Title:MilkAge

父親の育児参加/樹に登らされた豚から
私の会社は、フレックス勤務を採用している。10:00ー15:45をコアとし て、その前後はいつ出退社しても構わない。都内のサラリーマンのよう に、仲間の目を気にして早く来る必要もない。更に、少数の部隊での仕事 が多いので、周りに迷惑をかけずに自分なりの時間割りが組める。皆が自 分の予定に合わせて、出退社している。また、殆ど自分のコンピュータと 睨めっこをする仕事なので、お客様との呑み会がない。ついでに、部署自 体がそんな感じなので、部署をあげての呑み会も年に1〜2回程しかな い。

これが、私の育児参加の成立条件だったろうか。この書き物をしている素 材は、1日数時間(3〜4時間)と週末(土日)に得られたものだけである。 仕事が忙しい時は、子供の寝顔しか見られない日も続くし、会社に泊まり 込む日もある。時間が非常に大きな要素であることは認めるが、それだけ ではないと思う。どんなに忙しくても、車の好きな人はどうにか都合をつ けて乗っているし、酒の好きな人も忙しさを理由に禁酒するなど聞いたこ ともない。要は時間ではなく、本人の気持ちであろう。

もともと子供が好きだという基礎はあったかもしれないが、自分でもこれ 程とは思ってもみなかった。のめり込んだのは、見ていて飽きない子供の 姿と、幼児期の劇的な成長という「旬」を逃したくないという想いであっ たと思う。

家族の「掟」的なこともない訳ではなかった。「俺には仕事があるんだ」 という、少し時代錯誤的な台詞は我家では無力である。そんなことを言う と、妻は「私だって昼間、育児,家事をやっています」と言う。つまり、 帰ってきてからは同等な立場なのだ。同等と言っても、あまりにひどい深 夜の泣き声などでは、妻がもっぱら面倒見ていたし、母乳で育てている以 上、私にできない事も多々あったが。

しかし、男という看板を常に背負っている訳ではないが、この「男は仕 事」という考えも、なにやら嘘臭い。確かに、自分に任された仕事に対す る使命感と責任感はある。しかしよくよく考えてみると、そもそも「仕事 が好きだ」という部分が大きいように思う。心底嫌いで仕方がないような 仕事を、長年賃金のためだけに続けられるだろうか。男は、難癖付けて自 分の好きなことを正当化してるに過ぎないのかもしれない。

そんな男達に遠慮はあまり要らない。どんどん育児に参加させれば良いの である。世は、労働時間短縮や育児休暇(休職)制度[1] の(不充分ではあ るが)オンパレードである。

[1] 1992年4月以降、公務員は男女の差なく育児のために休職可能となった。
その間は無給だが、現在2割程を出すように検討,審議中。

「男がそんなことを」とか「出世に響く」とかいう声も聞く。私の会社 は、幸いにもそんなことを声高に言う人も言われる人もいない。だから言 えるのかもしれないが、皆んなそんなに会社が大事なんだろうか。私は 時々自分が死んだ時のことを考える。会社の仲間は少なくとも一時は悲し み、最初の数ケ月は週に何回か思い出してもくれるだろう。しかし、それ は何れ程続くだろう。しかし、家族はそうではないと思う。実際、母が逝 ってからこのかた、母がこの世に居ないことを私は忘れたことはない。

あるいは自分の命があと1ケ月とかいう状況になったとする。それでも、 家族と一緒にいる時間を増やさないのが男なのだろうか。もちろん残され る家族の経済的なことや、仕事が自分の夢に直結しているとか、色々なこ とが考えられる。しかし、私があと1ヶ月と宣告されたならば、なんの躊 躇(ためら)いもなく辞表をだし、さっさと引き継ぎをし、辞めるだろう。 会社に私が残せるものと、家族に私が残せるものとでは、その大きさがあ まりに異なるからである。

ついでに、男の使い方のコツも書こう。先ずは、男達の手際の悪さに失望 しない事(ビデオが接続できるからといって、オムツの裏表が判るとは限 らない)。あまり多くを期待しない事。更には、バレない程度に花々しく 誉める事。そうして、子供の世話の中で、これこそはお父さんの出番と思 わせるものが見つかったなら、彼はきっと何をおいても、そそくさとやっ て来るだろう。

振り返ると、旨く乗せられたように思えるようなことが多々ある。妻は、 そんな策は使っていないと言ってはいるが、本当のことは判らない。ま ぁ、こんな妻の秘密があっても良いんじゃないかなと思う。おだてられ誉 められて樹に登らされたとしても、そこからの景色を楽しめば良いのだ。 今や、息子は週末の朝には、私の手を引いて遊びに誘ってくれる。こちら が眠かろうと、くたくたであろうとお構いなしである。しかし、笑顔で手 を引かれると、それも「また、楽しからずや」である。

寝言
Image 悠澄が夢を見ているらしいことは、早くから気づいていた。生まれて直ぐ にでも寝ながら微笑んだり、熟睡しているように見えながら、突然泣き出 したりするからだ。

引越してからは、これに寝言がつくようになった。私が知る限り、最初の 寝言は「パパ!」であった。日曜の昼下がり、ようやく昼寝させることに 成功し、ホッと一息入れて新聞をめっくていた時のことである。

突然、悠澄の寝ている部屋から、「パパ!」と大きな呼び声が聞こえた。 思わず、「はい!」と答えて、見に行った。そこには、まだ眠っている悠 澄がいる。一緒に飛んで来た妻と顔を見合わせた。

ところが最初に呼ばれたのが私だと喜んでもいられない。言葉が増えるに つれ、寝言の言葉も増えて行く。2才も過ぎれば、どんなストーリーか見 当のつく夢もある。どうもそれらの殆どが、私と何かの取り合いをしてい るようなのだ。

「パパ〜、イヤ〜〜〜!」などと、寝言でやられると結構こたえる。もう 少し、優しくしなければならないのだろうか...。

散髪
Image 散髪は、我家の一大イヴェントであった。嫌がる息子を押さえ付けては、 切る。他人が見たら、間違いなく幼児虐待の図である。

寝ている間に..と人は言うが、その後の髪の処理を考えれば短時間に浴室 でやるのを選んだ。少しこちらが慣れて来ると、ハサミを見られないよう にして、風呂の時に素知らぬ顔をして切れたりもして来る。

それを、米国出張時に良い道具を買ってきた。FLOWBEE(フロビ ー)[1]という、掃除機のホースの先に取り付けられるカッターのお化け のような製品。この機械自体は、カッターが水平に動くだけの単純な構 造。取り付けられた掃除機が、髪を引っ張りあげて、その上げられた先に カッターがあるので切れる..という仕組み。カッターの前にスペサーと呼 ばれる長さ調節をするブロックみたいなのを挾み込んで、切りたい長さを 調節する。

[1] 米国で$80位。日本でも作ればいいのにと思わせる。

難点は、音。掃除機自体もうるさいけれど、そのカッターもうるさい。し かも、それが頭の上を動くのだから、耳の閉じようもない。しかし、切っ た髪が(それほど)飛び散らないので、そんなことには目をつぶろう。

1回目は、轟音の中で息子を押さえ付けて髪を切ったので、今までの幼児 虐待の比ではなかった。が、2回目以降は、本人が少し慣れたのか、こち らがうまくなったのか、やらせてくれた。

これで、息子はきれいなスポーツ刈りになった。スポーツ刈りを手でやる と、美事な虎刈りになったので、これで人前に出せる。夏のあいだの汗と の闘いが、少し楽になった。

歯磨きグチュグチュ〜♪
最近になって、NHK受信料のもとを取った気がしている。朝と夕方、数時 間の子供番組のお陰である。手抜き子育てとなじられようとも、これらの 番組なしでは身がもたない。少なくとも、少しの間は画面の前に座ってく れる。

特に、感謝しているのが、「歯磨きグチュグチュ〜♪」という歌である。 子供が出て来て、歌をバックに自分で歯を磨く。さして、「仕上げは、お かあさん〜♪」といって、お母さんがそそくさと緊張しながら登場。そし て、チャント磨く。

この映像は、親を助けてくれる。我家でも、この歌を歌いながら、歯を磨 がかせる。効果はある。

しかし、時々付き合って見ているが、この手の番組も変わったなぁと感じ る。私が一番印象に残っているのは、「できるかな」の時間だった。一言 も喋らないお兄さん(のっぽさん)と、毛むくじゃらのヌイグルミが、毎回 趣向を凝らして、手頃な材料で何かを作っていくシリーズだった。

とにかく、この喋らないお兄さんは、魅力的で、あぁあれが大人ってもの なのか...と、憧れすら感じていたものだ。ムーミンに出て来るスナフキ ンも、同じ魅力を持っていた。

今や、優しそうな笑顔の似合うお兄さん、お姉さんで溢れている。それも いいんだけど、どこか子供に背伸びをさせるようなキャラクターが懐かし い。

鼻の掃除
鼻の掃除、これは大抵私の仕事だった。目の悪い私だが、鼻糞だけは何故 か良く見える。

生まれたてから、綿棒[1]や、ピンセットでさっとかすめ取る。鼻水状の ものは、綿棒を回転させながら、吸い取るように取り出す。妻は、毎度 「うまいねぇ、感心する」といって任せていた。

[1] ベビーオイルで湿らせてから使う

あとクシャミを利用する手もある。鼻がむずむずとしているような息子を 見つけると、さっと手で口を被う。慣れて来ると、鼻の片方の穴を同時に 塞ぐ。クシャミの勢いで、鼻掃除をしてしまう。

しかし、それだけでは取れないモノもある。そんな時どうするか。吸い取 るのである、口で。息子の鼻にかぶり付き、思い切り吸う。とても人に見 せられない光景である。風邪気味の時など、あの黄色い鼻が口一杯に広が る。親でなければできないことだ。因みに、看護婦の資格を持つ妻は、1 度もこれをやったことがない。

そんな苦労がようやく、減った。自分で鼻をかめるようになったのだ。鼻 にティッシュを当て片方を塞いでやって「フーッ」というと、自分でも息 を出す。鼻糞もでる。ウンチ程ではないけれど、感動である。

ここまで、約2年。う〜ん、長かった。

絵本
米国に出張中に、幾つか子供用の本を買った。悠澄のお気にいりは、「MY FIRST WORDS BOOK」という図鑑みたいなものだ。「台所」,「森」,「動 物」..といった具合に、幾つかの状況(場面)が、見開きのページ毎に決め られていて、それに含まれるモノが沢山描かれている。「台所」には料理 用具などが、「動物」には様々な動物が並んでいる。

この本の凄い所は、その殆どが写真を使っている点である。子供は、大人 が脚色したモノではなく、写真を通して自分の感覚で名前を覚えて行く。

これが魅力的に感じたのは、日本の本屋さんで絵本選びをしていた時であ る。殆どの本が、イラストを使っている。しかし、どこの世にスカートを まとった豚や河馬が存在するのだろう。本物を知っている大人が見れば、 それが誇張やお遊びであることは自明だが、その本の本当の対象は、幼児 であり、彼らはその本物を知らない。間違った概念を伝える事は、罪であ る。

笑い顔のネズミや、バレリーナ姿の踊る豚を見ながら、私は無性に腹が立 ってしまった。

「むすんで、ひらいて」を皮切りに、色々な「手遊び歌」を教えた。歌詞 を完全に歌える訳ではない、幾つかの区切れの良い所の1音だけを歌う。

「むーすーんーで、ひーらーいーて...」と歌う所は、「むーーーーー ー、ひーーーーーー...」となる。それでも、本人は歌っているつもりで ある。

いい気で歌っているのを妨げると、ひどい目に合うのは、相手が大人でも 子供でも同じである。キチンと歌わせようとすると、カンシャクを起す。 まぁ、好きなように歌えばいいか。

雑誌のプレゼントについていた、手遊び歌のビデオ[1]が功を奏して、ど んどん覚える。

[1] 小学館の「ゆう子お姉さんの手遊びうた」。実費を送ると、全員が貰えるやつ。

「げんこつ山のたぬきさん」,「大きなくりの木のしたで」,...。ついで に、ビデオでお姉さんが喋る台詞まで覚えてしまって。ビデオを見る度に 真似している。

べつにうまくできなくても、お姉さんが「上手にできた人〜ッ!」と聞く と、画面の中の子供達と一緒に、「は〜〜い」と手を上げる。

また、覚えている単語や曲数が増えると、しだいに覚えるのが早くなる。 私が好んで車の中で聞いている曲は、伴奏があれば少し歌ってしまう。2 才児が、「♪生きること〜を、素晴らしいと思いたい[2]」と歌うと、少 し焦ってしまう。

[2] 「破れたハートを売り物に」,作詞・作曲:甲斐よしひろ

2才時の言葉
今の言葉抄。特にお気にいりの言葉から。
「なに?」
何に使うのか、何であるかを知りたい時に使う。頭を少し傾けなが ら、こう聞かれると、なんてウチの子は可愛いんだろうと、親馬鹿モ ードになってしまう。

えてして、こちらがする説明は聞いていないことが多い。また、何な のかを知っていて、こう聞く時もある。ある車のショールームに行っ た時のこと、テーブルの上にキャンディの詰まった瓶が置いてあっ た。それを見つけた息子は、こぼれんばかりの笑顔で指差しながら、 「なぁに〜?」。勿論、彼はキャンディが何なのか知っている。

「へん」
自分の予想したものと異なることが起った時に連発する。オモチャを 私がさっと隠したり、持っていたお菓子が突然減ったり、お菓子の隠 し場所を変えられたりした時に、「へん!」と言いながら探す。可愛 い。

「いい/いや」
自分の意思表示のため。しかし、どうも日本人の「いい/いや」なの で、本心がよく判らない。

「○○へ行こうか?」「いい」...これでは、どっちなんだかさっぱり 判らない。まがりなりにも言葉による意思表示なので、聞き直すしか ない。しかし大抵の場合、同じ言葉を繰り返すだけで、違う言葉で言 ってくれない。

「いい?/こう?」
Image これで本当に正しいのか、あるいは本当にやってもいいのか..などを 確認する時に使う。パジャマを着る時の裏表の確認、靴の左右の確 認、初めて見る食べ物にかじり付いていいかどうかの確認。

悠澄にやらせると、なんでも時間が倍以上かかるので、さっさと済ま してしまいたい時でも、笑顔で「いい?」と聞かれると待たざるを得 ない。

「ゆう」
自分でなにかをやりたい時や、「自分」の代名詞。自分でできるよう になった事は、大抵この言葉を発してから、自分でやる。例えば、ボ タン付け。おぼつかない手でゆっくりゆっくりやってくれる。私にや らせてくれることは稀である。

「あいうえお/123」
「あいうえお」は、一応平仮名の字体に合わせて声にする。

「12345..」は、指で示してやっても言い当てるし、テレビの株価指 数の画面でも、指差しながら言える。しかし、まだ数えるところまで は行っていないようだ。階段とかでは、必ずと言っていいほど「1、 2、3...」と数えるが、

正しく数えた事は殆どない。大抵大目の数字を言う。しかし、なまじ キチンと数えるので、時々信じてしまう。「なんだよう、2個足りな いじゃないか!」とかいうと、キョトンとしてこちらを見ている。

「は〜〜い」
悠澄の返事は、全国良い返事大会があったら上位に食い込めると思え るほど良い。何か私達が指示したり、頼むと、「は〜〜い」という良 い返事が返って来る。どうも、こちらの言い方の語調を読み取ってい るようで、返事をしたからとその通りに行動する訳ではない。

最たる例が、オシッコである。何度言っても、してから教えてくれ る。

妻:「オシッコがオチンチンの所に来るなぁと思ったら教えるのよ。 出ちゃう前にちゃんと教えるのよぉー。」

悠:「は〜〜〜〜い」


安奈の寝返り
安奈4ヶ月。ついに寝返りを打つ。悠澄と同じように、オモチャに手を伸 ばすのがキッカケだった。しかし、なんだかちょっと様子が異なる。

悠澄は、もっとダイナミックに弓形にそってゴロッと寝返った。娘は、ま ろやかにコロッと寝返っている。

悠澄よりも小さく生まれたのに、同じ月齢では、安奈の方が重く大きい。 肉付きの良さが、このまろやかな静かな寝返りを実現させているらしい。

今や私は、この娘の横に座っては、何度もひっくり返して寝返りを繰り替 えさせている。「もう少し、痩せなさい」という親心である。

退行/対抗
安奈が成長するにしたがって、悠澄の成長振りが少し変わってきたように 思う。

安奈がオッパイを飲むと、次第に自分にもくれと要求して来る。別にオッ パイ自体が欲しい訳ではないらしい。乳首をくわえても、すぐに放して、 舌を出して笑っている。

安奈が、風呂上がりの湯冷ましを哺乳瓶から飲む。それをやたらと欲しが る。安奈が終えてから、哺乳瓶を渡すと嬉しそうにチュパチュパ吸ってい る。

安奈が離乳食を食べ出す。悠澄が同じモノを欲しがる。しかも、同じスプ ーンで。

万事がこんな感じで、とにかく同じ事をやりたがる。多少、赤ちゃん時代 にもどったようなこの退行現象は、本人にとっては高度な対抗意識の現れ かもしれない。

バスチーユ監獄
我家には、「バスチーユ監獄[1]」がある。それは、私の部屋である。私 の部屋と言っても、2LKの間取りで、専用の部屋は許されない。私達夫婦 用のベッド[2]と本棚と机があるだけの部屋である。

[1] フランスにあった牢獄。圧政の象徴として、フランス革命時に襲撃され破壊される。
[2] アメリカから直輸入したウォーターベッド。人によって合う合わないはあるけれど、
腰にはとても良いと思う。1日中子供を抱いていると、ここで寝るのと布団で寝るのとでは、
翌朝は段違い。問題はその重量。我家の家探しは2階以上は不可能だった。
アメリカで買うと、日本の市価の半額ほど。但しメンテナンスはちょっと面倒。

ここが「パパの部屋」と呼ばれるようになったのは、妻が安奈にオッパイ をやるために、別室で寝るようになり、息子がそこで一緒に寝始めたため である。要は、嫌われた私だけが眠る部屋となってしまったという訳であ る。

悠澄は、妻と一緒に寝たいがために、夜にこの部屋に連れて来られるの を、非常に嫌がった。また、この部屋だけが1つのドアで外界から隔離で きるので、泣き喚くのを覚悟で叱るときにも、よくこの部屋に連れ込んで 叱った。

こういう経緯で、「パパの部屋」は、悠澄にとって「この世の地獄」ある いは、「バスチーユ監獄」となってしまった。実際、あまりに聞き分けが ないと、この部屋に閉じ込めて、泣き止むまで出さない。

自分で考えられるようになってくるので、実際に部屋に閉じ込めなくて も、「パパの部屋に行くか?」と言うだけでおとなしくなってもくれる。 最初は、この恐怖に裏打ちされたシツケは、精神衛生上悪いかなとも思っ たが、自分で考えて行動を決めて行く手助けになっているように思う。

しかし、たった一言「パパの部屋に行くか?」と聞くだけで、行儀を正 し、ワガママを我慢する。その変わりようと、その言葉の効力の強さを見 るにつけ、「じゃあ、その『この世の地獄』で寝起きする私は何なんだ」 と、哀しくなったりもするのだが。

暗号解読:「ちょんちょんめ」
喋り始めの頃、幾つかの解読できない暗号が残った。

「ちょんちょんめ」もその1つだ。どういう時にこう言うのかを調べた り、本人に直接聞いたりしたが、繰り返すくらいで一向にヒントもくれな い。このまま、「お蔵入り」かな...と、半ば諦めていた。

ある日、一緒に「おかあさんといっしょ」を見ていると、歌に合わせて 「ちょんちょんめ!」と言っている、画面を見直すと、「♪ちょっ、ちょ っ、ちょっと待って冬」と歌っている。季節が冬に変わりそうになってい るときに、もう少し秋に居て欲しいと願う歌である。そう、「ちょんちょ んめ!」=「♪ちょっ、ちょっ、ちょっと待って(冬)」だったのである。

なんだか、名探偵ホームズになったような気がする。鼻高々で妻を呼ぶ。 次の暗号を解読するのは、どっちだろうか。残る暗号は、「だじ」と「だ ーじゅ」。今のところ見当もつかない。

早期教育
息子も2才になると、どこからともなく早期教育のチラシが届くようにな る。見る度に、心が動く。罪な広告である。

自分が勉強で苦労したからか、早くから出来るようになっていればと願っ てしまう。でも同時に、読み書きが早く出来るようになってどうするとも 疑う。確かに、数字や「あいうえお」を悠澄は既に幾つか覚えている。し かし、ここ2ヶ月ほどは教えるのは止めてしまった。

何度か教えようとしたのだが、何回か反復練習させると、明らかに意図的 にいい加減なことを口にして、集中していないのがよく判ったからだ。今 は覚えることに興味がないんだろう、と断念したと言う訳だ。やりたい時 にやるのが、一番集中して覚えたものだと、思い出しもする。

早期教育で、早くから言語中枢を刺激する結果、どんなことになるのかは 未だ科学的にも判っていないと思う。そういうことを検証できるだけのデ ータも揃っていないだろう。天童が大人になって、普通のひとになる話 や、逆に異常をきたしたりする話も聞く。商業主義に乗せられるのもしゃ くに触る。需要があるからと言って、何でも商売にして良いのかという疑 問も湧く。

また、幾つか通った英語の授業を思い出す。文法テストで成績の良い子の 多くが、つまらない会話の練習見本を見せてくれる。実際に欧米人を囲む と、途端に沈黙してしまう。話すこと自体がないのである。文法もめちゃ くちゃ、3単現の「s」も殆どすっとばす子が、身振り手振りで質問し て、欧米人も喜ぶ...そんなシーンを何度も見た。

子供にバイリンガルになって欲しいとの希望は強いが、言葉は所詮道具で ある。道具を使いこなすことだけに集中するのではなく、どう面白く使う かを楽しめる子になって欲しい。

はてさて、問題はその方法である。罪な広告である。

太陽と北風
子供をうまく操縦しようと思う時、いつも思い出す話がある。有名な「太 陽と北風」の話である。旅人のコートをどちらが脱がせるかを、太陽と北 風が競う合う、あの話である。結果はご存知の通り、無理矢理吹き飛ばそ うとした北風は敗れ、暖かくして旅人が自分で脱ぐようにした太陽が勝 つ。

2才の息子は「旅人」であり、私は「北風」も「太陽」も操れる。結果 は、おおむねこのお話しの通りになる。無理矢理コートを奪おうとして、 泣き出されたり叫ばれたり。しかし、なにか別の切り口でうまくノせれ ば、息子は自分からコートを脱ぐ。

近くに歩いて買い物に行ったとき、帰り道で悠澄が抱っこをせがんだ。私 は荷物を持っているし、疲れていたので、出来ればご遠慮願いたかった。 すると、側を猫が通って行った。そこで、ひらめいた。帰り道の先に、居 もしない猫がいると息子に言う。動物好きの息子は、「にゃー、どこ?」 と座り込んだおシリを持ち上げる。「あっち、あっち」。たかが残り50 メートルではあったが、時に走るように父子で家まで辿り着いた。家に着 くと、「あ〜あ、猫あっちに行っちゃったぁ」と遠くを見つめる。息子は 一応納得した顔で、玄関に向かう。やれやれ。

哀しいかな、私の操れる「太陽」は、大方が「嘘」である。息子がそれに 気付く前に、不信感をもたれない人間関係を築いてしまおう。

娘とデート
4ヶ月も半ば、疲れた顔をしつつも掃除をするという妻をむりやり寝せ て、娘と散歩に出かけた。小悪魔(息子)は昼寝中である。

小さな林のような公園で、小さな娘を抱きながら小1時間ほど日向ぼっこ を楽しんだ。抱き上げたり、声をかけると、歯のない口を一杯に開けて笑 う。一時は、どんどん太って行き、「若の花」などと呼ばれたが、その肉 の拡張にようやく表情が追いついたようだ。とても可愛い。表情の付きよ うのないプクプクのお肉が横に追いやられ、大輪の花が咲き誇るように笑 顔が広がっている。

考えてみれば、ずっと悠澄の面倒で、悠澄ほどには構ってあげていなかっ たと思う。もしかしたら、こんな親子水入らずは初めてかもしれない。

周りを見ると、優しそうなお父さんが子供連れで遊んでいる。我家もその うちああなるんだ、そう思うと楽しみが増えた思いがする。そのうちに、 「お父さんと歩くのなんかイヤッ」と言う時代も来るのだろうか。路は未 だ未だ遠い。

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Copyright:1997 Hideki_Mitsui@MilkAge