嗅いでみると、異臭がする。何度も周 りを洗ったり、綿棒で綺麗にしてみても、臭いが取れない。そのうちに、 熱が気になりだした。

耳とは限らないので、最初は「こども病院」(内科)で診て貰った。耳の中 を覗いてももらったが、「特に異常はない」と言われる。が、どうしても 機嫌が直らないので、翌日耳鼻科に行ってみた。すると、見るなり「外耳 炎です」。やはり、餅は餅屋なのかもしれない。

2〜3日毎に、通院し洗浄して貰う。日に数回、薬を目薬のように耳に入 れる。それで、2週間弱で完治する。

原因は、「なにかの拍子に、菌がはいったんでしょうね」だった。何にせ よ、物言えぬ赤ん坊が、痛がるのは見ていて、辛い。早く癒されたことに 感謝する。

相手の痛み
ある日、悠澄と一緒にテレビを見ていた。NHK教育テレビは、中国の昔話 を人形劇で演じていた。特に、リアルだとは思えないその人形の一人が、 山で大きな岩に手をはさまれた。岩には顔がついていて、その男が悪さを したことに対するオシオキだった。

静かに私の膝に座っていた悠澄が、突然泣き出した。「いたあ〜〜〜 い!」。何がなんだか判らなかった。次の瞬間、悠澄は自分の手を差し出 して、痛いと訴えた。どうにもなってはいない。次に、テレビを指差し て、まだ痛いと言う。

悠澄は、その岩にはさまれた男の気持ちになっていたのだ。大丈夫だよ、 と手を擦って、抱きしめた。テレビでは、ようやく男が岩から開放されて いる。それを見たせいか、悠澄も落ち着いてきた。

私は、ドラマを見て、涙を流すのが得意技である。昔の感動名作と言われ るものは、殆どラストシーンは涙の彼方に滲んで覚えている。しかし、ジ ョーズに噛み付かれたシーンで、痛みを感じたことはない。子供の感受性 の豊かさに驚かされる。

同時に、我家の不文律を思い出す。妻の決定で、悠澄が生まれてからこの かた、我家には暴力・セックスの類の映像は流れたことがない。本人が、 判ろうが判るまいが、何かしら影響を与えると言うのが妻の持論である。 (私が見たい時は、こそこそと皆が寝静まってからイヤホン付きで見る。)

くしくも、この事件は妻の主張を裏付けることになった。昔、ガンダムと いうアニメが放送されていた頃、戦争中に殺される若者の姿が子供にはよ くないのではないかという議論が、起ったことがある。製作側は、「いず れ目にするものだから大人が選択して与えることはない」と主張したと記 憶している。

この事を、私はずっと考えてきた。世間に広がる醜いことや哀しいこ とに、確かにある程度の年齢になると、誰もが加速度的に触れるよう になる。だからといって、幼いうちからそれらを見せてもいいのだろう か...。今や、テレビを付けると、昔は(少しは牧歌的な)アニメをやって いた時間帯も、流行のタレントが出てきて、シモネタで観客を笑わせてい る。本当に、こんな状況でいいのだろうか。育てるためにある程度、選択 して与えることは必要ではないのだろうか。ブラウン管に移る他人の痛み を感じ取れる2才弱の息子を抱いて、そんなことを考えた。

我家には、もうしばらく牧歌的なほんわかした映像しか流れないだろう。

プール
Image 梅雨の延長であるかのような夏ではあったが、暑い日も少しはあった。そ んな時、久々に乳児用風呂オケが活躍する。

玄関先に、この楕円の風呂を置き、少し温めの水をためる。悠澄に海水パ ンツをはかせて、「さぁ、どうぞ」と手で招く。嬉しそうに笑いながら、 足を入れる。隠し持った水鉄砲で、攻撃開始。すかさず、息子も中の水を 手でバシャバシャと跳ねさせて反撃。

途中、風呂(プール)の中で足を滑らせて転けたりしたが、こっちもビショ ビショになって楽しんだ1時間半。

総称の認識:ブーブー
悠澄に、車のことを教える。「く・る・ま」と教えても、反応がなかった ので、「ブーブー」と教える。

スポーツカーもバンもトラックも、他に言いようがないので、「ブーブ ー」と教える。そんな風に教えた結果かもしれないが、大抵の4輪車は 「ブーブー」と言うようになった。

教えておいてから考えるのも無責任だが、何故こうやって車(ブーブー)と いう「総称」が理解できるのか不思議に思った。車は色も形も大きさも 様々である。しかも、4つのタイヤなど中々見えはしない。けれど、やっ ぱり息子は「ブーブー」と呼ぶ。しかも、電車は(何故か)「ポーポー」、 オートバイは「(ぉー)バイ(クゥ)」。ちゃんと区別できている。

こういうのは図形認識能力に属するのだろうか。当たり前のように自分も 使っている能力だが、考えてみれば不思議なものだ。

どこが美味しい?
いつもいつも世話になっている義姉が、食事中の息子に尋ねる。「どこが 美味しい?」。義姉は、息子に口を指し示す事を期待している。

なんとも難しい質問である。その質問を横で聞いて、私達夫婦はしばし考 え込んだ。妻は前頭葉のあたりを指し、私は右脳を指した。義姉は口を指 さして、「そうね、お口が美味しいのねぇ」。

私達は顔を見合わせる。反論する根拠はない。

ジジ・ババ
Image 父に限らず義父母も、非常に悠澄を大事にしてくれる。出張の度に帰省し ていて、近所から「今度、いつ戻って来るの?」と聞かれるほどである。 愛着が湧いても不思議ではない。

その2人を、「ジジ」,「ババ」と呼ぶようになった。義父母とは、私に とって失礼ながらまだまだ距離のあるお方である。一応は儒教を下地にし た教育を受けているので、語尾が伸びれば「じじぃ」,「ばばぁ」となっ てしまうこの呼び方には抵抗があった。英語では、「グランパ("グラン ド・ファーザー"→"グランド・パパ")」,「グランマ("グランド・マザー ")」と呼ばせるようだ。これならば許せるのに...。

妻の実家に電話する度に、私はなんだか1人で気まずい思いで3人称を選 ぶ。悠澄は得意顔で、「ジジ!」,「ババ!」と呼んでいる。受話器の向 うでも、喜んでいるのが伝わって来る。当人が喜んでくれているのだか ら、良いか...と半ば納得した。

しかし、この呼び方は、やはり問題を持っていた。「ジジ」や「ババ」 は、年上の(あるいは私達両親以外の)大人に対する総称であるような感じ もする。誰彼構わず、近所のおばさんに「ババ!」と呼び掛ける息子に、 こっちはヒヤヒヤさせられている。せめて、「ばばぁ」とは聞こえていま せんように...。

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