Title:MilkAge

爪切り
赤ん坊の爪は、想像以上に早く伸びる。2〜3日に1度は切っておかない と、自分の顔を引っ掻いてしまう。生まれて、2〜3ケ月までは、その爪 は紙より薄く軽い。なんとも頼りないこの爪を、一生懸命に切る。

悠澄の時にも感じたことを、今娘に感じている。そう言えば、この薄さに 感動したなぁと思いながら、切る。

日溜りの中で、昼寝する娘のか細い指を1本1本開いて、爪を切る。なん だか、とんでもなく年を取った気がして来る。

今や、息子の爪は大人ほどではないが、既に硬く強い。この硬さが、この 子の年輪なのだ。娘のと見比べてみると、やはり約2年の時間がたったこ とを改めて実感する。

嫉妬とイジケ/ストローク不足
「ストローク」という概念がある。難しくいうと、「"あなたがそこにい る"ということを知っているというメッセージ」を意味する。人は、誰も が自分の存在を認めてもらう事を願う。ストロークとはそれへの応答であ り、挨拶のような軽いものから、業績を認めるような重いものまで多種多 様である。このストロークが適当に受けられないと、ストローク飢餓状態 に陥り、すねたりイジケたりといった不適応行動を取るとされているそう だ。

悠澄は、生まれてこのかた、私達の注意を全て手にできる立場にいた。そ れが、妹の誕生で、その特権が幾分差し引かれることになった。

そこで初めて、ストローク飢餓なるものを体験することになる。やたら騒 ぐ、やたら走る...ことから始まって、ついにはイジケてフテ寝したりす ることまで色々と見せてくれた。特にイジケてフテ寝する仕草には、苦笑 してしまう。勿論、こちらも故意に構ってやらない訳ではない。安奈がウ ンチをしたとか、こっちも猫の手も借りたい時に、仕方なく放っておくの である。

しかし、これも慣れるうちに、悠澄は我慢する事を覚えてくれた。少し我 慢すれば、自分を構ってくれる番が来ることを知ったのだ。とにかくは、 一安心というところか。

因みに、下の子が生まれると、最低でも6/4の割合で年長者を優遇しな いと、当人は平等に愛されているとは感じないそうである。

食事/食べない...
食べない子をどう扱うか。育児書によると、あまり世話を焼かないで、食 べなければ放っておけと書いてある。あまり、親が一生懸命食べさせる と、自分から食べなくなると言うのだ。ごもっともな解説である。

しかし、実際はそんなことはやっていられない。食べなくて、あとで御腹 が減った時に、困らせられるのは親である私達である。とにかく、ごまか したり気を引いたりして、食事を口の中に入れた。

これにも、コツはある。先ず、前以て「モグモグモグ」とい音で、口を上 下に動かす習慣だけは付けておく。方法はなんでもいい。食べている時 に、「モグモグモグ」と呟きながら親も食べたりすればいいのである。す ると、この音を聞けば、パブロフの犬よろしく、噛み始めるようになって くれる。したがって、あとは如何に口の中に、気付かれずに入れるかだけ である。

オモチャで気を引いてさっと入れたり、テレビを使ったり、なんだか大道 芸人にでもなった気分で、手を替え品を替えて食べさせた。お陰で、私が 暖かい夕飯にありつけるのは、月に1度あるかないかという惨状である。

はてさて、これが吉と出るか凶と出るか...数年後のお楽しみである。

痛いのポイッ
私と息子は、30年も年齢が違うのに、同じ「呪文」を共有している。 「痛いの痛いの、飛んで行け〜!」。「飛んで行け〜」の部分がまだ言え ないので、時々「痛いのポイ!」となることもあるが。

動きが滑らかになるにつれ、活動範囲も活動内容も大きく危険になる。な るべく、規制しないようにハラハラしながら見守る。1時間に1度は、引 っ繰り返り転ける。泣き出すと、飛んで行って、呪文を唱える。別に痛く なくなる訳じゃない、そんなことは知っている。でも、効くのである。親 が何やらやっているなぁということが、痛さに向かっている集中力をそぐ のだろう。何回か唱えると、たいてい泣き止んで、一緒に呪文を口にす る。

こんな習慣が身に付くと、1人で転けた時でも呪文を唱える。親が側にい ると甘えるので、少し離れて見ていると、少々転んだくらいでは泣き出さ ない。打った場所に手をやって、1人で「...ポイッ!」と手を空中に投 げ出す。息子よ強くあれ。

予防注射
赤ん坊が受けるべき予防接種は、沢山ある。私自身母任せであったせい か、どうも未だにちゃんと覚えられない。

妻はキチンと、この時期にはあれをやって、今回これができなかったから 次回は..と、スケジュールを練っている。必ず受けなければならないの (定期接種[1] )は、以下の4種類。

  1. BCG(結核予防)
  2. ポリオ(小児麻痺,急性灰白髄炎予防)
  3. 三種混合(DTP)(百日ぜき,ジフテリア,破傷風予防)
  4. 麻疹(麻疹予防)

[1] 法律によってある年齢までに受けなければならない予防接種。
接種の時期になると、役所や保険所から通知が来る。指定された期間
に受ける場合は、無料となったりする。

この難しさは、子供の体調と年齢、それと役所の決めた日取りがうまく噛 み合うかである。悠澄は、BCGを色々な理由で何度も逃し、やっとツベ ルクリンを受けられたと思ったら、その晩に風邪で熱を出しアウト。未だ に、チャンスを狙っている。

妻の体調によっては、仕事のスケジュールと相談して私が会社を休んで連 れて行った。膝の上に置いて、「痛くないからね」と騙すのは良心が痛 む。あまり意味のない同情だとは判っていても、真っ赤になって泣く子を 見るのは辛い。あれを1日何人にも行う医者というのは、泣き喚く子供に 対する同情心を何処かに置いてから来るのだろうか。

そう言えば、三種混合の時は、悠澄は泣かなかったそうである。将来大物 かもしれない。

積み木
Image 音の出ないオモチャでは、積み木が一番人気のようだ。赤,青,黄色,緑 の色々な形の積み木は、フタにそれぞれの形の穴が開いている円筒形の筒 みたいなものに入っている。この穴を通して、積み木を入れて行く。

積み木に興味を感じ出したのは、半年の頃から。最初は、もっぱら舐める 対象として。だから、飲み込める大きさのものをとにかくしまい込んで、 遊ばしていた。

1才の頃には、米国だったので同じ積み木ではないが、なにかを積み上げ て行くということを学んだようだ。帰国してからは、おぼつかない手付き で、小さな木片をせっせと積み上げ、自分の身長ほどの塔を築く。

同時に、何かを真似て作ることも教える。単純に、三角のと長方形のとを 重ねたもので、三角を頭に「ワンワン」と吠えて見せる。最初は何だろう と思っている顔をしているが、それが犬を現わしていることには、直ぐに 気が付く。自分でも同じ木片を探して来て、「ワンワン」とやりだす。ニ コニコと吠えながら遊ぶ悠澄には、その木片は既に犬なのだ。

幾つかの木片を並べて、「ミ〜ン、ミ〜ン」と言い出したこともある。見 方によれば、セミに見えなくはないモノだった。ちょっと感動した。

次の段階は、ちょっと複雑だ。2才になってからは、「とにかく横に並べ ていく」のと「何か設計図に従ったものを作る」という2つのことを続け ている。「横に並べるの」のは、どうやら電車かなにかを模しているよう だ。並べ終わると、最後の木片を押して、「シュッシュ〜」とやってい る。また、「なにか設計図..」と思うのは、作りながらある程度の規則に したがった形の木片を探すことと、時々「な〜い」と言って、失望するこ とがあるからだ。

積み木の出し入れは、2才現在未だに好きで、時々でたらめに数えながら かたずける。一生懸命に何かを作っている姿は、見て居て楽しい。悠澄 は、既に私の想像できないことを始めている。

自分の縄張りにて
悠澄はこれまで同年代の子達と会うのは、外かその子の家であった。親の 私が見ていても、少し遠慮がちかなぁ、と感じていた。同じオモチャを取 り合っても、どうも負ける。相手の子が顔を引っ掻いたりという反則技に 出ても、やり返したりはしないで、さっさと負けて泣いて来る。

「う〜む、押さえすぎただろうか」と案じていたら、そうでもなかった。

初めて、仲良し喧嘩仲間を我家に迎えた時のことである。いつもは自分で 身を引く息子が、全然態度が違うのである。どんなオモチャも全然貸して あげない意地悪小僧と化し、いつもは負けている子にタメをはっている。 自分の縄張りの中では、親分なのだろう。いつもは勝っているその友人 も、その勝手の違いに戸惑い、泣かされている。

子供にも、ちゃんと社会があるものだ。苦笑して腕白意地悪息子を、制す る。

「ひらけ、ポンキッキ」
我家は、もっぱらNHK教育テレビ派だったのだが、それは単にポンキッキ を知らなかったためであった。

ある朝、リモコンをつらつらと回していて、ポンキッキに気が付いた。 NHKがどちらかと言うと「静」ならば、こちらは「動」か。少し、2才 児には、難解なところもあるが、結構楽しめる。特に「オーレッチャン プ!」の踊りなどは、嬉々として飛び跳ねて見ている。

この番組は色々な背景を持つ方々が、委員会を作って、企画を立てている そうだ。何度か見ているうちに、「被災地」の特集に出会った。

1993年、日本は大きな災害に多々見舞われた。釧路沖地震、北海道西南沖 地震、鹿児島の2度に及ぶ台風、そしてかの雲仙普賢岳..。悲惨さは、多 くのニュースでも報道されている通りである。

このポンキッキでは、大人の言葉による説明はなかった。ただ壊された 家々と子供達の映像が延々と続く。子供達は、自分の言葉で、肉親や友人 を失った事を語っていた。「○○ちゃん、死んじゃったの」。

子供達も、社会の一員である。社会全体が影響を受けている事は、ある程 度知っておく方が良いのではないか。きっと、製作委員会の方はそう思っ たのだろう。賛成である。

見ていて辛くなるような映像は、どんな風に子供達の心に焼き付いただろ う。私も息子も、身動きできなまま見入っていた。優しい心を育てる糧と なって欲しい。

繰返し言葉:電車=ガタンガタン
息子には、余り幼児言葉ばかりでなく普通の言葉を教えたい、と思ってい た。なんとなく幼児扱いするのが嫌に思えたからだ。

ところが、その夢はあっけなく崩れた。情けないが、大人までその耳障り の良さに魅かれてしまったのだ。

最初は、妻。今や、彼女は私に話す時でさえ、幼児語を使う。「これは、 アツイアツイだから、気を付けてね」。

息子が悪さをして、言う事を聞かない時の口論は、殆ど同世代と言う感さ えある。

妻:「これはイタイイタイでしょう!」

悠:「いやー!」

妻:「どうしてっ!」

悠:「もー!」

妻:「も〜!」

こうなると、私はたいてい傍観者になる。母子が同次元で言い合っている のは、当人には悪いが見ていて微笑ましい。

そしてお次は、私の番。悠澄と車に乗ると、色々なモノに感動してくれ る。電車が最たるものの1つで、踏み切りに止まる度に喜んでいる。最初 は「電車だよ」と教えていたのだが、一向に覚えない。音だけを覚えるの で、「ガタンガタン」と呼ぶようになった。

しかし、踏み切りの度に「ガタンガタン」だよと言っていたら、遂に息子 を乗せない時にも、言ってしまった、「おっ、ガタンガタンだよ」。誰も 乗っていないチャイルド・シートを前に、とっても恥ずかしかった。

会社を恨む時
またしても出張が命じられた。今度は1ヶ月。妻子はやはり、郷里に帰す ことにした。今度の出張は2つの事で、会社を恨んだ。

1つ目、悠澄の2才の誕生日を一緒に祝ってあげれなかった。一緒に祝え る誕生日など、この先そんなにはないのである。家族の記念日を台無しに するのは、大罪であろう。

2つ目、安奈が私を忘れてしまった。2ヶ月の安奈はどちらかと言うと、 私になついていて、夜寝かし付けるのも私の仕事だった。それが、帰って からの安奈は、私が寝せようとすると、身体をねじり大粒の涙を目に溜め ながら抵抗する。時には、「ままーッ」と助けを求めるような声すら出 す。

これではまるで、少女を襲う変態親父じゃないか。疲れがどっと襲って来 る感じがする。

仕事をしていく以上、なにかしらの負荷が家庭に及ぶことは避けられな い。どちらも私の人生であるのだから。しかし、子に、しかも赤子に、生 理的に嫌われるような仕草をされると、精神的に落ち込んでしまう。会社 のバカヤロウ...。

親離れ
子が生まれて、他人に譲れないものとして子供の存在が1番となった。相 手をしたり、こうした文書を書くことで、その想いはより強まっている。 勿論、子しかない人生にはなっていないが、今までの何よりも比重は大き いだろう。

しかし子にとって、親はそうでもないらしい。眠くなった時などに甘えた い存在としては大きくても、やりたい事があれば、親なんて放っておいて やりたいようにやる。極めて当たり前のことである。

度々ある出張中に、近況や声が聞きたくて電話する。さすがに妻は付き合 ってくれるが、息子は3秒も受話器を握っていると、「バイバイッ!」と 言って何処かに走り去ってしまう。つれないものである。

息子は、既に親離れをしようとしているのかもしれない。別にこれがその 兆候でないにしても、良い独立をさせてあげないといけないと切られた受 話器の先で考える。

子は日々成長している。私も負けてはいられない。

母親
私は、兄弟の中でも一番母親の影響を受けたと思う。未だに、一番尊敬し ている人は母であると、どこででも言い切れる。

身長150cmに満たないきゃしゃな母は、病院の図書室で司書をし、弟が生 まれてからは、図書館のコンサルタント的な仕事をした。働く母親を見て 育ったので、有能なのに女性であるだけで昇進できない怒りなどが、身近 に感じられる。

家では、私との議論が幼い頃から続いた。私の知識に合わせたテーマで、 延々と話した。知識の広さではなく、発想の妙を楽しむことも、意見を交 わす面白さも教えてくれた。これは浪人時代も変わらず、1日に1〜2時 間は色々なテーマで議論した。政治,経済,芸術,...テーマは何でもありだ った。これならば、母親でも知らないだろうと、隠し集めた題材で何度も 挑んだが、大抵の話は知っていて適わない。何にでもアンテナを立ててい た。悔しさも、それを楽しむことも味わった。

小学生のころから、私が友達を家に連れてくると、私をさし置いて友人達 と議論する。その時折の話題を使って意見を聞いて行く。日頃活発に話す 姿を見せたことのない友人達が、熱くなってまくしたてる。友人達は帰り ぎわ、「変わった、お母さんやなぁ」と言うが、内心次回を楽しみにす る。

国語の教科書で、詩に感動して得意げに話すと、母は大抵それらを諳じて いた。教科書に載っていない同じ作者の別の作品もとうとうと詠んでくれ る。対抗意識に火をつけるのもうまかった。悔しくて何度も暗記を試みる が、今の年迄覚えているものは殆どない。

子育てでうまく行かないと感じたら、母親に相談したくなる。母は私をど うやって育ててきたのだろう。母は私の中に大きな大きなモノを残して逝 った。私も、この小さな子供達の中に大きく大切なものを残してやれるだ ろうか。母への対抗意識は未だに尾をひいている。

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