つるむらさき栽培の歴史

万一、あなたの知っている人と妙に経歴が似ているようなことがあっても、それは、単なる偶然・錯覚・気の迷いなので、気にしないでください。ハッピーアイスクリーム。


幼年時代

・東京オリンピックの開会式のスタンドで、しんと静まり返った中、突如大声で「幸せなら手をたたこう」(当時の大流行曲)を歌い出し、周囲が止めても歌いやまず、国家的大問題になりかける(本人記憶なし)。

小学生時代

・家が神宮の割と近くだったので、ヤクルト(当時はアトムズ)の子供友の会(正式名称失念)に入る。最初はタダでくれる帽子やボールが目当てだったが、徐々にヤクルトファンとしての自覚に目覚める。

・高学年の時、神奈川県のY町に引っ越す。バス停まで徒歩20分かかる山奥の家で、苦労する(さすがにかまどはなし)。

中学生時代

・科学部で、毎月地元の川の水質調査(DOとCOD測定)をして過ごす。余談だがこの部には、プランクトン採取の際、プランクトンネットのひもで女子部員を縛ってSMごっこをするというほほえましい伝統があった。

・アマチュア無線の免許を取ったり、真空管アンプを組み立てるのに熱中。パーツを求めて、電車で2時間かけ、今でいうアキバ通いをする。

・中3の時、初めてコミケ(当時はほとんど知名度なし)なるものに行く。確か第4回(?)、場所は四谷公会堂。当時としては相当の物好き。

高校生時代

・かまぼこで有名なO市のO高校に入学。「O高校漫画研修同好会」(無意味にいかめしい名前)に入る。でも、なかば幽霊部員。

・級友のクリーニング屋の息子を主人公に、同級生の女の子を監禁してむりやり制服を脱がせ、目を潤ませておびえる彼女をしり目に、それをていねいにクリーニング&アイロンプレスして返し、クリーニング代を請求して終わるというまんがを描き、プリントゴッコで地下出版。自分でもベタベタなオチだと思ったが、なぜかクラスで飛ぶように売れる。

・ヤクルトが初優勝して涙する。

大学生時代

・都の西北にあるW大学に入学。「Wおとめちっくクラブ」(無意味に恥ずかしい名前)に入る。が、1年弱でサークルが内紛で分裂。「W大少女マンガ研究会」(決して胸は張れない名前)へと移る。

・この頃、ヤクルト低迷つづく。この悲しみを表現しようと、余命幾ばくもない薄幸のヤクルトファンの少女が主人公の、悲しくも心に沁みるまんがを描くが、なぜか周囲からはギャグ作品として高い評価を受ける。

・8ビットパソコン全盛。名機PC−8801を買い、BASICとZ80のアセンブラでゲームを作る。何度か月刊アスキーに載り、印税をもらう。

社会人時代

・某出版社に入社。名刺を渡すときかなり恥ずかしい名前の少女まんが誌の編集部で10年ちょっと過ごす。タクシー帰宅はざらで、鼻血が出るほど忙しい毎日。その間隙を縫い結婚。その間隙を縫い長男作成。

・別の女性誌の創刊スタッフとして異動。2年ほど過ごす。人手が足りなくて、鼻血も出ないほど忙しい毎日。その間隙を縫い長女作成。

・近年、もう少しひまな編集部に異動。社会人になって初めて、非生産的生産活動に費やす時間ができる。変なノベルを作ったり、アニペグを作ったり、いろいろ非行に走る。小人閑居して不善を為す。


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