史跡めぐり

第2回 結城家黄金埋蔵金の伝説 (前編)




結城家始祖、結城七郎朝光は、藤原秀郷から8代の後胤小山政光の三男である。朝光は、平家追討や奥羽征伐で活躍し源家に忠勤を励んだので、恩賞として頼朝から、平泉で栄華を極めた藤原氏から奪った財宝のほとんどをもらったという。以来代々、関東の肥沃な穀倉地帯に根を張り栄えてきたので俗に、「結城百万石」とその内福をうたわれていた。
朝光から数えて18代、結城晴朝の時に秀吉の小田原城攻めが起り(1586年)、晴朝も直ちに軍を起こし、小田原に馳せ参じた。秀吉との対面の折り、たまたま晴朝に世子がいないことを知った秀吉は、自分の養子秀康を晴朝に与えると言いだした。ところが古武士気質の晴朝は、権謀術策に富む家康とは性格があわず大嫌いであった。しかし、ときの権力者秀吉の配慮を断ることも出来ず、心ならずも承知したのであったという。
やがて、天下の実権が家康に移ると、徳川家の基礎固めの為に家康は、強力な外様大名や、少しでも怪しい素振りのある者は片端から難癖をつけて取り潰したり、国替えをしてその力を弱めることに熱中していた。天下にその繁栄と内福を噂されている結城家の晴朝は、「つぎはわしの番だ」と予感して「この宝、むざむざ徳川家に渡してなるものか」と、朝光以来の財宝を、腹心の家来、膳所主水(ぜぜもんど)に命じて地中深く埋めてしまったという。
さて、はなしのつづきは後編で。








1859年(安政6)に江戸で発行された結城埋蔵金発見のかわら版
(早稲田大学演劇博物館蔵)
結城市・結城市観光協会発行「絵図ゆうき」より掲載




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