更新日2008/07/10:チエの話(21)を掲載しました
更新日2008/07/10:控訴人冒頭意見陳述、控訴理由書(pdf)を掲載しました(福岡高裁の経過表)
更新日2008/07/09:一審判決文を掲載しました(熊本地裁の経過表)
         福岡高裁の経過表を更新しました。
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溝口さん(水俣病認定)棄却取消・義務付け行政訴訟のホームページ

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 半世紀にわたって水俣病被害者を苦しめ続けている″水俣病認定制度″。その政治的な認定基準や行政の不合理な運営に対する患者遺族の闘いが続いています。

○第2回口頭弁論
 2008年7月28日(月)13:30〜 福岡高裁第5民事部
 **原田正純氏の主尋問となる可能性があります**

 門前集会 13:00〜 福岡高裁前
  法廷後、報告集会も予定しています。
<連絡先> 〒337-0033 埼玉県さいたま市見沼区御蔵 1247-8 鈴村方

*この事件のあらまし
 1995年8月、熊本県知事はチッソ(株)が垂れ流したメチル水銀の曝露歴は認めながら「公的資料がない」という理由で溝口チエさんの水俣病認定申請を棄却しました。1974年の申請以来、実に21年後の処分でした。チエさんは申請から3年後の1977年に死亡しましたが、この間に県は終えているべき検診を完了させませんでした。申請者が検診未了で死亡した場合には、環境省が金科玉条とする“1977年(S52)判断条件”でも、生前に受診していた医療機関のカルテ収集を明記しています。
 しかしチエさんの次男・秋生さんの起こした行政不服審査請求によって、県の病院調査は死亡後17年も経ってからであったことが判明しました。また地元支援者の調査で、少なくとも県が病院調査を始めた当時はまだカルテが残されていた可能性があったことが分かりました。
 県がまともに調査をしていればチエさんの水俣病罹患は証明できたのです。
 秋生さんもただ21年間じっと待っていたわけではありません。毎年チエさんの命日に合わせて、県に「母の件はどうなっているのか」と問い合わせを続けてきたのです。これに対し県はただ「検討中」と答えるのみで、放置を続けていたのです。

*棄却取消訴訟
 2001年10月に環境省の行政不服審査請求も棄却されたため、秋生さんは同年12月に熊本県を相手取り、棄却処分の取消を求める行政訴訟(棄却取消訴訟)に踏み切りました。が、ここでも県は「遺族もカルテの保存ができた」「旧環境庁の認定審査会に申請を移行することもできた」と遺族にその責任があるかのような反論をしています。あまつさえ申請者の検診拒否運動まで持ち出し、1970〜80年代に認定申請者が急増したことが処分が遅れた原因であると主張して、自らの怠慢と責任を棚上げにする態度に終始しています。
 しかし県の提出した証拠から、1988年11月には、未検診の死亡者について「病院調査についても、積極的に行うことはしない」と旧環境庁と合意していたこと。その結果カルテが廃棄されてしまうことを十分認識していた(環境庁側の協議資料には「病院調査は適宜やっておく必要がある−カルテ保存期間」と明記されていました)ことが判明しました。チエさんを含む未検診死亡者は意図的に放置されていたのです。

*義務付け訴訟
 2005年10月には加えて義務付け訴訟を提訴しました。これは認定棄却した処分を取り消すだけではなく、積極的にチエさんを水俣病と認めるよう熊本県に義務付けるものです。
 現代の医学知見と救済法の趣旨に照らし合わせた時に、チエさんを水俣病と判断するのが最も合理的です。

*熊本地裁判決
 2008年1月25日に熊本地裁(裁判長・亀川清長、裁判官・内山真理子、中島真希子)で言い渡された判決は、唯一の医学証拠であるS診断書を不十分としたうえで、そうなってしまった原因については「やむを得ない」と熊本県の責任を不問にしました。
 前述の証拠(病院調査はしないと決めていた)があるにもかかわらず、「意図的に病院調査を放置したと認めることはできず」とするなど、提出された証拠もちゃんと見ない一方的なものです。
 既に関西訴訟最高裁判決後の未検診死亡者が60人になっている現在、このような判決を確定させてしまっては、行政は患者が亡くなって関係資料が無くなるまで放置すればよいことになります。このような判決はとうてい認めることはできません。

 裁判での私たちの主な論旨は以下の3点です。
(1) 申請後21年間も処分を放置したのは違法
 まず21年間もの長期放置は異常です。また医療機関の調査をチエさん死亡後17年間も放置していたことは、1977年の旧環境庁通知(S52年判断条件)の第4項にてらしても違法です。
 熊本県は意図的懈怠によって、故チエさんの水俣病罹患を証明する資料を失わしめたのであって、その失政を被害者に負わせて棄却した処分は不当です。
 この事案は単なる手続ミスではなく県の患者放置政策の一環であり、水俣病事件に臨む姿勢を問うものです。

(2) “1977年(S52)年判断条件”は医学的、法的に誤り
 水俣病とはメチル水銀によって大脳皮質が傷害される疾病です。現“判断条件”は末梢神経の障害を前提とするもので、そもそも医学的な根拠が全く示されていません。
 また水俣病はメチル水銀食中毒事件であり、その被害実態は疫学を活用してこそ把握することができます。日本精神神経学会では居住歴、喫食歴と水俣病に現れる神経症状−感覚障害−があれば水俣病の蓋然性は90%以上であるとの見解(1998)を発表しています。
 そして公健法、救済法は公害患者を幅広く迅速に救済することを目的としています。認定要件の幅を狭めて水俣病患者を切り捨ててきた“判断条件”は、法の趣旨目的に反しています。
 厳密な因果関係を要求される損害賠償訴訟であった水俣病関西訴訟最高裁判決(2004)では“52年判断条件”は採用されませんでした。

(3) チエさんは水俣病患者であった
 チエさんの居住、喫食歴や僅かに残された医療資料をもとにしても、水俣病関西訴訟で示された基準に照らせば、チエさんは水俣病であったことが明らかです。

法廷の経過・準備書面一覧へ

*溝口棄却取消訴訟弁護団東京事務局
  東京:山口紀洋(弁護士) 荒谷徹 鎌田学 鈴村多賀志 平郡真也
  水俣:高倉史朗
  熊本:東俊裕(弁護士)
*連絡先(東京事務局)
 〒337-0033 埼玉県さいたま市見沼区御蔵 1247-8 鈴村方  Faxのみ 048-683-7098

 事務局ではこの事件の進行状況を伝える通信「チエの話ちえのわ」を発行しています。是非ご連絡をお願いします。 チエの話一覧へ

 また、行政不服審査からチエの話発行までの経過については、「東京・水俣病を告発する会」の通信に寄稿した文章を転載しています。 チエの話発行以前

「チエの話」それは溝口チエさんの話。「知恵の輪」それは一見複雑だが実は単純なカラクリ。
「知恵の環」それは不条理を許さない人々の繋がり。「千重の和」それは向き合うことの積み重ね。

*カンパのお願い

 この裁判では熊本県認定審査の非医学性、違法性を明らかにして、溝口チエさんが水俣病であったことを認めさせます。みなさまのご支援をお願いします

郵便振替:「水俣病行政訴訟事務局」 00130-9-482335