Title:MilkAge

知恵
2才3ヶ月ともなると、言葉を捉えることも上手になってくる。そうした 知識の獲得以上に驚かされるのが、知恵の使いようである。

最初は、スーパーマーケットに買い物に行くと、必ずお菓子の置いてある コーナーに誘うとか、そんなことから感心する。買ってあげるときも、あ れもこれもとねだるので「1個だけ」というと、左右に持ったお菓子を見 比べて1つを選ぶ。ボツになったものは、ちゃんと元の場所に戻す。そし て、2〜3メートル歩いて、もっと良いのがあると、ちゃっかり交換す る。

もっと驚かされたことがある。ある晩、夕食後に菓子パンを食べようとい うことになった。息子は、ドーナツの3個入った袋を手にすると、「みん な、ねんね!」と言って、私達に向うへ行けと手を振る。次に、1人ずつ 指図する。「ぱぱ、ねんね」、「まま、ねんね」、「べびぃ(安奈)、ねん ね」。で、最後に、「ゆう、いいぃ!」。

どうも、自分以外は寝なさい、自分だけは寝なくてもいい、と主張してい る。目をぱちくりして事の成り行きを見守っている私達を前に、1人で袋 を開けてドーナツを食べようとし始める。

「みんな、ネンネ」といって、自分はドーナツ袋を握り締める悠澄。こう いうのを知恵と呼ばずになんというのだろうか。全く、見ていて退屈させ ない息子である。

ば〜ぶ?
Image 私は喘息持ちである。発作が出ると、呼吸が殆ど出来ない。立つことさえ 難しくなる。吸入の薬を使って、呼吸を整える。

悠澄は、こういうシーンを既に何回か見ている。しかし、93年秋の発作 は今までになくひどいものだった。出張先でひいた風邪がそのまま帰国後 も居坐って、ついに喘息を目覚めさせてしまった。薬が効かず、夜も発作 で眠れない。

中学以来の発作のひどさに、心身共にくたくたになったが、ひとつ良いも のを授かった。

私が、咳き込んでゼーゼーとやりだすと、2才の息子が心配そうに寄っ て来る。そして、「ば〜ぶ?」と聞いて来る。「ば〜ぶ?」とは「大丈 夫?」という意味だ。本人は正しく発音しているつもりらしいが、こうと しか聞こえない。

二歳児に、肩に手を置かれ、時には背中をトントンと叩かれながら、「大 丈夫?」と心配されると、正直言って我が身が情けなくなる。けれど、こ のいたわりが嬉しい。優しい子に育って欲しい。

さて、我が妻は何をしているのか
この育児レポートが本になると決まってから、妻には再三「検閲」をお願 いしている。誤字脱字を気にしながら読んで、感想を言ってくれる。「ま るで、あなたって完璧なパパね。 ママは何もしていないみたいに読めち ゃう。 私も、こんなパパが欲しいなぁ」。

別に嘘を書いている訳ではない、しかしもちろん私は完璧なパパではな い。失敗もへまもよくやっている。しかも、このレポートは、私の帰宅後 と週末だけで得られた情報だけで書いている。逆に言えば、殆ど行動を共 にしている妻は、私のした発見の数倍の発見と感動とイライラを経験して いるのである。私は少し羨ましくさえ思っている。

「魚の心鳥知らず、鳥の心魚知らず」なのだろうが。

絵を描く
Image 息子が「パパっ」と言って絵を見せてくれる。楕円の中に目の点が二つ、 鼻と口の横線が2本引いてある。これが私の顔らしい。

それだけの絵がとても嬉しい。私はプログラマをやっているが、昔は漫画 家になりたかったし、油絵や彫刻にも興味がある。しかし、なんだか家業 を継いでもらえたような喜びがある。

実を言うと、私は大学くらいから1つの夢をえがいている。子供ができた ら、「サップ・グリーン」という絵の具を持って一緒にスケッチに行くん だと、心にちかっていた。これに、ほんの少し近づいた気がする。

「サップ・グリーン」は、自然の木々を描くのには先ず必要な色である。 なのに、小学校指定の12色絵の具箱には、この色は入っていない。緑と 言えば、「ビリジアン」である。この緑で、木々の緑を描くのは、私は不 可能だと思っている。なのに、小学校でも中学でも、この絵の具を使って 写生大会を開く。私は時間と紙と絵の具を無駄にしながら、何枚も何枚も 描けるはずのない木々の緑をスケッチブックに写そうと努力した。私が 「サップ・グリーン」を知ったのは、大学に入ってからだった。

私は未だに、この12色絵の具箱を恨んでいる。もっと早く、木々を紙に 写す喜びを味わえたなら、人生が変わっていたかもしれないとさえ思って いる。

子供達には、早くから本物の絵の具に触れさせたい。絵だけでなく、色々 な本物に触れさせてあげたい。紙の上に広がる自作の自然や、音符の向う に広がる音色の世界...、見せたいものは山程ある。この子達がどの世界 にどの程度興味をもつのか。ワクワクするほど楽しみだ。

安奈6ヶ月
Image 安奈がようやく、いつのまにか6ヶ月。慌ただしく、アッと言うまに過ぎ てしまった気もしないではない。

悠澄の活発さに目を奪われて、細かく観察できなかったが、寝返りも早く なり、うつ伏せの状態で顔を高々と持ち上げてこちらを見るようになって いる。

少し距離をおいたところからでも、笑いかけると気が付いて笑い返してく れる。表情も増え、興味の対象も多くなってきているようだ。悠澄が声を 出しながら踊るようにおどけてみせると、「キャッキャッ」と声をたてて 笑う。

どうしても、活発な息子の相手が優先されるので、構ってやれる時間は少 ない。子の数によって労働時間は変化しないので、同じ時間数しか子らに 接する時間はない。悠澄の時は、その全てが悠澄に向けられたが、今は多 くともその半分の時間も、娘には割いてあげられない。

妻にしても、「ちょっと待って」が、もはや口癖である。危ない事をする 息子から目が離せない。接する時間が少ない分だけ、当然ながら娘の成長 に目をやることができない。構ってあげられない事をいつも、済まないな ぁと思っている。

安奈は、6ヶ月の検診では、同じ頃の悠澄と身長が少し上、体重がかなり 上といったところだ。お兄ちゃんに構われることにストレスを感じ、少し 食べ(飲み)過ぎたのかもしれない。しかし、そのふくよかな笑顔は、悠澄 にはなかった優しさが感じられる。やっぱり女の子だなぁと見入ってしま う。

まだ身体をずっているような感じだが、うつ伏せの状態で少し動くことも できる。悠澄も同じだったが、手を突っ張るので前ではなく後ろにずって 行く。悠澄がちょっかいを出す分、すこし逞しく育っているようにも思 う。

クリスマスの夜、ささやかなパーティ(祝満6ヶ月)を開いた。未だケーキ を食べられない主賓の安奈を前に、キャンドルを灯し、少し場違いだが 「ハッピーバースデー」を歌う。これからも、健やかであれ。

93年のクリスマス
クリスマスの翌日の日曜日。夕方には教会の面々との愛餐会(あいさんか い)が開かれた。

礼拝と同じようなスタイルで、歌を歌い、メッセージを聞き、感謝し祈 る。93年にもたらされた良いことに感謝し、病気の方々の回復を祈る。 新しい年が、より豊かなものであるようにと祈る。

ふと気付くと、キャンドルの代わりに配られたペンライトを息子が握り締 めている。小さな手が紅く微かに輝いている。紅い光を受けながら息子 は、私にほほ笑みかける。娘は大きな頬を真っ赤にして、妻の膝から大き な目を見開いてこちらを見ている。

大切な大切なモノを授かったと実感する。いつも優しく接していられる訳 ではない、いつも正しく接していられる訳でもない。けれど、大切に大切 に育んでいきたい。

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